肖像画提供 寄川靖宏
小澤 征爾 生誕
OZAWA, Seiji
(1935年昭和10年9月1日満州国奉天 ”現:中国の瀋陽市” に生まれる)
Birth place:Mukden Manchukuo
Date of Birth:1/9/1935
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1.職業
日本の指揮者
クラシック音楽の教育者
2.称号
新日本フィル桂冠名誉指揮者
ウィーン国立歌劇場名誉会員
ウイーン・フィル名誉団員
ベルリン・フィル名誉団員
長野県名誉県民
名誉都民
サンフランシスコ大学芸術博士号
米国ハーバード大学名誉博士号
フランス、ソルボンヌ大学名誉博士号
成城大学名誉博士号
3.経歴
1935年(昭和10年)9月1日満州の奉天の奉天医大病院で小澤家の三男として生まれた。父開作と親しくしていた軍人・板垣征四郎と同じく軍人の石原莞爾の二人から一字ずつもらって「征爾」と名付けた。のちに兄弟たちは、長兄・克己は彫刻家、次兄・俊夫はドイツ文学者・筑波大副学長を務め弟・幹雄は司会・講師・音楽ジャーナリスト・著作者となった
2000年8月長野県奥志賀高原で大江健三郎は、『小澤さんが西洋の音楽を学び始めた、そしてそれを外国に向かって出していった、そもそものきっかけは、どういうことでしたか』。小澤征爾はこう答えた、『おふくろはキリスト教徒なもんで、教会で賛美歌をうたう。子供たちを日曜学校に無理やり連れてって、そのうちに僕たちはだんだん面白くなってその日曜学校が大好きになった。男の子四人だったものですから、当然四人で賛美歌をうたう。だから音楽の最初はまったく賛美歌です。おふくろや日曜学校で教わった賛美歌。亡くなった一番上の兄貴はすごい音楽的才能のある男で、音楽を本気になって勉強し始めた。本当に物がないときで、ピアノもありませんから、ハーモニカとかアコーディオンとか、いまから思うと木琴のようなもので、名前忘れちゃったんだけど、鉄でできている楽器で叩くと音が出るわけですね(多分=鉄琴のこと編者)。一番手近にあったのがアコーディオンで、それが僕にとっては最初の音楽です。教会へ行ってオルガンを聴いて、下の兄弟三人の中で一番のめり込んでいったのが僕で、結局、長男と三男の僕が最後まで音楽を続けた』
引用文献:小澤征爾・大江健三郎『同じ年に生まれて』、中央公論新社、2001年、P14~15
1936年(昭和11年)10月一家は奉天から北京に移り北京市東単新開路35号に住んだ
1941年(昭和16年)3月帰国し立川市柴崎町三丁目の貸家に住む。自宅の前にあった若草幼稚園入園した
1942年(昭和17年)立川国民学校入学、この頃長兄からアコーディオンの手ほどきを受け、小学校4年頃には習得。小学校の野球部ではエースピッチャーだった。柴崎町三丁目に家を買い移った
1946年(昭和21年)4月頃長兄の通う府立二中の許しを得て、音楽室のピアノのを特別に使わせてもらい兄から手ほどきを受ける。その頃、二中の大和先生からピアノを教わる。父と兄2人が横浜の親戚筋からピアノを買い、リヤカーで三日がかりで立川の家まで運んだ
1947年(昭和22年)小学年、卒業式で送辞を読む。父の白百合ミシン会社設立に伴い一家は、神奈川県足柄上郡金田村に移り、金田村小学校6年転入石黒先生にピアノを教わった
1948年(昭和23年)成城学園中学入学。ピアノを豊増昇に師事。ラグビーに熱中しラグビーの試合で大怪我しピアノを断念。豊増昇に呼ばれて「音楽やめるのか?」といわれ「音楽続けたいけどどうしたらよいのか。ピアノはだめだから」というと「小澤君、日本人の指揮者が少ないから、指揮をやってみないか?」と言われた。小澤はそれまで指揮なんか考えていなかった
1949年(昭和24年)12月23日兄に連れられ日比谷公会堂の日響コンサートでレオニード・クロイツァーの「弾き振り」を聴き感動、作曲家か指揮者になることを決意。母に話す。親戚に指揮者がいると聞く。親戚の指揮者とは斉藤秀雄、斉藤秀雄の祖母前島久と母さくらの祖父大津義一郎が実の兄妹。斉藤秀雄の父斉藤秀三郎は、正則英語学校創設者で一高の教授、「サイトウ英和大辞典」などを編纂した
1950年(昭和25年)秋、世田谷区代田に転居した
1951年(昭和26年)ひとりで斎藤秀雄に指揮を学ぼうと訪ね門下生になる。成城中学卒業、成城学園高校に進学した。世田谷区経堂に引っ越す
1952年(昭和27年)4月8日高校を中退し新設された桐朋女子高等学校音楽科指揮科に入学。第一期生女子生徒42名、男子生徒4名が入学した。
https://www.tohomusic.ac.jp/about/history.html桐朋学園音楽部門の歴史、第一期新入生の中に若き小澤征爾が写っている(最後列)
渋谷区笹塚に引っ越す
1955年(昭和30年)桐朋学園女子高校付属音楽科指揮科卒業、出来たばかりの桐朋学園短期大学音楽科指揮科入学。5月中旬頃、小澤の指揮する桐朋学園オーケストラの練習風景を、来日中のシンフォニー・オブ・ジ・エアのメンバーと指揮者ワルター・ヘンドル等数人が見学しに来た。川崎市幸区戸手町に引っ越す
1957年(昭和32年)22才。卒業。夏まで桐朋学園音楽短期大学で斎藤秀雄に指揮法を師事し中学3年から始めた指揮の勉強でオ-ケストラを仕込む技術を身につけた。アマチュア合唱団・三友合唱団、群馬交響楽団、設立間もない日本フィル常任指揮者/渡辺暁雄の下で副指揮者となった
1958年(昭和33年)フランス政府給費留学生試験不合格となる
1959年(昭和34年)23才の2月、水野茂夫等の援助でスクーター、ギターとともに貨物船「淡路山丸」で神戸から単身渡仏した、
3月マルセイユに上陸した
4月パリ着
9月10日24才。プザンソン国際指揮者コンクールに応募し、ブザンソン市カジノ劇場での第一次予選、第二次予選を通過した。本選出場の6名は、グランテアトル劇場で行われ課題曲はメンデルスゾーン《春の声》と新作を指揮した。ゲスト審査員にシャルル・ミンシュ、ロリン・マゼールらがいた。成績発表は3位ノルベルトシュール(独)、二位ジョバニネッテイ、小澤征爾は第一位に選ばれた。その年の暮れ体調を崩し、南フランスのノルマンディの修道院に静養に行く。12月チロルにスキーに行った
1960年(昭和35年)24才の7月2日渡米しボストンのタングルウッドへ。バークシャー音楽祭の指揮コンクールの各種試験を3日~8日済ませ、第1位を獲得した。毎週木曜日の定期コンサートの指揮を5週間行うことになった
8月9日5年振りとなるクーセヴィッキー指揮大賞受賞の決定内定を受ける。ニューヨークタイムズの音楽評論家ハロルド・ショーンバーグに「この指揮者の名前を人々は記憶しておくべきだ」と評された
8月に学生の頃からミュンシュに憧れていた小澤は、タングルウッドでミュンシュ指揮の第9のコーラスにいれてもらって歌っている。
9月25才、ベルリンで行われたカラヤン主催指揮者コンテストで第1位となり定期的(10月・12月・1月・4月の全部で16日間)にカラヤンから指導を受けることになった。そして親交はこの時から生涯続くことになった
パリで指揮者デビューした
1961年(昭和36年)25才の2月20日「日独修交100年記念」する演奏会で「石井眞木」と「入野義郎」の《現代曲》と、モーツァルト《交響曲第番》を指揮したのがベルリン・フィルとの出会いとなった
4月バーンスタインに招かれてニューヨーク・フィル副指揮者就任。14日カーネギーホールでニューヨーク・フィルの定期の一部分を指揮してデビュー。バーンスタインとの親交はこの時から生涯続始まった
4月24日ニューヨーク・フィル日本公演に同行し帰国、神戸港を出発して2年3カ月ぶりだった。5月日本での指揮デビューをした。バーンスタインが川崎にある小澤家を訪問した
6月22日 日本フィル / 第34回東京定期演奏会 / 日比谷公会堂で指揮
ベルリオーズの序曲《ローマの謝肉祭》 op.9
ドビュッシー《牧神の午後への前奏曲》
フォーレの劇付随音楽《ペレアスとメリザンド》組曲 op.80
チャイコフスキー《交響曲第5番 ホ短調》 op.64
7月杉並公会堂における放送録音が、小澤にとってNHK交響楽団との初顔合わせとなった
1962年(昭和37年)26才の1月ピアニストの江戸京子と結婚。サンフランシスコ響指揮して<アメリカデビュー>した
6月から半年間「客演指揮者」としてNHK交響楽団と契約した
10月30日日本フィル / 第51回東京定期演奏会 / 東京文化会館 で指揮
プロコフィエフ《交響曲第5番 変ロ長調》 op.100
モーツァルト《ピアノ協奏曲第20番 ニ短調》 K.466
ラヴェル《ラ・ヴァルス》
江戸京子(Pf.)
11月のN響第434回定期公演の新聞批評に酷評された。その直後の11月16日にN響の演奏委員会が「今後小澤氏の指揮する演奏会、録音演奏には一切協力しない」と表明し「NHK事件」起こる。小澤とNHKは折衝を重ねたが折り合わず、N響は小澤に内容証明郵便を送り付けた。小澤も12月18日にNHK交響楽団を契約不履行と名誉棄損で訴えるまで発展した。
12月20日、N饗第435回定期公演は全楽団員からボイコットを受け、公演は中止となった。小澤は何かのインタビューで「僕は、あのことがあったので、日本にいられなくなり、外国に行き、良かったのだけれど」と、事件を振り返って、現在の結果に結びついたのだと、強く語った。その事件後、「小澤征爾の音楽を聴く会」の発起人に井上靖、三島由紀夫、大江健三郎、黛敏郎、團伊玖磨、武満徹、石原慎太郎、一柳慧、中島健三、浅利慶太等がなり、日本フィルコンサートが行われた
<下、ヤング・ピープルズ・コンサート: Young Performers No. 3 小澤 征爾 / · Bernstein レナード・バーンスタイン · New York Philharmonic>
Original CBS Television Network Broadcast Date: 14 April 1962.
1963年(昭和38年)27才の1月17日黛敏郎等の斡旋により、NHK副理事長の阿部真之助と小澤が会談し、NHKと和解した
日本フィル首席指揮者就任した。6月ラビニア音楽祭に参加。7月シカゴ、ラヴィニア音楽祭でシカゴ交響楽団の指揮が大成功を収めた
10月東京・日生劇場のこけら落としのベルリン・ドイツ・オペラの《フィデリオ》公演でカール・ベームの副指揮者を務めた
<下、What’s My Line? – Seiji Ozawa (1963, TV Show)>
1964年(昭和39年)28才の1月トロント交響楽団の初指揮をした。ラビニア音楽祭音楽監督就任した
4月24日 日本フィル / 第83回東京定期演奏会 東京文化会館で指揮
モーツァルト《交響曲第41番 ハ長調》 K.551 「ジュピター」
武満 徹《弦楽のためのレクイエム》
チャイコフスキー《交響曲第5番 ホ短調》 op.64
5月15日 日本フィル / 第84回東京定期演奏会 東京文化会館で指揮
バーンスタイン《キャンディード》序曲
ルーセル《交響曲第3番 ト短調》 op.42
リヴィエ《弦楽のための交響曲第3番》
チャイコフスキーの幻想曲《フランチェスカ・ダ・リミニ》 op.32
9月08日 日本フィル / 第88回東京定期演奏会 / 東京文化会で指揮
ベルリオーズの序曲《ローマの謝肉祭》 op.9
ショーソン《詩曲》 op.25
サン=サーンス《序奏とロンド・カプリチオーソ》 op.28
フランク《交響曲 ニ短調》
石井志都子(Vn.)
1964年6月~68年ラヴィニア・フェスティバル音楽監督に就任した
1964年9月~65年4月バーンスタインの長期休暇によりニューヨーク・フィルの指揮を務めた
1965年(昭和40年)30才の3月ロンドン交響楽団を指揮して<英国デビュー>した
1965年9月~1969年カナダ、トロント交響楽団常任指揮者・音楽監督に就任した
1966年(昭和41年)31才、ザルツブルグ音楽祭でウィーン・フィルを指揮して<ザルツブルグ音楽音楽祭>デビューした。8月京子夫人と離婚
9月ベルリン・フィル定期演奏会に初登場し、ベートーヴェン《交響曲第1番》、シューマン《ピアノ協奏曲第1番》、ヒンデミット《画家マチス》を指揮して<ベルリン・フィル定期演奏会>デビューした
12月26日 日本フィル第131回東京定期演奏会 東京文化会館で指揮
ベルリオーズの死者のための大ミサ曲《レクイエム》 op.5
合唱:東京混声合唱団 合唱:東京放送合唱団 合唱:二期会合唱団 合唱:日本合唱協会 合唱:藤原歌劇団合唱部
1967年(昭和42年)32才。ザルツブルグ音楽祭でカラヤンのアシスタントを務めオペラを勉強した
11月「ニューヨーク・フィル創立125周年記念」で武満徹の《ノヴェンバー・ステップス》を指揮
12月23日 日本フィル第151回東京定期演奏会 東京文化会館で指揮
ブラームス《交響曲第2番 ニ長調》 op.73
武満 徹《樹の曲》(日本フィル・シリーズ第6作)
エルガーの創作主題による変奏曲《エニグマ》 op.36
12月26日成城学園主催のハイドンのオラトリオ《四季》、日本フィルを指揮して東京厚生年金会館で演奏
出演:大熊文子 / 本橋美子 / 木下保 / 秋元雅一郎 / 成城合唱団
1968年(昭和43年)32才の1月ボストン響定期初登場。
日本フィル首席指揮者就任。
入江美樹と結婚
9月03日日本フィル第164回東京定期演奏会 東京文化会館で指揮
ベートーヴェン《ピアノ協奏曲第3番 ハ短調》 op.37
ベートーヴェン《交響曲第4番 変ロ長調》 op.60
ベートーヴェン《合唱幻想曲 ハ短調》 op.80
ピアノ:松浦豊明 ソプラノ:佐野順子 ソプラノ:大川隆子 アルト:宮崎博子 テノール:唐津東流 テノール:山形忠顕 バス:木村俊光 合唱:都民合唱団 合唱:三友合唱団
12月25日日本フィル第171回東京定期演奏会 東京文化会館で指揮
ベートーヴェン《交響曲第9番 ニ短調》 op.125「合唱」
ソプラノ:斎藤江美子 アルト:木村宏子 テノール:鈴木寛一 バリトン:川村英司
合唱:藤原歌劇団合唱部 合唱:東京混声合唱団 合唱:二期会合唱団 合唱:日本合唱協会 合唱:東京カンマー・コーア
1969年(昭和44年)33才の4月トロント交響楽団を率いて帰国
ザルツブルク音楽祭で《コジ・ファン・トゥッテ》を指揮してオペラ・デビューした
5月21日 日本フィル第180回東京定期演奏会 東京文化会館で指揮
モーツァルトのオペラ《コジ・ファン・トゥッテ》 K.588 (演奏会形式)
ソプラノ:林 康子 メゾソプラノ:木村宏子 バリトン:平野忠彦 テノール:中村 健
ソプラノ:安田祥子 バス:佐藤征一郎 チェンバロ:小林道夫 合唱:東京混声合唱団
12月パリ管弦楽団の定期演奏会を初指揮
5月28日 日本フィル第181回東京定期演奏会 1969年05月28日 東京文化会館で指揮
G. ガブリエリ《ピアノとフォルテのソナタ》
高橋悠治《オルフィカ》 (日本フィル・シリーズ第21作)
マーラー《交響曲第1番 ニ長調》 「巨人」
12月11日 日本フィル第190回東京定期演奏会 東京文化会館で指揮
武満 徹:《グリーン》
バルトーク《管弦楽のための協奏曲》 Sz.116
チャイコフスキー《交響曲第1番 ト短調》 op.13 《冬の日の幻想》
1970~2002年(昭和45年~平成14年)35才。ボストン交響楽団のバークシャー音楽祭(タングルウッド)音楽監督就任
父・開作の死
ニューヨーク・フィルの大阪万博出演でバーンスタインと同行して帰国
1970年12月~1976年サンフランシスコ交響楽団音楽監督就任
1971年(昭和46年))36才。サンフランシスコ大学から芸術博士名誉学位を贈られる
1972年(昭和47年)37才。日本芸術院賞受賞
斉藤秀雄、山本直純、旧日本フィルを脱退した楽団員等とともに新日本フィルハーモニー交響楽団を創設し、新日本フィル常任指揮者就任した
1973~2002年(昭和48年)38才。ボストン交響楽団の指揮者・第音楽代音楽監督に就任した。新日本フィルを率いて香港公演した
1074年(昭和49年)39才。39才。新日本フィルを率いてニューヨーク国連本部での「国連デー」で演奏、アメリカ、欧州公演した
1975年(昭和50年)40才緒。サンフランシスコ響を率いて帰国
1976~77年(昭和51年)41才。サンフランシスコ響音楽アドヴァイザー就任した
1978年(昭和53年)42才の3月ボストン響を率いて帰国
6月中国人民対外友好協会の公式な翔太により中国中央楽団と1週間にわたり客演指揮した
1979年(昭和54年)44才。ボストン交響楽団を率いて中国を訪れ演奏、中国音楽人の指導等にあたる
1980年(昭和55年)45才。スカラ座オペラ《トスカ》でイタリア・デビューした
1981年(昭和56年)46才。ボストン交響楽団の楽団創立100年記念の世界ツァーを日本からスタートするため帰国
1982年(昭和57年)47才。ベルリン・フィル創立百年記念コンサートを指揮した
<下、Martha Argerich and Seiji Ozawa rehearsing Ravel’s concerto on October 14th, 1982.>
1983年(昭和58年)48才。ベルリン・フィルと初録音した
<下、《春の祭典》Le Sacre>
Seiji Ozawa Conductor / The Bavarian Radio Symphony Orchestra
1983
1984年(昭和59年)49才。斉藤秀雄没後10周年を記念して「サイトウ・キネン・オーケストラ」を設立した
1985年(昭和60年)50才。年新日本フィルを率いて欧州公演をした
<下、ドキュメンタリー『OZAWA』>
「朝日賞」を受賞
1986年(昭和61年)50才の7月長野県山ノ内町で「子供のための音楽会」を開いいた
10月「サントリーホール杮落とし」でカラヤンの代役でベルリン・フィルを指揮した
1987年(昭和62年)52才。サイトー・キネン・オーケスラを秋山和慶らと活動開始、ヨーロッパ公演を行った
1988年(昭和63年)53才。ウィーン国立歌劇場《エフゲニー・オネーギン》で指揮デビューした
1989年(昭和64年‐平成元年)54才。ロストロポーヴィチと「コンサート・キャラバン」を開始した。12月ボストン響と日本公演
ベルリン・フィル「シルヴェスター・コンサート」指揮した
<下、ベートーヴェン《交響曲第7番》ボストン響
1990年(平成2年)55才。ウィーン・フィル定期初登場
水戸室内管の芸術顧問
1991年(平成3年)56才。ウィ-ン・フィルと初録音
1992年(平成4年)57才「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」開始、総監督就任した
<下、ブラームス《交響曲第1番》天覧公演>
「若い人のためのサイトウ・キネン室内楽勉強会」開始
ベルリン・フィルより「ハンス・フォン・ビューローメダル」を授与された
メトロポリタン歌劇場《エフゲニー・オネーギン》で指揮デビューした
1994年(平成6年)59才。5月母さくらと中国に里帰りし、旧奉天にあった生家を訪れた
5月6日瀋陽市遼寧人民劇場で中国遼寧交響楽団を指揮
タングルウッドに「セイジ・オザワ・ホール」完成
プライムタイム・エミー賞個人業績賞を受賞した
<下、 R・シュトラウスAlpine Symphony / Hans Gansch on Trumpet(Seiji Ozawa with Vienna Philharmonic Orchestra>
1995年1月23日<下、《小澤征爾32年ぶりのN響》>
1.バッハ 組曲第3番から《アリア》
2.バルトーク《管弦楽のための協奏曲》
Seiji Ozawa / NHK Symphony Orchestra
1995.1.23 Tokyo. Japan Live
1996年(平成8年)61才。プライムタイム・エミー賞音楽監督賞を受賞
5月15日<ヘネシー・オペラシリーズ>プッチーニ《蝶々夫人》演出:浅利慶太、指揮:小澤征爾、演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団、 神奈川県民ホール
出演:ガリーナ・ゴルチャコワ、リチャード・リーチ、ジェロルド・シエナ、ブリン・ターフェル、フランチェスカ・ブランチ、合唱:東京オペラ・シンガーズ
5月17日<ヘネシー・オペラシリーズ>プッチーニ《蝶々夫人》演出:浅利慶太、指揮:小澤征爾、演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団、 尼崎アルカイックホール
出演:ガリーナ・ゴルチャコワ、リチャード・リーチ、ジェロルド・シエナ、ブリン・ターフェル、フランチェスカ・ブランチ、合唱:東京オペラ・シンガーズ
5月19日<ヘネシー・オペラシリーズ>プッチーニ《蝶々夫人》演出:浅利慶太、指揮:小澤征爾、演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団、 尼崎アルカイックホール
出演:横山恵子、リチャード・リーチ、ジェロルド・シエナ、ブリン・ターフェル、フランチェスカ・ブランチ、合唱:東京オペラ・シンガーズ
5月21日<ヘネシー・オペラシリーズ>プッチーニ《蝶々夫人》演出:浅利慶太、指揮:小澤征爾、演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団、 東京文化会館
出演:ガリーナ・ゴルチャコワ、リチャード・リーチ、ジェロルド・シエナ、ブリン・ターフェル、フランチェスカ・ブランチ、合唱:東京オペラ・シンガーズ
5月22日<ヘネシー・オペラシリーズ>プッチーニ《蝶々夫人》演出:浅利慶太、指揮:小澤征爾、演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団、 東京文化会館
出演:横山恵子、ジョナサン・ウェルチ、牧川修一、ブレント・エリス、郡愛子、合唱:東京オペラ・シンガーズ
5月24日<ヘネシー・オペラシリーズ>プッチーニ《蝶々夫人》演出:浅利慶太、指揮:小澤征爾、演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団、 東京文化会館
出演:ガリーナ・ゴルチャコワ、リチャード・リーチ、ジェロルド・シエナ、ブリン・ターフェル、フランチェスカ・ブランチ、合唱:東京オペラ・シンガーズ
1997年(平成9年)62才。「サイトウ・キネン室内楽」勉強会を始める
1998年(平成10年)63才。長野冬季オリンピック音楽監督就任。長野冬季五輪のために世界の国歌を録音。新日本フィルを率いて故ロストロポーヴィチとの日ロ親善・ロシア公演した
<下、8月31日松本にてインタビュー/小澤征爾64歳の挑戦~>(1.)(2.)
(1.)
(2.)
1999年(平成11年)64才。5月ボストン響日本公演。新日本フィル桂冠名誉指揮者就任
2000年(平成12年)65才。若い音楽家の教育を目的に「小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト」開始
同年米国ハーバード大学より「名誉博士号」を授与された
2001年(平成13年)66才。日本政府「文化功労章」を受章した
2002年(平成14年)67才。1月ウィーン・フィル・ニュー・イヤー・コンサート指揮する。新日本フィルを率いて日中友好30週周年記念中国公演
<下、ウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサート>1~8
オーストリア政府から「勲一等十字勲章」を受章した
ウィーン国立歌劇場音楽監督に就任した(2010年まで)
2003年(平成15年)68才。「毎日芸術賞」と「サントリー音楽賞」を受賞した
2004年(平成16年)69才。10月ウィーン国立歌劇場日本公演指揮
フランス、ソルボンヌ大学から「名誉博士号」を授与された
2005年(平成17年)70才。「東京オペラの森」音楽監督(2008年まで)。同年白内障の手術をした
ヨーロッパにおける音楽学生を対象に「Seiji Ozawa International Academy Switzerland」をスイスに設立し教育活動に力を注ぎ始めた
2006年(平成18年)71才。帯状疱疹角膜炎など診断され通院治療を行う
2007年(平成19年)72才。「ウィーン国立歌劇場名誉会員」に推挙された
<下、サイトー・キネン松本 ニュース>
2008年(平成20年)73才。1月「カラヤン生誕100年コンサート」でベルリン・フィルを指揮した
10月ウィーン国立歌劇場日本公演を指揮した
日本政府より「文化勲章」を受章した
フランス政府「レジオン・ドヌール勲章オフィシエ」を授与された
「フランス芸術アカデミー外国人会員」に選出された
イタリア・プレミオ・ガリレオ2000財団金百合賞を受賞した
2010年(平成22年)75才。1月7日「食道がん」治療のため6月までの半年間、活動を休止することにした。月末に手術
8月24日「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」に復帰し、チャイコフスキー《弦楽セレナード》第1楽章を指揮
演奏 / サイトウ・キネン・オーケストラ
<下、小澤征爾 76才的執念>
11月、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団により、「ウィーン・フィル名誉団員」の称号を贈られる
11月、『カーネギーホールは、指揮者小澤征爾氏を芸術監督に迎え、日本芸術祭「JapanNYC」を2010年12月と2011年3~4月に開催。カーネギーホールでの公演のほか、国内各所等で開催される』
<NY、カーネギーホール「Japan NYC」のコンサート>
12月14日、ブラームス《交響曲第1番》ハ短調 op.68
12月15日、ベルリオーズ《幻想交響曲》 op.14
12月18日、ブリテン《戦争レクイエム》 作品66 「Japan NYC」のコンサート
小澤征爾 / サイトウ・キネン・オーケストラ
クリスティン・ゴーキー(ソプラノ)
アンソニー・ディーン・グリフィー(テノール)
マティアス・ゲルネ(バリトン)
SKF松本合唱団、栗友会合唱団、SKF松本児童合唱団、ピエール・ヴァレー(合唱指揮)
2011年(平成23年)76才。12月腰の手術受ける
「小澤国際室内楽アカデミー奥志賀」をNPO法人化
「高松宮殿下記念世界文化賞」を受賞した
渡邊暁雄音楽基金特別賞を受賞した
<下、世界的に活躍する指揮者の小澤征爾さん(77)が27日、川崎市立南生田小学校(同市多摩区)を訪れ、児童約340人に合唱を指揮した>
2012年(平成24年)77才。3月体力回復のため1年間指揮活動中止
<下、小澤総監督と指揮者山田和樹よりメッセージ>
2013年(平成25年)78才。4月水戸芸術館館長・同管弦楽団総監督就任
8月松本で2年ぶりに指揮復帰
2014年(平成26年)79才。モンブラン国際文化賞を受賞
2015年(平成27年)80才。2月NHK総合「あさイチ」に初出演
9月1日<下、小澤征爾、誕生日に指揮、松本フェスで>
12月6日ケネディ・センター名誉賞受賞(日本人として初めて選ばれ、ワシントンで開かれたケネディ・センター名誉祝賀式に出席した。【ケネディ・センター名誉賞】とは、1978年創設で、芸術分野で米国の文化に大きな功績を残した人に贈られる賞。)
長野県名誉県民栄誉賞を受賞した
2016年(平成28年)81才。米国2月15日第58回グラミー賞受賞。(世界最高峰の音楽の祭であるグラミー賞にオペラ録音部門で『ラヴェル:歌劇《こどもと魔法』がノミネートされていた指揮者、小澤征爾。この作品は、2013年に長野県で開かれた音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本(現セイジ・オザワ松本フェスティバル)」で指揮した歌劇「こどもと魔法」を収めたアルバム。小澤征爾は8度目のノミネートにして初のグラミーの栄冠に輝いた。)
「ベルリン・フィル名誉団員」の称号を贈られた
名誉都民に顕彰された
GR Me of the Year賞を受賞
成城大学名誉博士号を授与された
<下、11月10日ロームシアター京都 竣工式 記念演奏会>
小澤征爾指揮・小澤征爾音楽塾
2017年(平成29年)82才。12月1日女性ファション誌「家庭画報」1月号の特集記事に20ページに及ぶ小澤征爾音楽塾オーケストラによる「子どものための音楽会」および「子どものためのオペラ」が取り上げられ紹介された(https://www.kateigaho.com/magazine/8528/)
英字新聞「Japan Times on Sunday – Time Out」 特集で《小澤征爾が次世代に伝えること》をテーマに、小澤総監督の教育活動の原点となる長野県山ノ内町立山ノ内中学校の《小澤コンサート》をはじめ、小澤国際室内学アカデミー、小澤征爾音楽塾、スイス国際室内学アカデミーが、紹介された(https://www.japantimes.co.jp/culture/2017/12/02/music/master-class-conductor-seiji-ozawa-passes-knowledge-new-generation/#.XTg4HPZuLIV)
2018年(平成30年)83才。1月12日8:15~9:15放送のNHK総合「あさイチ」に生出演(http://www1.nhk.or.jp/asaichi/archive/180112/1.html)
8月大動脈弁狭窄治療のため入院した
2019年(令和元年)84才。3月、京都市内の演奏会で指揮したが、その後、急性気管支炎で一時入院。24日上皇ご夫妻が鑑賞された東京公演で約2カ月ぶりに指揮を務めたが、体力の消耗が激しかったため、静養することになった
5月26日、水戸市の水戸芸術館で水戸室内管弦楽団の定期演奏会で、急遽、降板。7月31日紀尾井ホールで行われた「小澤国際室内楽アカデミー奥志賀ー東京公演」でアンコールで指揮台に上がった小澤征爾は、ベートーヴェン:《弦楽四重奏曲 第16番》 Op.135 第3楽章を指揮した
<下、「小澤国際室内楽アカデミー奥志賀ー東京公演」でアンコールで指揮台に上がった小澤征爾は、ベートーヴェン:《弦楽四重奏曲 第16番》>
【2019OICMA 東京公演映像公開】7月31日に紀尾井ホールで行われた、小澤国際室内楽アカデミー奥志賀 東京公演。アンコールで指揮台に上がった小澤征爾の指揮による、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第16番 Op.135 第3楽章の映像を一部ご紹介します。この楽曲は、アカデミー奥志賀で長年講師として活躍し、昨年1月に亡くなられたヴァイオリニストのロバート・マン氏が、ジュリアード弦楽四重奏団期より最も愛し、何度も指揮をした曲の一つ。近年、小澤征爾も好んで取り上げている思い入れの深い曲で、7月30日に行われたリハーサルの際にも、しみじみと「良い曲だね」と受講生たちに話していました。ベートーヴェンが完成させた最後の作品としても知られるこの曲は、今年のセイジ・オザワ 松本フェスティバル「ふれあいコンサートI」(8月18日)で、小澤征爾スイス国際アカデミーも演奏する予定です。【2019OICMA Tokyo performance Beethoven video】2019OICMA closed its curtain at Tokyo performance on July 31st at Kioi Hall. Tutor of the academy Seiji Ozawa stood on the podium at the end of the concert and conducted Beethoven: String Quartet No.16 Op.135 3rd movement. This music was loved by one of the great tutors at the academy, late Mr. Robert Mann, and he conducted this piece many times. Seiji Ozawa himself also loves this work and he said to the academy students at the rehearsal "such a wonderful music". Beethoven: String Quartet No.16 will be performed by Seiji Ozawa International Academy Switzerland at the Seiji Ozawa Matsumoto Festival "Chamber Concert I" this summer.
小澤国際室内楽アカデミー 奥志賀さんの投稿 2019年8月2日金曜日
2020年9月1日
<Happy Birthday to Seiji Ozawa from NJP新日本フィル>
9月6日最新情報 – 小澤国際室内楽アカデミー奥志賀
ozawa-academy.com/news-entry-キャッシュ
<“こういう時だからこそ音楽を届けたかったんです。
ぼくは今回は奥志賀に行けなくてとても残念ですが、
今年もまた奥志賀で音楽会ができて嬉しいです。
奥志賀のアカデミーで成長した若い音楽家たちの演奏を皆さん楽しみにしていてください。”
小澤国際室内楽アカデミー奥志賀 理事長>
Seiji Ozawa
2020年9月6日(日)15:30より、これまでのアカデミー受講経験者を主体とした2組のカルテットによる『第35回 森の音楽会』を … https://www.youtube. com/watch?v=yp6KGNjBzoU&feature=youtu.be … 【東京公演 小澤征爾の指揮で終演】.
4.主な作品Recording highlights( Record label )
ラヴェル管弦楽全集(ボストン交響楽団)(ドイツ・グラモフォン)
マーラー交響曲全集(ボストン交響楽団)(DECCA)
ブラームス交響曲全集(サイトウ・キネン・オーケストラ)(フィリップス)
ベートーヴェン交響曲全集+DVD第9番合唱(サイトウ・キネン・オーケストラ)(フィリップス)
春の祭典(シカゴ交響楽団)(RCA)
カルメン全曲(フランス国立管弦楽団)(フィリップス)
プロコフィエフ交響曲全集(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)(ドイツ・グラモフォン)
ドヴォルザーク交響曲第8番、交響曲第9番(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)(フィリップス)
主な出版物
「ボクの音楽武者修行」
「音楽」(武満徹共著)
「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(村上春樹共著)
「同じ年に生まれて」(大江健三郎共著)
「小澤征爾指揮者を語る」(インタビュー有働由美子)
「父を語る」(編)・「父を語る その二」(編)
「おわらない音楽] 私の履歴書」
5.初演
1.1970年01月16日 日本フィルハーモニー交響楽団 東京文化会館
バーンスタイン《チチェスター詩篇 》(日本初演)
バーンスタイン《交響曲第3番》「カディッシュ」 (日本初演)
メゾソプラノ:成田絵智子ソプラノ:成田絵智子 ソプラノ:大西代志子
合唱:日本合唱団連合 合唱:杉並児童合唱団 ピアノ:高橋悠治
ナビゲーター:渡辺美佐子
2.1971年09月27日 日本フィルハーモニー交響楽団 東京文化会館
ベルリオーズ《レリオ》 op.14b (日本初演)
ナビゲーター:佐藤 功 テノール:中村 健 バリトン:平野忠彦
合唱:日本プロ合唱団連合
3.1972年02月28日 日本フィルハーモニー交響楽団
べルリオーズ《テ・デウム》 op.22 (日本初演)
テノール:宮本正 オルガン:酒井多賀志 合唱:日本プロ合唱連合 合唱:東京放送児童合唱団
4.1972年03月06日 日本フィルハーモニー交響楽団 東京文化会館
チェロ:ピエール・フルニエ
ハイドン《交響曲第47番ト長調》 Hob.I:47 (日本初演)
6.関連動画
チャイコフスキー《弦楽セレナーデ》1992.9.5
小澤征爾 / サイトウ・キネン・オーケストラ 高音質
Tchaikovsky: Serenade for Strings in C Major, op. 48
Saito Kinen Festival Matsumoto – 1992.9.5 (Recorded Live)
Seiji Ozawa / The Saito Kinen Orchestra
Nagano-ken Matsumoto Bunka Kaikan (Kissei Bunka Hall)
<小澤征爾50歳の時のドキュメンタリー『OZAWA』>(1985年作品)
小澤は『指揮のテクニックとは、自分が感じたことを自然に表出させるための手段なんだ。指の技術 口 頭 心・・・それが一つになると音楽がいとも自然に出てくる。だから問題は自分の生き方であり、音楽家自身の人柄が重要になる。どんな風にものを感じられるかだな』と語っている
Rudolf・Serkin、Yo-Yo・Ma、Jessye・Norman、Edith・Wiens
ピーター・ゲルブ製作/デイヴィッド&アルバート・メイズルス監督
音楽ドキュメンタリー <小澤征爾 ~ボストン交響楽団と共に20年~> 【1993年】
<我が最愛の友へ 小沢征爾とサイトウキネン> (1995)
<小沢征爾 オペラへの情熱> seiji ozawa documentary
<ニューイヤー・コンサート>2002年1月
シュトラウスⅡ世 歌劇《こうもり》序曲
ウィーン・フィル
New Year’s Concert, 2002
Johann Strauss II: Die Fledermaus – Overture
Conducted by Seiji Ozawa / Wiener Philharmoniker
<オバマ氏絶賛!小澤征爾さんにケネディ賞 日本人初>(15/12/2007)
<小澤征爾~76歲的執念>2010年
<小澤征爾 79歳の音楽>
<小澤さん、80才の誕生日に指揮 松本のオザワフェスで>2015年9月1日
2019年7月31日紀尾井ホール
ベートーヴェン:《弦楽四重奏曲 第16番》 Op.135 第3楽章から
小澤国際室内楽アカデミー奥志賀 東京公演
アンコールで指揮台に上がった小澤征爾の指揮
【2019OICMA 東京公演映像公開】7月31日に紀尾井ホールで行われた、小澤国際室内楽アカデミー奥志賀 東京公演。アンコールで指揮台に上がった小澤征爾の指揮による、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第16番 Op.135 第3楽章の映像を一部ご紹介します。この楽曲は、アカデミー奥志賀で長年講師として活躍し、昨年1月に亡くなられたヴァイオリニストのロバート・マン氏が、ジュリアード弦楽四重奏団期より最も愛し、何度も指揮をした曲の一つ。近年、小澤征爾も好んで取り上げている思い入れの深い曲で、7月30日に行われたリハーサルの際にも、しみじみと「良い曲だね」と受講生たちに話していました。ベートーヴェンが完成させた最後の作品としても知られるこの曲は、今年のセイジ・オザワ 松本フェスティバル「ふれあいコンサートI」(8月18日)で、小澤征爾スイス国際アカデミーも演奏する予定です。【2019OICMA Tokyo performance Beethoven video】2019OICMA closed its curtain at Tokyo performance on July 31st at Kioi Hall. Tutor of the academy Seiji Ozawa stood on the podium at the end of the concert and conducted Beethoven: String Quartet No.16 Op.135 3rd movement. This music was loved by one of the great tutors at the academy, late Mr. Robert Mann, and he conducted this piece many times. Seiji Ozawa himself also loves this work and he said to the academy students at the rehearsal "such a wonderful music". Beethoven: String Quartet No.16 will be performed by Seiji Ozawa International Academy Switzerland at the Seiji Ozawa Matsumoto Festival "Chamber Concert I" this summer.
小澤国際室内楽アカデミー 奥志賀さんの投稿 2019年8月2日金曜日
『平和への復活コンサート』1995年6月14日 長崎 浦上天主堂
1.バッハ《アリア》
2.マーラー《交響曲第2番》「復活」
友情出演:シカゴ交響楽団・ボストン交響楽団メンバー10人
(S.)キャスリーン・バトル、(Alt.)フローレンス・クィーヴァー
(Chor.)長崎「復活」コンサート合唱団、東京オペラシンガーズ、成城合唱団、長崎合唱団
新日本フィルハーモニー交響楽団
1. J.S.Bach: Aria
2. Mahler: Symphony No.2 “Resurrection”
Kathleen Battle [S] / Florence Quivar [Ms]
Nagasaki Resurrection Concert Chorus / Tokyo Opera Singers
Seijo Chorus / Nagasaki Chorus
Seiji Ozawa / New Japan Philharmonic Orchestra
Chicago Symphony Orchestra Member
Boston Symphony Orchestra Member
1995.6.14 Nagasaki.Japan Live
<サプライズ 誕生日>
J・セバスチャンバッハ 《マタイ受難曲》 ’97 ~小澤征爾
福音史家/ジョン・マーク・エインスト、イエス/トーマス・クアストフ、アリア第1の女・ピラトの妻/クリスティアーネ・・ウルツェ、
アリア第2の女/ナタリー・シュトゥッツマン、アリア/スタンフォード・オルセン、アリア・ピラト/ミヒャエル・フォレ、ユダ/河野克典、
ペテロ・第1の司祭/大森一英、大司祭・第2の司祭/成田眞、
サイトー・キネン・オーケストラ / ビオラ・ダ・ガンバ/ジークフリート・パンフ、チェロ/ハルトムート・ブラウエル、オルガン/クリスティーネ・しょるンス・ハイム、ステファン・アルトワー / 東京オペラシンガーズ、SKF松本児童合唱団
J.S.Bach: Matthäus-Passion BWV.244 [Part.1] /
Ozawa / Saito Kinen Orchestra (1997 Movie Live)
ベートーヴェン 《エグモンド》序曲
Beethoven: “Egmont” Overture
Seiji Ozawa / Saito Kinen Orchestra
1996.8.31 Nagano. Japan Live
ベートーヴェン 《ヴァイオリン協奏曲》
アンネ=ゾフィー・ムター(Vn.) / ボストン響 1989年
Beethoven: Violin Concerto
Anne-Sophie・Mutter, (Vn.)
Seiji Ozawa / Boston Symphony Orchestra (1989 Movie Live)
ベートーヴェン 《交響曲第3番》英雄
Beethoven: Symphony No.3 “Eroica” / Ozawa Saito Kinen Orchestra (1997 Movie Live)
ベートーヴェン 《交響曲第5番》運命 N響
Ludwig van Beethoven Symphony No. 5 in C minor, Op. 67
Seiji Ozawa conducts NHK Symphony Orchestra
ベートーヴェン 《交響曲第7番》ボストン響 / 日本公演
Beethoven: Symphony No.7
Seiji Ozawa
Boston Symphony Orchestra
1989.12.12 Tokyo.Japan Movie Live
ブラームス《交響曲第1番》/小澤征爾 《天覧公演》1992年9月5日
サイトー・キネン・オーケストラ
Brahms : Symphony No.1 in C minor Op.68
Seiji Ozawa : Saito Kinen Orchestra 1992.9.5
His Majesty the Emperor your viewing concert
ブラームス《交響曲第4番》/小澤征爾
Brahms: Symphony No.4 + 2 / Ozawa Wiener Philharmoniker (1993 Movie Live)
チャイコフスキー 《弦楽セレナーデ》
Tchaikovsky: Serenade for Strings / Ozawa Saito Kinen Orchestra (1991 Movie Live)
ブルックナー《交響曲第1番》 ベルリン・フィル
Bruckner: Symphony No. 1 / Ozawa · Berliner Philharmoniker
ベルリン・フィル「ロシアの夕べ」
Russian Night, 1993 Conducted by Seiji Ozawa Berliner Philharmoniker
ドヴォルジャーク 《弦楽セレナーデ》
Dvořák: Serenade for Strings / Ozawa Saito Kinen Orchestra (1997 Movie Live)
ドヴォルジャーク 《スラヴ舞曲》
Dvorak Slavonic Dance No.1 – Wiener Philharmoniker -S. Ozawa
ドヴォジャーク 《交響曲第9番》ウィーン・フィル
Dvořák: Symphony No.9 in E minor – Ozawa / Wiener Philharmoniker
ラヴェル 《ボレロ》 ボストン響
Ravel “Bolero” Boston Symphony Orchestra Seiji Ozawa
メンデルスゾーン 《夏の夜の夢》1/2
Mendelssohn Ein Sommernachtstraum Ozawa 1/2
メンデルスゾーン 《夏の夜の夢》2/2
Mendelssohn Ein Sommernachtstraum Ozawa 2/2
マーラー 《交響曲第1番》 小澤・ボストン
Seiji Ozawa / Boston Symphony Orchestra
マーラー 《交響曲第2番》復活 小澤指揮 / ボストン交響楽団 日本公演
毎日放送開局40周年記念特別番組
(S.)ヘンリエット・シュレンベルク、(Alt.)伊原直子、(Chor.)晋友会合唱団
1989年12月5日 大阪、フェスティバルホール
Seiji Ozawa / Boston Symphony Orchestra In Japan Concert
マーラー 《交響曲第3番》
Symphony N°. 3 in D minor
Jessye Norman,(S.)
Tanglewood Festival Chorus (Chorus master: John Oliver)
American Boychoir (Chorus master: James Litton)
Seiji Ozawa / Boston Symphony Orchestra
マーラー 《交響曲第4番》
Symphony No.4 in G major
Kiri Te Kanawa, (S.)
Seiji Ozawa, / Boston Symphony Orchestra
R・シュトラウス 《アルプス交響曲》
ウィーン・フィル 1994年
Alpine Symphony VPO/Ozawa 1994
《Young Performers: Seiji Ozawa》
クラシック・ロイヤルシート・スペシャル
《小澤征爾32年ぶりのN響》1995年
1.バッハ 組曲第3番から《アリア》
2.バルトーク《管弦楽のための協奏曲》
Seiji Ozawa / NHK Symphony Orchestra
1995.1.23 Tokyo. Japan Live
ヘンデル《合奏協奏曲 Op.6-12》1967年12月31日 ライブ演奏 (徳岡直樹さん 2020-3-7 生放送)
小澤征爾指揮
カナダ・トロント交響楽団
放送局制作レコード
《展覧会の絵》
小澤征爾 / シカゴ交響楽団
Modeste Moussorgsky, Maurice Ravel
https://youtu.be/sqUE2ezijWk
7.家系
⑴ 祖父:小澤新作、山梨県西八代郡高田村で農業と土木請負業を営み、村議会議員を務めた
⑵ 父:小澤開作、1898年12月25日高田村で農家の五人姉弟の第二子・長男として生れ、地元高田尋常小学校、高等小学校で学ぶ。上京し横須賀海軍工廠で働く。神田三崎町の歯科医師養成校・東京歯科医学専門学校入学。学資を稼ぎながら苦学して学び18才で東京歯科医学士の称号を得る。歯科医学勉強のため渡独しようとドイツ人にドイツ語を学んだようだ。結核に罹り帰郷
1918~20年療養
1920年満州大連に渡りシベリヤ鉄道で渡独を志す。大連で満鉄に勤めていた大津隆に英語を学ぶ。中耳炎を患い渡独を断念。日下歯科医院に務め歯科医としての経験を積んだ
1923年長春吉野町二丁目に小澤歯科医院開業した
1927年3月、若松孝太・春代の五女として1908年仙台生れの、若松さくらと結婚。さくらの「また従兄」に征爾の恩師になる斎藤秀雄がいる。斎藤秀雄の父秀三郎は正則英語学校創設者で一高の教授。さくらの母、春代の父母は仙台の大津義一郎・なお、春代は長女として生まれた。義一郎の妹、久が前島義孝と結婚し、生まれたのが「とら」で斉藤秀三郎に嫁いだ
1928年11月満州在住日本人による「州模擬議会(翌年、満州青年議会)」で「満州青年連盟」創立され父、開作は議会で地方委員を務め、連盟では長春幹事、後に長春支部長となる。「満州青年連盟」は国民外交といって、満州における排日と自らの実力で闘う方針をとり、警察や関東軍を動かす力があった
1930年頃、開作は父新作等を山梨から招いた
1931年歯科医院を2人の雇員医師に任せ政治活動に専念。7月開作は「日本遊説団」リーダーとなり本土に渡る。満州事変勃発後の10月父開作は関東軍参謀石原莞爾中佐に会いその場で参謀部第一課嘱託となり翌12日関東軍政治参謀となる。23日関東軍を代表して東北交通委員会の警務担当委員就任した
1932年3月石原莞爾中佐から資金を受け「満州国共和党」創立に加わり専任委員就任。5月関東軍本庄司令官から軍司令部直轄の従軍宣撫工作の協力依頼を受け、ハルピン北満工作本部長就任。7月民間政治団体「満州国協和会」発会参加。10月従軍宣撫工作終了した
1933年頃、奉天市木曽町に移る。子供たちは日曜学校に通う。1934年頃八幡町に移り、その後平安通に移る。同年協和会辞任した
1935年9月1日小澤征爾誕生。石原莞爾の爾と板垣征四郎の征をとり征爾(セイジ)と名付けた
1936年10月北京新開路に移った
1937年12月小沢開作等は華北人民の自衛・自給・自治実践組織団「中華民国新民会」の創立委員・総務部長就任。歯科医院を閉鎖した
1938年新民塾開設し塾長就任。関東軍憲兵隊にマークされ始める。1939年新民会が軍により改組、宣撫班の軍統合に反対し委員を辞任。山中湖に別荘を建て、ゴルフ場の会員になった
1940年新開路35に「華北評論」創刊し社主・編集長となった
1941年さくらと子供らが小学校入学準備のため帰国した
1943年開作は関東軍により満州国退去勧告を受け帰国。帰国後は軍需大臣遠藤三郎の招きで軍需省顧問等を務め終戦を迎える。戦後は極東国際軍事裁判の弁護側証人として出廷し板垣征四郎の証人に立つ。その後はいろいろな仕事に手を出し、川崎の宮川病院に務め、歯科医院を開業した
1966年中曽根康弘の紹介状を持ち渡米しR・ケネディに会う。求めに応じ「ベトナム紛争解決への私見」を提出した
1970年12月1日にサンフランシスコ交響楽団の小澤征爾の就任式とオープニングコンサートに夫婦揃って行く予定で渡航の準備をしていた11月22日、自宅で心臓発作が起こりこの世を去った。東京都西多摩郡秋川の霊園に眠っている