ウンベルト・メノッティ・マリア・ジョルダーノ生誕
Umberto Menotti Maria Giordano
生没年・出身地・歿地・墓地
(1867年8月28日イタリア南部のプーリアのフォッジャ(Foggia)で生まれた)
(1948年11月12日ミラノで歿)埋葬地:ミラノ記念墓地(Cimitero・Monumentale・diMilano)
1.職業
イタリアのオペラ作曲家
2.称号
3.経歴
父はルドヴィコ(Giordano Ludovico)と言い、フォッジャ出身の薬剤師
母はサバタ・スコグナミロ(Sabata・Scognamillo)と言い、もともとナポリ出身
地元フォッジャで初等教育を受けた後、フォッジャの2人の教師、ルイージ・ギッシ(Luigi Gissi)とジュゼッペ・シニョレッリ(Giuseppe Signorelli)にピアノと音楽の基礎教育を受け、家族の反対を押し切って音楽の道を志す
1881年14才、「ナポリ音楽院(サンピエトロ教会マジェラS. Pietro a Majella di Napoli)」の入学試験に受験するが失敗
しかし、彼が提出した作品を見た、ナポリでは著名な音楽理論家・作曲家で影響力のあるイタリア人教師パオロ・セラーオ(Paolo Serrao)の興味をそそり、ジョルダーノに無料のレッスンをする。わずか6か月後にジョルダーノは入学試験に合格
1882年15才、ナポリ音楽院に入学したジョルダーノに、セラーオ自身で和声と作曲を教えた。G.マルトゥッチ(G. Martucci)にピアノ、オルガニストで作曲家のマルコ・エンリコ・ボッシ(M.E. Bossi)にオルガン、A・フェルニ・ドタト(A. Ferni. Dotato)にヴァイオリンを学んだ
在学中実家の経済状態が悪化し、仕送りが途切れたため、一時学校を退学し地元のオペラ劇場で働いたりして生活したが、学校関係者の尽力で復学が叶い、同音楽院に入る。再びパオロ・セラーオに音楽理論と作曲を師事して勉強を続ける
1884年17才、ナポリ音楽院で、作曲、オルガン、ピアノ、バイオリンのコースに進級することを認められる。これらの勉強の間、彼の友人フランチェスコ・チレア(ジョルダーノと同じ南イタリア出身)がいた
1889年22才、まだ学生である間、楽譜出版社ソンゾーニョ社主催の「一幕オペラコンクール」に応募のため最初の歌劇《マリーナ》を書いた
最年少の出場者であるジョルダーノの歌劇《マリーナ》は73人のエントリーの中で6位に入った
一位はマスカーニの書いた歌劇《カヴァレリア・ルスティカーナ》であった
この作品は、ソンゾーニョ社の十分な関心と注目を集めた
1892年25才、彼の音楽に可能性を見出したソンゾーニョ社は若い作曲家と月200リラの契約を結び、彼に新しい歌劇を依頼した
2月21日ニコラ・ダスプロの台本による第2作目の歌劇《マラヴィータ Mala Vita》はローマ、アルジェンティーナ劇場で初演されたが成功にほど遠かった。
4月26日のナポリのサン・カルロでは、とりわけ物語の過度の粗雑さのために上演回数は劇的に減った
歌劇《マラヴィータ》は9月27日ウィーンのウィーン国立歌劇場Staatsoperでタイトルは《誓いDasGelübde》で上演された。12月13日ベルリンクロルオーパーKrolloperで上演され、さらにプラハで上演された。他の多くのヨーロッパの劇場でも上演され大成功を収めた
1894年27才、ソンゾーニョ社は2作目の歌劇をジョヴァンニ・タルジョーニ・トッツェッティ(G.Targioni.Tozzetti)とグィド・メナシ(G. Menasci)の台本を使って書くよう依頼した。ジョルダーノも歌劇《レジーナ・ディアス Regina Diaz》によって、もっとロマンティックな創作姿勢をとろうとしたが、3月5日にナポリのメルカダンテ劇場で初演された2作目もナポリでは失敗作となり、わずか2回の上演で舞台から消えてしまった
ジョルダーノはソンゾーニョ社との契約は解除された
心機一転をはかるべく、ジョルダーノは同年のうちに活動の拠点をミラノに移した
その後ジョルダーノは、ヴェリズモ・オペラの第一人者であるマスカーニやソンゾーニョ社と契約していた貴族出身作曲家アルベルト・フランケッティの知遇を得、私生活でもミラノ・グランドホテルのオーナーの娘、オルガを知り婚約して創作活動に余裕ができるなど、幸運な時期を迎えた
作曲家アルベルト・フランケッティはソンゾーニョ社に掛け合って、ジョルダーノへの契約を再開させてくれた
1896年29才、ミラノに移住した2年間は新作に専念した。しかし、作曲面では良い台本に恵まれていなかった
作曲家アルベルト・フランケッティは、ソンゾーニョ社を説得して自分が作曲を依頼されていた台本の作曲権を無償譲渡してくれた
ジョルダーノは譲渡された作品、フランスの詩人アンドレ・シェニエの生涯に基づくルイージ・イッリカの台本、歌劇《アンドレア・シェニエ Andrea Chénier》の作曲に取り組み、その頃プッチーニによるラ・ボエムの台本に専念していたルイージ・イッリカと直接接触したりして、その作曲に専念し、ついに1月に作品はソンゾーニョ社に届けられた
3月28日歌劇《アンドレア・シェニエ Andrea Chénier》はロドルフォ・フェッラーリニ指揮、ミラノ・スカラ座で、シェニエ役:ジュゼッペ・ボルガッティ、マッダレーナ役:エヴェリーナ・カッレラ、ジェラール役:マリオ・サンマルコで初演された
歌劇《アンドレア・シェニエ》はオペラ作曲家として、初めての大成功収めた
オペラは、18世紀の革命前後のフランスを舞台に、実在の詩人アンドレ・シェニエ(アンドレアはイタリア語読み)の半生を描き、ヴェリズモ・オペラの傑作のひとつとして数えられる作品となった
現在に至るまで彼の代表作に挙げられるこの作品でジョルダーノは再び「ヴェリズモ」的な創作姿勢に立ち返った。本作の上演にあたってはマスカーニの支援もあったという
11月13日ニューヨーク、音楽アカデミーで、また12月28日トリノ・レージョ劇場においてトスカニーニ監督の指揮で上演された。
1897年30才、モスクワ、ピーターズバーグ、ブエノスアイレス、そして先の話だが1907年ロンドン、コベントガーデンでの上演はエンリコ・カルーソーが出演して上演され、さらに、1938年にはアントワープ、フランドルでも上演される
ミラノホテルのオーナーの娘であるオルガ・スパッツと結婚
歌劇《マラヴィータ Mala Vita》(1892年初演)は、 その後、特に一般市民や批評家の評判が悪く、この作品は大幅に変更され歌劇《誓いIl voto》というタイトルで大幅に改訂され、11月10日ミラノのリリコ劇場で初演された
1898年31才、11月17日第5作目のヴィクトリアン・サルドゥの演劇に基づいた台本、歌劇《フェドーラ》の初演はミラノでエンリコ・カルーソという名の若きテノールが登場し大成功を収めた。今なお上演されている
1903年36才、12月19日にスカラ座で歌劇《シベリア》が上演された。メトロポリタンで行われた歌劇《マダム・サンジーン》がソンゾーニョ社によってパリに持ち込まれ、フランスの音楽界の賞賛を呼び起こした
1907年40才、歌劇《マルチェッラMarcella》の初演はミラノで上演された
1910年43才、3月17日歌劇《メセマリアーノ(メアリーの月)》はパレルモのマッシモ劇場で初演された
1915年48才、1月25日歌劇《マダム・サン=ジェーヌMadame Sans-Gene》米国初演は、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場にてトスカニーニの指揮で上演された
1921年54才、7月5日オペレッタ《ポンペイのジュピター Giove a Pompei》はローマのラパリオラ劇場で初演された
ジョルダーノとアルベルト・フランケッティの共作となった
1924年57才、歌劇《戯言の饗宴 La cena delle beffe》の初演はミラノで上演された
1929年62才、トスカニーニの指揮により歌劇《戯言の饗宴La cena delle beffe》の再演と歌劇《イル・レ Il re》の初演がミラノ・スカラ座で演奏された
その後の作品はヴェリズモ・オペラの影響から抜け出せなかった
1948年81才、第二次世界大戦後、過去の栄光の中で亡くなった
4.主な作品
歌劇《マリーナMarina》(1888)
歌劇《マラヴィータMala Vita》(21 February 1892, Teatro Argentina, Rome)
歌劇《レジーナ・ディアスRegina Diaz》(5 March 1894, Teatro Mercadante, Naples) (28 March 1896, Teatro alla Scala, Milan)
歌劇《アンドレア・シェニエ Andrea Chenier》(28 March 1896, Teatro alla Scala, Milan)
歌劇《誓い Il Voto》(6 September 1902, Teatro Bellini, Naples),「Mala Vita」 の改作
歌劇《フェドーラFedora》(17 November 1898, Teatro Lirico, Milan)
歌劇《シベリアSiberia》(19 December 1903, Teatro alla Scala, Milan, rev. 1927)
歌劇《マルチェッラMarcella》(9 November 1907, Teatro Lirico, Milan)
歌劇《聖母マリアの月 Mese Mariano》(17 March 1910, Teatro Massimo, Palermo)
歌劇《ポンペイのジュピター Giove a Pompei》フランケッティと共作。 (6 July 1921, Teatro La Pariola, Rome)
歌劇《マダム・サン=ジェーヌMadame Sans-Gene》(25 January 1915, Metropolitan Opera, New York)
歌劇《戯言の饗宴 La cena delle beffe》(20 December 1924, Teatro alla Scala, Milan)
歌劇《シベリアSiberia》(1903年、改訂1927年)
歌劇《王様 Il re》 (12 January 1929, Teatro alla Scala, Milan)
歌劇《ニロの祭りLa festa del Nilo》(未完成)
「sinfonie」
「Delizia」(1886)
「Ouverture」 (1888)
「Minuetto」 (1888)
「Scherzo」 per archi
「Largo e fuga」 per archi, arpa e organo.
5.その他
1. <ウンベルト・ジョルダーノ・フェスティバル>は、オペラ《フェードラ》の初演100周年(1898年)と、1948年の死後50周年を記念して始まり、毎年7月にバヴェーノで開催されている
期間中、バヴェーノ市庁舎の評議会会議所は一連のコンサートの会場となる。ヴィラ・フェドラはウンベルト・ジョルダーノと彼の友人であり彼と一緒に別荘に滞在した他の多くの芸術家を記念して展示会を主催している
このフェスティバルは、音楽だけでなく、演劇、詩、その他の舞台芸術にも焦点を当てており、コンサート、歌のリサイタル、絵画、写真撮影が含まれている
イベントは、午後または夕方に、バヴェーノ、ストレーザ、フェリオロで開催され 無料のものもあれば、有料のものもある
2. ウンベルト・ジョルダーノの20L切手のタイトルは「生誕100周年」、1967年8月28日にイタリアの郵便局によって発行された
6.初演
7.関連動画
歌劇《アンドレア・シェニエ》
ヨナス・カウフマン / アンニャ・ハルテロス
アンドレア・シェニエ/第4幕-「Vicinoa te s’acqueta l’irrequieta anima mia」
ANDREA CHÉNIER: Kaufmann and Harteros sing e.„Vicino a t..la nostra more“
オペラ《アンドレア シェニエ》の第1幕から「ある日、青空を眺めて」
アンドレア・シェニエ(詩人):パヴァロッティ
あらすじ:伯爵夫人はシェニエに詩を暗唱するように頼んだが、マッダレーナが彼に尋ねるまで彼は拒否した。シェニエは自然の美しさと人間によって生み出された悪と惨めさを対比まさせ、権威のある人々を自己奉仕として非難する
Colpito…Un di al azurro Andrea Chenier
Luciano Pavarotti
Opera Andrea Chenier 1996 Met
歌劇《アンドレア・シェニエ》
モンセラート・カバリェ & ルチアーノ・パヴァロッティ
Montserrat Caballé & Luciano Pavarotti
歌劇《アンドレア・シェニエ》
モンセラート・カバリェ、ホセ・カレーラス
1983 MET100 GALA:Andrea Chénier. Final duet / Giordano
Andrea Chénier. Final duet / Giordano (Montserrat CABALLE, Jose CARRERAS)
歌劇《アンドレア・シェニエ》(1983)
カーティア・リッチャレッリ & ルネ・コロ
Conductor: Hans Wallat
Orchestre Philarmonique de Strasbourg
歌劇《アンドレア・シェニエ》1961年
イタリア歌劇団日本公演
アンドレア・シェニエ-ここに祭壇があります…(デュエット第2幕)
レナータ・テバルディ & マリオ・デル・モナコ
東京NHKホール1961年10月1日
Andrea Chénier – Ecco l’Altare… (duetto atto secondo)
Soprano Renata Tebaldi
Tenore Mario Del Monaco
Direttore Franco Capuana
Tokio NHK Hall 1 ottobre 1961 Live
歌劇《アンドレア・シェニエ》1961年
イタリア歌劇団日本公演
レナータ・テバルディ & マリオ・デル・モナコ
Mario Del Monaco & Renata Tebaldi – Final Duet – Andrea Chenier
歌劇《アンドレア・シェニエ》1961年
イタリア歌劇団日本公演(レナータ・テバルディも来日した)
マリオ・デル・モナコ
[Andrea Chenier] – Come un bel di di maggio. Act IV.
Mario del Monaco LIVE 1961 Tokyo
歌劇《アンドレア・シェニエ》
マリア・カラス & マリオ・デル・モナコ
Mario del Monaco and Maria Callas
歌劇《アンドレア・シェニエ》より 「国を裏切る者」
直野 資(たすく)
<ミラノのウンベルト・ジョルダーノの葬式>
I Funerali di Umberto Giordano a Milano