ジャン=バティスト・リュリ

生没年・出身地・歿地・墓地
ジャン・バティスト・リュリ生誕  Jean-Baptiste Lully
旧姓(former name)
ジョヴァンニ・バァッティスタ・ルッリ生誕  Giovanni Battista Lulli

(1632年11月26日フィレンツェ生)
(1687年3月22日壊疽によりパリで急死)

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1.職業

イタリア、バロックの作曲家(フランス国籍取得)

「フランスオペラの父」と呼ばれている

2.称号

3.経歴

祖先は農民
父ロレンツォ・マルド・ルッリは粉屋の娘カタリーナ・セラと結婚し妻の実家に住み粉屋を営む
幼少時にフランシスコ会修道士に音楽の基礎とギター、ヴァイオリンを学ぶ

1643年母を失う

1644年マルタから旅行の帰りに立ち寄ったシャルル1世の公子でマルタ騎士団の騎士ロジェ・ド・ロレーヌは、フランス王族モンパンシェ公爵夫人のためにイタリア語を話せる少年を捜しており、陽気なルッリが気に入り父親の承諾を得てフランスに連れ帰り、公爵夫人の小姓として仕え、その間に宮廷音楽家達からヴァイオリン、ギター、オルガン作曲法を学びジャン・レニュウ・セグレのはか
らバレエを学ぶ

1652年公爵夫人が市民の暴動でプロヴァンスに逃げたときに職を辞しパリに残る

1652年15歳のルイ14世の目にとまり「夜の王室バレエ」を共演し1ヶ月後に宮廷器楽作曲家に任命され、やがて「王の24人のヴァイオリニス」楽団の指揮者に任命される

1661年宮廷音楽監督に任命され、フィレンツェの許可を受けフランスに帰化し名前をジャン・バッティスタ・リュリに改名

1662年音楽仲間で王室音楽家の作曲家のミシェル・ランベールの娘、マドレーヌと結婚

1672年王立音楽アカデミー(オペラ座)の上演権を買い取る

1673年パロ・ロワイヤルの使用権を入手し最初のオペラ「音楽の悲劇」初演する。その後1687年までの間、毎年オペラを作曲

1674年オペラ「アルチェスト」初演

1677年長男の洗礼式に国王自らが代父となり王の名を長男に与える

1681年ルイ14世の国王秘書官に任命され「リュリ閣下」と呼ばれる

1685年以降は国王がリュリの音楽に関心を示さなくさる

1687年1月 ペル・フリオン教会において、長く、重量のある指揮丈でモテットの演奏指揮中、誤って指揮丈で右足を打ち腫瘍ができそれが原因で壊疽に罹り2ヶ月後の3月に没す。

4.主な作品

フランス語オペラ「カドミュスとエルミオーヌ」「「イシス」「アルセスト」「テセウス」「プシシェ」「ベレロフォン」「プロセルピーヌ」「ペルセウス」「ファエトン」「アマディス」「ロラン」「アルミード」「アシールとポリュクセーヌ」、コメディ・バレエ「町人貴族」「恋する医者」「恋する画家」、バレエ「村の結婚」「ミューズ神たち」、劇中劇「セルセ」「恋するヘラクレス」「オイディプス」、デ・テウムほか。

5.その他

6.初演

7.関連動画