IWY. 16 フランチェスコ・ランディーニ

イタリアの作曲家
フランチェスコ・ランディーニFrancesco Landini(1325-1397)

イタリアの中世の作曲家・オルガニスト・歌手・楽器製作者であり、イタリアのアルス・ノヴァ。イタリア半島の14世紀音楽の中心人物で、当時、最も有名な作曲家のひとりあった。ヴィラーニFilippo Villaniは年代記の中で、ランディーニは楽器の発明家でもあり、リュートluteとプサルテリーpsalteryの特徴を組み合わせた「シレナ・シレナルムsyrena syrenarum」と呼ばれる弦楽器を発明したと述べており、これはバンドゥーラbandura.の祖先と考えられている。

1325年頃フィレンツェ近郊フィエゾーレで生まれた可能性が高い。
クリストフォロ・ランディーノは彼の出生地をフィエーゾレFiesoleとしている。幼少期に天然痘にかかったことが原因で盲目となったランディーニは、早くから音楽に没頭し、リュートをはじめとする多くの楽器を習得したほか、歌唱、詩作、作曲の技術も身につけた。
1397年9月2日フィレンツェで歿

1. 経歴


若年にもかかわらず、フランチェスコは1350年代初頭にはすでに活躍しており、ペトラルカPetrarch(学者・詩人)と非常に親しかった可能性が高い。ヴィラーニによれば、ランディーニは1360年代に何度かヴェネツィアに滞在したキプロス王から月桂冠を授与された。
1361年にフィレンツェのサンタ・トリニタ修道院でオルガニストとして雇われた。ヴィラーニによれば、彼は当時の政治的・宗教的論争に深く関わっていたが、フィレンツェ当局の好意は得ていたようだ。
1365から1396年までフィレンツェのサン・ロレンツォ教会のオルガニストを務めた。
1370年以前に北イタリアでしばらく過ごしたと思われる。彼の音楽の一部にも、このことを示す証拠がある。ある「フランシスクス」による
・モテットは、1368年から1382年までヴェネツィアのドージェであったアンドレア・コンタリーニに献呈されている。さらに、彼の作品は北イタリアの資料によく見られる。
・ランディーニは、サンタ・トリニタで共に活動したロレンツォ・ダ・フィレンツェや、 1370年代に知り合ったアンドレアス・ダ・フロレンティアなど、14世紀のイタリアの作曲家の多くを知っていた。
1375年頃、あるいはその直後、アンドレアスはフィレンツェのセルヴィテ修道院のオルガン製作を手伝うコンサルタントとして彼を雇った。現存する記録の中には、オルガンの調律に要した3日間で二人が飲んだワインの領収書がある。
1379年にサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会に新しいオルガンを建造するのにも携わった。
1379年には5つのモテットの作曲でソリディの報酬を受け取った。これは作曲家への報酬としては極めて稀な記録である。
1387年にはフィレンツェ大聖堂でのオルガン建造プロジェクトにも関わった。

作品:ランディーニは14世紀で最も有名な音楽家であり、現存する155曲余りの作品はほぼすべてバラードで、彼はこの分野で卓越した才能を発揮した。これらの作品には、不協和音の荒々しさよりも滑らかな音色が顕著に表れている。ランディーニの技術的な巧みさは、カノン・マドリガル「De! dimmi tu」に見ることができる。彼は特にポータブル・オルガンをはじめとする複数の楽器の名手であり、同時に優れた詩人でもあり、自ら作曲した歌詞の一部を自ら書き、ヴェネツィアで詩の栄誉を授与された。彼の音楽は、現存するイタリアの14世紀音楽全体の約4分の1を占めるだけでなく、フィレンツェをはじめとする様々な場所の多様な資料に保存されている。
2声のためのバッラータ「春は来たりぬ」、3声のためのバッラータ「涙まなこにあふれ」ほか

2. その他

3. 初演

4. 関連動画


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