ルイージ・ロッシ

生没年・出身地・歿地・墓地
ルイージ・ロッシ生誕  Luigi Rossi

(1597年か1598年初めにフォッジャオ県トーレマッジョーレ生)
(1653年2月19日ローマで歿、ローマ・サンタ・マリア教会に埋葬される。

1.職業

イタリア、バロックの作曲家

2.称号

3.経歴

幼少の記録は1627年の地震によりトーレマッジョーレにある聖ニコラス教会とサンタ・マリア・デッラ・ストラ-ダ教会が完全に破壊されたため定かでない。伝えるところによると、ロッシ一家はトーレ・モビリア又は旧市街のコダッチォに住んでいたようだ。父はドナトゥスという。ロッシには兄弟6人がいた。
領主の奨学金をもらいローマ・サンタカーサ・アヌンツィアータ大聖堂礼拝堂音楽院に入り、オルガニストでフランドルフ派の作曲家ジョヴァンニ・デ・マックに歌唱、オルガン、ハープシコード、リュ-ト、音楽理論を学ぶ。「神童」であったようだ

1620年ローマ教皇の甥マルカントニオ・ボルゲ-ゼ公子に仕える

1627年7月ルキナのサン・ロレンツォ教会でハープ奏者コンスタンツァ・デ・ポンテと結婚

1633年聖ルイジ・ディ・フランチェージ教会のオルガニト

1635年妻と共にフェルディナンド大公からフィレンツェに招かれる

1641年枢機卿アントニオ・バルベリーニに仕える。最初のオラトリオ「ヤコブの息子ヨゼフ」を初演。11月重い肺炎に罹る

1642年ジュリオ・コスピリョウズ(後の教皇クレメンス9世)台本のオペラ「魔法にかけられたアトランテ宮殿」をパラッツオ・バルベリーニ宮殿で初演

1644年教皇選挙でライバルのインノケンティウス10世が教皇に就任、前教皇ウルバヌス8世の一族バルベリーニ家の弾劾が始まりフランチェスコとアントニオ・バルベリーニ兄弟はフランスに避難しマゼラン枢機卿の庇護を受ける為に渡仏、ルイージは同行する。

同年12月妻コンスタンスの死の知らせが届くがパリに留まる。この年「カンタータ集」出版

1647年オペラ「オルフェオ」初演し大成功を収め6回の上演のなかで2回はイギリス女王のフランス訪問への敬意を表したものであった

1648年6月「フロンドの乱」が起こる。

1649年枢機卿アントニオ・バルベリーニに同行してロマに向かい1650年ローマに戻るローマ・サンタ・マリア教会に埋葬される。

4.主な作品

室内楽「パッサカリアによるアリア」、器楽曲「パッサカリア」、「聖週間のオラトリオ」、「ザイダの嘆き」ほか

5.その他

6.初演

7.関連動画