伊福部 昭

伊福部 昭
IFUKUBE, Akira

(1914年5月31日北海道釧路町幣舞に生まれる)
(2006年2月8日東京目黒区の病院で多臓器不全のため歿)
Birth place:Kushiro Hokkaido Japan
Date of Birth:31/5/1914

1.職業


日本の作曲家・指揮者・教育者

2.伊福部 昭 経歴


<祖先>
伊福部氏直接の祖先と言われている第14代武牟口命(タケムクチノミコト)=武内宿禰(タケノウチノスクネ)は、景行天皇(西暦71年即位~130年)頃に存在した人物と思われる
武牟口命は、日本武尊を奉じて征西の途中、稲葉蝦住山の荒海という賊を征伐するために因幡に入国したと『因幡国伊福部臣古志』には記されている。日本武尊(西暦72年頃生~113年頃歿)は第12代・景行天皇の皇子で仲哀天皇の父にあたる。また、神功皇后摂政前紀『日本書紀』に、仲哀9年3月1日(西暦200年頃)神功皇后は吉日を選んで斎宮(いつきのみや)に入り、自ら神主となって武内宿禰に命じて琴を弾かせ・・・とある。これによると伊福部昭の祖先/武内宿禰はなんらかのかたちで音楽に携わっていたと思われる

<音楽の勉強>
伊福部昭は、ほぼ独学で作曲家となった。作曲のきっかけは、札幌二中の2年生の頃、友人の三浦淳史(評論家)に「音楽やるなら作曲やらないと意味がない」とそそのかされ作曲の勉強を始めたのが始まりと語っている
北大を卒業して道庁の林務官となり厚岸の森林事務所に務めた
1936年8月頃、来日したロシアのチェレプニンに呼ばれ、約ひと月くらい横浜で作曲法、管弦楽法を学んだ

<誕生日と命名の由来>
伊福部には誕生日が三つある。本当の誕生日は5月31日(母・キワの大事にしていたものを調べた時に、5月31日午後6時何分と書いたへその緒がしまってあったようだ)
出生届は伊福部が網走尋常小学校に入学する時に出され、それには3月5日になっている。届出遅延で警察署長の身でありながら罰金を納めたようだ
「そのほかに3月7日という誕生日もございます。これはだいぶ後になりまが私の曲をボストンでやることになった。その時、私の生年月日を、友人の、今は音楽評論家となっている三浦淳史君が「3月5日はどうせつくった誕生日。それならモーリス・ラヴェルと同じ3月7日にしてしまえ」と、勝手に生まれた日を替えて向こうに出してしまったんです。そのころ私は、ラベルの音楽というのにひじょうに気に入ってたものですからそうしたんですが、それで向こうの音楽辞典には、私の生まれた日が3月7日になっているのがあります」と語っている
名前の由来は、老子の「俗人昭昭」から命名された。伊福部昭の「昭」とは、『老子』の「俗人昭昭」に因んだもので、【世俗のものはきらびやかで輝いている / 昭昭=明らかではっきりしていること】等という意味があるが、一方「俗人は勉強ばかりして才走りすぎる」ことを戒める意味があり、伊福部は生涯この考えから影響を受けたとされます

<養子の話>
父:利三は釧路南大通り三丁目二番の近江屋旅館で(現在、朝日生命南営業所がある場所である)呑んでいる時に女主人に向かい、『こんど生まれた子を養子にやる』と約束してしまったことがあるそうだ。この人は石川啄木が在釧時代に思いを寄せた芸者・小奴である。近江屋旅館は昭和37年11月に閉めたようだ

<アイヌ民族等々からの影響>
小学生4年の時、父が音更村の村長となったため、音更村に移る。同地でアイヌと接し、彼らの生活・文化に出会い音楽観に大きな影響を受けた。代表作の一つ、《シンフォニア・タプカーラ》(1954年)は、アイヌの人々への共感と、ノスタルジアから書かれたという

<年譜>
1914年(大正3年)5月31日午後6時半頃、北海道釧路町幣舞(ヌサマイ)に四女三男の末子として生まれた
父・幣舞警察官僚の伊福部利三、母・キワ、4才上に長兄・宗夫(1910年生)、2才上に次兄・勲(1912年生)、長姉佐世子、次姉喜久世、三姉勝子、四姉富貴子(夭逝)がいた

1920年(大正9年)6才。9月網走尋常小学校入学。入学時に初めて出生届が出され3月5日生まれとなった。父利三は警察署長でありながら届け出遅延で罰金を納めた。「 戸籍では3月5日生まれ、ほんとは5月31日生まれ、その頃人にやるつもりだったのか届け出を遅らせていたんですね 」と語っている。

1921年(大正10年)10才。父の転勤で札幌の西創成尋常小学校転校、さらに札幌の大通尋常小学校に転校した。11月父は帯広警察署・署長となり単身で赴任した

1922年(大正11年)8才。3月、父利三は依願退官した

1923年(大正12年)9才。尋常小学校4年の夏、父:利三が音更村村議会から推薦され、音更村第七代目村長就任し、伊福部昭(9才)と次兄:勲は音更尋常小学校へ転校。次姉は結婚していた。三姉は札幌の女学校、長兄は札幌二中に通っていた
父親が村長だったためアイヌの集落へ出入りしていたのに付いて行き、そこでアイヌの舞踊、アイヌ音楽、またムックリやトンコリなどの民族楽器を知り、異なる文化と音楽に興味を持つ。「 音更の家は当時前が沼で、公園になっている裏の高台が遊び場所でした」、「子供の頃はひとりで遊ぶことが多く遊び相手に昆虫とか蛇が大好きでペットにして部屋の中に飼っていたらしい」と後年当時の友達から聞かされたと語っている
「コタンのアイヌの人たちは父親が村長ということでよく家に見えていました。アイヌと親しく交流するようになり、この時接したアイヌの歌や踊りをはじめとする伝承芸能、各地から集まる開拓者が歌う様々な民謡により自身の音楽の原体験を得、特にアイヌの叙事音楽「シノッチャ」からは生涯忘れえない深い感銘を受け、同時にその後の作曲家としての人生に決定的影響を与えた」と語る
「 少年時代はアイヌの人たちと一緒になって暮らしていました。人や食べ物や風景、それに匂いや手触り肌触りなど、そのころの体験が身体の中にちゃんと現存しているわけです 」、「アイヌの友達と行くとパッと鳥がとれたり、魚がとれたりするから仲良くやってて、そうこうする間に向こうと隠さないで、一般のシャモには見せないアイヌの行事を見せてくれるようになったわけです。こうした付合いの中で得たものが、後にいろいろな形で作品に影響を与えているようです」と語っている。「 私の《シンフォニア・タプカーラ》という作品は、彼等からの共感とノスタルジアから書いたものです。《タプカーラ》というのは、「立って踊る」といった意味で、自分のその時の心境のようなものを踊りと詩によって表現する習慣があるんです 」、「 音更での生活では、親父からよく老子の素読をやらされたことも忘れられません
夜におやじから”おい、お前読んでみな”と言われる。そうすると20分から30分自分のやつを声を出して読むわけです~素読をやらされたのはうちではボクだけです。兄たちは札幌の中学に行ってるし、姉たちは嫁さんにいくという具合で、音更の家には僕と両親の三人だけでした。親父に無理やりやらされた老子ですが、若い時にバイブルを読んだ方と同じに、考えられないほどの強い影響を受けていると思っております。今でも読みます」、「音更にいたころ、まあそこは田舎なんですが、床屋ヴァイオリンと言われるくらいでどこの床屋にもヴァイオリンが置いてあったんです。~そんな中で兄貴や私もヴァイオリンに触れました。音更には洋楽をやる人はいなかったが、レコードや蓄音機はありハイフェッツ、エルマン、ジンバリスト、クライスラーといったのを繰り返し聴いた。親にヴァイオリンを買ってもらったりして、見よう見まねで弾くことはできるようになった 」と少年時代を語っている

1926年(大正15年)12才、札幌第二中学(北海道札幌西高等学校の前身)の受験は帯広中学で試験を受け入学、兄弟三人は札幌、大通西十三丁目に祖母寿々と若月はまが同居し生活が始まった
長兄宗夫は北海道帝国大学予科一年、二兄勲は札幌二中2年であった
その後、父が建てた南十三条四十三丁目に住んだ。中学時代に後の音楽評論家で、生涯の親友となる三浦淳史と出会う
初めは絵画に熱中し「めばえ画会」、船山馨らの「桑の木画会」に入って1年上の佐藤忠良(彫刻家)、同級の船山肇と交流し地元で展覧会も開いたという
その後音楽に関心を持ち聴きはじめた。「当時中学の正課には音楽がなかったんですが、音楽部があったんです。そこが演奏会を催して私はヴァイオリンでバッハなどを弾いていました
音更を出るとき、中学にお祝いだというので役場で戸籍係をしていた渋谷さんという人が、ヴァイオリンを贈ってくださいまして」、「札幌でヴァイオリンは何人かの人に教わりました」

1927年(昭和2年)13才の頃から作曲を独学で勉強するようになる
「 中学時代には~ストラヴィンスキーに傾倒しておりましたから、ロシア・バレエ団を率いたディアギレフやバレエ団の花形舞踊手であり振付師でもあったニジンスキーなどの名前も知っていました 」と語っている
「中学に入ってから小樽商高を出た人にちょっと習った以外一人で教則本なんかを見ながら指にタコが出来るくらい練習しました。その後一度田上義也(1899年(明治32年)建築家・音楽家)さんに教わったことがあります。当時の一流のヴァイオリニストでしてね ” あんたにはもう教えるところがねえや ” なんて言ってくれました」、二年から学校の演奏会に出るようになった
同級生の三浦淳史に”音楽やるには作曲やらないと意味がない”とそそのかされ、海外から入手した楽譜とレコードをもとに独学で作曲の勉強を始め、簡単なピアノ曲などを作っていたようだ。「そのころ札幌にはジンバリスト、ハイフェッツとか世界の第一級のヴァイオリニストが来ていました」と語っている

1928~29年(昭和3~4年)「オーケストラのような本格的な作曲に手を染めたのは三~四年になってからです。きっかけがストラヴィンスキーの《春の祭典》です
レコードで聴いてもう驚いてしまって・・・こういうのが音楽というなら、アイヌのタプカーラやリムセも全部似たようなものですから。それなら自分でも書いてみようか、書けるんではという気になってきたんです」(https://www.akira-ifukube.jp/伊福部昭を読む/自伝-北の譜、昭和60年3月30日(土)北海道新聞夕刊より)最終アクセス2019年10月16日

1931年(昭和6年)17才。3月6日札幌第二中を卒業。小樽高等商業学校を受験したが合格発表を見に行かなかったようだ。10月ヤッシャ・ハイフェッツの演奏を札幌の松竹座で聴く

1932年(昭和7年)18才。4月9日北海道帝国大学(北海道大学の前身)農学部林学実科に入学
文部会管弦楽団に入り、いきなりコンサート・マスターを任せられ大学時代は学生オーケストラのコンサートマスターを務めた。さらに、同オーケストラ内で最新の音楽への関心が強い同志3名(有田学、小岩武、工藤元)とともに、「札幌フィルハーモニック弦楽四重奏団」を結成する。工藤は当時札幌師範学校教諭で、大正期に函館で「アポロ音楽会」を主宰した工藤富次郎の長男であった
このころ北海中学を卒業した後の作曲家早坂文雄と出会う
8月友人を頼って青森県南津軽郡大鰐町に行き「ねぶた祭り」を見た
この頃の伊福部三兄弟は、長兄宗夫はマンドリン、二兄勲はギター、伊福部がヴァイオリンを弾き「音楽三兄弟」として知られた存在だったと言われている
作品:ギター曲《ノクチュルヌ》、ギター曲《JIN》

1933年(昭和8年)19才。1月29日札幌放送局に出演して勲のギターとヴァイオリンを演奏
アマチュア・ギター奏者であった二兄・勲のために前年、ギター曲《ノクチュルヌ》を作曲。ギター曲《JIN》を作曲した
さらに、三浦淳史(後の音楽評論家)と伊福部が冨貴堂でジョージ・コープラン「スペイン音楽集」買って聴いた三浦が、スペイン滞在住の米国人ピアニスト、ジョージ・コープランドに手紙を送った
コープランドの「地球の反対側にいながら私の音楽を聴くのだから、作曲もやるのだろう。曲を送れ」という旨の手紙に対して、三浦が「よい作曲家がいるので曲を送る』と返事を書いたことを受けて伊福部が《ピアノ組曲》を書き上げコープランドに献呈した。なお、コープランドからは「面白いのでぜひ演奏したい」という返信があったが、スペイン内戦のため手紙が途絶えたという
長兄・宗夫が北大を卒業し同庁に入り石狩川治水事務所勤務となる
三浦、早坂らと「新音楽連盟」を結成し、当時の最先端の現代音楽作品を演奏していく
独唱曲《平安朝の秋に寄せる三つの歌》作曲しソプラノ歌手荻野綾子に献呈した
10月8日ギター曲《ノクチュルヌ》を二兄・勲がリサイタルで初演
作品:独唱曲《平安朝の秋に寄せる三つの歌》、ピアノ曲《日本組曲》

1934年(昭和9年)20才。次兄の勲、三浦淳史(後の音楽評論家)、早坂文雄(後の作曲家)「札幌フィルハーモニック弦楽四重奏団」のメンバーらとともに、「新音楽連盟」を結成。
2月11日札幌公会堂で新音楽連盟ピアノ六重奏団、建国記念音楽界でデビュー演奏。代表は伊福部の長兄の宗夫がつとめた。
9月30日<国際現代音楽祭1934>を今井記念館で開催。イーゴリ・ストラヴィンスキー、ダリウス・ミヨー、マヌエル・デ・ファリャ、エルヴィン・シュルホフ、エリック・サティなど、時代の最先端をいく作品を演奏して紹介した。
エリック・サティ作曲《右と左に見えるもの(眼鏡無しに)》、《3つのグノッシェンヌ》、《気取りやの気むずかし屋の3つの特異的ヴァルス》、《新婚者の起床》
エルヴィン・シュルホフ作曲《無伴奏ヴァイオリンソナタ》
ルイ・グリュンベルク《弦楽四重奏のための4つのインディスクレーション》
アルフレッド・カセルラ《弦楽四重奏のための5つの小品》
ピエール・オクターブ・フェルー《ノンシャラント(組曲モンソウ公園にて第3番)》が日本初演された。
また、この演奏会で伊福部はソリストとして、シュルホフの《無伴奏ヴァイオリンソナタ》を日本初演している。
楽譜の入手は伊福部と、当時アメリカの音楽家と文通するなど、最新の音楽事情に精通していた三浦が中心に行っており、主に丸善を通してフランスのデュラン社・イギリスのチェスター社から購入していた。なお、伊福部は上記の他にもヤナーチェクの《六重奏曲》の楽譜を入手していたが、当時はその価値がわからず演奏会で発表することはなかった。伊福部はこのことを後年まで悔やんでいたという。また、「札幌フィルハーモニック弦楽四重奏団」のメンバーとしても、札幌・旭川など道内各地で演奏旅行も行った。 「新音楽連盟」の演奏会は上記の一度きりであった

1935年(昭和10年)21才。4月北海道帝国大学農学部林学実科を卒業後、北海道庁地方林課林務官として10月16日地方費森林厚岸事務所へ調査造林係補助・作業助手として配属され赴任した
9月長兄・宗夫、菊池ナミと結婚
「アメリカの指揮者フェビアン・セヴィツキーがいました。レコードを聴いて三浦君とまた手紙を出したんです~”なかなか詳しそうだから作曲もやっているだろう。あるなら送って欲しい。ボロディン程度のあまりモダンなものでなければやろう”と返事が来たんですね。作品がないというのも残念だから書きだしたんですね。~オーケストラに直し、スコアーを送った。これが《日本狂詩曲》です。しばらくして”ぜひ演奏したい”と言って来ました」
「チェレプニン賞コンクール募集が音楽雑誌に出たんですね~《日本狂詩曲》を応募したんです。審査員の中にモーリス・ラヴェルの名を見つけ、ラヴェルに見てもらいたいという一心で、《日本狂詩曲》を賞の規定に合わせ第1楽章≪じょんがら舞曲≫をカットして第2、3楽章に変更して応募した」。
結局ラヴェルは病気のため審査員を降りたが、チェレプニンを初め審査員アルベール・ルーセル、アレクサンドル・タンスマン、アンリ・ジル=マルシェ、アンリ・プリュニエール、ジャック・イベール、ティボール・ハルシャニー、ピエール・オクターブ・フェルーといったフランス近代音楽を代表する作曲家たちが審査にあたった
このコンクールの審査会場はパリであった。満場一致を得て第一位入賞した
パリへ楽譜を送る際、東京からまとめて送る規定になっていたため伊福部の楽譜も東京へ届けられたが、東京の音楽関係者はその楽譜を見て、平行五度などの西洋音楽の和声の禁則を無視し、その場の日本人にとって下衆に見えた日本の伝統音楽のような節回しが多いこと。当時としては極端な大編成である編入楽器多数の(打楽器奏者だけで9人を要する)三管編成オーケストラが要求されていたこと。北海道の厚岸町から応募してきたこと。の理由から、相当の驚きと困惑があったと言う。とくに”正統的な西洋音楽を学んできた日本の中央楽壇にとって恥だから、伊福部の曲を応募からはずしてしまおう”という意見も出たが、作曲家の大木正夫の”審査をするのは東京の我々ではなくパリの面々だし、応募規程を満たしているのに審査をはずす理由もなく、せっかく応募してきたのだから”という意見が通り、伊福部の曲も無事パリの審査会場へ届けられた
厚岸では湾月町の五味旅館新館のベランダのある二階に下宿した
12月17日伊福部にチェレプニン賞第1位に入賞の知らせが届く。「チェレプニン賞(賞金は300円であった)の知らせが入りその後間違いではないかと問合わせの電報がパリにいったほどです」。
北海道の厚岸なんかにオーケストラを書ける作曲家なんているはずがないじゃないかって思われた。 伊福部は世界的評価を得ることとなった。この時の第2位は、伊福部と同じくほぼ独学で作曲を学んだ松平頼則であった。
《日本狂詩曲》のチェレプニン賞受賞の知らせは新聞により厚岸中に広がり林務官・伊福部の名は広く知られるところとなり、音楽仲間が増え、厚岸実科高等女学校のピアノを借りられることにつながった。松平とは後に新作曲派協会を結成することになる
作品:《日本狂詩曲》

1936年(昭和11年)22才。4月5日ボストンのジョルダン・ホールで指揮者フェビアン・セヴィツキー指揮 / ピープルス交響管弦楽団により《日本狂詩曲》初演。なお初演の際、チェレプニン賞への応募に合わせて第1楽章はカットして演奏され、永遠に幻となった
なお、この幻の日本狂詩曲第一楽章「じょんがら舞曲」は、《日本狂詩曲》のスコア浄書を手伝った、次兄・勲の追悼のために書かれた《交響譚詩》の第二譚詩(第二楽章)にその一部が組み込まれている
7月27日上京。28日チェレプニンと東京の歌舞伎座で会う。「来日したチェレプニンが厚岸の僕に ” 会って話がしたい ” と連絡があった。こっちも“待ってまし”と喜んだんですが、何分旅費が乏しい。ところが“そんなの気にするな。宿賃は出す”というんですね。じゃありがたく、とチェレプニンのいる横浜に行ったわけです。会ってみると、チェレプニンは大柄で立派な人でした。授業料も取らずに翌日から作曲法や管弦楽法教えてくれました。ひと月ぐらい居たんじゃないでしょうか。人に師事して音楽を直接指導を受けたのは、後にも先にもこの時だけです」。伊福部はチェレプニンから「その時チェレプニンが ” 前のものはないか ” というので~《日本組曲》を見せたんですが ” いやいやこれは立派なものだ ” というわけです」。
チェレプニンは伊福部にニコライ・リムスキー=コルサコフの《スペイン奇想曲》のスコアを渡し、筆写して学ぶことを勧めた。チェレプニンから”ナショナルである事こそがインターナショナルである”と指導を受けたといわれている
また、 《日本狂詩曲》は大編成の大作だが、何度も演奏されやすいよう編成を考えて書くべきというチェレプニンの意見に従い、次作として14人編成で全員ソロの小管弦楽曲《土俗的三連画》を書いた。なお、《日本狂詩曲》はこの年、龍吟社から楽譜が出版されている。表紙のデザインは、美術にも関心が深かった伊福部自身が手がけた。この楽譜は、日本国内では僅か9冊しか売れなかったが、海外での購入者の中には、モーリス・ラヴェルやジャン・フランチェスコ・マリピエロらの名前もあったという
10月16日チェレプニン札幌に来る
新音楽連盟主催で「チェレプニン洋琴独奏会」を開催。滞在時にチェレプニン伊福部家を訪問
兄・宗夫、帯広土木事務所に転勤

1937年(昭和12年)23才。2月「林務官というのは冬になるとヒュッテにひとりこもっているから身を入れて勉強出来るんですね。吹雪の時なんか山を見回らなくてもいいので、完全に一日休めるわけです。。ヒュッテにはギターとヴァイオリンを持っていきまして、ランプの光の中で室内管弦楽曲《土俗的三連画》という曲を書きました。小さなオーケスタラでしたが、この曲をチェレプニンに献上しました」
5月9日《土俗的三連画》献呈に対する礼がチェレプニンから電報で届く
6月7日二兄・勲の札幌ギター連盟第三回演奏会で《盆踊り》がギター二重奏曲として演奏された
9月室内楽《トリプティーク》をベルギー、ブリュッセルで開かれた作曲家作品コンクールに出品
「厚岸では≪アッケシザクラ≫という新種の桜を発見したことも忘れられない思い出です。場所は国秦寺の付近で北海道大学の舘脇操さんが認めて二人の名前が付いてます」と語っている
作品:室内管弦楽曲《土俗的三連画》、室内楽《トリプティーク》

1938年(昭和13年)24才。1月二兄・勲、角ヒサと結婚
以前書いた《ピアノ組曲》をヴェネツィア国際現代音楽祭に応募し入選し、ジーノ・ゴリーニが全曲初演し国際的評価を受けた。この時期は日本の民族音楽の他、アイヌやギリヤーク(ニヴフ)といった北海道や樺太の少数民族の文化に発想を求めた作品が多い。《日本組曲》と《日本狂詩曲》が組み合わされて舞踊曲『盆踊』となりウィーンで初演された
アレクサンドル・チェレプニンの手で八つの場面からなる舞踊曲で公演はウィーン、出演はロシア・バレエ団。振付はセルゲイ・ソデイキンが行った。伊福部はこれを自らの作品歴には入れていない
兄・宗夫に長女・尚子誕生したが結核を患い妻の実家の秋田県荷上場村に療養のため移る

1939年(昭和13年)25才。1月13日《土俗的三連画》、小船幸次郎:指揮 / 演奏:新交響楽団で初演、放送された
3月13日《土俗的三連画》がイタリア国際放送から放送された
6月9日ポーランド、ワルシャワで「日本音楽の夕 日本現代音楽」が開催され、小船幸次郎が《日本狂詩曲》を指揮
7月5日イタリア国際放送から《日本狂詩曲》第一楽章「夜曲」が放送された

1940年(昭和15年)26才。厚岸に5年いて3月林務官を辞め札幌に戻り、北海道大学農学部副主を務めながら北海中学の教師になっていた兄・勲の住む札幌市南十三条西十三丁目に落ち着き、北海道帝国大学の演習林事務所嘱託として雇用され、図書の管理などをして勤め始めた
舞踊家・勇崎愛子(本名アイ)を知る
7月7日札幌で開催された小樽新聞主催の紀元二千六百年記念祭(札幌神社外苑総合グラウンド(現円山総合運動場)野外大聖部頌楽祭)に於いて、管弦楽団 / 混声合唱団 / ブラスバンド / 舞踊(振付:勇崎愛子(後の伊福部夫人))を指揮して交響舞曲《越天楽》を初演
「勇崎愛子舞踊研究所」の子ども公演で伊福部昭はピアノ伴奏をした
兄・勲、北海中学を退職し海軍の戦時研究のため上京し羽田の日本夜光塗料研究所に勤める
作品:交響舞曲《越天楽》

1941年(昭和16年)27才。長兄・宗夫は北大工学部土木工学部助手になる
伊福部は豊平の帝室林野局林業試験場で飛行機用の強化木の研究員として勤める
服部健とギリヤーク族などを共同研究始める。更科源蔵を知る
ピアノ協奏曲《ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲》作曲
4月11日勇崎アイ(舞踊家の名前は愛子)と結婚
兄・勲の妻ヒサと娘・道子と祥子が上京
兄・宗夫、札幌に戻り北海道大学土木工学科助手となった
作品:ピアノ協奏曲《ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲》

1942年(昭和17年)28才。2月27日妻アイと上京。3月3日日比谷公会堂で《ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲》がピアノ独奏松隈陽子、指揮:マンフレート・グルリット、演奏:東京交響楽団で初演された。軍から行進曲の依頼があり古典風軍楽《吉志舞》の作曲に入る
10月兄・宗夫は結核が再発し療養のため北大時代の恩師ニール・ゴードン・マンロー博士(英国人)の旧宅がある北海道沙流郡平取郡二風谷村に妻、長女・尚子、長男・敦を連れて移った
12月12日兄・勲が、東京・羽田の住まいで戦時科学研究の放射線障害により死す。伊福部参列のために15日9時半に延ばされた葬儀にぎりぎりに間に合った。勲の死後、長男・尚一が生まれた

1943年(昭和18年)29才。2月27日古典風軍楽《吉志舞》完成
日本音響(株)(日本ビクター)が主催する管弦楽曲の懸賞募集に兄・勲に捧げる曲として《交響譚詩ー亡兄に捧ぐー》を作曲て応募した。審査員は清瀬保二、野村光一、橋本国彦、堀内敬三、増沢健美、諸井三郎、山田耕筰、山根銀二であった。第一位で入選通知を受け上京。伊福部の入選作品は初のレコーディングされることとなった
4月21、22日《土俗的三連画》日本交響楽団第三回定期演奏会でローゼンシュトック指揮で演奏された
9月4日《交響譚詩ー亡兄に捧ぐー》指揮:山田和男、演奏:東京交響楽団でレコーディング
フィリピン独立を祝って山田耕筰を団長とする音楽使節団がフィリピンを訪れ、11月マニラで《交響譚詩》を山田耕作:指揮、新フィリピン交響楽団で演奏された
《交響譚詩》のレコード盤は同年の文部大臣賞を得た
作品:古典風軍楽《吉志舞》、《交響譚詩ー亡兄に捧ぐー》

1944年(昭和19年)30才。1月30日<独立祝典贈呈演奏会>に夫婦で出席し、政府の宣伝のための音楽《フィリッピン國民に贈る管絃樂序曲》(後に《フィリピンに贈る祝典序曲》に改題)が「独立祝典贈呈演奏会」で指揮:尾高尚忠、演奏:日本交響楽団により日比谷公会堂で初演を聴いた
管絃楽のための音詩《寒帯林》作曲
3月18日《交響譚詩》レコード盤の文部大臣賞授賞式
4月29日古典風舞曲《吉志舞》日本交響楽団により初演、放送された
9月から10月にかけ満州や蒙古を題材にした曲を作って欲しいと満映の社長でもあり新京音楽団を設立した陸軍軍人・甘粕大尉から作曲を依頼される。新京音楽院の招きで、指揮者の朝比奈隆と共に新京、ハルピン、熱河、奉天、蒙古へ行く。管絃楽のための音詩《寒帯林》の作曲に取り掛かる
12月6~7日陸軍から依頼のあった管弦楽曲《兵士の序楽》指揮:金子登、演奏:東京交響楽団で初演
作品:《フィリピンに贈る祝典序曲》、管絃楽のための音詩《寒帯林》、管弦楽曲《兵士の序楽》

1945年(昭和20年)31才。1月20日宮内省帝室林野局北海道林業試験場より戦時科学研究員嘱託に命じられる。放射線による航空機用木材強化の研究に携わるが、当時は防護服も用意されず、無防備のまま実験を続け、放射線障害を負う
3月10日宮内省帝室林野局北海道林業試験場勤務を命じられる
4月26日満州・新京で《管弦楽のための音詩「寒帯林」》が指揮:山田和男、演奏:新京音楽団交響楽部によって初演された
研究成果を得ないまま終戦となった8月28日帝室林野局構内で突然血を吐いて倒れたが、医者には結核や過度の電波実験による毛細管の異状などと言われ「一年間札幌の自宅で静養を余儀なくされた」、「何せ生命が最も軽んぜられた時代なので、医師も無責任なものであった」と述懐している。また、この時病臥した経験が、後に音楽に専念するきっかけとなったという
2月9日長女・玲子誕生

1946年(昭和21年)32才。航空機に伴う一切の仕事はマッカーサー上陸後、禁止となり職を続けられなくなった。自宅で静養中、「そのころ東京の知人からオーケスタラが書けるなら映画の仕事をやったらどうだと誘われ~東京に出る決心をした。家内と長女の家族三人で8月15日札幌を出発、東京へ着いたが焼け野原で食料、住宅事情ともどん族の時代、地方からの転入制限もありやむなく日光の奥の久次良に友人の古い家が空いていたので、ひとまずそこへ落ち着きました。御用邸の上です。8月17、8日頃でした」。
その後間もなく、東京音楽学校(現東京藝術大学)学長に新任した小宮豊隆さんから呼ばれ作曲科講師となった。「小宮さんは~ある時懇意にしている森田たまさんに、同じ北海道というとこで ” 昔、渡欧中伊福部という男の作品を聴いたことがあるが、どうしているだろう ” と聞いたらしい。森田さんは私のことをよく知っているもんですから ” 日光にいるが食えないで困っているようだ ” と返事した。東京音楽学校に行ってみると作曲科講師のお話だった。すぐに引き受けて9月から講義を始めたんです」と語っている
11月芥川也寸志が久次良の山荘を訪れる。このころ北大で戸田敏子が《ギリヤーク族の古き吟誦歌》試演
この作曲科では、初めて担当した芥川也寸志、黛敏郎などから大変慕われた
特に芥川は2回目の授業の後で奥日光の伊福部家を探し当て、数日逗留したという逸話を持つ。そのほかにも教育者として松村禎三、矢代秋雄、池野成、小杉太一郎、山内正、石井眞木、三木稔、今井重幸、永瀬博彦、和田薫、石丸基司、今井聡、など多くの作曲家を育て、その傍ら、東宝の映画音楽の作曲にも携わった。またこの頃「管弦楽法」の執筆に取り掛かっていたが、東武鉄道日光線でトランクに入れていた原稿やメモを、乗っていた電車からトランクごと落としてしまった。翌日探しに行ったが、原稿はほとんど散逸してしまっており、このために「管弦楽法」をまとめるのに5年はロスしたという。
11月4日二女・姜子誕生。
作品:歌曲《ギリヤーク族の古き吟誦歌》

1947年(昭和22年)33才。4月東京都世田谷区玉川等々力町に転居
1月26日ベルトラメリ能子が独唱曲《ギリヤーク族の古き吟誦歌》を初演
東宝プロデューサーの田中友幸から依頼を受け、《山小屋の三悪人》(公開題名は、《銀嶺の果て》)で初めて映画音楽を担当し8月5日封切り。伊福部はこの作曲依頼について、「おそらく私が山林官で、山奥の生活を知っているだろうということであったのだろうと思っています」と語っている。この初仕事で、一見明るい場面に物悲しい音楽を付けるという音楽観の違いから監督の谷口千吉と対立した。その日の録音を取りやめ、演奏者に帰ってもらった後、数時間議論を続けたという。このとき仲裁をしたのが脚本の黒澤明であった。黒澤の仲裁もあって曲はそのまま採用されたが、断片的な場面ごとではなく作品全体を見渡した結果としての主人公の心情を表した音楽を意図したことが認められ、最終的には音楽への真摯な態度が製作側からも評価された
「映画音楽では人間の話し声の振動数は空けて低音と高音ではさんでいくという特別な技法を使います。そうでないとセリフが聞こえなくなりますから。テーマ音楽の書けない写真は、ひとつひとつの場面、場面で勝負ということになります。ただ映画の仕事は期間が短すぎますね。4日ぐらいで40曲も書かないといけないもんですから、これがつらい」と語っている
11月3日《交響譚詩》等の業績により、第1回北海道新聞文化賞を受賞
12月1、2日帝国劇場でピアノ伴奏によるバレエ曲《イゴザイダー》(江口隆哉・宮操子振付)上演
11月11日新東宝映画《幸福への招待》音楽を担当
作品:バレエ曲《イゴザイダー》、東宝映画《銀嶺の果て》

1948年(昭和23年)34才。世田谷区玉川奥沢町に転居
《ヴァイオリン協奏曲》初演(後に《ヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲》と改題。また1951年〈昭和26年〉の改訂により当初の三楽章編成のうち第二楽章を省かれる。改訂は1951年、1959年〈昭和34年〉、1971年〈昭和46年〉)
5月28、30日帝国劇場でバレエ音楽《サロメ》(貝谷八百子・振付)を指揮:上田仁、演奏:東宝交響楽団で上演。(《サロメ》は1987年に演奏会用の管弦楽曲に、2002年〈平成14年〉に二十五絃箏甲乙奏合《七ツのヴェールの踊り》、2004年〈平成16年〉に二十五絃箏甲乙奏合《ヨカナーンの首級を得て、乱れるサロメ》へと編曲される)
6月22日《ヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲》が東宝グランドコンサート<日米現代音楽祭>で江藤俊哉(Vn.)、指揮:上田仁、演奏:東宝交響楽団により日比谷公会堂において初演された
10月31日バレエ音楽《さまよえる群像》(石井漠・振付)ピアノ伴奏により帝国劇場で上演
2月3日東宝映画《第二の人生》の音楽を担当
6月8日新東宝映画《黒馬の団七》の音楽を担当
9月3日松竹映画《颱風圏の女》の音楽を担当
12月10日松竹映画《社長と女店員》の音楽を担当
作品:《ヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲(ヴァイオリン協奏曲第一番)》、バレエ音楽《サロメ》、バレエ音楽《さまよえる群像》、東宝映画《第二の人生》音楽、新東宝映画《黒馬の団七》音楽、松竹映画《颱風圏の女》音楽、松竹映画《社長と女店員》音楽

1949年(昭和24年)35才。10月ベルトラメリ能子により歌曲《サハリン島土蛮(現先住民)の三つの揺籃歌》初演された
ポリドール・レコードの企画でバレエ音楽《子供のための舞踏曲 リズム遊びのための10の小品》作曲
12月20~24日バレエ音楽《憑かれたる城(バスカーナ)》(貝谷八百子・振付)を指揮:上田仁、演奏:東宝交響楽団、帝国劇場で上演
2月8日大映映画《検事と女看守》の音楽を担当
3月13日大映映画《静かなる決闘》の音楽を担当
4月5日森田プロ《斬られの仙太》の音楽を担当
4月18日松竹映画《美しき罰》の音楽を担当
6月21日新東宝映画《深夜の告白》の音楽を担当
7月11日東宝映画《ジャコ萬と鐵》の出演:三船敏郎、監督:谷口千吉、音楽が担当
7月18日大映映画《虹男》の音楽を担当
8月2日新歌舞伎座プロ《恋狼火》の音楽を担当
10月理研映画《育ちゆく村》の音楽を担当
12月理研映画《くちびるに歌をもて》の音楽を担当
1月19日父・利三(82才)死す
4月5日長男・極誕生。
作品:歌曲《サハリン島土蛮(現先住民)の三つの揺籃歌》、バレエ音楽《子供のための舞踏曲 リズム遊びのための10の小品》、バレエ音楽《憑かれたる城(バスカーナ)》、大映映画《検事と女看守》音楽、大映映画《静かなる決闘》音楽、森田プロ《斬られの仙太》音楽、松竹映画《美しき罰》音楽、新東宝映画《深夜の告白》音楽、東宝映画《ジャコ萬と鐵》音楽、大映映画《虹男》音楽、新歌舞伎座プロ《恋狼火》音楽、理研映画《育ちゆく村》音楽、理研映画《くちびるに歌をもて》音楽

1950年(昭和25年)36才。9月玉川尾山町(現尾山台)にい転居
12月11、12日バレエ音楽《プロメテの火》(江口隆哉・宮操子振付)指揮:上田仁、演奏:東京交響楽団、帝国劇場で上演
2月19日東横映画《俺は用心棒》の音楽を担当
2月19日大映映画《魔の黄金》の音楽を担当
2月26日東横映画《戦慄》の音楽を担当
3月5日大映映画《遥かなり母の国》の音楽を担当
作品:バレエ音楽《プロメテの火》、東横映画《俺は用心棒》の音楽、大映映画《魔の黄金》の音楽、東横映画《戦慄》の音楽、大映映画《遥かなり母の国》の音楽

1951年(昭和26年)37才。夏、江口隆哉らと岩手県江刺郡岩屋堂町に赴き鹿踊りを取材
11月17日バレエ音楽《日本の太鼓「鹿踊り」(江口隆哉・宮操子振付)指揮:上田仁、演奏:東京交響楽団、日比谷公会堂で上演。(この曲は1984年に演奏会用《日本の太鼓 ジャコモコ・ジャンコ》に編曲された)
11月25日『音楽入門 音楽鑑賞の立場』を要書房から刊行
大映映画《源氏物語》の監督吉村公三郎、出演:長谷川一夫、音楽を担当
作品:バレエ音楽《日本の太鼓「鹿踊り」》、大映映画《源氏物語》の音楽を担当

1952年(昭和27年)38才。8月12日《ヴァイオリンと管弦楽のための狂詩曲》ジェノヴァ国際作曲コンクール「リリー賞」獲得
北海道放送局開局に、放送開始と終了時の曲《ウポポ》作曲指揮して録音
作品:《ヴァイオリンと管弦楽のための狂詩曲、海道放送局開局に、放送開始と終了時の曲《ウポポ》、近代映画協会映画《原爆の子》の音楽を担当

1953年(昭和28年)39才。東京芸術大学(元東京音楽学校)の音楽科講師を退任。「映画の仕事が増えたこともありますが、学生増で40人ぐらいも担当しなけりゃならなくなったのが一番の理由です」と語っている
10月1日『管絃楽法』(音楽之友社)刊行(後の『管絃楽法』上下巻の上巻の増補部分を除く部分)
11月6、14、15日バレエ音楽《人間釈迦》を指揮:上田仁、演奏:東京交響楽団、日比谷公会堂で上演した。(この曲は1989年に演奏会用に編曲)
11月29日北海道放送からラジオ放送された音楽劇《ヌタック・カムシュペ》が文部省芸術祭奨励賞受賞。映画《アナタハン》監督:ジョセフ・スタンバーグ、音楽を担当

1954年(昭和29年)40才。11月3日東宝映画《ゴジラ》監督:本多猪四郎、出演:宝田明、音楽を担当が封切り
代表作と言える管弦楽曲《シンフォニア・タプカーラ》作曲し三浦淳史に献呈(1979年〈昭和54年〉に改訂)
映画《足摺岬》監督:吉村公三郎、音楽を担当
1950年代の一時期には、東宝に所属している俳優陣に対し、音楽の講義も行っている。この時の教え子に宝田明や岡田真澄などがおり、宝田はその後も伊福部を慕っていることを、映画の打ち上げ会や書籍などで語っている
作品:管弦楽曲《シンフォニア・タプカーラ》、映画《佐久間ダム 第一部》》の音楽を担当、《ゴジラ》の音楽を担当

1955年(昭和30年)41才。1月26日《シンフォニア・タプカーラ》フェビアン・セヴィツキー指揮 / インディアナポリス交響楽団演奏で世界初演。映画《狼》監督:新藤兼人、音楽を担当

1956年(昭和31年)42才。3月16日《シンフォニア・タプカーラ》指揮:上田仁、演奏:東京交響楽団、日比谷公会堂で国内初演
《ヴァイオリンとピアノのための二つの性格舞曲》作曲
10月21,25日仮面舞踏劇《ファーシャン・ジャルボー》を(江口隆哉・宮操子振付)指揮:上田仁、演奏:東京交響楽団、産経ホールで上演独奏曲《アイヌの叙事詩による対話体牧歌》作曲
《ビルマの竪琴》、《真昼の暗黒》、《鬼火》の映画音楽で毎日映画コンクール音楽賞受。映画《鬼火》監督:千葉泰樹、出演:加東大介、音楽を担当

1957年(昭和32年)43才。1月12日ベルトラメリ能子が 《アイヌの叙事詩による対話体牧歌》初演
1月15日《ビルマの竪琴》《真昼の暗黒》《鬼火》の映画音楽でブルーリボン賞受賞
1月31日《ビルマの竪琴》《真昼の暗黒》《鬼火》《の映画音楽で映画コンクール音楽賞受賞

1958年(昭和33年)44才。女子学院で伊福部指揮、合唱頌詩《オホーツクの海》録音され2月25日北海道放送で放送初演され、民放祭番組コンクール洋楽部門で第三位入賞(この曲は、1988年に独唱用に編曲)

1959年(昭和34年)45才。11月5日二度目の改訂となる《ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲》(ヴァイオリン協奏曲第1番)がNHK・AMから小林武史(Vn.)、指揮:森正、演奏:ABC交響楽団で放送初演
論文『アイヌ族の音楽』を雑誌音楽芸術12月号に寄稿

1960年(昭和35年)46才。歌曲《知床半島の漁夫の歌》作曲
10月26日バレエ音楽《日本の太鼓「狐剱舞」》を(江口隆哉・宮操子振付)指揮:小杉太一郎、産経ホールで上演

1961年(昭和36年)47才。2月9日歌曲《知床半島の漁夫の歌》をがステファーノ木内(清治)のリサイタルで初演、大島正泰(Pf.)
北海道開拓百年記念植樹祭のため合唱曲《北海道賛歌》作曲し2月16日杉並公会堂で録音、4月1日札幌市民会館でHBC交響楽団を指揮して初演
10月9日《ピアノと管絃楽のためのリトミカ・オスティナータ》を金井裕(Pf.)、指揮:上田仁、演奏:東京交響楽団、厚生年金会館で初演

1962年(昭和37年)48才。

1963年(昭和38年)49才。3月24日東映アニメ《わんぱく王子の大蛇退治》のための音楽担当映画が封切り

1964年(昭和39年)50才。7月3日舞台劇音楽《反逆児》を主演:中村錦之助、伊藤大輔:脚色演出、歌舞伎座で上演

1965年(昭和40年)51才。母・キワ(88才)死す

1966年(昭和41年)52才。11月2~3日北海道大学合唱団の創立50周年記念第15回定期演奏会で、合唱曲《知床半島の漁夫の歌 》を初演

1967年(昭和42年)53才。

1968年(昭和43年)54才。現代ギター3月号にギター独奏曲《古代日本旋法による蹈歌》を(1990年に二十絃箏用に編曲)され、2月11日阿部保夫がNHKから放送初演。2月15日フランス国営放送局から放送された
3月30日『管絃楽法』(音楽之友社)上巻増補改訂版と下巻刊行

1969年(昭和44年)55才。2月10日<現代の音楽展′69>で改訂版《リトミカ・オスティナータ》を小林仁(Pf.)、指揮:若杉弘、演奏:読売日本交響楽団で初演
現代ギター4月号にギター独奏曲《箜篌歌》(1989年にハープ独奏曲、1997年〈平成9年〉に二十五絃箏曲に編曲)が発表され、5月27日渡辺範彦が虎ノ門ホールのリサイタルで初演

1970年(昭和45年)56才。3月14日大阪万博のパビリオン<三菱未来館・日本の自然と日本人の夢>の音楽を手がける。現代ギターにギター独奏曲《ギターのためのトッカータ》(1991年〈平成3年〉に二十五絃箏曲に編曲)が発表され阿部保夫が初演

1971年(昭和46年)57才。舞台劇のための初の音楽《反逆児>を手掛ける。
《ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲》を三度目の改訂

1972年(昭和47年)58才。3月30日《日本二十六聖人》(江口隆哉・宮操子振付)、指揮:小林研一郎、演奏:東京交響楽団、日生劇場で上演
11月21日吹奏楽《ブーレスク風ロンド》 佼成吹奏楽団第15回定期演奏会で指揮:手塚幸紀、日比谷公会堂で初演

1973年(昭和48年)59才。10月5日文部省・文化庁委嘱による和楽器合奏曲《郢曲「鬢多々良」(えいきょく・びんたたら)》 虎ノ門ホールにて日本音楽集団により初演

1974年(昭和49年)60才。東京音楽大学作曲科教授就任
この頃、<伊福部昭古弟子会>が芥川也寸志、黛敏郎、奥村一、小杉太一郎、山内正、松村禎三、池野成、今井重幸、原田甫、永冨正之、眞鍋理一郎、三木稔、石井眞木らによって作られた

1975年(昭和50年)61才。3月8日長兄・宗夫(66才)死す

1976年(昭和51年)62才。東京音楽大学学長就任

1977年(昭和52年)63才。代表的な映画音楽を集めたLP『伊福部昭の世界』が東宝レコードから発売
8月から9月アイ夫人とオランダ、イタリア、フランス、イギリス、アメリカに旅行。芥川也寸志指揮の新交響楽団により《交響譚詩》が演奏される

1978年(昭和53年)64才。《ヴァイオリン協奏曲第二番》完成
映画『ゴジラ・サウンドトラック盤』LPが東宝レコードから発売

1979年(昭和54年)65才。3月8、9日《ヴァイオリン協奏曲第二番》の初演に立ち会うためチェコを訪れる。小林武史(Vn.)、指揮:ズデネック・コシューラ、演奏:国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団
9月12日《オーケストラとマリムバのためのラウダ・コンチェルタータ》をマリムバ:安倍圭子、指揮:山田一雄、演奏:新星交響楽団、東京文化会館大ホールで初演
11月18日二十絃箏曲《物云舞(ものいうまい)》を野坂恵子の第8回リサイタル、ABC会館ホールで初演
《シンフォニア・タプカーラ》現在の形に改訂。

1980年(昭和55年)66才。4月6日、芥川也寸志指揮、新交響楽団による<日本の交響作品展4伊福部昭>にて《シンフォニア・タプカーラ》1979年改訂版初演、《ヴァイオリン協奏曲第二番》日本初演
5月13日、山田一雄指揮、新星日本交響楽団によって《日本狂詩曲》戦後初演
リュート独奏曲《バロック・リュートのためのファンタジア》初演
紫綬褒章受章

1981年(昭和56年)67才。キングレコードよりLP『伊福部昭映画音楽大全集』全十枚発売。

1982年(昭和57年)68才。3月24日、二十絃箏:野坂惠子、小林研一郎指揮、東京交響楽団により、二十絃筝協奏曲《二十絃筝とオーケストラのための交響的エグログ》初演
<反核・日本の音楽家たち>よびかけ人66人の中の1人に名を連ねる

1983年(昭和58年)69才。1月、NHKラジオ第一で<わがふるさと 作曲家・伊福部昭>放送
2月10日<協奏四題>開催。8月5日、汐澤安彦指揮、東京交響楽団による「伊福部昭SF特撮映画音楽の夕べ」にて管弦楽曲《SF交響ファンタジー第一番》、《SF交響ファンタジー第二番》、《SF交響ファンタジー第三番》、管弦楽曲倭太鼓とオーケストラのための《ロンド・イン・ブーレスク》(1972年の吹奏楽曲《ブーレスク風ロンド》を編曲したもの)初演。音楽グループ「ヒカシュー」のメンバー(当時)の井上誠によって、トリビュートアルバム《ゴジラ伝説》全3作がリリースされ、若い世代にも伊福部の名前が知られるきっかけとなった

1984年(昭和59年)70才。2月21日、「伊福部昭個展―北日本列島の歌―」で《日本の太鼓「ジャコモコ・ジャンコ」》初演。6月28日、札幌で<伊福部昭の世界>開催。11月18日、テレビ題名のない音楽会で<伊福部昭 人と作品>放送
11月23日、<古稀記念交響コンサート・ギリヤークからゴジラまで >で、《シンフォニア・タブカーラ》、<芥川也寸志、松村禎三、黛敏郎、池野成が編曲した《ギリヤーク族の古き吟誦歌》(管弦楽伴奏版)の初演演奏して祝った

1985年(昭和60年)71才。伊福部は自分の作品について、4月8日の北海道新聞夕刊で「ベルギー人が” 日本にはフランス風とかドイツ風といった作品はあるが、独自のものは見当たらない”といっていました 。私は小さいころのアイヌの人たちとの付き合いの中で、民族が違うと音楽はこんなに違うのかということを肌で知ったわけです。どうせ書くなら個性のある自分のものを書きたいという気持ちは、こうしたところからきているのかもしれません」と書いている
5月23日、東京都・ニューヨーク姉妹都市提携25周年を記念して、カーネギー・ホールで《土俗的三連画》、《アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌》が演奏された
6月8日、vn:小林武史、pf:黒川美方子により《ヴァイオリンソナタ》初演
1951年著『音楽入門』改訂版が現代文化振興会から復刊される
東京音楽大学民俗音楽研究所所長就任
《ヴァイオリンとピアノのためのソナタ》作曲

1986年(昭和61年)72才。《マリンバとウィンド・アンサンブルのためのラウダ・コンチェルタータ》がミシガン大学コンサートバンド、安倍圭子のマリンバによってアメリカで初演

1987年(昭和62年)73才。3月31日東京音楽大学学長・東京音楽大学民俗音楽研究所所長を退任
東京音楽大学名誉教授
5月15日、山田一雄指揮、新星日響の第100回定期演奏会で《舞踊曲「サロメ」》全曲を初演
11月「日中修好10周年記念演奏会」のため芥川也寸志と共に訪中、芥川也寸志指揮、上海交響楽団で《交響譚詩》《シンフォニア・タプカーラ》が演奏される
11月、勲三等瑞宝章受章

1988年(昭和63年)74才。2月27日、<叙勲を祝う会>が催される
3月4日、<藍川由美ソプラノ・リサイタル伊福部昭全歌曲の夕べ>で《合唱頌詩「オホーツクの海」》の独唱用編曲版初演北イタリアのプラトで<マエストロ・アキラ・イフクベへのオマージュ>開催された

1989年(昭和64年=平成元年)75才。4月8日バレエ音楽《人間釈迦》を《交響頌偈「釈迦」》に編曲
簡易保険ホールにおける<釈尊降誕会>において《交響頌偈「釈迦」》が初演。芥川也寸志死去。

1990年(平成2年)76才。1月13日東京都交響楽団による「日本の作曲家シリーズ伊福部昭」が開催
4月19日と20日《箜篌歌――ハープのための――》初演
5月3日、《管絃司伴鞆の音》初演
11月12日野坂惠子により《古代日本旋法に依る蹈歌》二十絃筝用編曲版初演。マリンバ安倍圭子、山田一雄指揮、新星日本交響楽団によりオーケストラとマリンバのための《ラウダ・コンチェルタータ》海外初演。

1991年(平成3年)77才。9月17日<作曲家の個展’91伊福部昭>において井上道義指揮、新日本フィルハーモニー管絃楽団により《管絃楽のための「日本組曲」》初演
《ピアノ組曲》を《二面の二十五絃箏による「日本組曲」》に編曲
11月1日「第13回野坂惠子リサイタル」において野坂と佐藤由香里により《二十五絃箏のためのトッカータ》、《二面の二十五絃箏による「日本組曲」》初演
12月13日、喜寿記念コンサート開催《交響ファンタジー「ゴジラVSキングギドラ」》初演

1992年(平成4年)78才。前年の喜寿記念コンサートの模様を収録した映像ソフト<伊福部昭の自画像>がユーメックスから発売
消失したとされていた《ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲》のパート譜がNHKで発見される
独唱曲《摩周湖》作曲

1993年(平成5年)79才。2月24日、《摩周湖》ピアノ伴奏版初演
5月1日、《摩周湖》ハープ伴奏版初演
6月8日、NHKのほっかいどうスペシャル 交響詩・釧路湿原内で《交響的音画「釧路湿原」》放送初演
二十五絃筝曲《幻哥》作曲

1994年(平成6年)80才。2月4日、二十五絃筝曲《幻哥》初演
10月30日、独唱曲《因幡万葉の歌五首》初演

1995年(平成7年)81才。キングレコードより《兵士の序楽》蘇演を含むCD《伊福部昭の芸術1~4》(KICC175~178)が発売される

1996年(平成8年)82才。長年の独創的創作活動に対し、日本文化デザイン賞・大賞を贈られる

1997年(平成9年)83才。3月11日、二十五絃筝曲《胡哦》二十五絃箏曲《箜篌歌》初演。4月1日、東京音楽大学名誉教授に就任
8月、《ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲》が蘇演録音されて伊福部昭の芸術5(KICC179)に収められる
10月4日札幌で「伊福部昭音楽祭」(札幌交響楽団、札幌コンサートホールKitara。北海道文化放送・北海道新聞社主催)開催され、《ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲が55年ぶりに再演される
黛敏郎死去。10月13日三浦淳史死去

1998年(平成10年)84才。4月1日、東京音楽大学付属民族音楽研究所名誉所長就任
10月14日《絃楽オーケストラのための日本組曲》?初演

1999年(平成11年)85才。2月16日新座市民会館で行われたバンドのための《ゴジラファンタジー》、《ゴジラマーチ》?の録音に立ち会う。11月13日、野坂惠子により二十五絃筝曲《琵琶行》初演

2000年(平成12年)86才。10月28日、<伊福部昭作品による藍川由美リサイタル>において、独唱曲《蒼鷺》、《聖なる泉》初演
12月12日妻・アイ死す

2001年(平成13年)87才。5月19日札幌同人吹奏楽団フェリスタズによって《古典風軍楽「吉志舞」》が初演される。10月20日野坂惠子によって《二十五絃箏甲乙奏合 交響譚詩》初演

2002年(平成14年)88才。5月19日新交響楽団、石井眞木指揮により米寿記念演奏会が紀尾井ホールで開催された。この演奏会は録音されキングレコードより発売される(《伊福部昭 米寿記念演奏会完全ライヴ》KICC377/8)
12月10日野坂惠子により、バレエ曲《サロメ》から一部を抜粋し編曲した《二十五絃筝甲乙奏合 七ツのヴェールの踊り》初演
《フィリピンに贈る祝典序曲》の楽譜発見
《サンタマリア》、《小ロマンス》作曲。

2003年(平成15年)89才。1月15日、チェンバロ独奏曲《サンタマリア》《小ロマンス》初演。1951年の『音楽入門』が全音楽譜出版から復刊される
《フィリピンに贈る祝典序曲》蘇演と1968年のアニメ映画《わんぱく王子の大蛇退治》(芹川有吾監督)の音楽を編曲した《交響組曲 わんぱく王子の大蛇退治》の録音を含む『伊福部昭の芸術6、7』(KING RECORD、KICC439、KICC440)発売。チェンバロ独奏曲《小ロマンス》作曲
石井眞木死去
文化功労賞顕彰される

2004年(平成16年)90才。2月1日<伊福部昭・文化功労者顕彰お祝いコンサート>開催された
2月28・29日徳島県北島町の創世ホールで野坂惠子等による演奏会をはじめ、講演会、企画展示、上映から成る<伊福部昭先生◎卒寿記念祭>が開催された
5月16日《日本狂詩曲》ピアノ独奏版《ピアノと管絃楽のためのリトミカ・オスティナータ》2台ピアノ版が初演
5月31日本名徹次指揮、日本フィルハーモニー管弦楽団により<伊福部昭 卆寿を祝うバースデイ・コンサート>がサントリーホールで開催された。この演奏会はライヴ録音され、『伊福部昭の芸術8』(KING RECORD KICC469-70)として発売される
11月22日、1948年のバレエ曲《サロメ》から一部を抜粋・編曲した二十五絃筝甲乙奏合《ヨカナーンの首級を得て、乱れるサロメ》初演

2005年(平成17年)91才。「音楽・九条の会」呼びかけ人37人の1人に名を連ねる
11月幼少期を過ごした北海道音更町で<伊福部昭音楽祭 in 音更>(札幌交響楽団、高関健指揮)開催され《管弦楽のための日本組曲》、《リトミカ・オスティナータ》(ピアノ:川上敦子)、《シンフォニア・タプカーラ》などが演奏される
体調を崩し始める

2006年(平成18年)
1月19日に腸閉塞のため東京都目黒区の病院に入院
1月26日大阪市いずみホールでの「音楽・九条の会」コンサートで《SF交響ファンタジー第一番》が演奏される
2月8日午後10時23分、多臓器不全のため東京都目黒区の病院で死去した(享年91才)死因は直腸癌とも多臓器不全とも書かれ、メディアによって違う
葬儀委員長は松村禎三(東京芸術大名誉教授)
従四位に列せられ、陛下より銀杯一組を賜る
第48回日本レコード大賞特別功労賞
遺作は2004年(平成16年)初演の二十五絃箏甲乙奏合《ヨカナーンの首級を得て、乱れるサロメ (バレエ・サロメに依る)》となった

2007年(平成19年)第30回日本アカデミー賞会長特別賞

<家族>
祖父:伊福部 信世 宇部野村で没
祖母:伊福部 寿々 北海道で没

父:伊福部 利三(83才)世田谷区奥沢で歿
母:伊福部 キワ(88才)世田谷区玉川尾山町(現尾山台)で歿
子:長姉 伊福部 佐世子4月24日歿
子:次姉 伊福部 喜久世
子:三姉 伊福部 勝子
子:四姉 伊福部 富貴子(夭逝)
子:長兄 伊福部 宗夫 /北海道庁土木試験所所長/北海学園大学教授
子:次兄 伊福部 勲 / 夜光塗料の研究に従事し、昭和17年に放射線障害で30才で歿。伊福部の代表作のひとつ「交響譚詩」は次兄追悼のために書かれた
子:四男 伊福部 昭

伊福部 昭の家族
妻:アイ(勇崎)は1918年(大正7年)8月16日札幌に生まれた。父は富山県出身で札幌で青果商・勇崎恒次郎商店を商っていた。母・かの兄弟は男3人、女3人の末娘の家庭に育った。庁立札幌高等女学校を卒業後、父・恒次郎と上京し舞踊家・江口隆哉・宮操子夫妻の門下となり舞踊を学んだ。1937年舞台デビューを果たす。1940年3年間研鑽し東京から札幌市に戻り、南十五条西七丁目に「勇崎愛子舞踊研究所」を創設した
長女:玲子 / 陶芸家
二女:姜子
長男:極

3.主な作品

<管弦楽曲>
日本狂詩曲 (1935年、ピアノ独奏版あり) 
土俗的三連画 (1937年、14人の独奏者からなる室内オーケストラのための曲)
交響舞曲「越天楽」 (1940年)
ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲1941年、1997年にNHKの資料庫で発見され蘇演)
交響譚詩 (1943年) you tube
フィリピンに贈る祝典序曲 (1944年、2台のピアノとオーケストラのための曲。初演時のタイトルは『フィリッピン國民に贈る管絃樂序曲』。2005年に卆寿演奏会で蘇演)
兵士の序楽 (1944年、1997年に蘇演)
管絃楽のための音詩「寒帯林」 (1944年。楽譜は中国で発見されているが、現在のところ蘇演されていない。)
ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲(ヴァイオリン協奏曲第1番) (1948年 / 1951年 / 1971年、ヴァイオリン+ピアノ版あり)
シンフォニア・タプカーラ (1954年 / 1979年) you tube(Ⅲ)
ピアノと管絃楽のためのリトミカ・オスティナータ (1961年、2台ピアノ版あり)
オーケストラとマリムバのためのラウダ・コンチェルタータ (1976年)
ヴァイオリン協奏曲第2番 (1978年、ヴァイオリン+ピアノ版あり)
二十絃箏とオーケストラのための交響的エグログ (1982年)
SF交響ファンタジー第1番~第3番 (各1983年)
倭太鼓とオーケストラのためのロンド・イン・ブーレスク (1983年、吹奏楽版から編曲)
日本の太鼓「ジャコモコ・ジャンコ」(1984年、1951年のバレエ『日本の太鼓「ジャコモコ・ジャンコ」』のための音楽を演奏会用に改作)
舞踊曲「サロメ」 (1987年、1948年のバレエ『サロメ』用音楽を演奏会用に改作)
交響頌偈「釈迦」 (1989年、合唱と管弦楽のための作品。バレエ音楽「人間釈迦」の改作)
管絃楽司伴「鞆の音」 (1990年、和楽器合奏と管弦楽のための作品)
管絃楽のための「日本組曲」 (1991年、1933年の『ピアノ組曲』の管絃楽編曲)
交響ファンタジー「ゴジラvsキングギドラ」(1991年)
交響的音画「釧路湿原」 (1993年、NHK制作の映像付き交響詩)
絃楽オーケストラのための「日本組曲」 (1998年、1933年の『ピアノ組曲』の編曲)
交響組曲「わんぱく王子の大蛇(おろち)退治」2003年、1963年東映アニメ映画のための音楽を演奏会用に纏める)

<吹奏楽曲>
古典風軍樂「吉志舞(きしまい)」 (1943年)
ブーレスク風ロンド (1972年)

<器楽曲>
JIN(1932年、ギター曲)
ノクチュルヌ(1932年、ギター曲)
ピアノ組曲 (1933年)
ヴァイオリンとピアノのための二つの性格舞曲(1956年)
古代日本旋法による蹈歌(とうか) (1967年、ギター曲、二十絃箏でも演奏可)
箜篌歌(くごか) (1967年、ギター曲、ハープ版・二十五絃箏版あり)
ギターのためのトッカータ (1970年、二十五絃箏版あり)
郢曲「鬢多々良」(えいきょく・びんたたら) (1973年、和楽器合奏曲)
物云舞(ものいうまい) (1979年、二十絃箏曲)
バロック・リュートのためのファンタジア (1980年、二十五絃箏版あり)
ヴァイオリンとピアノのためのソナタ (1985年)
胡哦(こが) (1997年、二十五絃箏曲)
二面の二十五絃箏による「日本組曲」 (1991年、1933年の『ピアノ組曲』の編曲)
琵琶行(びわこう) (1999年、二十五絃箏曲。「白居易ノ興ニ效フ」の副題が付く)
二十五絃箏甲乙奏合「交響譚詩」(2001、管弦楽の編曲版)
小ロマンス(2002年、チェンバロ曲)
サンタマリア(2002年、チェンバロ曲)

<歌曲>
ギリヤーク族の古き吟誦歌(1946年)
サハリン島先住民の三つの揺籃歌(1949年、初演時のタイトルは『サハリン島土蛮の三つの揺籃歌』)
アイヌの叙事詩による対話体牧歌(1956年、独奏ティンパニの伴奏)
合唱頌詩「オホーツクの海」 (1958年、1988年の四人編成版あり)
知床半島の漁夫の歌 (1960年)
摩周湖 (1992年、ヴィオラとハープ、もしくはヴィオラとピアノの伴奏)
因幡万葉の歌五首 (1994年、アルトフルートと二十五絃箏の伴奏)
蒼鷺(あおさぎ) (2000年、オーボエ・コントラバス・ピアノの伴奏)
聖なる泉 (2000年、ファゴット・ヴィオラ・ハープの伴奏。映画『モスラ対ゴジラ』の音楽の編曲)

<舞台音楽>
バレエ音楽「イゴザイダー」 (1947年)
バレエ音楽「さまよえる群像」 (1948年)
バレエ音楽「サロメ」 (1948年)
バレエ音楽「憑かれたる城(バスカーナ)」 (1949年)
バレエ音楽「プロメテの火」 (1950年)
バレエ音楽「日本の太鼓 ジャコモコ・ジャンコ」 (1951年)
バレエ音楽「人間釈迦」 (1953年)
劇音楽「反逆児」 (1971年)
バレエ音楽「日本二十六聖人」 (1972年)

<映画、放送以外の音楽>
影絵劇『せむしの子馬』劇伴音楽(1953年(昭和28年)初演)
藤城清治主宰の木馬座による影絵劇。初演は生演奏。再演時は録音も使用された。
大阪万国博覧会、三菱未来館「日本の自然と日本人の未来」(1970年(昭和45年))
『ゴジラ対ヘドラ』予告編や『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』の劇伴音楽に流用された。
沖縄国際海洋博覧会、三菱海洋未来館、「海へのいざない」(1975年(昭和50年))
新歌舞伎『反逆児』劇伴音楽、伊藤大輔演出、中村錦之助(後に萬屋錦之介)主演(1964年(昭和39年)初演)
新歌舞伎『座頭市物語』劇伴音楽、猿若清方/奥村利夫演出、勝新太郎主演(1972年(昭和47年)初演)
新歌舞伎『座頭市喧嘩ばやし』劇伴音楽、猿若清方/奥村利夫 演出、勝新太郎主演(1972年(昭和47年))
新歌舞伎『織田信長』劇伴音楽、伊藤大輔 演出、中村錦之助 主演(1966年(昭和41年))
新歌舞伎『織田信長本能寺の変』劇伴音楽、伊藤大輔 演出、中村錦之助 主演(1967年(昭和42年))
新歌舞伎『柳 三十三間堂の由来』劇伴音楽、伊藤大輔 演出、坂東蓑助主演(1968年(昭和43年))
新歌舞伎『最後の将軍 徳川慶喜』劇伴音楽、伊藤大輔 演出、中村錦之助 主演(1969年(昭和44年))
新歌舞伎『任侠木曾街道中乗り新三』劇伴音楽、伊藤大輔 演出、中村賀津雄主演(1975年(昭和50年))
新歌舞伎『新雪 南部坂』劇伴音楽、伊藤大輔 演出、萬屋錦之介 主演(1976年(昭和51年))
新歌舞伎『若親分』劇伴音楽、郷田悳演出、市川雷蔵主演(1976年(昭和51年))

<映画音楽>
映画音楽[編集]
銀嶺の果て (1947年)
幸福への招待 (1947年)
第二の人生 (1948年)
黒馬の団七 (1948年)
颱風圏の女 (1948年)
生きている画像 (1948年)
社長と女店員 (1948年)
刑事と女看守 (1949年)
静かなる決闘 (1949年)
斬られの仙太 (1949年)
美しき罰 (1949年)
深夜の告白 (1949年)
ジャコ萬と鉄 (1949年)
恋狼火 (1949年)
育ちゆく村(短編) (1949年)
くちびるに歌を持て(短編) (1949年)
俺は用心棒 (1950年)
魔の黄金 (1950年)
戦慄 (1950年)
遙なり母の国 (1950年)
乙女の性典 (1950年)
怒りの街 (1950年)
白い野獣 (1950年)
日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声 (1950年)
てんやわんや (1950年)
午前零時の出獄 (1950年)
戦火の果て (1950年)
軍艦すでに煙なし (1950年)
レ・ミゼラブル あゝ無情 (1950年)
愛と憎しみの彼方へ (1951年)
偽れる盛装 (1951年)
阿修羅判官 (1951年)
風にそよぐ葦(後篇) (1951年)
無国籍者 (1951年)
自由学校 (1951年)
誰が私を裁くのか (1951年)
限りなき情熱 (1951年)
盗まれた恋 (1951年)
この旗に誓う (1951年)
源氏物語 (1951年)
真説石川五右衛門 (1951年)
曠野の戦い (1952年)
最後の顔役 (1952年)
雪崩 (1952年)
西陣の姉妹 (1952年)
死の街を逃れて (1952年)
振袖狂女 (1952年)
原爆の子 (1952年)
暴力 (1952年)
続・馬喰一代 (1952年)
激流 (1952年)
千羽鶴 (1953年)
村八分 (1953年)
縮図 (1953年)
混血児 (1953年)
愛情について (1953年)
欲望 (1953年)
アナタハン (1953年)
玄海の鰐 (1953年)
白魚[61] (1953年)
蟹工船 (1953年)
夜明け前 (1953年)
魅せられたる魂 (1953年)
無法者 (1953年)
女の一生 (1953年)
ひろしま (1953年)
セロ弾きのゴーシュ (1953年)
生れかわる客車 (1953年)
お菊と播磨 (1954年)
足摺岬 (1954年)
春琴物語 (1954年)
どぶ (1954年)
緑の仲間 (1954年)
人生劇場 望郷篇 三州吉良港 (1954年)
泥だらけの青春 (1954年)
若い人たち (1954年)
春の渦巻 (1954年)
つばめを動かす人たち (1954年)
蛍の光 (1955年)
明治一代女 (1955年)
火の驀走 (1955年)
泉へのみち (1955年)
銀座の女 (1955年)
東京暴力団 (1955年)
女中ッ子 (1955年)
狼 (1955年)
三つの顔 (1955年)
王将一代 (1955年)
美女と怪龍 (1955年)
誘拐魔 (1955年)
ブルーバ (1955年)
続・警察日記 (1955年)
弾痕街 (1955年)
薔薇の紘道館 (1956年)
ビルマの竪琴(第一部・第二部) (1956年)
黒帯三国志 (1956年)
銀心中 (1956年)
神坂四郎の犯罪 (1956年)
真昼の暗黒 (1956年)
流離の岸 (1956年)
鬼火 (1956年)
青春の音 (1956年)
好人物の夫婦 (1956年)
惚れるな弥ン八 (1956年)
霧の音 (1956年)
女優 (1956年)
大阪物語 (1957年)
柳生武芸帳 (1957年)
憎いもの (1957年)
地獄花 (1957年)
殺したのは誰だ (1957年)
海の野郎ども (1957年)
最後の脱走 (1957年)
爆音と大地 (1957年)
下町 (1957年)
地上 (1957年)
柳生武芸帳 双龍秘剱 (1958年)
悲しみは女だけに (1958年)
二人だけの橋 (1958年)
氷壁 (1958年)
夜の鼓 (1958年)
福沢諭吉の少年時代 (1958年)
季節風の彼方に (1958年)
暗黒街の顔役(1959年)
コタンの口笛 (1959年)
女と海賊 (1959年)
或る剣豪の生涯 (1959年)
その壁を砕け (1959年)
殺されたスチュワーデス 白か黒か (1959年)
親鸞 (1960年)
疵千両 (1960年)
続 親鸞 (1960年)
炎の城 (1960年)
忠直卿行状記 (1960年)
宮本武蔵 (東映版、1961年)
反逆児 (1961年)
二人の息子 (1961年)
雪にいどむ (1961年)
座頭市シリーズ (1962年 – 1973年)
座頭市物語 (1962年)
新・座頭市物語 (1963年)
座頭市兇状旅 (1963年)
座頭市喧嘩旅 (1963年)
座頭市血笑旅 (1964年)
座頭市二段斬り (1965年)
座頭市地獄旅 (1965年)
座頭市の歌が聞こえる (1966年)
座頭市血煙り街道 (1967年)
座頭市と用心棒 (1970年)
新座頭市物語・笠間の血祭り (1973年)
婦系図 (1962年)
ちいさこべ (1962年)
鯨神 (1962年)
秦・始皇帝 (1962年)
忠臣蔵 花の巻・雪の巻 (東宝版、1962年)
王将 (1962年)
わんぱく王子の大蛇退治 (1963年)
この首一万石 (1963年)
手討 (1963年)
妖僧 (1963年)
十三人の刺客 (1963年)
帝銀事件 死刑囚 (1964年)
忍びの者・霧隠才蔵 (1964年)
渚を駈ける女 (1964年)
駿河遊狹伝・破れ鉄火 (1964年)
乞食大将 (1964年)
妲己(中国語版) (1964年)
徳川家康(1965年)
日本列島 (1965年)
無法松の一生 (1965年)
眠狂四郎多情剣 (1966年)
大殺陣・雄呂血 (1966年)
一万三千人の容疑者 (1966年)
眠狂四郎無頼剣 (1966年)
十一人の侍 (1967年)
怪談雪女郎 (1968年)
河内フーテン族 (1968年)
若者よ挑戦せよ (1968年)
超高層のあけぼの (1969年)
鬼の棲む館 (1969年)
商魂一代・天下の暴れん坊 (1970年)
人間革命 (1973年)
狼よ落日を斬れ 風雪篇・激情篇・怒濤篇 (1974年)
サンダカン八番娼館 望郷 (1974年)
扉はひらかれた (1975年)
お吟さま (1978年)
土俗の乱声 (1991年)

特撮映画
ゴジラシリーズ
ゴジラ (1954年)
キングコング対ゴジラ (1962年)
モスラ対ゴジラ (1964年)
三大怪獣 地球最大の決戦 (1964年)
怪獣大戦争 (1965年)
怪獣総進撃 (1968年)
地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン(1972年)
メカゴジラの逆襲 (1975年)
ゴジラvsキングギドラ (1991年)
ゴジラvsモスラ (1992年)
ゴジラvsメカゴジラ (1993年)
ゴジラvsデストロイア (1995年)
その他
虹男 (1949年)
空の大怪獣ラドン (1956年)
地球防衛軍 (1957年)
大怪獣バラン (1958年)
日本誕生 (1959年)
宇宙大戦争 (1959年)
大坂城物語 (1961年)
妖星ゴラス(1962年 ※予告編のみ、本編は石井歓が担当)
釈迦 (大映作品、1963年)
海底軍艦 (1963年)
宇宙大怪獣ドゴラ (1964年)
フランケンシュタイン対地底怪獣 (1965年)
フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ (1966年)
奇巌城の冒険 (1966年)
大魔神 (1966年)
大魔神怒る (1966年)
大魔神逆襲 (1966年)
キングコングの逆襲 (1967年)
緯度0大作戦 (1969年)
ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣 (1970年)
放送のための音楽
ラジオ
ヌタック・カムシュペ(1953年(昭和28年)11月30日・HBCラジオ)
夜の笛(1954年・HBCラジオ)
人工衛星の恋(1955年(昭和30年)・HBCラジオ)
コタン・コル・カムイの嘆き(1956年・HBCラジオ)
ウポポ(1952年(昭和27年) – 2002年(平成14年)・HBCラジオ)※ジャンクション音源
テレビ
テレビ劇場 争わぬ男(1955年2月5日・NHK)
密林を越えて(1958年〈昭和33年〉10月24日・NHK)
密漁の浜(1960年〈昭和35年〉3月22日・NHK)
日本風土記 網走(1961年〈昭和36年〉2月17日・NHK)
こどものためのドラマ 蒼い芽(1962年〈昭和37年〉・NHK)
交響的音画 釧路湿原(1993年〈平成5年〉5月30日・NHK)

<その他>

帯広市市歌(1952年〈昭和27年〉3月31日制定)詞:外山雅一
音更町町歌(1970年〈昭和45年〉9月18日制定)詞:三村洋
池田町町歌 詞:清原千晴
校歌(小学校・中学校・高校・大学)
札幌市立琴似小学校校歌
釧路市立湖畔小学校校歌(湖畔國民学校校歌)詞:風巻景次郎
釧路市立美原小学校校歌 詞:更科源蔵
鵡川小学校校歌 詞:更科源蔵
福島市立平野小学校校歌 詞:清水延晴
山梨県韮崎市立韮崎北西小学校校歌 詞:小池藤五郎
世田谷区立玉堤小学校校歌 詞:阿部ナヲ(原作)/長田美雄(補作)
北海道名寄市立名寄東中学校校歌 詞:入江好之
札幌市立向陵中学校校歌 詞:飯田広太郎
那智勝浦町立宇久井中学校校歌 詞:瀧川貞蔵
北海道立阿寒高等学校校歌 詞:柏倉俊三
札幌創成高等学校校歌 詞:清水武
北海道立新得高等学校校歌 詞:阿部戸一
名寄女子短期大学校歌 詞:小池栄寿
その他の団体(社歌・組合歌)
北海道讃歌 詞:森みつ
大洋紡績株式会社社歌 詞:佐藤勇介
全開発の歌 詞:沢谷純一

<著書>
「音楽入門」1951年 要書房
「音楽入門」(改訂版)1985年 現代文化振興会
「音楽入門」(新装版)2003年 全音楽譜出版社
「管絃楽法」1953年 音楽之友社
「管絃楽法 上巻`68増補版」1968年 音楽之友社
「管絃楽法 下巻」1968年 音楽之友社

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4.関連動画

歌曲《ギリヤーク族の古き吟唱歌》前半/ 伊福部昭:詩  根岸一郎(Br.)
1番《アイアイゴムテイラ》
2番《苔桃の果拾ふ女の歌》
根岸一郎(Br.) / 徳田絵里子(Pf.)
2010年11月6日(土)、早稲田奉仕園スコットホールでの第12回「トロッタの会」より 

歌曲《ギリヤーク族の古き吟唱歌》後半/ 伊福部昭:詩  根岸一郎(Br.)
3番≪彼方(あなた)の河び≫
4番≪熊祭に行く人を送る歌≫
根岸一郎(Br.) / 徳田絵里子(Pf.)
2010年11月6日(土)、早稲田奉仕園スコットホールでの第12回「トロッタの会」より

歌曲《『知床半島の漁夫の歌》/ 更科源蔵:詩  根岸一郎(Br.)
根岸一郎(Br.) / 並木桂子(Pf.)
2009年12月5日(土)、新宿ハーモニックホールでの第10回「トロッタの会」より

歌曲《オホーツクの海》《摩周湖の歌》 / 更科源蔵:詩  根岸一郎(Br.)
<更科源藏生誕110年 伊福部昭生誕100年記念>
「トロッタ・アンサンブル演奏会」
根岸一郎(Br.) / 岡田志保(Fg.) / 中村杏葉(Cb.) / 河内春香(Pf.)
2014.9.28 於;弟子屈町・更科源藏文学資料館

歌曲《摩周湖(前半)》 / 更科源蔵:詩   根岸一郎(Br.)
根岸一郎(Br.) / 仁科拓也(Vla.) / 並木桂子(Pf.)
2010年3月5日(金)、スタジオヴィルトゥオージでの第11回「トロッタの会」より

歌曲《摩周湖(後半)》 / 更科源蔵:詩   根岸一郎(Br.)
根岸一郎(Br.) / 仁科拓也(Vla.) / 並木桂子(Pf.)
2010年3月5日(金)、スタジオヴィルトゥオージでの第11回「トロッタの会」より

歌曲《蒼鷺》 / 更科源蔵:詩   根岸一郎(Br.)
根岸一郎(Br.) / 三浦 舞(Ob.) / コントラバス丹野敏広(Cb.) / 徳田絵里子(Pf.)
2011年11月13日(日)、早稲田奉仕園スコットホールでの第14回「トロッタの会」より

《管絃楽版:ギリヤーク族の古き吟誦歌》
A.Ifukube Ancient Minstrelsies of Gilyak Tribes (1946/1984)
<伊福部昭米寿記念演奏会> 2002年5月19日 紀尾井ホール Live 
ソプラノ:宇佐美瑠璃
指揮:石井真木 / 演奏:新交響楽団 
1.ai ai gomteira(芥川也寸志 編曲)
2.苔桃の果拾う女の歌(松村禎三 編曲)
3.彼方の河び(黛敏郎 編曲)
4.熊祭に行く人を送る歌(池野成 編曲)

合唱頌詩《オホーツクの海》A.Ifukube “Sea of Okhotsk” (1958)
詩:更科源蔵
指揮:手塚幸紀 / 演奏:東京交響楽団
合唱:東京音大 / 東京家政大学フラウエンコール / 共立女子大学合唱団 / 明治大学グリークラブ
1984年のライヴ録音

管絃司伴《鞆の音》 1990年初演録音
指揮:佐藤功太郎 / 演奏:東京交響楽団 山岡流萩岡派
管絃司伴とは「オーケストラ伴奏」というほどの意味

《オーケストラとマリムバのためのラウダ・コンチェルタータ》(1976年)
マリンバ:安倍圭子
指揮:山田一雄 / 演奏:新星日本交響楽団
1990年6月6日 ベルリン・シャウシュピールハウスにてのライヴ録音
A.Ifukube Lauda Concertata for Marimba and Orchestra (1979)
K.Yamada / Shinsei Nihon Symphony Orchestra K.Abe Marimba 1990 June.6 Berlin Shauspielhaus Live

《二十絃箏とオーケストラのための交響的エグログ》
<伊福部昭 協奏三題 伊福部昭の世界2>より
井上 道義指揮 / 東京交響楽団

:交響頌偈《釈迦》
指揮:小松一彦 / 演奏:東京交響楽団
合唱:東京オラトリオ研究会 大正大学音楽部混声合唱団
1989年4月8日初演

交響頌偈《釈迦》
<伊福部 昭 音楽祭1997 >
A.Ifukube Symphonic Ode Gotama The Buddha -in Pali language- (1989)
指揮:田中良 / 演奏:札幌交響楽団
合唱:さっぽろ旭山音楽祭合唱団と市民参加による合唱団

《交響譚詩》
<伊福部 昭 音楽祭1997 交響楽の世界>
指揮:田中良和 / 演奏:札幌交響楽団 / 舘野泉(Pf.)
合唱:さっぽろ旭山音楽祭合唱団と市民参加による合唱団

日本の太鼓《ジャコモコ・ジャンコ》 1984年のライヴ録音
指揮:手塚幸紀 / 演奏:東京交響楽団

《シンフォニア・タプカーラ》
高関 健/東京フィルハーモニー交響楽団

《ヴァイオリン・ソナタ》 (1985)
小林武史(Vn.) / 梅村祐子(Pf.)

《ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲》 (1971年改訂第3版(最終版))
井上道義 / 東京交響楽団
小林武史(Vn.)
Takeshi Kobayashi, violin
Michiyoshi Inoue, conducting / Tokyo Symphony Orchestra
Recorded: 1983 Live
井上道義 / 東京交響楽団

打楽器とピアノのための《協奏風狂詩曲 第一楽章》 / 今井重幸 編曲
ヴァイオリン戸塚ふみ代(Vn.) / 目等貴士(Perc.) / 徳田絵里子(Pf.)
2011年5月13日(日)、早稲田奉仕園スコットホールでの第13回「トロッタの会」より

《リトミカ・オスティナータ》 (1961)Ritmica Ostinata per Pianoforte ed Orchestra
小林仁(Pf.)
指揮:若杉弘 / 演奏:読売日本交響楽団
録音:1971年1月

2014年4月26日放送 片山杜秀「クラシックの迷宮」より
– 前橋汀子が弾く伊福部昭
2014年4月26日放送 片山杜秀「クラシックの迷宮」より

《協奏風交響曲》/
<伊福部昭音楽祭1997>
指揮:田中良和 / 演奏:札幌交響楽団


高関 健/東京フィルハーモニー交響楽団

1990.12.7 Live
指揮:山田一雄 / 演奏:新星日本交響楽団
A.IFUKUBE Japanese Rhapsody(1935) 1990.12.7 Live
Kazuo Yamada / Shinsei Nihon Symphony Orchestra

絃楽のための《日本組曲》
1.盆踊
2.七夕
3.演伶
4.佞武多
指揮:本名徹次 / 演奏:芥川也寸志メモリアルオーケストラ・ニッポニカ

《二面の二十五絃箏による日本組曲》
演奏:野坂恵子、佐藤由香里(二十五絃箏)
1.盆踊
2.七夕
3.演伶
4.佞武多

《吉志舞》Kishi Mai
From SYMPHONIC FURY! The Music of Japanese Monsters.
Arrangement and Conducted by John DeSentis
July 10, 2015 at The Pickwick Theater, Park Ridge, IL.

《倭太鼓と吹奏楽の為のブーレスク風ロンド》
<Amuse Wind Orchestra 第15回定期演奏会>
指揮:寺島康朗 / Amuse Wind Orchestra /

1.《北海道讃歌》詩:森 みつ
2.《ハッピーバースデイ イフクベ・アキラ》
<伊福部昭幣舞生誕百年記念祭コンサート> 指揮:石丸基司
菊池 江(S.)、田村昌恵(A.)、助演:石田夏紀(S.)、助演:竹高明紀子(A.)
釧路市民吹奏楽団、白糠吹奏楽団、百合の花合唱団、釧路男声合唱団、釧路江南高等学校蝦夷太鼓部
釧路市生涯学習センター「まなぼっと幣舞」大ホール 2014.05.31

《ロンド・イン・ブーレスク》
<東部方面隊創立53周年記念行事>
演奏: 陸上自衛隊 東部方面音楽隊, 第1音楽隊, 第12音楽隊
平成24年10月28日 陸上自衛隊朝霞訓練場

《SF交響ファンタジー第1番》 
Akira IFUKUBE SYMPHONIC FANTASIA No 1
指揮:遠藤浩史/管弦楽:六甲フィルハーモニー管弦楽団

《SF交響ファンタジー第1番》
SF Symphonic Fantasia No.1
From SYMPHONIC FURY! The Music of Japanese Monsters (2015)
Conducted by John DeSentis
Performed July 10, 2015 at The Pickwick Theater, Park Ridge, IL.

《SF交響ファンタジー第2番》
SF Symphonic Fantasia No.2
From SYMPHONIC FURY! The Music of Japanese Monsters.
Conducted by John DeSentis
July 10, 2015, The Pickwick Theater, Park Ridge, IL.

《SF交響ファンタジー第3番》
SF Symphonic Fantasia No.3
From SYMPHONIC FURY! The Music of Japanese Monsters.
Conducted by John DeSentis
July 10, 2015. The Pickwick Theater, Park Ridge, IL.

影絵劇「せむしの子馬」藤城清治影絵劇場(1~51場)
未発表映画音楽集

《サンタ・マリア》

古代日本旋法に依る蹈歌(ギター独奏)
阿部保夫(ギター・ソロ)

《Zapping Godzilla(シン・ゴジラ/伊福部昭メドレー)》
第8回ジョイントコンサート(2016)より<Video>
作曲:伊福部昭、鷺巣詩郎 / 編曲:YH-Project
演奏:國學院大學ギターアンサンブル(ジョイント合同演奏)
会場:國學院大學百周年記念講堂

《Gojira (Godzilla)》 1954 Soundtrack
0:00 – 1) Opening
0:20 – 2) Eiko-maru Sinking
1:28 – 3) Bingo-maru Sinking
1:52 – 4) Uneasiness On Odo Island
2:42 – 5) Ritual Music On Odo Island
4:02 – 6) Storm On Odo Island
5:55 – 7) Frigate March I
6:36 – 8) Odo Island Theme
7:09 – 9) Godzilla Appears on Odo Island
8:02 – 10) Horror in the Water Tank
8:42 – 11) Attack Godzilla
10:08 – 12) Godzilla Comes Ashore
12:02 – 13) Godzilla’s Rampage
14:29 – 14) Deadly Broadcast
15:41 – 15) Godzilla goes to Tokyo Bay
17:09 – 16) Repel Godzilla
18:46 – 17) Devestated Tokyo
21:04 – 18) Oxygen Destroyer
24:19 – 19) Prayer for Peace
27:23 – 20) Frigate March II
27:43 – 21) Godzilla Under The Sea
34:05 – 22) Ending

《Gojira》 1954 Main Theme

《ゴジラ》 (1954)

吹奏楽のための《ゴジラ》- 1.Fantasy
東京音楽大学 / 汐澤安彦 2006.7.13

伊福部昭百年紀Vol.3アンコール《キングコング対ゴジラ》より(1周年記念UP!)
指揮:齊藤一郎 / 演奏:オーケストラ・トリプティーク
合唱:伊福部昭百年紀合唱団 / エレクトーン:菊地夕夏 / ピアノ:小形さくら、林繭

《トリビュート その1 ゴジラ上陸~ゴジラ復活す~ゴジラ登場 / シン・ゴジラ対エヴァンゲリオン交響楽》

《三菱未来館・日本の自然と日本人の夢》A.Ifukube MITUBISHI MIRAIKAN for Expo’70 (1970)
1.日本の四季 
2.嵐 
3.火山 
4.空(宇宙)
5.晴れた空 
6.深海 
7.海 
8.レジャーランド 
9.レジャーランド 
10.陸のプロローグ 
11.陸

《地球防衛軍》 (1957)

《大怪獣バラン》 (1958)

《宇宙大戦争》 (1959)

《キングコング対ゴジラ》 (1962)

《海底軍艦》 (1963)

《三大怪獣 地球最大の決戦》 (1964)

《怪獣大戦争》 (1965)

《怪獣総進撃》 (1968)

《Sleeping Kong》

5.古代伊福部氏の概要


1.伊福部の名
栗田寛『新撰姓氏録考証』によると、伊は単なる接頭辞であり伊福部は吹部の意味として、笛吹を掌る職業的品部とする説。太田亮『姓氏家系大辞典』によると、第12代・景行天皇(在位西暦71~130年)皇子の五百城入彦皇子(いおきのいりひこのみこ、いほきのいりひこのみこ)の御名代部(※注1.)とする説などがある
第20代 / 伊福部若子臣は、第19代・允恭天皇(在位西暦412~453年)の頃の人物で、天皇から「気吹部臣」を賜り伊福部臣と称したと[因幡国伊福部臣古志」には記されている。等々の説がある
※注1.「御名代部ミナシロベなど称するものは、宮廷において、新村落を分立した場合の称号であつた。」
※注2.伊福部、五百木部、廬城部、伊福吉部とも表記(いおきべ / いふくべ / いふきべ)は、古代日本の職業部。あるいは名代(注※3.)の民
※注3.「名代(なしろ)は、古墳時代の部民制における集団のひとつ。一定の役割をもってヤマト王権に奉仕することを義務づけられた大王直属の集団である。より丁寧に御名代(みなしろ)とも呼ばれることがある

2.祖先
第14代 / 武牟口命(タケムクチノミコト)=武内宿禰が、伊福部氏の直接の祖先と言われている。武牟口命は、日本武尊を奉じて征西の途中、稲葉蝦住山の荒海という賊を征伐するために因幡に入国したと『因幡国伊福部臣古志』には記されている。日本武尊は第12代・景行天皇(在位西暦71~130年)の皇子で第14代・仲哀天皇(在位西暦192~200年)の父にあたる

3.本拠地
祖先である 第26代 / 都牟自臣は、第36代・孝徳天皇(在位西暦645~654年)西暦646年に因幡国で唯一の評として水依(みずより・みずえの)評が立評され、評督という長官に任ぜられた。次いで第37代・斉明天皇4年(658年)に水依評を分割して高草評(高草郡)が新設されたとある。別の史料からは、第40代・天武天皇12年(683年)までに水依評の残った部分が二分割され、法美評(法美郡)と邑美評(邑美郡)となり、さらに8世紀に「評」が「郡」に改められたことが伝えられている。法美評は伊福部吉氏の宗家が支配し、邑美評は分家が支配するようになった。法美評督には大乙上の冠位、邑美評督にはそれより位が低い小乙中が授与されており、法美郡が因幡国の中心地に位置づけられていたことが推定される。因幡國宇部神社は国府の近くにあり、法美郡と邑美郡の中間辺りにあった

4.史料
『国造本紀』によれば成務天皇(在位西暦131~190年)の御世に彦坐王の子・彦多都彦命が初めて国造に任じられたというが、実際の因幡氏の祖先は大和政権の勢力が因幡に及ぶ以前から、この地を治めていた有力な在地首長の一族であったと考えられている
因幡氏は高草郡と八上郡に本拠地を有していたとされ、大国主命の伝説に登場する八上姫はこの国造一族とされ、宇倍神社の神主となった伊福部氏はこの一族から分かれた支流であることが分っている
『新撰姓氏録考証』に中央の伊福部連(宿禰)は物部氏と同系の尾張連と同祖の伝承を示してい
『因幡国伊福部臣古志』に7世紀の中頃の因幡国に、初めて律令制国の下位統治機構である評が設けられたという記述があり、古代日本の行政区域に関する重要な史料と位置づけられている
法美郡の国府町には第42代・文武天皇(在位:697年-707年)の采女である伊福吉部徳足比売の墓跡があり、国の史跡に指定されている。ここから発見された墓誌には「和銅3年」(710年)の銘があり、これが法美郡の名称が登場する最古の史料といわれている 
※注法美郡は1896年(明治29年)に近隣の郡と合併して岩美郡となった
伝西暦784年/延暦3年に散位従六位下・伊福部臣冨成という人物が撰述した伊福部家に伝わる『因幡国伊福部臣古志』の系図には、大己貴神を以て、始祖と為すとある。大己貴神を始祖としたことについて『日本書紀』を見ればわかるのでそのようにしたと述べている。大己貴神は別名、大穴牟遅神、国作大己貴命、八千矛神、葦原醜男、大物主神、宇都志国玉神、大国魂神、伊和大神、所造天下大神、地津主大己貴神、幽世大神、幽冥主宰大神、杵築大神 等。別称、大国主大神とも言われているが、一説には大己貴神は伊福部氏の奉斎神であり祖先神ではなく、系図上結びつけたものと思われるとされている。)
※注:『因幡国伊福部臣古志』を撰述したのは散位従六位下伊福部臣冨成という人物である。『古志』撰述の理由として「冨成自身は亡父である、邑美郡大領外正七位下の公持臣と右馬少弁正六位下の佐美麻呂がかって宴飲を行ない、興が乗ってきたところで『古志』を論じあっているを、いつも宴席の片隅に座って聞いており、骨肉に染み渡るほど、一族の歴史を知ることができた。しかし、自分の末裔の者たちはこの『古志』を聞くことができないのではないかと思われ、ここにそれを転伝する所以である、と。冨成は巷間の妄説は一切載せていないと宣し、延暦三年(784年)に『古志』を撰述した」としている
伊福部冨成の父:邑美郡大領外正七位下・公持は、邑美郡の大領(伊福部公持は律令制で邑美郡の郡司(長官)であった。彼の一族は同郡の郡領氏族として誇り高い歴史を有し、一族には佐美麻呂のように中央出仕して中央官人として活躍する者もいた
※注:森公章著、倉本一宏(監修)日記で読む日本史、『平安時代の国司の赴任「時範」をよむ』、臨川書店、2016年発行、121頁から引用

5.神官
古代因幡国の在郷の豪族伊福部氏(伊福吉部氏)は、因幡国高草郡・八上郡を根拠地としていた因幡国造氏から分かれた支流で在庁官人を経て宇部神社の神主になったといわれている。第36代 / 伊福部助茂(スケシゲ)が初代:因幡國宇部社祠官になった。その子の代になって二流に分かれ、久遠の一神主家(安田氏)と二神主家の第37代 / 厚孝が池淵氏を称しその後、二神主家系の伊福部家系図として書き継がれ明治時代まで続いたと思われる

6.伊福部氏の系図=『因幡国伊福部臣古志』


伊福部家系図については、伊福部臣富成が撰述した『因幡国伊福部臣古志』が基になっている。その『古志』に、第28代以降は法美郡の郡領氏族による伊福部臣氏の系譜を伝えているといわれ、法美郡の伊福部臣氏の人が書き継いだとされている。また、第36代 / 助茂(一神主)以降から二流に分かれ、第37代 / 厚孝から「二神主」の系図が続いている。今の伊福部家に伝わる系図『因幡国伊福部臣古志』につながるものと思われる
始祖 / 大己貴命(オオアナムチノミコト)は大国主神、葦原醜男神など八つの別名を持ち古事記や日本書紀、出雲国風土記、播磨国風土記などで活躍する神出雲大社に奉祀されている
➝第2代 / 五十研丹穂命(イキシニホノミコト➝第3代 / 健耳丹穂命(タケミミニホノミコト) ➝第4代 / 伊瀬丹穂命(イセニホノミコト)又は天丹戈命、新田磯丹穂命、天日椅乃命(アメノヒボコ)という。天日椅乃命(アメノヒボコ)のヒボコとは朝鮮半島南部から鉄器製作の技術を持ってきた新羅系の渡来人で古事記、日本書紀には新羅の王子とあると前田憲二(民俗学者)『神々の履歴書』で語っている ➝第5代 / 天沼名桙命(アマノヌナホコノミコト) ➝第6代 / 天御桙命(アマニミホコノミコト) ➝第7代 / 荒木臣命(アラキノオミノミコト) ➝第8代 / 櫛玉神饒速日命(クシタマカムニギハヤヒノミコト)は「記紀」に物部氏の祖と書かれてある
➝第9代 / 可美真手命(ウマシマデノミコト)兄弟の天香語山は尾張氏の始祖になる
➝第10代 / 彦湯支命(ヒコユキノミコト) ➝第11代 / 出雲色雄命(イヅモシコヲノミコト) ➝第12代 / 内色雄命(ウツシコヲノミコト) ➝第13代 / 伊香色雄命(イカガシコヲノミコト)
➝第14代 / 武牟口命(タケムクチノミコト)=武内宿禰は第12代・景行天皇(西暦71~130年)頃に存在した人物と思われる。伊福部氏直接の祖先と言われている。武牟口命は、日本武尊を奉じて征西の途中、稲葉蝦住山の荒海という賊を征伐するために因幡に入国したと『因幡国伊福部臣古志』には記されている。日本武尊は第12代・景行天皇(西暦71~130年頃)の皇子で仲哀天皇の父にあたる
➝第15代 / 意布美宿祢(イフミノスクネ)
➝第16代 / 伊其和斯彦宿祢(イキワシヒコノスクネ)は、第13代・成務天皇(西暦131~191年)頃の御代に因幡国造になり、同天皇から賜った太刀等を神として宇部神社に祀ったとの記述がある
➝第17代 / 健火屋宿祢(タケヒヤノスクネ) ➝第18代 / 阿良加宿祢命(アラカノスクネノミコトアラカスクネ) ➝第19代 / 汙麻宿祢命(ウマノスケネノミコト)
➝第20代 / 伊福部若子臣(イホキベノ ワクゴノオミ)は第19代・允恭天皇(在位西暦412~453年)頃の人物で天皇から「気吹部臣」を賜り伊福部臣と称した
➝第21代 / 伊福部馬養臣(ウマカヒノオミ➝第22代 / 伊福部尓波臣(ニハノオミ)➝第23代/伊福部阿佐臣(アサノオミ)➝第24代/伊福部颶飄臣(ツムジノオミ)
➝第25代/久遅良臣(クヂラノオミ)第33代・推古天皇(西暦592~628年)頃の人物。西暦603年制定の冠位十二階の小智(従八位相当)を賜った
➝第26代 / 都牟自臣(ツムジノオミ)第36代・孝徳天皇(在位西暦645~654年)、第37代・斎明天皇(在位西暦655~660年)頃の人物。西暦646年(大化2年)第36代・孝徳天皇(在位西暦645~654年)の御代に初めて水依評を設置、それと同時因幡國水依の評督という長官に任ぜられた。西暦647年(大化3年)小黒冠(従八位相当)の位を授けられた。西暦649年(大化5年)大乙下(従八位正八位相当)の冠位が授けられた。西暦658年(斉明4年)大乙上に叙された。同年正月には水依評を分割して高草郡を設置した。西暦658年4月18日死去
➝第27代 / 国足臣(クニタリノオミ)=因幡國法美郡領 ➝第28代/伊福部小徳臣(ヲトクノオミ) ➝第29代 / 伊福部志太留臣(シタルノオミ) ➝第30代 / 伊福部黒満侶臣(クロマロノオミ) ➝第31代 / 伊福部大人臣(ウシ) ➝第32代 / 伊福部家継臣(ヤカツグ) ➝第33代 / 伊福部門成臣(カドナリ) ➝第34代 / 伊福部成世臣(ナリヨ) ➝第35代 / 伊福部総景臣(フサカゲ)
➝第36代 / 伊福部助茂(スケシゲ)=因幡國宇部社祠官祖(一神主兼惣官)次の代から二流に分かれ、一神主兼惣官を継ぐのは久遠➝久光➝久経➝久俊へと続いた
※第36代文中:注‐「惣官とは神社における一切の政務を司った長官」の意味
※第36代以降加筆:注‐ 柴橋伴夫はその著書『生の岸辺/伊福部昭の風景パサージュ』発行所:藤田印刷エクセレンヨブックス/2015年12月5日発行で「平安時代に入ると、一族は自身の仕える宇部神社を正面に立てて、家の再興をはかり、また家を二つに分け、一方は国府の近くに居を構え、国司の名代として政治の実権を握り、他方は、神社の下に住んで祭祀の執行、文字通り祭政一致の体制を築き上げます」、『鎌倉時代以降、~ 国府の館近くに住む伊福部家の名前は歴史から消え、神社下の一族だけが残ります』とある。
※第36代以降加筆:注‐宮司・金田誠著『家の血』にはおおよそ次のようことが書かれている。「宇部神社は栄え、国造伊福部氏は輿に乗って土を踏まずのようであったが、戦国時代になると豊臣秀吉の鳥取攻めで、一時他国へ落ち延び、江戸時代に入り少しづつ復興したが一神社の神官に過ぎなかった」
➝第37代 / 伊福部厚孝(アツタカノスクネ)始補二神主国造➝第38代 / 伊福部具孝 補二神主 ➝第39代 / 伊福部行貞二神主国造 ➝第40代 / 伊福部貞清宿禰 二神主国造  ➝第41代 / 伊福部俊貞宿禰二神主国造 ➝第42代 / 伊福部俊政宿禰二神主国造大夫 ➝第43代 / 伊福部政信宿禰二神主国造 ➝第44代 /伊福部経政宿禰二神主国造 ➝第45代 / 伊福部政任宿禰太夫国造 ➝第46代 / 伊福部政世宿禰任国造 ➝第47代 / 伊福部久世宿禰任国造 ➝第48代 / 伊福部有世宿禰国造 ➝第49代 / 伊福部重世宿禰任国造 ➝第50代 / 伊福部氏世宿禰任国造兼権神主 ➝第51代 / 伊福部定世宿禰任国造兼権神主 ➝第52代 / 伊福部高世宿禰任国造兼権神主 ➝第53代 / 伊福部宗世宿禰任国造兼権神主 ➝第54代 / 伊福部勝世宿禰任国造兼権神主 ➝第55代 / 伊福部信世宿禰国造兼権神主 ➝第56代 / 伊福部宗信神主兼国造 ➝第57代 / 伊福部則世神主兼国造 ➝第58代 / 伊福部輔世神主兼国造 ➝第59代 / 伊福部勝世神主 
➝第60代 / 伊福部經世神主 
➝第61代 / 伊福部為世神主 
➝第62代 / 伊福部安世神主 
➝第63代 / 伊福部信世神主・因幡伯耆両国葬惣幣頭 
➝第64代 / 伊福部勝世神主・因幡伯耆両国葬惣幣頭
➝第65代 / 伊福部信世(伊福部昭の祖父)
➝第66代 / 伊福部利三(伊福部昭の父)
➝第67代 / 伊福部宗夫(伊福部昭の兄)
➝第68代 / 伊福部敦

7.祖父:伊福部信世


伊福部家は大己貴命(オオナムチ=大国主(オオクニヌシ〉=(大黒天))を始祖とする因幡の古代豪族であり、武内宿禰(たけのうちのすくね)を祖先として祭る。明治4年に太政官布告により因幡國一の宮・宇部神社の世襲の神官を解かれるまで代々務めてきた

1843年(天保14年)伊福部信世は、因幡國一の宮・宇部神社の神官・伊福部勝世の子として生まれた

1865年(慶応元年)22才。「一清隊」隊長(外国からの攻撃に備え神職たちの守備隊)

1867年(慶応3年)24才。10月、妻・寿々との間に長男・伊福部利三誕生

1871年(明治4年)28才。太政官布告によって神官の世襲制度が廃止され世襲の神職を解かれ、鳥取県因幡国宇部神社の神官世襲は終わった。代わって中央から荒尾成幸が宮司として赴任した

1872年(明治5年)29才。6月士族を選び編入。12月祢宜

1873年(明治6年)30才。4月少講義

1874年(明治7年)31才。11月2日依願本官兼職免

1875年(明治8年)32才。3月27日権祢宜兼権訓導

1877年(明治10年)34才。6月13日訓導。8月権少講義。8月18日鳥取神道事務分局副長

1878年(明治11年)35才。2月15日主典。11月鳥取神道事務分局長。12月12日出雲大社一等教会所副長。12月20日出雲大社一等教会所長

1879年(明治12年)36才。1月中講義

1880年(明治13年)37才。4月免本官、免本職。5月多賀神社教会所長

8.父:伊福部利三

伊福部利三の代で66代続く家系。明治になってから宇部野村の先祖代々の家を大火事で焼失した。地元での顔が保てなくなったようだ
本籍は、鳥取県岩美郡字宇部野村大字宮下(現鳥取県岩美郡国府町)

1867年(慶応3年)10月、伊福部利三(※トシゾウ)は父・伊福部信世、母・寿々の子として鳥取県因幡国岩美郡国府村に生まれた(12月3日という説もある)

1887年(明治20年)20才。第四師団歩兵第10連隊(姫路)に入営

1889年(明治22年)22才。満期除隊

1890年(明治23年)23才。11月、神奈川県巡査拝命

1994年(明治27年)27才。1月、巡査部長に昇進。8月第一師団歩兵第一連隊(東京)補充召集せられ、日清戦役に出征(注:出典資料には日露戦役とある)

1895年(明治28年)28才。1月、二等軍曹に任じ日清戦後功に依り勲八等白色桐葉章及び年金24円を授与した。11月神奈川県警部となり、各地署長を務む

1904年(明治37年)37才。12月、第十師団歩兵第四十連隊補充大隊(鳥取)へ補充召集され日露戦争従軍

1905年(明治38年)38才。戦後功に依り勲七等瑞宝章並びに金圓を賜り軍曹に進む。12月、休職となる

1906年(明治39年)39才。1月、横浜市役所書記拝命。4月24日長姉・佐世子が歿。5月、復職北海道庁警部に任じられ鵡川分署長

1908年(明治41年)41才。9月、留萌分署長

1910年(明治43年)43才。長男・宗夫誕生

1911年(明治44年)44才。2月、本庁に勤務、警部。9月函館水上署長 

1912年(明治45年/大正元年)45才。二男・勲誕生
 
1913年大正2年) 46才。倶知安警察署長

1914年(大正3年)47才。3月、釧路警察署長に任官正八位に叙される。5月31日三男・昭誕生。9月根室警察署長に転じる

1915年(大正4年)48才。10月、従七位に叙せられる

1917年(大正6年)50才。2月、釧路警察署長

1918年(大正7年)51才。6月、網走警察署長

1920年(大正9年)53才。札幌教習所所長(※警察学校と思われる/編者)転勤

1921年(大正10年)54才。3月、正七位に叙せられた。11月、帯広警察署・署長、単身赴任

1922年(大正11年)55才。3月、依願免官となった

1923年(大正12年)56才。6月北海道釧路国支庁音別村第3代村長就任し8月退任。7月河東郡音更村村議会から推薦され、音更村第七代目村長就任。次兄・勲と昭が札幌から音更村に移る

1935年(昭和10年)68才。8月、12年間務めた音更村村長を退任

1942年(昭和17年)75才。12月12日、二男・勲が歿

1948年(昭和23年)81才。世田谷区玉川奥沢町に転居

1949年(昭和24年)1月19日世田谷区玉川奥沢町で歿。82才

伊福部利三:出典資料
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/936734/182北海道人名辞書 – 国立国会図書館デジタルコレクション『北海道人名辞書; 著者: 金子信尚 編; 出版者: 北海民論社; 出版年月日: 大正12;』、最終アクセス2019年8月16日

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