武満 徹 生誕
TAKEMITSU, Toru
(1930年10月8日東京、本郷に生まれる)
(1996年2月20日入院中の虎の門病院で没)
Birth place:Tokyo Japan
Date of Birth:8/10/1930
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1.職業
日本の作曲家
2.称号
3.経歴
⑴ 祖父:武満義雄、政治家、衆議院議員を17年間務める。政友会鹿児島県幹事長。
⑵ 父:武満たけお、1938年歿。は鹿児島県河内市隈之城町出身。帝国海上保険(現、朝日生命保険相互会社)に務めた。昭和5年当時、満州の大連に赴任。母が云うには「 父はあまり会社に行きたがらないので、母が行かせようとして手こずっていたようだ。社交ダンスが好きでよく母と夜遅くまで踊っていた。コンテストには何度も優勝するような相当な腕前で、玉突きも好きで家に2台もあって名人級の腕前でもあった。また小鳥も沢山飼っていた。これも大会があり出ると優勝していた」。母方の実家は昔、蘭学の医者で代々豊前中津藩に仕えた医官であった。後に、そのうちのひとりは高名な蘭学者の前野良沢に私淑し、江戸へ上ったという。武満徹が云うには「 母は実にさっぱりした性格で、好きなように生きた人で実にリベラル。子供の生き方に全く干渉せず、父と違い生活力が大変にあったという」。母は夫が亡くなると夫の会社に勤め、徹と妹二人の生活をずっと見たという。
⑶ 武満徹は、1930年11月生後一ヶ月で母・麗子と共に満州へ渡る。父の吹く尺八を聴き慣れ親しんで幼年期を過ごす。
1937年に東京の小学校に入学したいといい単身帰国。母の姉の本郷曙町(現・駒込一丁目付近)の伯父の家に預けられ、そこから富士前小学校に通う。伯母が生田流筝曲の師匠で琴を教えていた。伯父は株屋みたいなことをやっていて政治家とも付き合いがあった。伯母には息子が四人いて、一番下の幹雄というのが一高の寮に住んでいて時々家に帰って来てよくレコードを聴いていたという。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲やベートーヴェンの月光ソナタなどを一緒に聴いていた。琴は苦手だったがここでも日常的に日本の伝統音楽に慣れ親しみ、少年期を過ごす。この年、父が重い病気にかかり、家族全員が引き揚げてきたが、一家は父の実家のある鹿児島に行き、徹だけが東京の伯母の家に残る
1938年3月、父が死去。小学校時代は歌が下手で音楽は嫌いで嫌だったようだ。
1943年私立京華中学校入学
予科練を受験したが体格ではねられる
1945年埼玉県飯能の陸軍補給基地に勤労動員、上官の聞かせてくれたシャンソンのレコードでリュシェンヌ・ボワイエの「オアレル・モア・ダムール(私に愛を語って)」が音楽をやりたいという、きっかけになる
1946年世田谷区代田に移る。横浜の駐留軍PXで働きジャズに接しホールでピアノ、作曲を独学で学ぶ。進駐軍ラジオ放送を通していろいろな作曲家の作品に触れる
1948年作曲家の清瀬保二に師事。ピアノ曲「二つのメロディ」作曲
1949年東京音楽学校(現、芸大)受験、2日目の試験を放棄。ピアノ曲「ロマンス」作曲
1950年師の清瀬保二らが開催した「新作曲派協会」発表会でピアノ曲「二つのレント」を発表し作曲家デビュー
1951年「実験工房」結成に参加
1953年北海道美幌町町歌作曲
1954年劇団「四季」の若山浅香と結婚し洗足池に住む。岡本太郎を知っていた縁で画家の芥川也寸志夫人を知り芥川家に出入りする。ピアノを持ってない話を芥川から聞いた黛敏郎の好意で、夫人のピアノを譲られる。団伊玖磨の好意で鎌倉の私邸を借り横須賀に移住
1956年映画「狂った果実」音楽担当
1957年「弦楽のためのレクイエム」を初演
1959年来日したストラヴィンスキーが偶然聴き、絶賛。「20世紀音楽研究所」に参加
1960年千代田区に転居
1961年赤坂表町に転居
1963年世田谷区成城に転居。映画「切腹」・「落とし穴」で毎日映画コンクール音楽賞」受賞
1965年長野県御代田町に山荘を求め、作曲活動の拠点とする
1967年小澤征爾を通じてニーヨーク・フィル音楽監督レナード・バーンスタインにより同団125周年記念の作品を委嘱され「ノヴェンバー・ステップ」を作曲
1968年目黒区東山に転居
1970年大阪万博「鉄鋼館」音楽監督。渋谷に転居
1971年IOCの委嘱で札幌オリンピックのオーケストラ曲「冬」作曲
1975年「カトレーン」が文化庁芸術祭大賞受賞
1976年尾高賞受賞。エール大学客員教授就任、同大からサンフォード賞受賞。東京都東村山市に転居
1976年中国の招きで日本音楽家代表団の一員として訪中
1980年日本芸術院賞受賞
1983年ハーバード大学、ボストン大学、エール大学、コロラド大学で講義。母の死
1985年フランス政府から芸術文化勲章受章
1986年黒澤明監督映画「乱」音楽担当等により日本アカデミー賞音楽賞受賞
1988年京都音楽賞大賞受賞
1990年フランス国際モーリス・ラヴェル賞受賞
1991年サントリー音楽賞受賞
1992年ポーランド国際現代音楽協会主催「20世紀音楽の巨匠」シリーズ第一回テーマ作曲家になる。ワルシャワで「タケミツ・デイズ」開催
1994年ルイヴィル大学グロマイヤー作曲賞受賞
1995年膀胱及び首のリンパ腺に癌を宣告される。間質性肺炎を患い入院。東京オペラシティ現術監督に就任
1996年2月20日膠原病に起因する急性肺水腫により入院中の虎の門病院で他界。
4.主な作品
管弦楽曲「弦楽のためのレクイエム」、「ノヴェンバー・ステップ」、「グリーン」、「アステリズム」、「カトレーン」、「鳥は星の庭に降りる」、「「遠い呼び声の彼方へ!」、雅楽「秋庭歌」、弦楽四重奏曲「ア・ウェイ・ア・ローン」、邦楽「ディスタンス」、映画音楽「不良少年」・「太平洋ひとりぼっち」・「砂の女」・「伊豆の踊子」・「乱れ雲」・「どですかでん」・「利休」・「写楽」ほか、テレビ/NHK「源義経」ほかにラジオ、演劇等音楽担当。
5.その他
6.初演
7.関連動画
Requiem pour orchestre à cordes
November Steps
Nostalghia
And then I knew t’was wind (1992)
Concerto for guitar, oboe & orchestra. Dimitri Illarionov, guitar. NASO.
Far calls,Coming,far! / Hiroshi Wakasugi & Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra,Yuzuko Horigome (vn)
Sakura
Interview to Shin-ichi Fukuda and Live “To the Edge of Dream” by Toru Takemitsu (1996)
legacy of Toru Takemitsu
Toru Takemitsu – L.A., New York, Paris, Rome, Helsinki (1991)
1991年、作曲家武満徹がアメリカの映画監督Jim Jarmuschに招かれ、彼の映画「Night on Earth」のオリジナル音楽を執筆した。 武満による失われたと思われる音楽は、適切には「L.A.、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキ」と題された – 5つの都市がJarmuschの映画に登場した。
[未来への遺産]
指揮:岩城宏之(テーマ)/ 演奏:NHK交響楽団(テーマ)
テレビドラマ「波の盆」のサウンドトラックより