生没年・出身地・歿地・墓地
ジョージ・ガーシュウィン生誕
George Gershwin
本名
ジェイコブ・ガーショヴィッツ
Jacob Gershowitz
(1898年9月26日ニューヨーク、ブルックリン生)
(1937年7月11日ロサンゼルス、ハリウッドで没)
1.職業
アメリカの作曲家・ピアニスト
2.称号
サンタ・チェチーリア音楽院名誉会員
3.経歴
⑴ 祖父ヤーコブ・ゲルショヴイチは、国内を自由に行き来できる市民権を得る為、ロシア陸軍の砲兵隊技術員として25年間兵役を務め退役後ペテルブルクの近郊に住む
⑵ 父モーリス・ゲルショヴィチは、兵役を逃れるため婚約者ローズ・ブルースキン家族がアメリカへ移民するとき一緒に渡米し、母方の伯父のブルックリンで経営するグリーンスタイン靴店を探す。1895年毛皮商人の娘ローズとイーストサイドのユダヤ教会で結婚し、やがてモーリス・ガーシュヴィンと名のる
⑶ ガーシュウインは、ユダヤ系ロシヤ移民の家庭に育ち、幼年時代はブルックリンのローワーイーストサイドなど様々な場所に住む。音楽学校で学んだという記録はない。音楽の世界に飛び込んだ17才頃エドワード・キレニーに作曲法のレッスンを受け始め、ロチェスター・グリーソン・コール、ルービン・ゴールドコーク、ヘンリー・カウエル、また34才頃にはヨーゼフ・シリンガーに師事して音楽の研鑽を続けた
少年時代は街に流れるラグタイム(1900年前後に酒場やダンスホールに流行った黒人ピアニストの演奏スタイルで、左手でウン・パ、ウン・パ・・と繰り返し、右手は鋭いシンコペーションをもったメロディであった。ジャズの源流となったといわれている)を聴きながら兄アイラとイディッシュ劇場地区を中心に育つ
1904年6才のとき自動ピアノが演奏する「へ調の旋律」を聴いたり、2才下のマキシー・ローゼンツヴァイクと出会い、彼の弾くユーモレスクのヴァイオリンを聴き、音楽に関心を示すようになる
両親が兄アイラのレッスン用に買ったピアノを弾くようになる
1910年12才、近所のピアノ教師グリーンやゴールド・ファーブのレッスンを受けオペラ抜粋や序曲を弾き学ぶ、ベートーヴェン協会交響楽団のアルバイトを始める
1912年14才、この楽団のピアニスト、ジャック・ミラーから自分の師チャールズ・ハンビッツアーを紹介されピアノの技巧ばかりでなく音楽の基本を無料で教わる
ニューヨーク、キャッツキル・マウンテン・オーケストラでアルバイト演奏
1913年15才、母の勧めで商業高等学校に通う。この年《君に会ってから》、《ラグタイム・トロイトライ》作曲
1914年16才、商業高校を中退しティン・パン・アレーのソングプラッガー(朝から店頭に出て曲を弾いて客に売り込む人)となる
その後ジェローム・H・リミック音楽出版社に入りジェローム・カーン、アーヴィング・バーリン、フレッド・アステア兄弟等と知り会う
1915~1918年17才、ハンビッツアの紹介でエドワード・キレニーに作曲法を師事
1916年18才、マレー・ロスの詩に作曲し出版。ボードビルのソフィー・タッカーの目にとまる
1917年19才、センチュリー劇場のリハーサルピアニスト
1918年20才、2月T・B・ハームズ社と作曲家契約
ミュージカル《8時半 Half Past Eight》、ミュージカル《1918年のヒッチワークHitch-Koo of 1918》、作曲
1919年21才、5月ミュージカル《ラ・ラ・ルシール》をヘンリー・ミラー劇場で初演されブロードウェイ作曲家デビュー
同年キャピトル劇場で《スワニー》初演、アル・ジョンソンがウインター・ガーデンのレヴューで歌い成功を収め、翌年レコード化され225万枚売れる
1920~24年22才、「ジョージ・ホワイトのスキャンダル」の作曲担当
1921年23才、コロンビア大学の夏季講座を聴講し作曲家ロチェスター・グリーソン・コールに楽器、作曲等の技法を学ぶ
ミュージカル《危険なメイドA Dangerous Maid 》作曲
1922年24才、1幕物オペラ《ブルー・マンディ》、を音楽監督ポール・ホワイトマン指揮で初演
ミュージカル《お願だから For Goodness Sake 》、作曲
1923年25才、ロンドン旅行。歌手エヴァ・ゴーチェのピアノ伴奏をする
この頃ルービン・ゴールドコークに作曲のレッスンを受ける
オペラ《135番街135th Street 》(全1幕)作曲。ミュージカル《虹 the Rainbow 》作曲
1924年26才、ポール・ホワイトマンからジャズコンサート用作曲を依頼され《ラプソディ・イン・ブルー》を作曲したがオーケストレーションに精通していなかったため、この曲を当時ホワイトマン楽団のピアニスト兼編曲者のグローフェがガーシュウィンの作曲している傍らから即座に編曲を担当し完成させた
2月12日ニューヨーク、エオリアン・ホールの「新しい音楽の試み」と題されたコンサートにおいて《ラプソディ・イン・ブルー》初演。招待客にはストラヴィンスキー、ラフマニノフ、スーザ等著名人の名がある
同年ロンドンからパリに立ち寄りフランシス・クープラン等を知り会う
ミュージカル《プリムローズ Primrose(さくら草)》、《レディ・ビー・グッドLady be Good(淑女よ善良なれ)》作曲
1925年27才、12月カーネギー・ホールで《ピアノ協奏曲ヘ調》ウォルター・ダムロッシュ指揮で初演
ミュージカル《ティップ・トー Tip-toes 》作曲
1926年28才、イギリス、パリ旅行。タクシーのクラクションを購入し後年《パリのアメリカ人》の効果音で使用
1927年29才、フリッツ・ライナー指揮シンシナティ交響楽団と競演する
11月ニューヨーク、アルヴィン劇場杮落としで《ファニー・フェイス》上演
同い年の作曲家ヘンリー・カウエルのレッスンを受ける(1929年迄まで3年間続く)カウエルはカリフォルニア大学バークレー校でチャールズ・シーガーに作曲法を学び修めている。カウエル門下にはガーシュインの他、ジョン・ケージ、ルー・ハリソン等がいる
1928年30才、ロンドンン、パリ旅行しドミトリー・テオムキン、ラヴェル、プーランク、ミヨー、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、に会う。4月ドイツ旅行でクルト・ヴァイル、フランツ・レハール、ウィーンではエマーリッヒ・カールマン、アルバン・ベルクに会う
12月カーネギー・ホールで交響詩《パリのアメリカ人》を指揮ウォルター・ダムロッシュで初演し大喝采を受ける
ミュージカル《ロザリーRosalie 》作曲
1929年31才、8月ルイゾーン・スタジアムでウィリアム・デイリーやエドワード・キレニーの指揮法の助言を得て指揮者デビュー
1930年32才、ストライク・アップ・マンハッタン交響楽団指揮者。フォックス映画と作曲家契約
1931年33才、ミュージカル《君がために歌わん》翌年演劇部門でピューリッツア賞受賞
1932年34才、父の死。音楽理論家ヨーゼフ・シリンガーに師事。
1935年37才、9月30日ボストンのコロニアル劇場で初演したオペラ《ポーギーとベス》は好評を得なかったが、10月10日ニューヨーク、アルヴィン劇場での公演は成功する。第一幕で歌われる《サマータイム》はよく知られている。原作はエドワード・デュポーズ・ヘイワードの小説「ポーギー」で兄のアイラと作者ヘイワードがオペラ化に8年間にわたり取り組む
1937年39才、7月ローマ、サンタ・チェチーリア音楽院名誉会員
7月11日脳腫瘍の手術後に38才の若さでこの世を去る
4.主な作品
<オペラ>
《ブルー・マンディ》(1922年)1幕物
《135番街》 135th Street(1923) 全1幕のアフロ・アメリカン風オペラ
《ポーギーとベス》 Porgy and Bess(1934-35) 全3幕9場のオペラ
<ミュージカル>
《8時半》 Half Past Eight(1918)
《1918年のヒッチー=クー》 Hitchy-Koo of 1918(1918)
《危険なメイド》 A Dangerous Maid(1921)
《お願いだから》 For Goodness Sake(1922)
《虹》 The Rainbow(1923)
《プリムローズ(さくら草》 Primrose(1924)
《レディー・ビー・グッド》 Lady be Good(1924)
《ティップ・トー》 Tip-toes(1925)
《トレジャー・ガール》 Treasure Girl(1928)
《ロザリー》 Rosalie(1928)
《ショー・ガール》 Show Girl(1929)
《ストライク・アップ・ザ・バンド》 Strike up the Band(1930)
《ガール・クレイジー》 Girl Crazy(1930)
《オブ・ジー・アイ・シング》 Of Thee I Sing(1931)
《レットエム・イート・ケーク》 Let ‘em eat cake(1933)
《ショー・イズ・オン》 The Show is On(1936)
<映画音楽>
《デリシャス Delicious》(1931) デイヴィッド・バトラー監督の映画のための
《踊らん哉》(1937) マーク・サンドリッチ監督の映画のための。原題は「Shall We Dance」
《踊る騎士 A Damsel In Distress》(1937) ジョージ・スティーヴンス監督の映画のための
《ゴールドウィン・フォリーズ The Goldwyn Follies》(1937) ジョージ・マシャール監督の映画のための
<管弦楽曲・協奏曲>
《ラプソディ・イン・ブルー》 Rhapsody in Blue(1924)
《ピアノ協奏曲 ヘ調》(1925)
《パリのアメリカ人》 An American in Paris(1928)
《ラプソディ第2番》 Rhapsody No.2(1931)
《キューバ序曲》 Cuban overture(1932)
《アイ・ガット・リズム変奏曲》 Variations on a original theme “I got rhythm”(1934)
交響組曲《キャットフィッシュ・ロウ》 Catfish Row(1936)
<室内楽曲>
《子守歌》(1919)
《弦楽四重奏のための作品》1968年に出版
《ピアノ曲》
《タンゴ》(1914)
《リアルトのさざ波 – ラグ》 Rialto Ripples Rag(1917) ウィル・ドナルドソン(Will Donaldson)との共作
《3つの前奏曲》(1926)
《プロムナード》(1937)
《2つの調のための即興曲》(1929)
<歌曲>
シンス・アイ・ファウンド・ユー Since I found you(1913)
ホエン・ユー・ウォント・エム、ユー・キャント・ゲット・エム When you want’em, you can’t get ‘em(1916)
ザ・リアル・アメリカン・フォーク・ソング The real American folk song(1918)
ミュージカル『レディース・ファースト』より
香港 Hong Kong(1918)
ミュージカル『8時半』より
ドーナッツ Doughnuts(1919)
ミュージカル『モリス・ジェストの深夜の騒ぎ』より
スワニー Swanee(1919)
『キャピトル・レヴュー』より
ヤンキー Yan-Kee(1920)
ミュージカル『モリス・ジェストの深夜の騒ぎ』より
バックホーム Back home(1920)
ミュージカル『Dere Mable』より
サムワン Someone(1922)
サムワン・トゥ・ウォッチ・オーヴァー・ミー Someone To Watch Over Me(1926)
ミュージカル『Oh, Kay!』より
アイル・ビルド・ア・ステアウェイ・トゥ・パラダイス I’ll Build A Stairway To Paradise(1928)
ミュージカル『For Goodness Sake』より
アイ・ガット・リズム I got rhythm(1930) 作詞は兄のアイラ。
ジャスト・アナザー・ルンバ Just another rhumba(1938)
<ガーシュウィン作品を扱ったミュージカル映画>
『踊る騎士』(A Damsel in Distress、1937年 アメリカ、RKO製作)
『華麗なるミュージカル』(The Goldwyn Follies、1938年 アメリカ、サミュエル・ゴールドウィン製作)
『アメリカ交響楽』(Rhapsody in Blue、1945年 アメリカ)
『巴里のアメリカ人』(An American In Paris、1951年 アメリカ、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー製作)
『ポーギーとベス』(Porgy and Bess、1959年 アメリカ、MGM製作)
5.その他
1998年ピューリッツァー賞授与
2006年ロングアイランド音楽殿堂入り
ガーシュウィン音楽特別功労賞はULCAによって設立
伝記映画「ラプソディ・イン・ブルー」日本題名「アメリカ交響楽」がある。
6.初演
7.関連動画
《Gershwin Documentary》
ガーシュウィンの作曲はポピュラーとクラシックの両方のジャンルにまたがり、彼の最も人気のあるメロディーは広く知られています。彼の最も有名な作品の中には、オーケストラ作品のラプソディ・イン・ブルー(1924)とパリのアメリカ人(1928)、そして現代オペラのポーギーとベス(1935)がある
《Gershwin in Focus with Jack Gibbons and Sir Ben Kingsley》
受賞歴のあるガーシュウィンのスペシャリストであるジャック・ギボンズが、ベン・キングスリー卿をジョージ・ガーシュウィンの声として執筆し、発表した、ジョージ・ガーシュウィンの生涯と仕事についての1時間のイラスト付きトーク。
《ラプソディ・イン・ブルー》
バーンスタイン / ニューヨークフィル
George Gershwin – Rhapsody in Blue –
Leonard Bernstein, New York Philharmonic (1976)
《パリのアメリカ人》
小澤征爾 / ベルリンフィル
George Gershwin: An American in Paris
Berliner Philharmoniker Conducted by Seiji Ozawa
Gershwin Night, 2003
歌劇《ポギーとベス》よりサマータイム
Porgy & Bess “Summertime”
歌劇《ポギーとベス》全幕2:34:32
Porgy and bess
歌劇《ポギーとベス》全幕 2:32:41
George and Ira Gershwin’s Porgy and Bess- The complete 2002 Lincoln Center Production
《アイ・ガット・リズム》
George Gershwin – I Got Rhythm
《Lullaby》
Indianapolis Symphony Orchestra / Leppard, Raymond
《キス・ミー・ケート》
Kiss me Kate @ BBC Proms
《三つの変奏曲より第1番》
ジンマーマン,クリスチャン(Pf)
Krystian Zimerman plays Three Preludes by George Gershwin
《三つの変奏曲》
ガーシュウィン, ジョージ(Pf.)
Gershwin plays Gershwin 3 Preludes
《ラプソディ・イン・ブルー》
ガーシュウィン, ジョージ(Pf.)
Gershwin plays Gershwin: Rhapsody in Blue (solo piano)
映画《アメリカ交響楽》より
歌劇《ポーギーとベス》 より「ベス、お前は俺のものだ」
ハイッフェツ, ヤッシャ(Vn)
Jascha Heifetz – “Bess you is my woman now” (Gershwin’s Porgy and Bess)
《ヘ調の協奏曲》
ガーシュウィン, ジョージ(Pf.)
George Gershwin – Concerto in F
《ヘ調の協奏曲》
Marc-André Hamelin,
Leonard Slatkin.
《メイビー》
ガーシュウィン, ジョージ(Pf.)
George Gershwin, Piano – Maybe (1926)
《ああ、ケイ!より》
George Gershwin – 4 songs from Oh Kay