武満 徹
TAKEMITSU, Toru
(1930年10月8日東京、本郷に生まれる)
(1996年2月20日入院中の虎の門病院で没)
Birth place:Tokyo Japan
Date of Birth:8/10/1930
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1.職業
日本の作曲家
【楽歴】
1946年指揮者:浜田徳昭の家でのコーラスグループ「東京ジングアカデミー」に参加し浜田のもとで記譜法、対位法、和声学を学び、作曲を独学ではじめる
1947年五音音階や戦前の楽譜を研究はじめる
1948年作曲家清瀬保二に師事。松平頼則、早坂文雄と面識を得る。ヂュポワ「和声学」、リムスキー・コルサコフ「管弦楽法」を勉強
1949年東京音楽学校(現、芸大)作曲科を受験、2日目の試験を放棄
1950年「新作曲派協会」第七回発表会でピアノのための《2つのレント》が初演される
1951年「新作曲派協会」第八回作品発表会で、《妖精の距離》が諏訪晶子(ヴァイオリン)、伊東昭子(ピアノ)により初演。「実験工房」第一回作品発表会にバレエ《生きる悦び》発表
1952年早坂文雄のもとで映画「長崎の歌は忘れ字」「美女と野獣」の仕事を手伝う。実験工房第四回発表会でピアノ曲《遮られない休息》園田高弘のピアノにより初演。瀧口修三脚本による映画「北斎」の音楽を担当
1954年早坂文雄が担当した黒澤明監督作品「七人の侍」の映画音楽を佐藤慶太郎、佐藤勝とともに手伝う
1955年芥川也寸志や黛敏郎の映画音楽を手伝う。実験工房第七回演奏会「室内楽作品演奏会」で《室内協奏曲》が外山雄三指揮/N響メンバーにより初演。新日本放送のラジオドラマ「炎」(井上靖:作/吉村保三:演出)の音楽をミュージック・コンクレートで制作、この音楽をもとに《ルリエフ・スタティク》を完成
1956年《ヴォーカリズムAーⅠ》《木・空・鳥》《クラップ・ヴォーカリズム》《ユリディース》、映画音楽「朱と緑」音楽担当(監督:中村登)ほか、舞台「愛の条件」「背むしの聖女」音楽担当(以上劇団四季)、「窓は見ている」音楽担当(現代舞踏三人の会)、「Kの死」音楽担当(文学座、音響効果担当 共作:秦和夫)、「タンクロスの踊り」音楽担当(劇団青年座)、ラジオ「Kの死」音楽担当(朝日放送)、「秋の蝶」音楽担当(文化放送)、「人間家族」音楽担当(新日本放送)
1967年カリフォルニア州立大学客員教授
1973年ハーヴァード大学客員教授
1975年エール大学客員教授
1978年フェスティヴァル(ラ・ロシェル)国際現代音楽フルート・コンクール審査員。アメリカ音楽国際演奏コンクール審査員
1980年カナダ国営放送(CBC)作曲コンクール審査員
1981年カリフォルニア大学サン・ディエゴ校客員教授
1983年ハーヴァード大学、ボストン大学、エール大学、コロラド大学などで講義
1983年メシアン作曲コンクール(フランス)審査員
1987年香港で開催された国際現代音楽協会/アジア作曲家連盟(ISCM/ACL)作曲コンクール審査員
1988年第1回ニューヨーク国際芸術フェスティヴァル芸術顧問委員
1989年東京国際映画祭、インターナショナル・コンペティション審査員
1990年リーズ大学名誉音楽博士
1990年ダラム大学名誉音楽博士
1993年東京オペラシティ文化施設運営委員会顧問就任
1995年東京オペラシティ芸術監督に就任
【関係団体・受賞(章)歴】
<関係団体>
「新作曲派協会」会員(1952年脱会)
「実験工房」会員(音楽:佐藤慶次郎・鈴木博義・園田孝弘・武満徹・福島和夫・湯浅譲二、詩・評論:秋山邦晴、照明:今井直次、造形:大辻清司・北代省三・駒井哲郎・福島秀子・山口勝弘、技術:山崎英夫)
「作曲家集団」会員(メンバー:林光、松平頼暁、黛敏郎、諸井誠、芥川也寸志、三善晃、間宮芳生、岩城宏之、武満徹)
「若い日本の会」会員(江藤淳・浅利慶太・石原慎太郎・大江健三郎・開高健・武満徹・寺山修司・谷川俊太郎など)
<受賞(章)歴>
日本芸術院賞受賞(1980年)
モービル音楽賞受賞(1981年)
朝日賞受賞(1985年)
フランス国際モーリス・ラヴェル賞受賞(1990年)
毎日芸術賞授賞(1990年)
サントリー音楽賞授賞(1991年)
ユネスコ/IMC音楽賞授賞(1991年)
国際交流基金賞(日本)授賞(1993年)
NHK放送文化賞授賞(1994年)
ロサンゼルスの映画音楽保存協会功労賞授賞(1995年)
グレン・グールド賞受賞
《黒い絵画》「イタリア放送コンクール」でイタリア賞受賞(1958年)
《弦楽器のための/ソン・カリグラフィⅠ》二十世紀音楽研究所主催・軽井沢第2回「現代音楽祭」で第一位入選、フランス大使賞、音楽之友社出版賞受賞(1958年)
《言葉と音楽のための3つの形象》「イタリー放送協会(RAI)コンクール」でイタリア大賞(グランプリ)受賞(1958年)
《オーケストラのための/ソリチュード・ソノール》「文化庁芸術祭」で個人奨励賞受賞(1958年)
《弦楽のためのレクイエム》がドイツ大使賞受賞(1960年)
《三人の奏者のための/環(リング)》がドイツ大使賞受賞(1961年)
映画「もず」「不良少年」第16回「毎日映画コンクール」で音楽賞受賞(1961年)
映画「切腹」「おとし穴」第17回「毎日映画コンクール」で音楽賞受賞(1962年)
《環礁》パリ「ユネスコ/国際音楽評議会(IMC)の国際作曲家会議」で第5位(1963年)
武満徹「暗殺」「砂の女」第19回「毎日映画コンクール」で音楽賞受賞(1964年)
《テクスチュアズ》パリ「国際現代作曲家会議」で最優秀作品賞受賞(1965年)
《テクスチュアズ》パリ「ユネスコ/IMC国際作曲家会議」で最優秀作品賞受賞
「武満徹の音楽」四枚組LPレコード全集が第21回「芸術祭参加」レコード大賞受賞とレコードアカデミー賞受賞(1966年)
映画「他人の顔」「あこがれ」第21回「毎日映画コンクール」で音楽賞受賞(1966年)
《地平線のドーリア》が米国「西海岸音楽批評家」賞受賞(1967年)
映画「心中天網島」第24才回「毎日映画コンクール」で音楽賞受賞(1969年)
映画「いのちぼうにふろう」「沈黙 SILENCE」「儀式」第26才回「毎日映画コンクール」で音楽賞受賞(1971年)
映画「青幻記 遠い日の母は美しく」第28才回「毎日映画コンクール」で音楽賞受賞(1973年)
映画「化石」第30才回「毎日映画コンクール」で音楽賞受賞(1975年)
《カトレーン》文化庁芸術祭大賞を受賞(1975年)
《カトレーン》が第24回尾高賞受賞(1976年)
エール大学からサンフォード賞受賞(1976年)
映画「愛の亡霊」第33才回「毎日映画コンクール」で音楽賞受賞(1978年)
《遠い呼び声の彼方へ!》が尾高賞受賞(1981年)
映画「乱」音楽が日本アカデミー賞音楽賞受賞(1986年)
映画「乱の音楽によりロサンゼルス映画批評家賞受賞(1987年)
京都音楽賞大賞受賞(1988年)
日本文化デザイン会議賞国際文化デザイン大賞受賞(1989年)
第1回飛騨古川音楽大賞受賞(1989年)
《ファンタズマ/カントス》により、ルイヴィル大学グロマイヤー作曲賞授賞(1994年)
フランス政府芸術文化勲章受章(1985年)
都民文化栄誉章授章(1991年)
2.称号
英国王立音楽院名誉会員(1994年)
アジア作曲家連盟(ACL)名誉会員(1994年)
東ドイツ芸術アカデミー名誉会員(1979年)
アメリカ芸術文学アカデミー・インスティテュート名誉会員(1984年)
フランス芸術院名誉会員(1986年)
英国リーズ大学名誉音楽博士(1990年)
英国ダラム大学名誉音楽博士(1990年)
国際現代音楽協会(ISCM)名誉会員(1993年)
米国コロンビア大学名誉博士号(1996年)
3.家系
祖父:武満義雄、政治家、衆議院議員を17年間務める。政友会鹿児島県幹事長。
父:武満威雄(1938年歿)は鹿児島県河内市隈之城町出身。
帝国海上保険(現、損保ジャパン)に務めていた。
1929年満州に転勤となり身重の妻を東京に残し、大連へ渡った。
母が云うには「『父はあまり会社に行きたがらないので、母が行かせようとして手こずっていたようだ。両親は社交ダンスが好きでよく母と夜遅くまで踊っていた。コンテストには何度も優勝するような相当な腕前で、玉突きも好きで家に2台もあって名人級の腕前でもあった。
鳥寄せを得意としていた。自宅で餌付けするため、家には数多くの鳥かごがあり、小鳥も沢山飼っていた。これも大会があり出ると優勝していた』。
母:武満麗子は山口県の出身。『祖父は漢学者で、すごい厳格な家だったらしい』。実家は昔、蘭学の医者で代々豊前中津藩に仕えた医官であった。後に、そのうちのひとり原養沢は高名な蘭学者の前野良沢に私淑し、江戸へ上ったという。
武満徹が云うには「『母は実にさっぱりした性格で、好きなように生きた人で実にリベラル。子供の生き方に全く干渉せず、父と違い生活力が大変にあったという』。
『女学生時代からコレスポンデンスクラブに入って外国と文通したとか、アメリカに行きたいとか、ま、一種の不良少女だったんじゃないかと思う』。武満は語っている。
麗子は、映画狂だったといわれている。タイピストとして入社した帝国海上保険で威雄と知り合った。夫が亡くなると夫の会社に再び勤め、徹と妹二人の生活をずっと見たという。
妹:武満千鶴子
妹:武満満里子
妻:武満浅香(若山)劇団「四季」に所属していた
長女:武満真樹上智大学外国語学部比較文化学科を卒業。洋画翻訳その後、音楽プロデューサーとして活躍し、コンサートやテレビ、ラジオでの司会も多数。
4.武満徹 年譜
1930年0才
10月8日東京、当時の本郷一丁目で父:威雄、母:麗子との間に長男として生まれた
11月、生後一ヶ月で母と共に、父の務め先(帝国海上火災保険/現安田火災)である大連へ渡りその後、満州を転々とする
父はビリヤ0ドと社交ダンスが得意で、ジャズを好み、尺八を吹き、ヴァイオリンを弾いた。
武満は、父の吹く尺八を聴き慣れ親しんで幼年期を過ごしたという
1932年2才
妹:千鶴子、誕生
1935年5才
妹:満里子、誕生
幼児期の武満は、近所に住む中国人や白系ロシア人の子供と一緒に遊んで暮らしていた。中国語も喋れたようだ
1936年6才
自ら本国の小学校に行きたいと両親に言う
1937年 7才
東京の小学校に入学したいと言い、満州から飛行機に乗り単身帰国
母の姉(原 教)の住む本郷曙町(現・駒込一丁目付近)の伯父の家に身を寄せた
4月富士前尋常小学校に入学し、伯母の家から通う
伯母が生田流筝曲の師匠で琴を教えていた
伯父は株屋みたいなことをやっていて政治家とも付き合いがあった
伯母には息子が四人いて、下の二人の従兄弟は成績優秀で東大の予備門である第一高等学校に通っていた。一番下の幹雄というのが一高の寮に住んでいて時々家に帰って来てよくレコードを聴いていたという
メンデルスゾーンの《ヴァイオリン協奏曲》やベートーヴェンの《月光ソナタ》などを一緒に聴いていた
従兄たちは皆映画が好きで、この頃から映画館に通い始まる
伯母の琴は苦手だったが、伯母の弾く箏の音色は好きだった。ここでも日常的に日本の伝統音楽に慣れ親しみ、少年期を過ごす
この年、父が結核にかかり、家族全員が引き揚げてきたが、一家は父の実家のある鹿児島に行き、武満だけが東京の伯母の家に残る
1938年8才
3月父、故郷の鹿児島で病死
小学校時代は歌が下手で音楽は嫌いで嫌だったようだ
1939年9才
父が亡くなってしばらくの間、母と妹は鹿児島にいたが、その後東京へ引っ越して来た。母の家は伯父の家から歩いて3、40分だったが武満は伯父の家から離れなかった
母に連れられフランス映画「格子なき牢獄」などを観る
1941年11才
尋常小学校は国民学校と名を変えた。『武満は「おでこ」とあだながつけられた。日本語と中国語が混ざり、いじめられることがあった』神谷敏郎(解剖学者)
1942年
6年生になりクラスの生徒から級長に選ばれる
1943年13才
私立京華尋常中学校へ入学。二級上に作曲家の乾春男がいた
音楽教師は作曲家:小松平五郎が教職にあった。『音楽の授業には関心がなかったが、合唱クラブに所属したと。伯母の弾く箏にの音だけが心の深層にはたらきかけた』と語っていたようである
1944年14才
海軍のパイロットになろうと思い、予科練を受験したが体格ではねられる
夏、学徒動員令で八高線沿線松久の陸軍糧秣廠の作業に入り、第二九〇四部隊に配属された
1945年15才
3月7日親しかった下の二人の従兄弟の死を悲しんだ伯母が衰弱死した
3月10日東京大空襲に遭い、富士前尋常小学校も、伯母の家が焼ける
4月高崎に本部のある陸軍糧秣廠に動員され、東京/芝浦、埼玉/児玉や飯能に行き軍の食糧倉庫を作ったり、道路を作る労働の日々を送った。
埼玉県飯能の陸軍補給基地では、ある日中瀬という見習士官がやって来て、聞かせてくれたシャンソンの一枚のレコードでリュシエンヌ・ボワイエ(Lucienne Boyer, )の《パルレ・モア・ダムール(聞かせてよ愛の言葉を)》が音楽をやりたいという、きっかけになる
8月15日農家の庭先で玉音放送を聞く
10月頃、東京に戻る。母の家も焼かれ、東京は焼け野原となっていた
尋常中学校三年生になっていた
1946年16才
学制改革で新制中学三年生となり3月卒業し、4月京華学園高等学校に入学。高校は男子部と女子部と別れており、往き来できなかったが、武満は女子部の講堂に置かれてあったグランドピアノを弾きたくて、音楽教諭の萩原清子の許可を得て、ピアノを弾くことができた
母の会社の同僚が住む家を紹介してくれ、世田谷区代田一丁目に移る。一軒家に数家族が間借りして住むことになった。ここに1953年まで住んだ。
結核となり学校に行けなくなり、家で療養した。
家で進駐軍ラジオ放送を通していろいろな作曲家の作品に触れ音楽に進もうと決心。ドビュッシーとセザール・フランクのプレリュードやコラールとフーガに感動した
学校の友人の紹介で、指揮者:浜田徳昭の家でのコーラスグループ「東京ジングアカデミー」に入り、鈴木博義、福島和夫と出会う。浜田のもとで記譜法、対位法、和声学を学び、《夜想曲》など少品を書いている。武満はベートーヴェンの第九の合唱メンバーとして参加するまでになっていた
ピアノを買う余裕のない武満は、板や紙に鍵盤を描いて折りたたんで持ち歩いた。
武満が、母に作曲家になりたいと話すと、家を出て自分で働いてやれと言われる
武満は「ニコヨン」と呼ばれる日給240円の日雇い労働をして生活費を稼いだし、タバコやチョコレートを買い闇取引で稼いだりした
偶然知り合ったアメリカ軍人がホールの主任なって行くときに、その紹介で、その年のクリスマス直前から約1年間、昼間自由にピアノを使える、横浜・根岸の第七騎兵師団の駐留軍PXでヴィクトリーディスク(通称Ⅴディスク)と呼ばれるジャズレコードをかける仕事と、掃除夫の監督をする住み込みの仕事を得た。平日の夜はジャズのレコードをかけ、土日の夜には生のジャズバンドが演奏するために譜面を並べた。この現場で武満は、ホールのピアノがあいているときに独習、作曲を独学で学ぶ。
武満の映画好きが上司であるアメリカ兵に知られ、月に4~5回キャンプ内で上映されるアメリカ映画を光観ることを許された
1947年17才
CIE図書館(連合国軍総司令部に民間情報教育局が日本各地に設置した図書館)でのレコードコンサートへ毎週出かけては聴いた
お金がいくらか貯まり東京に戻りフランス製プレイエル・アップライトピアノを借りることにし、自分の角部屋に置いたが椅子はなくミカン箱の上に座って作曲をしていたという
東京に戻ると神田の古賀書店へ足繁く通い鈴木博義と楽譜を買い求め、五音音階や戦前の楽譜研究を始めた
鈴木博義と神田の古賀書店(現存)で、戦前の楽譜を漁る。平尾貴四男の「フルート小奏鳴曲」 などに興味を持つ。 平尾貴四男に師事したいと考え、鈴木と平尾宅を訪れ師事を願ったが、療養中で断られ二人は失望して帰る。
平貴志四男の《フルート小奏鳴曲》に興味を持ち、鈴木博義と平尾の家を訪ね、師事を願ったが、療養中で断られる
12月12日作曲家:清瀬保二《ヴァイオリン・ソナタ第一番》を聴き感動
結核の症状が進み始める
1948年18才
6月10日毎日ホールで開かれた「新作曲派協会第二回作品発表会」を聴いている。メンバーは清瀬保二、早坂文雄、松平頼則、伊福部昭、塚谷晃弘、荻原利次、石田一郎、小船幸次郎、渡辺浦人がいた。ヨーロッパ的作品ではなく日本的、民族的な主張を持っていたと言われているグルプであった。この発表会で、武満は同時代の作曲家の室内楽作品に接し、清瀬保二の《ヴァイオリンとピアノのためのソナタ》《第一ヴァイオリン ソナタ》が心に響いた
6月27日「日米現代音楽祭」ポスターを見てチケットを買うために、東宝交響楽団の事務局を訪れ、親切そうな事務職員(高田)に自分も作曲家志望だと名乗り、誰かに師事したいことを話した。そして一人の作曲家の名前をあげた。武満は自作品の楽譜を高田氏に託し、清瀬保二に届けてもらうことにした
数日後に高田から清瀬保二に認められたから訪ねるように伝えられ、世田谷の小田急線祖師ヶ谷大蔵駅近くに住む作曲家の清瀬保二に会いに行ったが、留守のため上がり込んで清瀬の帰宅を待った。やがて帰宅した清瀬に才能を認められ入門が許される
ピアノ曲「二つのメロディ」作曲
後年、清瀬は武満について『かれの鉛筆書きの譜面を見て、まず非常に耳がいいなと思いました。そのかわり一週間たっても数小節しか書いてこないんだ。だけど、とっても緻密に書くんです。ちょっと驚いたですよ。そして、それを弾いてみてね、手を加える必要はないと思ったですよ。スタイルがこれだけ個性的なんだから、妙にありきたりのハーモニーのレッスンなんかやる必要ないと思った。このままほっておいても、芸術観や方向さえしっかりしていれば大丈夫だという感じがしました。それでレッスンのほうも、おしゃべりのほうで毎週毎週、時間が経ったようなものだ』と述べている。武満は師からいろいろな作曲家の楽譜を渡されている
清瀬保二を通して松平頼則、早坂文雄と面識を得る
ヂュポワ「和声学」、リムスキー・コルサコフ「管弦楽法」を勉強
要約:小野光子著、「武満徹/ある作曲家の肖像」、音楽之友社、2016年9月10日出版、P28ー31
1949年19才
親戚の勧めで東京音楽学校(現、芸大)作曲科を受験、2日目の試験を放棄し映画を観る
3月猪野賢二教諭の計らいで京華高等学校卒業
ピアノ曲「ロマンス」作曲し清瀬保二に献呈。《クラヴサンのために》が清瀬に評価され、新作曲派協会会員推薦曲となる
この頃、一柳慧と出会い、メシアンの音楽を知る
1950年20才
10月「新作曲派協会」に鈴木博義と正式入会
詩人・美術評論家:瀧口修三と出会い、同時代の海外の新しい文化的情報を得るようになる
12月7日師の清瀬保二らが開催した「新作曲派協会」第七回発表会でピアノのための《2つのレント》が、藤田晴子により初演され、 読売ホールの楽屋を初対面の秋山邦晴、 湯浅譲二のふたりが感激して訪れる。 しかしこのデビュー作品は一般には不評だった。
《二つのレント》の山根銀二の東都新聞への批評には、『武満徹の作品は音楽以前である』という酷い内容であった。武満には相当堪えたといわれている
近所に住む友人の姉で劇団四季の女優:若山朝香と親しくなる(後に二人は結婚する)
1951年21才
1月14日NHKラジオ「現代日本」の時間で《二つのレント》ピアノ:藤田晴子が放送された
5月31日「新作曲派協会」第八回作品発表会で、瀧口修三の詩画集「妖精の距離」に触発されて作曲した《妖精の距離》が諏訪晶子(ヴァイオリン)、伊東昭子(ピアノ)により初演
6月瀧口修三の口添えで美術雑誌「アトリエ」に執筆、初めて原稿料を得る
9月頃読売新聞社の海藤日出夫から瀧口修三を通して、バレエ《生きる悦び》制作の話が持ち上がった
11月頃、評論家/瀧口修三の命名により、音楽、造形芸術、詩を志す二十代の生年が集まり「実験工房」結成に参加。メンバー:(音楽)佐藤慶次郎、鈴木博義、園田孝弘、武満徹、福島和夫、湯浅譲二、(詩・評論)秋山邦晴、(照明)今井直次、(造形)大辻清司、北代省三、駒井哲郎、福島秀子、山口勝弘、(技術)山崎英夫
11月16日「実験工房」第一回作品発表会にバレエ《生きる悦び》発表した
1952年22才
「新作曲派協会」脱会
早坂文雄のもとで映画「長崎の歌は忘れ字」「美女と野獣」の仕事を手伝う
8月9日実験工房第四回発表会でピアノ曲《遮られない休息》園田高弘のピアノにより初演
瀧口修三脚本による映画「北斎」の音楽を担当
1953年23才
6月結核で慶応病院入院
谷川俊太郎と出合う
北海道《美幌町町歌》作曲、作詩:大下孝一
1954年24才
団伊玖磨の好意で鎌倉の私邸を借り横須賀に移住
3月完治前に慶応病院退院。病気のため実験工房の活動から遠ざかる
6月結婚。劇団「四季」に所属していた若山浅香と結婚し大田区洗足池に引っ越す
新日本放送(現在の毎日放送)の朝の歌の時間に《さようなら》(詩・秋山邦晴)を作曲
岡本太郎を知っていた縁で画家の芥川也寸志夫人(沙織)を知り芥川家に出入りする
ピアノを持ってない話を芥川から聞いた黛敏郎の好意で、夫人のピアノ(ガルブランセン)を譲られた
早坂文雄が担当した黒澤明監督作品「七人の侍」の映画音楽を佐藤慶太郎、佐藤勝とともに手伝う
ジャズスタンダードの編曲で生活費を稼ぐ
1955年25才
2月NHKラジオ「音の四季」仕事
4月療養を兼ねて鎌倉市佐助へ転居
早坂文雄の《ユーカラ》を聴く
7月12日実験工房第七回演奏会「室内楽作品演奏会」で《室内協奏曲》が外山雄三指揮/N響メンバーにより初演
10月新日本放送のラジオドラマ「炎」(井上靖:作/吉村保三:演出)の音楽をミュージック・コンクレートで制作、この音楽をもとに《ルリエフ・スタティク》を完成
10月15日早坂文雄の訃報を知り悲しむ
芥川也寸志や黛敏郎の映画音楽の手伝い
ミュージック・コンクレート《ルリエフ・スタティク》初演
youtube混声合唱のための《うたⅠ》より「小さな部屋で」 (作詩:川路明)
<第25回記念演奏会>
指揮:武重政宏/演奏:混声合唱団CADENZA
(2017年9月24日 於 京都市立京都堀川音楽高校音楽ホール)より
1956年26才
1月「私の方法 ミュージック・コンクレートに就いて」雑誌「美術評論」に掲載
2月、実験工房主催「ミュージック・コンクレート、電子音楽のオーディション」で《ルリエフ・スタティク》を初演
7月映画音楽「狂った果実」音楽担当(中平康共作:佐藤勝)
新日本放送の委嘱で《ヴォーカリズムA・I》を作曲、放送
作品:《ヴォーカリズムAーⅠ》《木・空・鳥》《クラップ・ヴォーカリズム》《ユリディース》、映画音楽「朱と緑」音楽担当(監督:中村登)ほか、舞台「愛の条件」「背むしの聖女」音楽担当(以上劇団四季)、「窓は見ている」音楽担当(現代舞踏三人の会)、「Kの死」音楽担当(文学座、音響効果担当 共作:秦和夫)、「タンクロスの踊り」音楽担当(劇団青年座)、ラジオ「Kの死」音楽担当(朝日放送)、「秋の蝶」音楽担当(文化放送)、「人間家族」音楽担当(新日本放送)
1957年27才
《ルリエフ・スタティク》《ユリディス・ラ・モル》《ヴォーカリズムA・I》の3曲が、 黛敏郎、諸井誠の共作による電子音楽《7のヴァリエーション》との組み合せでLPレコードになる
《弦楽のためのレクイエム》(東京交響楽団委嘱作品)「東京交響楽団定期演奏会」で上田仁の指揮により初演された。
この曲は亡き早坂文雄に捧げられた『ぼくはこの曲を書きながら、しばしば早坂文雄氏を憶い、その死を悼みました。』(武満徹)
後にストラヴィンスキーが激賞したと誤って報道され伝わった。『この間違いは、ストラヴィンスキーが日本の作曲家の作品を知るため、ヒューエル・タークイやハロルド・クルサーズと共に、様々な作品のテープやスコアを調べていた時の福島和夫の作曲した《エカーグラ》について『これはいい曲だ。実にいい曲だ』のコメントであり、これが武満作品と混同され激賞したと誇張されて伝わったのだ。この誤った報道は1971年ヨーロッパで武満作品の特集で引用され、初期代表作として海外の演奏会でも取り上げられた。
ヒューエル・タークイは、1963年1月号「音楽芸術」の<特集/現代日本作曲家論>に”《弦楽のためのレクイエム》は東京のあらゆオーケストラによって演奏されており、東京以外でも数多く演奏されている。それはヨーロッパやアメリカでも演奏されているし、日本の作曲家の最初の後世に残る《古典》の一つと考えられよう”と掲載されている』(注1.)
大江健三郎と知り合う
作品:《弦楽のためのレクイエム》、映画「土砂降り」音楽担当(監督:中村登)、舞台「トロイ戦争は起こらないだろう」音楽担当(劇団四季)、「守銭奴」音楽担当(文学座)、「女王・雪の夜のマリア・水族館にて」音楽担当(銀の会)、ラジオ「現代の十字路・菅生事件の記録」音楽担当(TBS)、「遭難碑」音楽担当(文化放送)、「男の死」音楽担当(NHK)ほか
注1.要約:ウィキペディア「弦楽のためのレクイエム」より
動画《弦楽のためのレクイエムRequiem for Strings Orchestra(1957)》
指揮:小澤征爾/新日本フィルハーモニー
Seiji Ozawa, conductor / New Japan Philharmonic
ライブ収録:1990年(平成2)11月6日/東京文化会館
1958年28才
7月、NHK委嘱の《黒い絵画》がイタリア放送コンクール、イタリア賞受賞
8月弦楽器のための《ソン・カリグラフィⅠ》、二十世紀音楽研究所主催・軽井沢第2回現代音楽祭の作曲コンクールに応募し、第一位入選。フランス大使賞、音楽之友社出版賞を受賞した。
10月NHKの委嘱作品イタリー放送協会(RAI)コンクール参加作品《言葉と音楽のための3つの形象》の第一部「黒い絵画」(秋山邦晴:詩)が他の二作(林光、入野義郎)とともにイタリア大賞(グランプリ)を受賞
11月NHK委嘱、オーケストラのための《ソリチュード・ソノール》が外山雄三指揮/NHK交響楽団によって放送初演され、この作品によって芸術祭個人奨励賞受賞
ラジオドラマ「心中天の綱島」(毎日放送)
作品:《ソン・カリグラフィⅠ,Ⅱ》《黒い絵画 レオノール・フィニーによる》《ソリチュード・ソノール》《空・馬・そして死》《パナンペの思いがけない勝利》(詩:谷川俊太郎)、歌《うたうだけ》(詩:谷川俊太郎)後に混声合唱曲に編曲、映画音楽「顔役」音楽担当(中村登)、「国性爺」音楽担当(文学座)、ラジオ「夢の星」「遠い声」「チルドレンズ・コーナー」音楽担当(以上/朝日放送)ほか
YouTube《うたうだけ》 (作詩: 谷川俊太郎)
<岡崎混声合唱団 岡崎高校コーラス部 第38回定期演奏会>
指揮: 近藤惠子/演奏: 岡崎混声合唱団
2017.03.26 刈谷市総合文化センターアイリス大ホール
1959年29才
4月来日したストラヴィンスキーが偶然聴き、『この音楽は実にインテンス、まったくきびしい。このようなきびしい音楽があんな、ひどく小柄な男から生まれるとは』と絶賛した。「二十世紀音楽研究所」のメンバーとなる
8月「警職法」反対を動機に集まった(メンバー:江藤淳、石原慎太郎、大江健三郎、城山三郎、山川方夫、谷川俊太郎、羽仁進、浅利慶太、吉田直哉)とシンポジューム「発言」を開催
10月短編ドキュメンタリー《ホゼー・トレス》(監督:勅使河原宏)
作品:《シーン》《マスク 1. コンティニュ 2. インシデンタルⅠ》《遮られない休息 2. 静かに残酷な響きで 3. 愛のうた》、映画「春を待つ人々」「いたづら」「危険旅行」音楽担当(以上/監督:中村登)、《ホゼー・トレス》音楽担当(監督:勅使河原宏)、舞台「怒りおこめてふり返れ」音楽担当(文学座)、「海賊」「死せる女王」音楽担当(以上/劇団四季)、ラジオ「女面」音楽担当(朝日放送)、「ポジション」音楽担当(NHK)、「鏡子の家」音楽担当(毎日放送)、TV「あざのある女」音楽担当(TBS)
1960年30才
12月千代田区富士見町へ転居
3月草月アートセンターの呼びかけで「作曲家集団」を組織、メンバー:林光、松平頼暁、黛敏郎、諸井誠、芥川也寸志、三善晃、間宮芳生、岩城宏之、武満徹
4月「作曲家集団」第二回例会「武満徹個展」で、《水の曲》弦楽四重奏のための《ランドスケープ》を初演
5月30日安保条約締結に抗議する若い芸術家たちと「若い日本の会」を結成。この会の集会招請状には、江藤淳・浅利慶太・石原慎太郎・大江健三郎・開高健・武満徹・寺山修司・谷川俊太郎など、 当時の20代の新進作家たちが名を連ねた。そしてこの会の特徴は、指導部や綱領をもたない、メンバー各自の自発的な集まりである点にあった
7月精神的肉体的に衰弱し入院
9月第一回東京現代音楽祭で《弦楽のためのレクイエム》が再演され、ドイツ大使賞を受賞
テープ音楽《水の曲》作曲
作品:《クワイエット・デザイン》《ランドスケープ》《ソン・カリグラフィⅢ》《水の曲》《マスク 3. インシデンタルⅡ》、映画「乾いた湖」音楽担当(監督:篠田正浩)、舞台音楽「狼生きろ豚は死ね」/舞台音楽「お芝居はおしまい」(以上/劇団四季)、ラジオ「白い恐怖」音楽担当/「常陸坊海尊」音楽担当(以上/朝日放送)、「ことばの広場」音楽担当(NHK)ほか、TV「日本1960」音楽担当(TBS)ほか
1961年31才
9月千代田区富士見町から草月会館に近い赤坂表町に転居
4月東京音楽会議に来日したヤニス・クセナキス、ルチアーノ・ベリオ等と会う
「作曲家集団」グループ・エグジビション第一回で《ピアノ・ディスタンス》が高橋悠治により初演された
5月日本フィルハーモニー交響楽団シリーズ第六作として、オーケストラ曲《樹の曲》が初演された
8月二十世紀音楽研究所第四回音楽祭<現代音楽祭>でジョン・ケージ等米国前衛音楽に接する。三人の奏者のための《環(リング)》初演され、ドイツ大使賞を受賞
12月長女:真樹 誕生
作品:《ピアノ・ディスタンス》《樹の曲》《環リング》《風の馬 1. 第1ヴォカリーズ 2. 指の呪文》、歌《恋のかくれんぼ》(詩:谷川俊太郎)後に混声合唱曲に編曲、歌《〇と△の歌》(詩:武満徹)後に混声合唱曲に編曲、歌《3たす3と3ひく3》(詩:谷川俊太郎)、映画「斑女」音楽担当(監督:中村登)、「もず」音楽担当(監督:渋谷實)、「不良少年」音楽担当(監督:羽仁進)、「人間動物園」音楽担当(監督:久里洋二)、舞台音楽「地獄のオルフェウス」(文学座)、舞台音楽「おまえの敵はおまえだ」(俳優座)、TV「あなたは誰でしょう」音楽担当(NHK)、「ムックリを吹く女」音楽担当(北海道放送)
YouTube《◯と△のうた 小さな空 》(武満徹:詞・曲)
東京混声合唱団 第248回定期演奏会より
(◯と△のうた)指揮:キハラ良尚、(小さな空)指揮:田中信昭
2018年12月15日 東京文化会館小ホール
1962年32才
2月映画「もず」「不良少年」音楽担当で第16回毎日映画コンクール音楽部門賞受賞
第17回毎日映画コンクール 「切腹」音楽担当(松竹)、「おとし穴」音楽担当(勅使河原プロ)で音楽部門賞受賞
文化放送委嘱のソプラノとオーケストラのための《環礁》(大岡信:詩)が放送初演された
「東京混声合唱団定期演奏会」で女声合唱のための《風の馬》(秋山邦晴:詩)が初演された
第三回東京現代音楽で室内楽作品《サクリファイス》が初演された
作品:《ピアニストのためのコロナ》《環礁》《サクリファイス》《クロッシング》《弦楽器のためのコロナⅡ》、歌《小さな空》(詩:武満徹)、映画「充たされた生活」音楽担当(監督:羽仁進)、映画「からみあい」「切腹」音楽担当(監督:小林正樹)、映画「おとし穴」音楽共作:一柳慧・高橋悠治(監督:勅使河原宏)、映画「涙を」・「獅子の楯髪に」音楽共作:八木正生(篠田正浩)、映画「裸体」成沢共作:湯浅譲二(成沢昌茂)、映画「熱海ブルース」音楽担当(監督:ドナルド・リナー)、舞台「黒の悲劇」・「白夜」音楽担当(文学座)、ラジオ「ガン・キング」・「黒い長い影の記録」・「心の宇宙を行く」音楽担当(TBS)、TV「廃墟」・「日本の文様」音楽担当(NHK)、「祭」音楽担当(北海道放送)
youtube《うたI》”小さな空 Small Sky”(作詞:武満徹)
2013年公開の映画『ハーメルン』のエンドタイトル曲
唄:倍賞千恵子/演奏/栗コーダーカルテット/編曲/関島岳郎
youtube《環礁》
外山雄三:指揮/東京都交響楽団、浜田理恵(S.)
1963年33才
世田谷区成城に転居。
3月ハワイ大学イースト・ウェスト・センターの<今世紀の芸術>祭にジョン・ケージとともに招かれる
5月「武満徹←1930…∞」を自費出版
6月《環礁》がパリのユネスコ/国際音楽評議会(IMC)の国際作曲家会議第5位。
10月東京で、NHK交響楽団が東京オリンピック芸術展示公演のために委嘱した《テクスチュアズ》が、高橋悠治、岩城宏之指揮/NHK交響楽団により初演
11月NHK委嘱芸術祭参加作品として《独奏ピアノとオーケストラのための弧(アーク)》第一・第三楽章が放送初演された
作品:歌《素晴らしい悪女》(詩:永田文夫)、歌《雪》(仏語詩:瀬木真一)、歌《見えないこども》(詩:谷川俊太郎)、歌《雲に向かって起つ》((詩:谷川俊太郎)、煮え県立上野市立西小学校校歌(詩:橋本鶏二)、三重県立四日市南高等学校校歌(詩:谷川俊太郎)
1964年34才
長野県北佐久郡御代田町に山荘を購入し作曲活動の拠点にする
2月映画「砂の女」音楽担当
3月ハワイ・イースト・ウェストセンター主催「今世紀の音楽と美術フェスティヴァル」にジョン・ゲージと共に招待され、《弦楽のためのレクイエム》《ピアノのためのクロッシング》ケージ独奏など多くの作品が演奏された
5月「コレクティヴ・ミュージック演奏会」を一柳慧、小杉武久と開催し、《タイム・パースペクティヴ》を初演
7月映画「暗殺」音楽担当
10月「N響オリンピック記念演奏会」で新作オーケストラのための《テクスチュアズ》を初演
作品:《ブルー・オーロラ・・・一柳慧のための》《タイム・パースペクティヴ・・・ジャスパー・ジョーンズのための》《テクスチュアズ》、映画「砂の女」・「白い朝」音楽担当(監督:勅使河原宏)、映画「乾いた花」音楽共作:高橋悠治・「暗殺」音楽担当(監督:篠田正浩)、映画「手をつなぐ子ら」音楽担当(監督:羽仁進)、映画「二十一歳の父」音楽担当(監督:中村登)、映画「日本脱出」音楽共作:八木正生(監督:吉田喜重)、映画「女体」音楽担当(監督:恩地日出夫)、映画「自転車泥棒」音楽担当(監督:和田嘉訓)、映画「怪談」音楽担当(監督:小林正樹)、舞台「一の谷物語・・・琴魂」音楽担当(寿大歌舞伎)、TV「青春の碑」音楽担当(日本テレビ)、「目撃者」音楽担当(RKB毎日放送)ほか
1965年35才
長野県御代田町に山荘を求め、作曲活動の拠点とした
パリの1965年度「国際現代作曲家会議」で《テクスチュアズ》が最優秀作品賞を受賞
「第六回東京現代音楽祭」で室内楽作品《ソナント(ヴァレリア)》初演された
作品:《ソナント》、歌《三月のうた》(詩:谷川俊太郎)《死んだ男の残したものは》(詩:谷川俊太郎)、映画「美しさと哀しみと」・「異聞猿飛佐助」音楽担当(篠田正浩)、映画「最後の審判」音楽担当(監督:堀川弘通)、映画「ブワナ・トシの歌」音楽担当(羽仁進)、映画「四谷怪談」音楽担当(監督:豊田四郎)、映画「けものみち」音楽担当(須川栄三)、映画「ホゼー・トレス」音楽担当(監督:勅使河原宏)、TV「ある女の影」音楽担当(TBS)、「源氏物語」音楽担当(毎日放送)ほか
youtube混声合唱のための《うた》より「死んだ男の残したものは」(作詞:谷川俊太郎)
指揮:沼尻 竜典/合唱:東京混声合唱団
2019.12.14. 東京文化会館小ホールにてライブ撮影
1966年36才
5月5月1,2,4日現代音楽祭「オーケストラル・スペース」を一柳慧と企画・構成し、日生劇場で開催され、尺八と琵琶のための《エクリプス》を初演。琵琶と尺八のための《触》が小澤征爾の目に留まる
6月《テクスチュアズ》がパリのユネスコ/IMC国際作曲家会議最優秀作品賞受賞
8月「武満徹の音楽」四枚組LPレコード全集(日本ビクター)制作され、第21回芸術祭参加レコードとして大賞受賞し、レコードアカデミー賞も受賞
9月指揮者として来日したアーロン・コープランドが、武満のオーケストラ作品を聴き、「今日の大作曲家のひとり」と絶賛
11月「空間から環境へ」展の一環「AYーOの会」で、シアター・ピース《七つの丘の出来事》がジャスパー・ジョーンズ等により初演された
12月小澤征爾の紹介で、ニューヨーク・フィルから琵琶と尺八を独奏にしたオーケストラの作品を書くように依頼される。同楽団からの委嘱は日本人初となった
オーケストラとピアノのための《弧》小澤征爾:指揮/読売日本交響楽団/高橋悠治(P)により初演
クーセヴィツキー財団委嘱作品《地平線のドーリア》作曲完成
1967年37才
2月アーロン・コープランド指揮/サンフランシスコ交響楽団により、クーセヴィツキ財団委嘱作品 17の弦楽器のための《地平線のドーリア》を<ムジカ・ヴィヴァ・フェスティバル>で初演(レコード初演は前年に若杉弘指揮読売日本交響楽団)。同作品により アメリカ西海岸音楽批評家賞受賞。
8月小澤征爾を通じてニーヨーク・フィル音楽監督レナード・バーンスタインにより同楽団125周年記念の作品を委嘱された琵琶、尺八とオーケストラのための《ノヴェンバー・ステップ》を作曲
10月より6カ月間、ロックフェラー3世財団の招きにより、ニューヨークに滞在
11月9、10、11、13日、ニューヨーク・フィルハーモニック創立125周年記念委嘱作品尺八、琵琶、オーケストラのための《ノヴェンバー・ステップス》が、小澤征爾:指揮/ニューヨーク・フィル 鶴田錦史(琵琶)、横山勝也(尺八)で初演されて注目された
12月小澤征爾指揮トロント交響楽団による演奏会とRCAビクターのレコード録音のため、トロントに滞在。
カリフォルニア州立大学客員教授
作品:映画音楽「伊豆の踊子」(監督:恩地日出夫)、映画音楽「上意討ちー拝領妻始末」(監督:小林正樹)、映画音楽「あかね雲」(監督:篠田正浩)、映画音楽「乱れ雲」(監督:成瀬巳喜男)、TV音楽「剣」(日本テレビ)ほか
動画《ノヴェンバー・ステップ》指揮:小澤征爾
1968年38才
2月アメリカからの帰途パリにより、帰国
3月成城から目黒区東山へ転居
1970年開幕の大阪万博鉄鋼館音響プロデューサーを委縮される
二つのバンドネオンとテープのための《画家サム・フランシスのためのクロストーク》作曲
6月一柳慧と第二回「オーケストラル・スペース」現代音楽祭を企画・構成。《ノヴェンバー・ステップ》日本初演、《クロストーク》世界初演
10月小澤征爾指揮、トロント交響楽団定期演奏会で、来春まで毎回作品が演奏される
12月ピアノとオーケストラのための《アステリズム》作曲
家族と共にニューヨークへ
作品:《クロス・トーク~画家サム・フランシスのため》、映画音楽「京」(監督:市川崑)ほか、TV音楽「元禄一代女」(朝日放送)ほか
1969年39才
1月家族とカナダ・トロントへ。滞在する
14、15日、トロントで、RCAビクター委嘱、ピアノとオーケストラのための《アステリズム》が、高橋悠治(ピアノ)、小澤征爾指揮トロント交響楽団により初演
ピーター・ゼルキンと知り合う(小澤征爾仲介)
2月帰国
10月装幀を手がけた「中井英夫作品集」(三一書房)刊行。図形楽譜《ブルー・オーロラ》を用い、表紙の折り方、用紙の指定も行った
オーストラリア<キャンベラ・スプリング・フェスティヴァル>のテーマ作曲家
11月大阪万博ガス館の壁画取り付けるため来日したジョアン・ミロと知り合う
12月大阪万博「鉄鋼館スペース・シアター」のための、二群のオーケストラ、独奏楽器と女性コーラスのための《クロッシング》作曲完成
作品:《スタンザー》《ヴァレリア》《ソナント》《クロッシング》、映画音楽「心中天綱島」(監督:篠田正浩)ほか、TV音楽「黒澤明シリーズ」(TBS)ほか
1970年40才
渋谷に転居
3月から始まった、大阪の万国博覧会、鉄鋼館<スペース・シアター>の音楽監督として「今日の音楽」ほかの演奏会を企画。
大阪万博鉄鋼館音楽プロデュースによる「今日の現代音楽祭」が四日間開催され、海外作曲家の参加のシンポジュームも開かれた
11月東京で、日本ロッシュ音楽基金委嘱、《ユーカリプスI》が、オーレル・ニコレ、ハインツ・ホリガー、ウルスラ・ホリガー、 ポール・ザッヒャー指揮/コレギアム・ムジクス・チューリッヒにより初演。
1971年41才
IOCの委嘱で札幌オリンピックのオーケストラ曲《冬》作曲
6月シカゴのラヴィニア・フェスティヴァルで、同フェスティヴァル委嘱、《カシオペア》が、ツトム・ヤマシタ、小澤征爾指揮シカゴ交響楽団によって初演
8月マールボロ音楽祭、ゲスト作曲家
10月パリ国際音楽週間(SMIP)「現代音楽の日々」、テーマ作曲家
エッセイ集『音、沈黙と測りあえるほどに』を新潮社より出版
1972年42才
2月カリフォルニア工科大学現代音楽シリーズ<エンカウンターズ>シリーズ、ゲスト作曲家
3月フランス国営放送(ORTF)委嘱作品《ジェモー》(第1楽章のみ)が、ロワイアン国際現代芸術フェスティヴァルで初演されるため、渡仏。ジャン・クロード・マルゴワール(オーボエ)、ヴィンコ・グロボカール(トロンボーン)の独奏、ジルベール・アミとミシェル・タバクニク:指揮/フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団の演奏が、演奏会直前に、フランスのラジオ放送局とオーケストラの組合との間で、2群のオーケストラのために作曲された作品を演奏する場合の演奏家の出演料をめぐって争議が起こり、演奏会がキャンセルされた
12月、ヤニス・クセナキス、ベッツィー・ジョラス、モーリス・フルーレなど、フランスの音楽家たちとともに、インドネシアのジャワ島とバリ島へ旅行。
1973年43才
5月<ロンドン・ミュージック・ダイジェスト>シリーズ、テーマ作曲家
東京の西部劇場<今日の音楽>の音楽監督に就任。この現代音楽祭は92年まで毎年開催された
8月小説『骨月-あるいは a honey moon』を私家版で出版
9月13日東京で鶴田錦史の委嘱による《秋》が、鶴田(琵琶)、横山勝也(尺八)、小澤征爾指揮新日本フィルハーモニー交響楽団により初演
10月30日東京で、国立劇場委嘱、雅楽《秋庭歌》が宮内庁式部職楽部により初演
ハーヴァード大学客員教授
1974年44才
11月東京で、日生劇場が音楽シリーズ100回記念として、<武満徹フェスティヴァル>開催
1975年45才
1月エール大学客員教授。同大学からサンフォード賞を受ける
2月トロントの<ニュー・ミュージック・コンサーツ>シリーズ、ゲスト作曲家
3月ルーカス・フォス指揮ブルックリン・フィルハーモニアの<ミート・ザ・モダン>シリーズ、ゲスト作曲家
9月1日、東京で、FM東京『TDKオリジナル・コンサート』200回記念委嘱、《カトレーン》が、アンサンブル・タッシ、小澤征爾指揮/新日本フィルハーモニー交響楽団により初演この作品により文化庁芸術祭大賞を受賞
10月、エッセイ集『樹の鏡、草原の鏡』を新潮社より出版。
1976年46才
東京都東村山市に転居
2月《カトレーン》が尾高賞受賞
4月中国人民対外友好協会の招きで、日本音楽家代表団の一員として中国を訪問
1977年47才
10月ビートルズなどのポピュラー・メロディーをギター独奏のために編曲した《ギターのための12の歌》が、荘村清志の演奏によりレコード初演
11月30日および12月1、2、3日、サンフランシスコで、ラルフ・I・ドルフマン博士夫妻がサンフランシスコ交響楽団のために委嘱した《鳥は星形の庭へ降りる》 が、エド・デ・ワールト指揮/サンフランシスコ交響楽団により初演
12月ニューヨーク州立バッファロー校<現代音楽の夕べ>テーマ作曲家
1978年48才
7月<国際現代芸術の出会い>フェスティヴァル(ラ・ロシェル)国際現代音楽フルート・コンクール審査員
9月ワシントンのアメリカ音楽国際演奏コンクール審査員
10月から12月にわたってパリで開催された<パリの秋>フェスティヴァルで、建築家の磯崎新とともに「日本の時空間<間>」展の芸術顧問
日本の現代音楽と伝統音楽の演奏会17回を企画・構成する
10月19日ニューヨークのビーコン劇場で、ピータ・ゼルキンとタッシの企画・演奏による<タケミツ・フェスティヴァル>開催
1979年49才
5月、東ドイツ芸術アカデミー名誉会員。 9月28日、東京で、国立劇場委嘱、雅楽《秋庭歌》が、東京楽所により初演
1980年50才
1月川田順造との共著『音・ことば・人間』を、岩波書店より出版
3月ヴァンクーヴァー現代音楽祭、テーマ作曲家
カナダ国営放送(CBC)作曲コンクール審査員
4月エッセイ集『音楽の余白から』を新潮社より出版
5月24日東京で、民音現代作曲音楽祭委嘱、《遠い呼び声の彼方へ!》が、アイダ・カヴァフィアン(ヴァイオリン)、尾高忠明:指揮/東京都交響楽団により初演
映画のための音楽48曲を10枚組LPにまとめた自薦映画音楽集『武満 徹の映画音楽』が、日本ビクターより発売される
6月日本芸術院賞受賞
8月ネザーランド・ダンス・シアターの芸術監督イリ・キリアンのユーロヴィジョン放送プロジェクトの依頼を受け、オーストラリアのグルート・アイランドに滞在
1981年51才
1月《遠い呼び声の彼方へ!》が、尾高賞受賞
2月より、NHKの連続テレビ・ドラマ『夢千代日記』の音楽を担当
3月カリフォルニア大学サン・ディエゴ校客員教授。カル・アーツ現代音楽祭、ゲスト作曲家
トロントで《海へ》の第1部「夜」が、ロバート・エイトケン(アルト・フルート)、レオ・ブローウェル(ギター) により初演。第2部「白鯨」、第3部「鱈岬」を加えた全曲の初演は、小泉弘と佐藤紀雄により、東京で、5月31に行われた
23日、ニューヨークで、東京クァルテット結成10周年記念委嘱、弦楽四重奏のための《ア・ウェイ・ア・ローン》が、同クァルテットにより初演
2~3月ニューヨークのジャパン・ソサエティ主催により、音楽を担当した映画13本の連続上映会
4月小澤征爾との対談集『音楽』を新潮社より出版
9月ドイツのDAAD招聘作曲家。ベルリン芸術週間<ジャパン・イン・ベルリン>、ゲスト作曲家
11月モービル音楽賞受賞
1982年52才
6月27日札幌で、ネザーランド・ダンス・シアター委嘱、《夢の時》が、岩城宏之:指揮/札幌交響楽団により初演。また、同演奏会で、《ア・ウェイ・ア・ローン》 と《海へ》の弦楽オーケストラ版も初演された
10月21日東京で、早稲田大学創立百周年記念委嘱、《星・島(スターアイル)》が、岩城宏之指揮早稲田大学交響楽団により初演
10月26日ロンドンで、ロンドン・シンフォニエッタがグルベンキアン財団の寄付により委嘱した、室内オーケストラのための《雨ぞふる》が、 オリヴァー・ナッセン指揮同オーケストラにより初演
youtube《うたⅡ集》より ”翼”
小川明子(アルト)Akiko OGAWA (Alto)
山田啓明(ピアノ)Hiroaki YAMADA (Piano)
2016年9月25日,埼玉県熊谷市,熊谷文化創造館さくらめいと 太陽のホール
1983年53才
母の死
4月トロントの<ニュー・ミュージック・コンサーツ>シリーズ、ゲスト作曲家
4月~6月、ハーヴァード大学、ボストン大学、エール大学、コロラド大学などで講義
6月ニューヨーク・フィルハーモニックの現代音楽祭<ホライゾン>に参加
同月から7月にかけて、コロラド音楽祭、ゲスト作曲家
9月メシアン作曲コンクール(フランス)審査員
11月<国際現代音楽の出会い>フェスティヴァル(メッツ)の作曲家会議に出席
youtube《うたⅡ集》より ”島へ”
“meets” & VoxMEA ジョイントコンサートより
1984年54才
3月12日東京で、岩城宏之指揮東京混声合唱団が、<武満徹の合唱作品>特別演奏会。 《死んだ男の残したものは》(詩:谷川俊太郎)、《さようなら》(詩:秋山邦晴)、《〇と△のうた》(詩:武満徹) の混声合唱版の初演を含む、混声合唱のための『うた』10曲と《風の馬》が演奏される
映画エッセイ集『夢の引用』を岩波書店より出版
6月オールドバラ音楽芸術祭開始以来、はじめてのテーマ作曲家
7月アメリカ芸術文学アカデミー・インスティテュート名誉会員
10月2日バーミンガムで、フィーニー財団がバーミンガム市交響楽団のために委嘱した《虹へ向かって、パルマ》が、 ジョン・ウィリアムス(ギター)、ピーター・ウォルドン(オーボエ・ダモーレ)、サイモン・ラトル:指揮/バーミンガム市交響楽団により初演
1985年55才
1月朝日賞受賞
2月から3月にかけて開催された、バンフ・センターの<現代音楽の日々>テーマ作曲家
5月フランス政府より、芸術文化勲章受章
ポンティーノ音楽祭ゲスト作曲家
9月9日京都で、京都信用金庫創立60周年記念委嘱、《夢窓》が、小澤征爾:指揮/京都市交響楽団により初演
11月ロンドン・シンフォニエッタが第1回<レスポンス>で、<スポットライティング・タケミツ>開催
12月エッセイ集「音楽を呼びさますもの」を新潮社より出版
1986年56才
黒澤明監督映画「乱」音楽担当等により日本アカデミー賞音楽賞受賞
1月メルボルン・サマー・ミュージック・フェスティヴァル、ゲスト作曲家
2月フランス芸術院名誉会員
5月デンマーク放送局、ゲスト作曲家
6月から7月にかけて開催されたロンドンのアルメイダ国際現代音楽祭、テーマ作曲家
8月ングルウッド・フェスティヴァル現代音楽祭、ゲスト作曲家
10月15日東京で、サントリーホールが開設記念国際作曲委嘱シリーズ第1回として委嘱した《ジェモー》が、 ブルクハルト・グレツナー(オーボエ)、ヴィンコ・グロボカール(トロンボーン)、新日本フィルハーモニー交響楽団、 東京フィルハーモニー交響楽団、井上道義および尾高忠明の指揮により初演。以降、シリーズ監修者を務める
同月、イギリス国営放送テレビBBC Twoテレビが特集番組「13 Steps around Toru Takemitsu」を製作、放送
1987年57才
2月映画『乱』(監督黒沢明)の音楽により、ロサンゼルス映画批評家賞受賞
5月セント・ポール室内管弦楽団、ゲスト作曲家
6月「夢と数」をリブロポートより出版
8月11日エディンバラ国際フェスティヴァルで、スコットランド郵政局がユーディ・メニューインのために委嘱した《ノスタルジア-アンドレイ・タルコフスキーの追憶に-》 がメニューイン(ヴァイオリン)、ピーター・マックスウェル=デーヴィス:指揮/スコティッシュ・チェンバー・オーケストラにより初演
9月グラスゴーのスコティッシュ・ナショナル・オーケストラ<ムジカ・ノーヴァ>フェスティヴァル>テーマ作曲家
10月メルボルン交響楽団、ゲスト作曲家
11月香港で開催された国際現代音楽協会/アジア作曲家連盟(ISCM/ACL)作曲コンクール審査員
1988年58才
4月ダラスのサザン・メソジスト大学ヴォイセス・オヴ・チェンジ、テーマ作曲家
7月第1回ニューヨーク国際芸術フェスティヴァル芸術顧問委員。芸術監督としてジャパン・ソサエティにおける4晩の演奏会を企画
9月京都音楽賞大賞受賞
1989年59才
2月7日ニューヨークのイサム・ノグチ追悼演奏会で、フルートのための《巡り-イサム・ノグチの追憶に-》が、ポーラ・ロビソンにより初演
9月から10月にかけて東京国際映画祭、インターナショナル・コンペティション審査員
10月日本文化デザイン会議賞国際文化デザイン大賞受賞
同月第1回飛騨古川音楽大賞受賞
11月ニューヨークで、コロンビア大学ドナルド・キーン日本文化センターとフリッツ・ライナー現代音楽センターが<音の心象 武満徹の音楽> を開催、講演会、演奏会、展覧会などが行われた
11月29、30日<パリの秋>フェスティヴァルで、同フェスティヴァルがフランス革命200周年を記念して委嘱した《ア・ストリング・アラウンド・オータム》 が今井信子(ヴィオラ)、ケント・ナガノ:指揮/パリ管弦楽団により初演
199060才
3月8、9、10、13日シカゴでシカゴ交響楽団がジョン・C・ステットソン夫妻の寄付により創立100周年を記念して委嘱した《ヴィジョンズ》がダニエル・バレンボイム:指揮/シカゴ交響楽団により初演
5月<ストックホルム・ニュー・ミュージック・フェスティヴァル>テーマ作曲家
6月イギリスのリーズ大学名誉音楽博士
同月リーズ・フェスティヴァル、テーマ作曲家
30日バーミンガム市交響楽団が、英国芸術振興会の助成により同フェスティヴァルのために委嘱した《マイ・ウェイ・オブ・ライフ》(詩=田村隆一)が、フランソワ・ル・ルー(バリトン)、オペラ・ノース合唱団(混声合唱)、サイモン・ラトル:指揮/バーミンガム市交響楽団により初演
7月イギリス、ダラム大学名誉音楽博士
同月アヴィニヨン・フェスティヴァル、テーマ作曲家
11月大江健三郎との共著『オペラをつくる』を岩波新書として出版
同月ハダースフィールド現代音楽祭、テーマ作曲家
12月フランス国際モーリス・ラヴェル賞受賞
この年、還暦(60歳)を記念する演奏会が東京を始め、ボストン、サン・フランシスコ、ロンドンなど、世界各地で開かれる
1991年61才
1月都民文化栄誉章授章
同月シカゴ交響楽団創立100周年記念委嘱作品、オーケストラのための《ヴィジョンズ》をはじめとする一連の作品により、毎日芸術賞受賞
5月サントリー音楽賞授賞
10月ユネスコ/IMC音楽賞授賞
10月~11月イギリス各地で開催された<ジャパン・フェスティヴァル>、ロンドンのバービカン・センターを中心に行われた<タケミツ・シグネチュア>の芸術監督を務める
同月、リチャード・ストルツマンの独奏で、モーツァルトの《クラリネット協奏曲》、ブラームスの《クラリネット五重奏曲》、そして、BBCの委嘱でこの年の9月に初演された武満のクラリネットとオーケストラのための《ファンタズマ/カントス》を三つの演奏会で結ぶというプロジェクト<1791-1891-1991>が、ウィーンでおこなわれた
1992年62才
4月シアトル・スプリング、テーマ作曲家。引き続き、<ヴァンクーヴァー・ニュー・ミュージック>ゲスト作曲家
5月1973年から毎年開催され音楽監督を務めていた<今日の音楽>が、第20回を区切りに終了
11月ポーランドの国際現代音楽協会(ISCM)主催<20世紀音楽の巨匠>シリーズの第1回テーマ作曲家
同月ワルシャワで<タケミツ・デイズ>が開催される
199363才
初めてのハリウッド映画「ライジング・サン」(監督フィリップ・カウフマン)のための音楽を作曲
5月武生国際音楽祭、テーマ作曲家
6月オールドバラ音楽芸術祭、テーマ作曲家。《群島S.》がオリヴァー・ナッセン:指揮/ロンドン・シンフォニエッタにより初演される
7月東京オペラシティ文化施設運営委員会顧問就任(95年11月からは芸術監督)
9月ベルリン・フェスティヴァル、ベルリン芸術週間のゲスト作曲家
10月国際交流基金賞(日本)授賞
11月ウィーン・モデルン、テーマ作曲家
11~り12月自筆の楽譜や絵画などの視覚的作品を集めた<武満徹展 -眼と耳のために->が、東京・文房堂ギャラリーで開催される
12月国際現代音楽協会(ISCM)名誉会員
1994年64才
ルイヴィル大学グロマイヤー作曲賞受賞
1月東京カルテット演奏のCDに収録されている《ア・ウェイ・ア・ローン》が、第36回グラミー賞最優秀現代作品部門にノミネートされる
同月英国の王立音楽院名誉会員
3月NHK放送文化賞授賞
4月映画音楽作曲家としての活動に焦点をあてたドキュメンタリー映画『Music for the Movies – Toru Tamemitsu』(邦題『光と音の詩 武満徹の映画音楽』)シャーロット・ズエーリン監督)が製作される
5月アジア作曲家連盟(ACL)名誉会員
7月札幌<パシフィック・ミュージック・フェスティヴァル>テーマ作曲家
10月BBC委嘱、クラリネットとオーケストラのための《ファンタズマ/カントス》がルイヴィル大学グロマイヤー作曲賞受賞
ボストンのジャパン・ソサエティ創立90周年を記念する一連の行事に参加。ボストン美術館におけるシンポジウム、ニュー・イングランド音楽院やボストン交響楽団の演奏会
1995年65才
東京オペラシティ芸術監督に就任
1月リチャード・ストルツマンのクラリネット独奏、尾高忠明:指揮/BBCウェールズ交響楽団演奏のCDに収録されている《ファンタズマ/カントス》が、 第37回グラミー賞最優秀現代作品部門にノミネートされる
3月第1回シュタード・シネミュージック・フェスティヴァル、テーマ作曲家
同月グスタッド映画音楽祭、第1回テーマ作曲家
同月ロサンゼルスの映画音楽保存協会功労賞授賞
11月東京オペラシティ芸術監督
12月1日ニューヨークで、リンカーン・センター・チェンバー・ソサエティが、武満徹65歳記念演奏会
膀胱及び首のリンパ腺に癌を宣告される。間質性肺炎を患い入院
1996年66才
1月29日スイスのバーゼルで開かれたオーレル・ニコレ70歳記念演奏会で、ニコレの70歳を祝して作曲したフルートのための《エア》が、植村泰一により初演された。この曲が、武満 徹の最後の作品となった
2月はじめ、入院先の病院で、グレン・グールド賞受賞の知らせを受ける
2月20日膠原病に起因する急性肺水腫により入院中の虎の門病院で他界
《MI・YO・TA》 (谷川俊太郎:詩 沼尻竜典 編曲)
『武満が若い頃に作ったものの使われずに終わった映画音楽を、彼の死後、黛敏郎が旋律を口ずさむかたちで公表。そのメロディーに谷川俊太郎が作詞した。』
第24回国民文化祭・しずおか2009 in 伊豆の国 合唱の祭典
合唱:CORO Giovanni – コーロ・ジョヴァンニ
アクシスかつらぎ大ホール 2009.11.7
1997年
東京オペラシティ コンサートホール:タケミツメモリアルは「武満徹作曲賞」を実施している。武満徹作曲賞は、毎年1人の作曲家が審査員を務め、歴代審査員および東京オペラシティ文化財団のアドヴァイザリー・コミッティの投票により、3年毎に審査員が決定している
5.主な作品
6.その他
「武満徹←1930……∞」私家版、1964年
「音、沈黙と測りあえるほどに」新潮社、1971年(著作集第1巻)
「骨月−あるいは a honey moon」私家版、限定200部、1973年12月(『草月 ikebana sogetsu』83号、1972年8月に発表。『遠い呼び声の彼方へ』に所収)、小説
「樹の鏡、草原の鏡」新潮社、1975年(著作集第1巻)
「音楽の余白から」新潮社、1980年(著作集第2巻)
「夢の引用 映画随想」岩波書店、1984年(著作集第5巻)
「音楽を呼びさますもの」新潮社、1985年(著作集第2巻)
「夢と数」リブロポート、1987年(著作集第5巻)、自らの音楽語法について直接述べた著作
「遠い呼び声の彼方へ」新潮社、1992年(著作集第3巻)
「時間の園丁」新潮社、1996年(著作集第3巻)、1996年に点字資料版が日本点字図書館で刊行
「サイレント・ガーデン」新潮社、1999年(闘病日記、病床で描いた絵入り料理レシピ)
「私たちの耳は聞こえているか」「人生のエッセイ9」日本図書センター、2000年(既刊書に収録された回想エッセイを再編した著作)
「武満徹|Visions in Time」エスクァイアマガジン・ジャパン、2006年
「武満徹エッセイ選 言葉の海へ」小沼純一編、ちくま学芸文庫、2008年
「映像から音を削る 武満徹映画エッセイ集」清流出版、2011年
<共著>
「ひとつの音に世界を聴く――武満徹対談集」晶文社、1975年、新装版1996年
「武満徹対談集――創造の周辺」芸術現代社(上・下)、1976年→新版(芸術現代選書・全1巻)、1997年
「音・ことば・人間」川田順造との往復書簡、岩波書店、1980年→岩波同時代ライブラリー(改訂版)、1992年→(著作集第4巻)
「音楽」小澤征爾との対話、新潮社、1981年→新潮文庫、1984年
「音楽の庭――武満徹対談集」新潮社、1981年
「シネマの快楽」蓮實重彦との対話、リブロポート、1986年→河出文庫、2001年
「すべての因襲から逃れるために――武満徹対談集」音楽之友社、1987年
「オペラをつくる」大江健三郎との対話、岩波新書、1990年→(著作集第4巻)
「歌の翼、言葉の杖――武満徹対談集」TBSブリタニカ、1993年→(著作集第5巻)
「シネ・ミュージック講座/映画音楽の100年を聴く」秋山邦晴と、フィルムアート社、1998年
「武満徹対談選 仕事の夢・夢の仕事」小沼純一編、ちくま学芸文庫、2008年
「武満徹 自らを語る」聞き手安芸光男、青土社、2010年
7.初演
1950年ピアノのための《2つのレント》藤田晴子により初演 読売ホール
1951年瀧口修三/詩画集《妖精の距離》諏訪晶子(Vf.)、伊東昭子(Pf.)により初演、「新作曲派協会」第八回作品発表会
1952年ピアノ曲《遮られない休息》園田高弘(Pf.)により初演 実験工房第四回発表会
1955年《室内協奏曲》が外山雄三指揮/N響メンバーにより初演、実験工房第七回演奏会「室内楽作品演奏会」
同年、ミュージック・コンクレート《ルリエフ・スタティク》初演
1956年《ルリエフ・スタティク》を初演、実験工房主催「ミュージック・コンクレート、電子音楽のオーディション」
1957年《弦楽のためのレクイエム》上田仁の指揮により初演、 (東京交響楽団委嘱作品)「東京交響楽団定期演奏会」
1958年オーケストラのための《ソリチュード・ソノール》外山雄三指揮/N響により放送初演、NHK委嘱
1960年《水の曲》弦楽四重奏のための《ランドスケープ》を初演、「作曲家集団」第二回例会「武満徹個展」
1961年《ピアノ・ディスタンス》高橋悠治により初演、「作曲家集団」グループ・エグジビション第一回
同年、オーケストラ曲《樹の曲》日本フィル・シリーズ第六作として初演
1962年ソプラノとオーケストラのための《環礁》(大岡信:詩)が放送初演、文化放送委嘱
同年、女声合唱のための《風の馬》(秋山邦晴:詩)が初演、「東京混声合唱団定期演奏会」
同年、室内楽作品《サクリファイス》が初演、第三回東京現代音楽で
1963年《テクスチュアズ》高橋悠治、岩城宏之指揮/N響により初演、N響が東京オリンピック芸術展示公演のために委嘱
同年、《独奏ピアノとオーケストラのための弧(アーク)》第一・第三楽章が放送初演、NHK委嘱芸術祭参加作品
1964年《タイム・パースペクティヴ》を初演、「コレクティヴ・ミュージック演奏会」を一柳慧、小杉武久と開催
同年、新作オーケストラのための《テクスチュアズ》を初演、「N響オリンピック記念演奏会」
1965年室内楽作品《ソナント(ヴァレリア)》初演、「第六回東京現代音楽祭」
1066年尺八と琵琶のための《エクリプス》を初演、現代音楽祭「オーケストラル・スペース」を一柳慧と企画・構成し、日生劇場
1967年尺八・琵琶・オーケストラのための《ノヴェンバー・ステップス》小澤征爾指揮/ニューヨーク・フィル 鶴田錦史(琵琶)、横山勝也(尺八)で初演、ニューヨーク・フィルハーモニック創立125周年記念委嘱作品
1968年《ノヴェンバー・ステップ》日本初演、《クロストーク》世界初演、一柳慧と第二回「オーケストラル・スペース」現代音楽祭を企画・構成。
1969年ピアノとオーケストラのための《アステリズム》高橋悠治(Pf.)、小澤征爾指揮/トロント交響楽団によりトロントで初演、RCAビクター委嘱
1970年《ユーカリプスI》が、オーレル・ニコレ、ハインツ・ホリガー、ウルスラ・ホリガー、 ポール・ザッヒャー指揮/コレギアム・ムジクス・チューリッヒにより初演、日本ロッシュ音楽基金委嘱
1971年《カシオペア》が、ツトム・ヤマシタ、小澤征爾指揮/シカゴ交響楽団により初演、ラヴィニア音楽祭、同音楽祭委嘱
1973年《秋》が、鶴田(琵琶)、横山勝也(尺八)、小澤征爾指揮/新日本フィルにより初演、鶴田錦史の委嘱
1975年《カトレーン》が、アンサンブル・タッシ、小澤征爾指揮/新日本フィルにより初演、FM東京『TDKオリジナル・コンサート』200回記念委嘱、この作品により文化庁芸術祭大賞を受賞
1977年《鳥は星形の庭へ降りる》 が、エド・デ・ワールト指揮/サンフランシスコ交響楽団により初演、サンフランシスコで、ラルフ・I・ドルフマン博士夫妻がサンフランシスコ交響楽団のために委嘱した
1979年雅楽《秋庭歌》が、東京楽所により初演、東京で、国立劇場委嘱
1980年《遠い呼び声の彼方へ!》が、アイダ・カヴァフィアン(Vf.)、尾高忠明指揮/東京都交響楽団により初演、東京で、民音現代作曲音楽祭委嘱
1981年《海へ》第1部「夜」が、ロバート・エイトケン(アルト・フルート)、レオ・ブローウェル(ギター) により初演、トロントで
同年、《海へ》第1部「夜」・第2部「白鯨」・第3部「鱈岬」全曲の初演は、小泉弘と佐藤紀雄により、東京で
同年、弦楽四重奏のための《ア・ウェイ・ア・ローン》が、同クァルテットにより初演、ニューヨークで、東京クァルテット結成10周年記念委嘱
1982年《夢の時》が、岩城宏之指揮/札幌交響楽団により初演。同演奏会で、《ア・ウェイ・ア・ローン》 と《海へ》の弦楽オーケストラ版も初演、ネザーランド・ダンス・シアター委嘱
同年、《星・島(スターアイル)》が、岩城宏之指揮/早稲田大学交響楽団により初演、東京で、早稲田大学創立百周年記念委嘱
同年、室内オーケストラのための《雨ぞふる》が、 オリヴァー・ナッセン指揮/同オーケストラにより初演、ロンドンで、ロンドン・シンフォニエッタがグルベンキアン財団の寄付により委嘱
1985年《夢窓》が、小澤征爾:指揮/京都市交響楽団により初演、京都で、京都信用金庫創立60周年記念委嘱
1986年《ジェモー》が、 ブルクハルト・グレツナー(オーボエ)、ヴィンコ・グロボカール(トロンボーン)、新日本フィル、 東京フィル、井上道義および尾高忠明の指揮により初演、東京で、サントリーホールが開設記念国際作曲委嘱シリーズ第1回として委嘱
1987年《ノスタルジア-アンドレイ・タルコフスキーの追憶に-》 がメニューイン(Vf.)、ピーター・マックスウェル=デーヴィス指揮/スコティッシュ・チェンバー・オーケストラにより初演、エディンバラ国際音楽祭で、スコットランド郵政局がユーディ・メニューインのために委嘱
1989年フルートのための《巡り-イサム・ノグチの追憶に-》が、ポーラ・ロビソンにより初演、ニューヨークのイサム・ノグチ追悼演奏会で、
同年《ア・ストリング・アラウンド・オータム》 が今井信子(ヴィオラ)、ケント・ナガノ:指揮/パリ管弦楽団により初演、、<パリの秋>フェスティヴァルで、同フェスティヴァルがフランス革命200周年を記念して委嘱
1990年《ヴィジョンズ》がダニエル・バレンボイム指揮/シカゴ交響楽団により初演、シカゴでシカゴ交響楽団がジョン・C・ステットソン夫妻の寄付により創立100周年を記念して委嘱
同年、《マイ・ウェイ・オブ・ライフ》(詩=田村隆一)が、フランソワ・ル・ルー(Br.)、オペラ・ノース合唱団(混声合唱)、サイモン・ラトル指揮/バーミンガム市交響楽団により初演、バーミンガム市交響楽団が、英国芸術振興会の助成により同フェスティヴァルのために委嘱した
1991年クラリネットとオーケストラのための《ファンタズマ/カントス》リチャード・ストルツマンの独奏で初演、BBCの委嘱、モーツァルトの《クラリネット協奏曲》、ブラームスの《クラリネット五重奏曲》と武満の作品を、三つの演奏会で結ぶというプロジェクト<1791-1891-1991>が、ウィーンでおこなわれた
1993年《群島S.》がオリヴァー・ナッセン指揮/ロンドン・シンフォニエッタにより初演、オールドバラ音楽芸術祭、テーマ作曲家