生没年・出身地・歿地・墓地
エヴゲーニイ・アレクサーンドロヴィチ・ムラヴィーンスキイ生誕
Evgeny Aleksandrovich MRAVINSKY
(1903年6月4日サンクト・ペテルブルク生)
(1987年1月19日レニングラードに歿)
1.職業
ロシアの指揮者
2.称号
1954年 人民芸術家
1973年 社会主義労働英雄
3.経歴
⑴ 父方の祖父コンスタンチン・ヨシフォヴィチ・ムロヴィンスキーは1829年に生まれる。ドイツ人とスウェーデン人の血を引く貴族の家系。ミハイロフスキー工兵学校に入り、同級にはのちにロシアを代表する文豪フョードル・ドストエフスキーがいた。祖父はクリミヤ戦争で工兵中尉の時、極東ロシア、カムチャッカ半島のペトロヴロフスク要塞の工兵隊長になり、戦闘で重傷を負い、怪我が回復後に工兵大尉に昇進し1858年サンクト・ペテルブルクに戻り定住を決意。1859年フィンランド人アレクサンドラ・マサーリナ(父方の祖母)と結婚。アレクサンドラの母はロシア貴族の出、アレクサンドラの父はフィンランドの農奴の出身だったが、材木商として財をなしフィンランドのカレリア地方のヴィボルグ近郊の町クーサに落ち着く。娘アレクサンドラの良縁を求めて母とペテルブルクに送り出され、マリインスキー劇場でパブロフスキー連隊の近衛士官ミハイル・ドモントヴィチに見初められ交際を申し込まれる。ドモントヴィッチ家はロシア帝国きっての名門貴族。不釣り合いとアレクサンドラの父マサーリナは断るが、交際は続く。やがてミハイルは任地換えになり二人の仲は終わりを告げる。その後、祖父コンスタンチン・ヨシフォヴィチ・ムロヴィンスキーと出会い結婚。長男(エヴゲニーの父)アレクサンドル・コンスタンチノヴィチ・ムロヴィンスキーが生まれ、他に父の妹二人(父方の叔母)アデーレとエヴゲーニャ(父方の叔母)が生まれる。1870年祖母マサーリナほ舞踏会で偶然、昔の恋人ミハイル・ドモントヴィチに再会したことから、恋の炎は燃え上がり密会を重ねミハイルの子を宿す。アレクサンドラは二人の娘(父方の叔母)を連れてクーサの実家に戻ってしまう。離婚など考えられない時代で評判になり、宮廷のとりなしで祖父母の婚姻が無効となり、祖母アレクサンドラは二度目の夫となるミハイル・ドモントヴィチと再婚した。妻を寝取られた痛手に、更に加えて祖父ムロヴィンスキー少将はその後も災難が続く。1881年3月自分の管轄する地区で皇帝アレクサンドル二世は仕掛けられた爆薬で暗殺されてしまう。祖父は職務怠慢という理由で逮捕され20年の懲役の判決が言い渡される。ムロヴィンスキー少将の皇帝への忠誠心と献身を誰もが認めて疑う者はいなかった。暗殺された皇帝の妻アレクサンドラの助命嘆願によりシベリア流刑の代わりに20年の刑期とともにアルハンゲリスクに更迭される。祖父は20年後に刑期を終えモスクワに戻り忠誠を尽くしたロマノフ朝が滅亡した後、さらに3年して生涯を終えた
⑵ 父アレクサンドル・コンスタンチノヴィチ・ムロヴィンスキーは両親の離婚後、祖父のもとで育てられ、祖父の流刑後に名をムラヴィンスキーに変える。大学卒業後は義祖父ミハイル・ドモントヴィチの口利きもあり、祖父コンスタンチノ・ヨシフォヴィチ・ムロヴィンスキーの離婚や皇帝暗殺にまつわる噂はついてまわったが、弁護士となり皇室直属の諮問機関に法律顧問の職を得る。やがて夜会で知り会ったエリザヴェータ・ニコラエーヴナ・フィルコヴァと結婚。エリザヴェータは裕福な貴族階級に属するフィルコヴァ家の二女。結婚後は一族所縁の地区、中ポジャチェスカヤ通り9番地で暮らした。父方の叔母にマリインスキー劇場の名ソプラノ歌手エヴゲーニャ・ムロヴィンスキー(芸名ムラヴィナ)愛称ジェニーがいる。
⑶エヴゲニー・アレクサンドロヴィチ・ムラヴィンスキー(愛称ジェーニャ)はこうした家庭環境の中で育つことになる
1909年6才のとき、ジェーニャは両親にマリインスキー劇場でアルバート・コーツ指揮のバレエ「眠りの森の美女」に連れて行かれた。ピアノを習い始めヴァレンチーナ・アウグストーヴァ・ストレムにのレッスンを受ける
1913年10才の誕生日に母エリザヴェータは、マリインスキー劇場定期会員権をプレゼントする。ピアノの教師が変わり、ヴァレンチーナ・アウグストーヴァ・ストレムにレッスンを受ける
1914~20年アレクサンドル一世中高等学校(ギムナジウム)二年次編入学。オリガ・アチカソヴァ=ブラントに音楽のレッスンを受ける
1917年二月革命起こる
1918年10月30日父が結核で死去する。 家族は赤軍により立ち退きを追られ母子は劇場広場12番地、マリインスキー劇場正面、音楽院隣りの共同住宅に移る。マリインスキー劇場で母は衣装係、エヴゲニーはパントマイムとして働き始める
1920年ペトログラード大学生物学部に入学し1921年退学
1921年国立ワガノワ・バレエ学校のヴェチェスローヴァ・スネトコーヴァのクラスの練習ピアニストで働き始め、1929年に音楽部門主任に任命される
1922年15歳年上の人妻、マリアンナ・シュワルクと結婚し、翌年北ペトログラード地区キロチナヤ通りに移り住む
1923年ペトログラード音楽院コントラバス科への入学を却下される
1924年9月叔母コロンタイの尽力でペトログラード音楽院作曲科に入学を許される。ミハイル・チェルノフに楽典を2年学び、クリストファ・クシナリョ-フに対位法、ピョートル・リャザノフに音楽形式論を学ぶ
1927年ヴラジーミル・シチェルバチョーフの作曲クラスを卒業。ニコライ・マルコの指揮クラスに進む
1929年3月4日公開の場で初めて作品が演奏される。7月19日ヤーコフ・ゲンシャフト率いるアマチュア楽団を指揮しデビュー。9月アレクサンドル・ガウクの指揮クラスに進み、ネフスキー通りの映画館等のピアノ演奏等やピアノ伴奏等で生活費を稼ぐ
1931年4月、指揮、作曲のディプロマを取得し音楽院卒業
1931年音楽院での勉強終了。ガウクの推薦で国立バレエ劇場副指揮者就任。6月30日レニングラード・フィルに指揮者デビュー
1932年9月20日バレエ「眠れる森の美女」で国立バレエ劇場指揮者デビュー
1935年5月巡業中のキーロフ・バレエ団と共にボリショイ劇場指揮者デビュー
1937年11月21日ショスタコーヴィチの交響曲第5番を世界初演指揮
1938年3月モスクワで「ショスタコーヴィチの交響曲第5番」レニングラード・フィルを指揮して初のレコーディング。オリガ・アレクセーエヴナ・カルポーヴァと再婚。10月1日モスクワで開催された全ソ指揮者コンクール優勝。レニングラード・フィル首席指揮者に任命される
1939年11月21日ショスタコーヴィチの交響曲第6番を世界初演指揮
1940年5月20日キーロフ・バレエ団と映画収録
1941年10月4日シベリアのノヴォシビルスクに疎開したレニングラード・フィルのシーズンを始める
1943年11月3日ショスタコーヴィチ交響曲第8番をモスクワでソヴィエト国立交響楽団を指揮して世界初演
1944年10月21日包囲戦の解けたレニングラードで新シーズンを始める
1945年11月3日ショスタコーヴィチの交響曲第9番を世界初演指揮
1946年3月初の国外演奏ツアー、ヘルシンキへ。5月プラハ春の音楽祭で指揮。スターリン賞第一等受賞
1947年10月11日プロコフィエフの交響曲第6番をレニングラードで世界初演指揮
1949年11月15日ショスタコーヴィチの「森の歌」レニングラードで世界初演指揮
1952年3月インナ・セリコーヴァと知り会う
1953年12月17日ショスタコーヴィチの交響曲第10番、世界初演指揮
1954年人民芸術家の称号を贈られる
1955年5月プラハ春の音楽祭でチェコ・フィルを指揮。10月29日ショスタコーヴィチの「ヴァイオリン協奏曲」をダヴィッド・オイストラフ独奏で世界初演指揮
1956年5~6月ローロッパ演奏旅行。ドイツグラモフォンと「チャイコフスキーの交響曲」を録音
1957年母、エリザヴェータ死去。11月3日ショスタコーヴィチの交響曲第11番をレニングラードで世界初演指揮
1959年10月4日ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲、独奏ロストロポーヴィチで世界初演を指揮
1960年9~10月エディンバラ国際音楽祭に出演のほかヨーロッパ各地へ長期演奏旅行。ドイツグラモフォンと「チャイコフスキー交響曲」レコーディング。インナ・ミハイロヴナ・セリコーヴァと三度目の結婚
1961年9月25日ショスタコーヴィチの交響曲第12番を世界初演を指揮。レーニン賞受賞
1962年北米に演奏旅行
1963年10月26日シベリウスの交響曲第3番のソ連初演を指揮
1964年7月1日妻インナ・セリコーヴァ白血病で死去
1966年イタリア、オーストリア演奏旅行
1967年アレクサンドラ・ミハイロヴナ・ヴァヴィーリナと四度目の結婚。プラハ、フランス、スイスに演奏旅行
1970年ベートーヴェン生誕200年記念で東ドイツに演奏旅行
1973年5月初来日。6月4日70才の誕生日に社会主義労働英雄の称号を贈られる
1977年アルトゥール・ニキシュ賞受賞
1978年ウィーン楽友協会の名誉会員に選ばれる
1984年9月西ドイツのデュイズブルクで開催されたショスタコーヴィチ音楽祭のオープニングを指揮。最後のライブ録音(ショスタコーヴィチの交響曲第十二番)
1987年3月6日ラスト・コンサートでシューベルトの「未完成」とブラ-ムスの「交響曲第四番」をレニングラード・フィル大ホールで演奏指揮。12月心臓発作、特別機でウィーンの病院に入院
1988年1月19日レニングラードの自宅に戻ったあと、自宅で死去
4.主な作品
映像
1.DVD「エフゲニー・ムラヴィンスキー」
ブラームス交響曲第4番(全曲・リハーサル・インタビュー)、チャイコフスキー交響曲第5番(全曲・リハーサル・インタビュー)、ショスタコーヴィチ交響曲第5番(全曲・インタビュー)、ショスタコーヴィチ交響曲第8番(全曲・インタビュー)
2.DVD「エフゲニー・ムラヴィンスキーII」
ベートーベン交響曲第4番(全曲・リハーサル・インタビュー)、ブラームス交響曲第2番(全曲・リハーサル・インタビュー)、ウェーバー「オベロン」序曲(全曲)、シューベルト交響曲第8番「未完成」(全曲)、チャイコフスキー「くるみ割り人形」(抜粋)、チャイコフスキー幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」(全曲)、ショスタコーヴィチ交響曲第12番(全曲)、サルマーノフ交響曲第2番(全曲)
3.DVD「ムラヴィンスキーとレニングラード・フィル50年の歴史」
ブラームス交響曲第2番、ショスタコーヴィチ交響曲第5番、ショスタコーヴィチ交響曲第8番、ベートーヴェン交響曲第4番、ブラームス交響曲第4番、チャイコフスキー交響曲第5番(以上全て断片、練習、レコーディング風景)
4.DVD「ソヴィエト・ロシアン・アリストロクラット」
「ムラヴィンスキードキュメンタリー」、ウェーバー「オベロン」序曲(全曲)、チャイコフスキー幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」(全曲)
5.DVD「ムラヴィンスキー / チャイコフスキー交響曲第5番」(1982年)
作品
室内楽:夜想曲(ヴァイオリンとピアノ)、フルート、ヴァイオリン、ファゴットのための組曲
ピアノ曲:タンゴ、フォックス・トロット、メヌエット、小アダージョ、4つの前奏曲、ピアノ組曲、前奏曲と7つのフーガ
歌曲:満ちたりし我が心
以下の作品は、現在まだ録音されていない。
バレエ音楽:『ティル・オイレンシュピーゲル』
合唱、チェロ、トロンボーンとティンパニのための断章
5.その他
世界初演
ショスタコーヴィチの「交響曲第五番」・「交響曲第六番」・「交響曲第八番」・「交響曲第九番」・「森の歌」・「交響曲第十番」・「ヴァイオリン協奏曲」・「チェロ協奏曲」・「交響曲第十二番」、プロコフィエフの「交響曲第六番」
6.初演
7.関連動画
Vショスタコーヴィチ《交響曲第5番》
シューベルト《交響曲第2番》未完成
ショスタコーヴィチ《交響曲第8番》
(Shostakovich, Symphony No. 8 – Mravinsky)
プロコフィエフ -《ロミオとジュリエット 》
レニングラード・フィル
Prokofiev – Romeo & Juliet – Leningrad / Mravinsky