テクラ・バダジェフスカ

テクラ・バダジェフスカ生誕
Tekla Bądarzewska-Baranowski

テクラ・バダジェフスカの記録はその後の第二次世界大戦により失われている

生没年・出身地・歿地・墓地
(1829年頃にポーランド東中部のマゾフシェ県で生まれた。1834年、または1838年ではない)
(1861年9月29日ワルシャワにて32才で歿したといわれている)

テクラ・バダジェフスカの墓は、ワルシャワの旧ボヴォンズキ(Powązki)墓地にあるバラノフスキー(Baranowski)家の墓にある

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1.職業


ポーランドの女性作曲家・ピアニスト(アマチュアともいわれている)

2.称号

<家族>
父:アンジェイ・バダジェフスカAndrzej・Bądarzewskiは1790年頃にキエフ州のガピオウカ村で生まれた。1825年頃に結婚し、テクラTeklaとユリアJuliaの2人の娘と、ヴロツィニエック・ヒッポリュトス・アンジェイHipolit・Andrzejという息子がいた。
1828年頃、家族はワルシャワに引っ越した。その理由は、ワルシャワの首都のマニピュレーションオフィスの警察および裁判所部門の使用人管理局で助教授として最初に働いたAndrzejBądarzewskiのキャリアでした。
その理由は、アンジェイ・バダジェフスカは事務職で、最初はワルシャワ市操作局の警察および裁判所の使用人管理局で助教授として、1829年には検査官として、そして1830年11月29日以降はリトアニアで発生したロシア帝国支配に対する武装反乱の執行警察委員として働いた

母:テクラ・クルザノフスカ(旧姓)・バダジェフスカTekla・Chrzanowskich・Bądarzewskaは1807年頃にムワワのディストリクト市で生まれた。彼女はカジミエシュKazimierzの出身であった
1836年に、家族は19アレクサンドラストリートのジエンテッキ宮殿に移動し、1842年に、現在は存在しない2256番のナレフキストリートに移動し、1846年に2257c番のウェルナー長屋に移動しました。
夫:ヤン・バラノフスカJan Baranowska
本人:テクラ・バダジェフスカ-バラノフスカ(夫の姓)Tekla Bądarzewska-Baranowski
長女:マリアMaria高校教師の称号を得たタグを削除: ポーランド ポーランド
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二女:ブロニスラヴァBronisławaワルシャワの音楽院で学んだ
三女:ヤニナJaninaワルシャワの音楽院で学んだ

3.経歴


1829年頃、テクラ・バダジェフスカは警察官の娘として、ポーランド東中部のマゾフシェ県で生まれた

1835年6才、家族はワルシャワに引っ越した。テクラが学んだ学校についての記録は残されていない。本格的な音楽の教育を受けていなかったと言われている
テクラは、おそらく母親または何人かの先生の下で彼女がピアノを弾くことを学んだと考えられる

1836年に、家族は19アレクサンドラストリートのジエンテッキ宮殿に移動した

1842年に、現在は存在しない2256番のナレフキストリートに移動した

1843年14才頃に初の作品《ピアノフォルテのワルツ》《Valde pour le piano forte》を作曲したとされている

1846年に2257c番のウェルナー長屋に移動しました。

その後はサロン等でピアノを弾き演奏活動をし、作曲を行なっていたと言われているが、彼女の記録はポーランドのその後の第一次世界大戦と第二次世界大戦によって引き起こされた世界大戦により失われ残っていない

1851年22才頃、《乙女の祈り》の楽譜はワルシャワでは何度も出版された
《乙女の祈り》オルガ・ルシナ(Pf.)
《Modlitwa dziewicy”》performed by Olga Rusina

1852年23才、4月30日彼女が結婚するために必要な作曲家バダジェフスカの出生証明書を書き留めるのに必要な文書が発見された。彼女は公務員のJ・バラノフスキJan Baranowskiと結婚し、3人の娘(長女Maria(1855)、二女Bronisława(1856)、三女Janina(1857))をもうけ、姉の子2人を引き取り5人の子を育てた
長女マリア・バラノフスカは、1872年にワルシャワの女子高校を卒業し、高校教師の称号を得ました。 ブロニスラヴァとヤニナは、ワルシャワ音楽院の生徒で、イグナツィ・ヤン・パデレフスキIgnacy Paderewskiは(ポーランドのピアニスト・作曲家・政治家・外交官・ポーランドの初代首相を務めた)学友であった

1855年26才、長女:マリアMaria出産。《乙女の祈り》の楽譜はドイツ各都市で知られるようになった

1856年27才、二女:ブロニスラヴァBronisława出産。《乙女の祈り》の楽譜はワルシャワで出版された

1857年28才、三女:ヤニナJanina出産

1858年29才、《乙女の祈り》の楽譜はパリ、ロンドン、ニューヨーク、フィラデルフィアなどで知られるようになる

1859年30才、パリの音楽雑誌「ルヴュ・ミュジカル」の小品楽譜欄に掲載され広く知られるようになった
作品:《田舎小屋の思い出》 (1859) – Wspomnienie rodzinnej chatki (Souvenir à ma chaumière)作曲

1861年9月29日ワルシャワにて病気で亡くなった(32才)
10月1日にワルシャワのPowązki墓地に埋葬された
ワルシャワのポヴォンスキ墓地にある彼女の墓には、《乙女の祈り》Laprièred’uneviergeというタイトルの楽譜を持つバダジェフスカの像がある

ヤン・バラノフスキとの彼女の結婚生活は、9年間で3人の子が生まれ、姉の子2人を引き取り5人の子を育てた
金星Venusのクレーターは彼女にちなんで名付けられました

1875年、彼女の娘の一人であるブロニスワワは、ワルシャワ音楽院に入学した

4.主な作品

《乙女の祈り》作品4 (1856) – Modlitwa Dziewicy
《アグネス》Agnes
《アレクサンドラ》 Aleksandra
《エオリアン・ハープ》Harfa eolska
《かなえられた乙女の祈り》 (乙女の祈りへの返歌) (1863年頃)- La Priere Exauee (Response A La Priere D`une Vierge)
ナイチンゲールの歌 Śpiew słowika
《マグダレーナ》 Magdalena
《忘れられた》音 (Zapomniany Dzwiek)
《マズルカ》Mazurek
マズルカ《甘き夢》 Mazurek słodkie marzenie
《ワルツ》 Walc
ワルツ《接吻》 Pocałunek Walca
《愛》 Miłość
《乙女の感謝》 Reconnaissance De La Jeune Vierge
《乙女の誓い》Przysięga dziewicy
《乙女の恥じらい》 Rumieniec dziewicy
《幻影》Wizja
《信仰》 Wiara
《田舎小屋の思い出》 (1859) – Wspomnienie rodzinnej chatki (Souvenir à ma chaumière)
《森のこだま》 L`echo Des Bois
《第2の乙女の祈り》(1856) La Seconde Priere D`une Vierge
《天使の夢》 Le Reve D`un Ange
《黄金のエルサレム》 Złota Jerozolima
《母の祈り》 La Priere De La Mere
《友愛》 Sympathie. Melodie Italienne
《これら美しき鐘》 Dzwony
《森の中で》 I Skoven
《3つのサロン用小品》 3 Morceaux de salon
《信頼》 La foi
《希望》 (1863) Nadzieja  
《慈善》 La Charité
《お気に入りの小品》 Beliebte Stück
《バイヨンヌ》(華麗なマズルカ) Bayonne (Mazourka brillant)
《ベニハシガラスとカラス》 Chough and Crow (vide Bishop)
《乙女の晩祷》 Maiden’s Evensong
《葡萄を収穫する人々の歌》 Chants des vendangeurs
《兵士の祈り》 Soldier’s Prayer
《幽霊のメロディ》 La mélodie du fantôme
《リリアン・マズルカ》 Lilian Mazurka
《感謝祭》 Acción de gracias
《孤児の祈り》 The Orphan’s prayer
《水夫の祈り》 Sailor’s Prayer
《朝の調べ》 Harmonies du matin
《甘い夢》 Douce Rêverie
《マグダレナ 神聖なメロディ》Magdalena. Mélodie sacrée
《乙女の夢》 The Maiden’s Dream
《同情》 変ホ長調 (1886) Sympathie Es-Dur

5.その他

6.初演

7.関連動画

バダジェフスカ《乙女の祈り》
オルガ・ルシナ(Pf.)
Tekla Bądarzewska – “Modlitwa dziewicy”
performed by Olga Rusina

バダジェフスカ《乙女の祈り》 
長井充(Pf.)
A Maiden’s Prayer, Op. 4
Mitsuru Nagai (Pf.)

バダジェフスカ《乙女の祈り》
《Modlitwa Dziewicy》
Waldemar Ziemnicki
23.05.2018 – Hotel “Trzy Korony” w Puławach – Koncert “W MUZYCZNYM SALONIKU II” w ramach III Festiwalu im. Wincentego i Franciszka Lesslów w Puławach – Waldemar Ziemnicki (fortepian) – “Modlitwa Dziewicy” Op. 4, (La prière d’une vierge”)

《ナイチンゲールの歌》
演奏:マリア・ポミアノウスカ
演奏と編曲:マリア・ポミャノフスカ(弦)/パヴェウ・ベトレイ(管)
arranged and performed by Maria Pomianowska & Paweł Betley

《ワルツ》
演奏:マリア・ポミアノウスカ(弦)
《 Walc》
Maria Pomianowska (弦)

《バイヨンヌ》(麗なマズルカ)
オルガ・ルシナ(Pf.)
《Mazurek brillante Es-dur》
performed by Olga Rusina

《希望》
演奏:マリア・ポミアノウスカ()弦とパヴェウ・ベトレイ(管)
《Nadzieja 》
performed by Maria Pomianowska & Paweł Betley

《友愛》
フィリップ・シーア(Pf.)
Sympathie – Mélodie Italienne
performed by Sear, Phillip(Pf.)

《森の中で》
I Skoven
performed by Markus Staab,

《エオリアン・ハープ》
演奏:マリア・ポミアノウスカ(弦)
《Harfa eolska》
performed by Maria Pomianowska

参考文献:「クラシック作曲家辞典」中河原理監修、フェニックス企画編 東京出版堂 / 「音楽史(音楽講座)」堀内敬三著 音楽之友社 /  「偉大なる作曲家のためのカルテ」五島雄一郎著 医療ジャーナル社 / https://en.wikipedia.org/wiki/Tekla_B%C4%85darzewska-Baranowska /  「wikipedia」 / 「http://www.wikiwand.com/ja/テクラ・バダジェフスカ」 / 「glennmie.blog.s0-net.ne.jp」 / 「robortkelloyphd.com」 「dictionary/composer/alkan」 / 「maucamedus.net/solmization/gawut」 /  「www.tcat.ne.jp/eden/music」 / 「www.cadenza-od.com」 / 「www.coara.or.jp/-doraemon/gagaku/nenpyoz.htm」 / 「www.gecities.jp/gzgaku.ryuteki」 / 「www.univesal-music,co.jp」 / 「homepage3.nifty.com/cio/a-alta」 / https://en.wikipedia.org/wiki/Category:19th-century_classical_composers /