生没年・出身地・歿地・墓地
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー生誕 Peter Ilyich Tchaikovsky
(1840年4月25日ウラル地方鉱山都市ヴォトキンスク生)
(1893年11月3日コレラにか罹りペテルブルクで歿)
1.職業
ロシアの作曲家
2.称号
3.経歴
⑴父方の曾祖父フョードル・チャイカはポルタヴァの戦いで武勲をたてチャイコフスキーと改名
⑵祖父ピョートルはキエフで神学を学び貴族となりヴァトカ県の地方長官になる
⑶父イリヤは五男。ペテルブルグの鉱山技術学校を卒業し1836年ヴォルガ中流域の重要鉱山ヴォトキンスク製鉄所所長として赴任。地元では名士となる。母方の曾祖父ミシェル・ヴィクトルはヴェルサイユに生まれ、ドイツのマイセンに移住、ザクセン王立マイセン陶磁器工房名匠ミハエルとして後世に名を残す。祖父ミハエル・ハインリッヒ・マクシミリアンはアンドレ・ミハイロヴィッチと改名し砲兵技術学校の語学教師となる。母アレクサンドラは二女。ペテルブルグのエリザヴェータ貴族女学校でフランス語・ドイツ語・歴史・ピアノを学んで卒業。
⑷チャイコフスキーはそうした家庭の三番目に生まれ育つ
1844~48年ファニー・デュルバッハが一家の家庭教師となり語学・歴史を教わる
1845年マリヤ・パリチコヴァからピアノを習う
1848年一家はモスクワに移住しシュメリング学校転入学する
1849年一家はアラパエスクに移り家庭教師アナスターシャ・ペトロヴァに学ぶ
1850年モスクワ帝室法律学校予科に入学
1852年一家はモスクワに移住。本科に進み学校の聖歌隊に入りロマーキンの指導を受ける
1854年ピアノをカレルとベッカーに習う。母がコレラで死去し伯父の家庭に引き取られ1857年まで過ごす
1855~58年ルドルフ・キャンディンガーにピアノを習う
1859年法律学校を卒業し法務省入省
1861年7~8月父の知人の通訳となりベルリン・ロンドン・パリ旅行
帝室ロシア音楽協会に入り音楽理論をザレンバに師事
1862年改編したペテルブルク音楽院入学。聖ペーター教会で対位法、コラールを教会オルガニストのシュティールからオルガン奏法を習う1863年法務省休職しマリンスキー劇場のアルバイトピアニスト等で収入を得る
1865年頃から音楽院で和声学を教え始め、12月当時最高の銀メダルと自由芸術家の称号を得て卒業
1866~78年モスクワ音楽院教師。当初はニコライ・ルビンシュテイン家に寄宿
1867年モスクワでベルリオーズに会う
1868年バラキレフを知る。「交響曲第一番」初演。ベルリン・パリ旅行。歌手アルトーを知り婚約、のち破局。「モスクワ報知」に評論を寄稿
1869年オペラ「地方長官」初演
1870年幻想序曲「ロミオとジェリエット」初演
1871年アパートを借りる。ベルリンのボーテ社が幻想序曲「ロミオとジュリエット」出版
1873年「交響曲第二番」初演。夏、ドイツ・スイス・イタリア・フランス旅行
1874年4~5月イタリア各地旅行
12月ニコライ・ルビンシュテインが「ピアノ協奏曲第一番」を酷評。
1875年米国ボストンでハンス・フォン・ビューローのピアノ演奏で「ピアノ協奏曲第一番」初演される
11月月モスクワでサン・サーンスに会う11月月22日米国ニューヨークでウオルター・ダムロッシュ指揮で「ピアノ協奏曲第一番」が大成功を収める
1876年「モスクワ報知の」依頼でバイロイト音楽祭を取材。トルストイに会う。ナジェ-ダ・フォン・メック夫人から金銭的支援を受け始める(1890年まで支援を受ける)
1877年「白鳥の湖」初演。7月アントニーナ・ミリュコーヴァと結婚
1879年マールイ劇場でオペラ「エフゲニー・オネーギン」初演、11月フランス・イタリア旅行
1880年父の死。妻は愛人と暮らし始め愛人の子、3人を出産
1881年オペラ「オルレアンの乙女」初演。翌年4月までイタリア滞在。ウィーンで「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」初演。ハンスリックが酷評。
1882年序曲「1812年」初演
1883年アレクサンドル三世から戴冠式の曲を委嘱受ける
1884年パリ滞在。アレクサンドル三世から叙勲される。
1885年モスクワ近郊マイダノヴォに家を借りる
1886年パリ滞在
1887年ペテルブルグで指揮デビュー。
1888年第一回指揮旅行(ライプツィヒ・ハンブルク・ベルリン・プラハ・パリ・ロンドン)。皇帝から終身年金授与を知る。プラハでドボルザークに会う。クリン近郊フロロフスコエに転居。フィレンツェ王立音楽協会会員になる
1889年第二回指揮旅行(ケルン・フランクフルト・ドレスデン・ベルリン・ジュネーブ・ハンブルク・ロンドン)
1890年「眠れる森の美女」初演。フィレンツェでオペラ「スペ-ドの女王」完成(12月初演)。ペテルブルグ室内楽協会名誉会員
1891年ウオルター・ダムロッシュの招きで渡米し5月5日カーネギー・ホールの杮落としで指揮
1892年「くるみ割り人形」初演指揮。ウィーン・プラハ旅行。パリ・アカデミー・ボーザール会員
1893年ブリュセル・オデッサ・ハリコフで自作曲指揮。ケンブリッジ大学名誉博士号授与式に出席。10月16日「交響曲第六番(悲愴)」初演指揮。10月20日レストラン「ライナー」で食事し、翌21日腹痛と下痢を発症、主治医ベルテンソンの兄レフは重症アジア・コレラと診断し治療。レストランで飲んだ生水が原因ともいわれている。10月25日肺水腫併発し心肺停止。葬儀はアレクサンドル皇帝がカザン大聖堂での国葬を認める。
4.主な作品
ピアノ協奏曲第1~3番、弦楽セレナーデハ長調、オペラ 「マゼッパ」 「チェレヴィチキ」「チャロデイカ」・「イオランタ」、劇付随音楽「ボリス・ゴドゥノフ」「モンテネグロ」「ハムレット」「雪姫」「妖精」、イタリア奇想曲、スラヴ行進曲など
5.その他
6.初演
7.関連動画
Symphony 5 Bernstein
symphony 6 (Pathetique) Bernstein
symphony 4 Herbert Von Karajan
Ouverture 1812 | Prinsengrachtconcert 2013
Romeo & Juliet / Gergiev · London Symphony Orchestra · BBC Proms 2007
Violin Concerto in D major, Op. 35 – Itzhak Perlman
Violin Concerto (Heifetz)
Serenade for Strings
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Piano Concerto No 1 FULL / Martha Argerich, Charles Dutoit
Piano trio – Kogan / Rostropovich / Gilels
Swan Lake – The Kirov Ballet
The Nutcracker
Slavonic March
Italian Capriccio
Quartet No.1 – Borodin Quartet
Waltz of the Flowers-Daniel Barenboim
Valse Sentimentale