ロベルト・シューマン


生没年・出身地・歿地・墓地
ロベルト・シューマン(ローベルト・アレクサンダー・シューマン)生誕
 Robert Alexander Schumann

(1810年6月8日ザクセン地方の町ツヴィッカウ生)
(1856年7月29日ボン・エンデニッヒの病院に入院中歿)

1.職業

ドイツの作曲家・音楽評論家

2.称号

3.経歴

⑴.祖父ヨーハン・フリードリヒ・シューマンは代々牧師の家系、チューリンゲンの小村エントシュッツからヴァイダの教区長となり赴任

⑵.父のアウグスト・フリードリヒ・ゴットロープ・シューマンは書籍商・著述家、エントシュッツで生まれた。14歳で商人の資格を取り、ライプツィヒ大学で学んだ。22歳でロンネブルクで書籍商を開業する。1795年結婚。母ヨハンナ・クリスティアーネ・=シュナーベルはチューリンゲンのツァイツで外科医の長女として生まれた。結婚後六人の子供を授かる。長男と三男は、父の家業を継ぎ二男は印刷業を営む

⑶.ロベルト・シューマンは末っ子の四男として育った

1813年3才。ルッピウス夫人に養育され2年後に両親に引きとられる

1816年6才。デーナー博士の私立初等予備学校に入る

1817~25年7~15才。ヨハン・クンチュにピアノを習う

1818年8才。ギリシャ語とフランス語を習い始める

1820年10才。ツヴィッカウの中高等学校(ギムナジューム)に入学

1823年13才。父の刊行する雑誌に短文を掲載しはじめる

1825年15才。マイスナーにチェロとフルートを習う。学校の「ドイツ文学」サークルのリーダーとなる。姉エメーリアが自殺 

1826年16才。父アウグストの死 

1827年17才。ライプツィヒ、ドレスデン、プラーハ、テプリツに旅行

1828年18才。中高等学校を卒業し、ライプツィヒ大学入学し法律を学ぶ。バイロイト、アウクスブルク、ミュンヘン(5月ハイネに会う)旅行。ライプツィヒに転居。8月フリードリヒ・ヴィークに数カ月間、ピアノを学ぶ。そこでヴィークの9才の娘クララを知る

1829年19才。5月フランクフルト、コブレンツ旅行し、ハイデルブルクに着く。ハイデルベルク大学法科に転学し、ピアニストになることを決意。法科の教授で音楽学者A・F・j・ティボーの勧めもありライプツィヒの著名なピアニスト、ヴィークに弟子入りする。8月スイス、北イタリア旅行。「アベック変奏曲作曲」

1830年ヴィーク家に下宿しピアノのレッスンを受けながら聖ト-マス教会のカント-ル、ヴァインリヒから音楽理論を学ぶ。「アベック変奏曲」出版。「蝶々」作曲

1831~32年ハインリヒ・ドルンに理論の指導を受ける。ルドルフスガルテンに転居。「アレグロロ短調」作曲

1832年右手の麻痺でピアニストを断念。作曲家・批評家になる道を選ぶ。ゴットリーブ・ミュラ-に交響曲作曲の指導を受ける。「ツヴィッカウ交響曲第一楽章」初演される。「パガニーニの奇想曲による練習曲」作曲、「6つの間奏曲」作曲、「トッカータ・ハ長調」作曲

1833年10月兄嫁ロザーリエ、11月兄ユリウスの死。神経衰弱の症状がではじめる。「クララ・ヴィークの主題による即興曲」作曲

1834年「ライプツィヒ音楽新報」創刊以降10年間活動を続けることになる。クヴェアガッセに転居。交響的練習曲」

1835年ハリッシュ・ガッセに転居。メンデルスゾーンと交流。ショパンに会う。9才下のクララに思いを寄せるが父ヴィークは二人の恋愛を禁じる。「謝肉祭ー4つの音符による面白い情景」作曲、「ピアノ・ソナタ第1番」作曲

1836年母ヨハンナの死。「ピアノ・ソナタ第3番」作曲

1837年クララとひそかに婚約。「ダヴィッド同盟舞曲集」作曲、「幻想小曲集」、「交響的練習曲」作曲

1838年10月から1839年4月までウィーン滞在。「子供の情景」作曲、「クライスレリアーナ」作曲、「8つのヴェレッテ」作曲

1839年1月1日フランツ・シューベルトの兄フェルディナントを訪ね「交響曲第8番」の草稿を発見する。「アラベスクハ長調」作曲、「花の曲変ニ長調」作曲、「4つの夜曲」

1840年イェ-ナ大学の博士号取得。9月クララと結婚。歌曲集「ミルテの花」作曲、歌曲「リーダークライス(ハイネの詩による)」作曲、歌曲「3つの詩(ガイベルの詩による・田舎風の歌・流浪の民)」作曲、歌曲「3つの歌曲(シャミッソーの詩による)」、「六つの歌(男声合唱)」、歌曲「12の詩(ケルナーの詩による)」、歌曲「ある画家の歌の本からの6つの詩(ライニックの詩による)」、「リーダークライス(アイヒエンドルフの詩による)」作曲、歌曲「5つのリート(シャミッソーの詩による)」、歌曲集「女の愛と生涯(シャミッソーの詩による)」、2声「3つの二重唱曲(”3つの2声部の歌”とも)」、歌曲集「詩人の恋(ハイネの詩による)」、「ロマンスとバラード第2集」、歌曲「ペルシャザル(ハイネの詩による)」、「ウィーンの謝肉祭の道化」作曲

1841年交響曲第一番「春」作曲、メンデルスゾーン指揮で初演。9月長女マーリエ誕生。11月クララとヴァイマルに演奏旅行。歌曲「リュッケルトの”愛の春”より12の詩」。「ピアノ協奏曲イ短調」

1842年2月クララとブレーメンに演奏旅行「ピアノ五重奏曲」、「ピアノ四重奏曲」作曲、3つの弦楽四重奏曲(第1番・第2番・第3番)」

1843年メンデルスゾーンの創立したライプツィヒ音楽院教授就任。ライプツィヒでベルリオーズに会う。次女エリーゼ誕生。12月ヴィークと和解。オラトリオ「楽園とペリ(全3部)」

1844年クララとロシア演奏旅行でめまいの発作、神経衰弱症状で苦しみ、ドルパットでは不安症状と、リューマチ性疾患のため臥床。モスクワではひどいうつ状態となり苦しむ。ドレスデンのヴァイセンハウスに転居。「真音楽時報」の編集主幹辞任。12月ライプツィヒ音楽院教授辞任。

1845年三女ユーリエ誕生。「ピアノ協奏曲」作曲

1846年長男エーミル誕生。聴力障害が現われる。夏に温泉療法で回復するが、めまいの発作は続く。クララとウィーン、プラハ、ベルリンへ演奏旅行。「交響曲第二番」作曲

1847年ウィーンでピアノ協奏曲と交響曲第一番を指揮。6月長男エーミルの死。7月ツヴァィッカウでシューマン音楽祭開催される。ドレスデンのリーダーターフェルの指揮者就任。混声合唱団「合唱協会」設立。歌曲「リートと歌第1集」作曲

1848年二男ル-ドヴィヒ誕生。オペラ「ゲノフェーファ」作曲

1849年5月3月革命の騒動を避けて避難。7月三男フェルディナント誕生。オペラ「ゲノフェーファ」作曲、「マンフレッド序曲」作曲、歌「スペインの歌(カイベルの詩による)」作曲、歌曲「子供のための歌のアルバム」作曲、歌曲「バイロンの”ヘブライのメロディ”による3つの歌」作曲、男性二重唱「ゲーテの”ヴィルヘルム・マイスターに」作曲、歌曲「ミンネの歌(リュッケルトの詩による)」、歌曲「手袋(シラーの詩による)」、男声合唱「ラウベの”狩りの日記”から5つの歌」、歌曲「スペインの愛の歌」

1850年ブレーメンへ演奏旅行。デュッセルドルフ市音楽監督就任。バッハ協会設立に尽力。デュッセルドルフに移る。「交響曲第三番ライン」作曲、「チェロ協奏曲」作曲、「ヴァイオリン協奏曲イ短調)作曲、歌劇「ゲノフェーファ(4幕)」作曲

1851年四女オイゲニーエ誕生。歌曲「7つの歌(クールマンの詩による)」序曲「メッシーナの花嫁(シラーの劇の為の序曲)」、歌曲「4つの軽騎兵の歌(レーナウの詩による)」

1852年リューマチ、うつ病に罹り春からひどい不眠に悩み、めまい発作や幻聴が起こる。合唱協会の理事の辞任を勧められる。「レクイエム変ニ長調」作曲、歌曲「メアリー・スチュアート女王の詩」、歌曲「歌手の呪い」、歌曲「小姓と王女」

1853年ライン音楽祭で「交響曲第四番」演奏され好評を博す。デュッセルドルフ市指揮者解任される。9月ブラームスの訪問受ける。10月精神病院入院。「ミサ曲」

1854年1月ハノーファ演奏旅行。2月土砂降りの雨の中ライン河畔へ行き、クララとの結婚指環を河え投げ込み、投身自殺をはかるが船着場にいた船員に助けられる。3月ボン郊外のエンデーニッヒの療養所に収容される。6月四男フェリックス誕生。病状回復し作曲を始める

1856年夏嗅覚、味覚の異状のほか、両足に浮腫がおこり、体力は衰えクララが最後に訪問したときは、動くことができず7月28日全身痙攣をおこし、翌日誰にも看取られず、この世をさる。死因は梅毒による進行性麻痺の診断

4.主な作品

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交響曲第1~4番、序曲、ピアノ協奏曲イ短調、チェロ協奏曲イ短調、ヴァイオリン協奏曲ニ短調、ピアノ曲「子供の情景」、ユーゲントアルバム、天使の主題による変奏曲、オラトリオ、ミサ曲ハ短調、レクイエムほか

5.その他

6.初演

7.関連動画

≪Myrten≫ op.25         ≪ミルテの花≫ 作品25より
                  ズライカの歌 

                  はすの花

                  くるみの木

                  きみは花のように

             東方のばらの花から

≪Lieder und Gesënge Ⅱ≫op.51 ≪西東詩集 Ⅱ≫より
Liebeslied 愛の歌

Dichterliebe 詩人の恋 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ 小林道夫.

Elisabeth Grümmer: Frauenliebe und -leben  歌曲集≪女の愛と生涯≫

DER WASSERMANN – FEMALE CHOIR OF KIEV GLIER INSTITUTE OF MUSIC 水の男

Wiener Sängerknaben – Zigeunerleben & Kein schöner Land 1993  ジプシーの生活&美しい国なしhttps://youtu.be/oA9JbNxJShk

Genoveva Overture – BBC Symphony Orchestra/Storgårds (2007) オペラ『ゲノフェーファ』序曲

“Genoveva”, Erste Szene des Hidulfus’ (2009)  オペラ『ゲノフェーファ』より

ヴァイオリン協奏曲

Symphony No. 1; The Spring Symphony – Philharmonie Südwestfalen – Live Classical Music HD

Symphony No 2 in C major, Op 61 – Bernstein

Symphony No.3 “Rhenish” / Sinopoli Staatskapelle Dresden (1998 Movie Live)

4. Sinfonie ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Philippe Herreweghe

Klavierkonzert ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Khatia Buniatishvili ∙ Paavo Järvi ピアノ協奏曲イ短調

Das Paradies und die Peri ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Philippe Herreweghe オラトリオ「楽園とペリ」全3部

子供の情景

「子供の情景」より トロイメライ

参考文献:「クラシック作曲家辞典」中河原理監修、フェニックス企画編 東京出版堂 「音楽史(音楽講座)」堀内敬三著 音楽之友社 「偉大なる作曲家のためのカルテ」五島雄一郎著 医療ジャーナル社 「wikipedia」 「glennmie.blog.s0-net.ne.jp」 「robortkelloyphd.com」 「dictionary/composer/alkan」 「maucamedus.net/solmization/gawut」 「www.tcat.ne.jp/eden/music」 「www.cadenza-od.com」 「www.coara.or.jp/-doraemon/gagaku/nenpyoz.htm」 「www.gecities.jp/gzgaku.ryuteki」 「www.univesal-music,co.jp」 「maokato.jp/bihoro/bihoro 「homepage3.nifty.com/cio/a-alta」 「www.wagnerdailas.com」