生没年・出身地・歿地・墓地
フランツ・シューベルト 生誕 Franz Peter Schubert
(1797年1月31日ウィーン郊外リヒテンタール教区ヒンメルプフォルトグルントで生れる)
現:ヌスドルファーシュトラーセ54番赤蟹館2階の一室
(1828年11月19日ウィーン、次兄フェルディナントの家で没)
1.職業
オーストリアの作曲家
「歌曲の王」と呼ばれることもある。
2.称号
3.経歴
⑴ 祖父カール・シューベルトはチェコ領メーレン、ノイドルフの農業家兼地方判事。祖母スザンナ・メックとの間の五人目がシューベルトの父フランツ・テオドール。
⑵ 父フランツ・テオドール・シューベルトはノイドルフの農業家兼地方判事の息子。故郷を離れウィーン郊外レオポルトシュタットで教師をしていた。母マリヤ・エリーザヴェト・フィッツはメーレンの錠職人の娘。二人は1785年に結婚。ウィーンに出た父は教員養成所を終了後、初等学校の校長をしている兄の助教員となる。母はウィーン人の家庭の家政婦として働く
⑶ シューベルトはその14人家族の12番目の子として育つ
1801年4才、父の主宰している小学校の生徒が増えたため、一家はヒンメルプフォルトグルントのゾイレン通りに移る。父は教育者として躾は厳しいが、音楽好きで家族の弦楽合奏ではチェロを弾き、近隣の愛好家達とはオーケストラを組織して指揮をしていたと伝えられている。シューベルトはそうした家庭環境で育った
1803年6才、父が校長のヒンメルプフォルトグルント初等学校入学。父からヴァイオリンを十二才年上の長兄イグナーツにピアノを習うが、すぐに驚くべき程進歩上達し、二人の手に負えないくらいになる
1804年7才、ボーイソプラノの声を持ち、リヒテンタ-ル教会の少年合唱隊に入る。教会オルガニストのミシャエル・ホルツァーに音楽全般の基礎教育を受ける
1808年11才、宮廷礼拝堂少年合唱団(のちのウィーン少年合唱団)の試験に合格。同時に宮廷寄宿制神学校コンヴィクトに入学を許可される。ピアノ、ヴァイオリン、歌唱、音楽理論をヴェンジェル・ルジチュカ等に学ぶ。学内オーケスストラの第二ヴァイオリン奏者を務め、ヨーゼフ・シュパウン等の多くの友人を知り会う。音楽的才能が注目される
1810年13才、「ピアノ4連弾のための幻想曲」作曲
1811年14才、初めて弦楽四重奏作曲。初の交響曲の作曲を試みる。歌曲「ハガールの嘆き」、「父殺し」作曲
1812年15才、母が他界。6月から宮廷楽長のアントニオ・サリエリから特別に無料で作曲と通奏低音の個人レッスンを受け始め、1816年迄の4年間師事する。変声期を迎え少年合唱団を退団することになるが、メールフェルト奨学金を得て引き続き学業を続けることを許可される
1813年16才、コンヴィクトを退学する。父がウィーン近郊の商人の娘アンナ・クレーンベックと再婚。兵役免除となる教員の道を目指し聖アンナ師範学校に通う。交響曲第1番ニ長調 D 82 作曲しコンヴィクトのラング校長に献呈
1814年17才、助教員の資格を得て父の学校の助教員となる。「ミサ曲第1番ヘ長調(D105)」が生家近くのリヒテンタール教会とアウグスティーナ教会でシューベルト指揮で演奏され初めての公開演奏となる。ソプラノを歌ったテレーゼ・グロープとは幼馴じみで、シューベルトの初恋の人として知られている。歌曲「糸紡ぐグレートヒェン」D 118 、歌曲「羊飼いの嘆きの歌」D 121 、歌劇「悪魔の別荘」を作曲。詩人のヨハン・マイホーファーと知り会う
1815年18才、交響曲第2番変ロ長調 D 125 、交響曲第3番ニ長調 D 200 、歌曲「野ばら」D 257 、歌曲「魔王」D 328 、歌曲「さすらい人の夜の歌」D 224 作曲、歌劇「4年間の歩哨兵勤務」ほかに歌劇4曲作曲。146曲の歌曲を作曲。のちに親友となる貴族フランツ・フォン・シュバインと知り会う
1816年19才、サリエリの推薦を得てライバッハの師範学校の音楽担当教師の応募するが失敗してしまう。父の家を出て友人のフランツ・シュバイン家に住む。「子守唄」、交響曲第4番(悲劇的)D 417、交響曲第5番変ロ長調 D 485 、歌曲「さすらい人」D 489 ほか100曲ほどの歌曲を作曲。
1817年20才、父の家に戻り教員を続けながら作曲活動を行う。歌曲「ます」作曲。詩人のマイホーファーの紹介で30才年長の宮廷オペラ歌手ヨハン・ミヒャエル・フォーグルの知己を得る。フォーグルとはシューベルト・リートの最初の紹介者のひとりとなる。またその後の歌曲作曲に役立つ意見などをシューベルトに述べ作品に反映されるようになったと言われている
1818年21才2月、歌曲「エルラフ湖」が雑誌の付録として出版される。3月、有料コンサートが開催され「イタリア風序曲」など初めて自作品が公開演奏され、新聞の批評欄でも好評を得る。夏、エスターハージー伯爵家の臨時雇いの教師となりハンガリーのツエレスに行き、二人の令嬢の夏の間の音楽教師となる。秋、ウィーンに戻りり父の反対にあうが教師を辞め、詩人マイホーファーの下宿に転がり込み作曲に専念するようになる
1819年22才、「羊飼いの嘆きの歌」D 121 が公開演奏される。「ピアノ五重奏曲イ長調≪ます≫」D 667 作曲
1820年23才、ケルントナートーア劇場でオペレッタ「双子の兄弟」初演。劇音楽「魔法の竪琴」作曲
1821年24才、歌曲「魔王」D 328 自費出版。歌劇「アルフォンソとエストレルラ」作曲
1822年25才、ウェーバー、ベートーヴェンを訪問。交響曲第7番ロ短調≪未完成≫ D 759 の作曲に着手。暮れごろ梅毒発症する
1823年26才、5月入院し梅毒の治療を受け症状が安定する。歌曲集「美しき水車小屋の娘」D 795、歌劇「フィエラブラス」、ピアノ曲「楽興の時」D 780
作曲。劇音楽「ロザムンデ」上演。再び健康悪化。グラーツのシュタイアーマルクとリンツの音楽協会の名誉会員に推挙される
1824年27才の夏、再びエスターハージー伯爵家から家庭教師として招かれツェレスへ行く。健康回復。弦楽四重奏曲第13番「ロザムンデ」D 804、弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」D 810 作曲。シューベルティアーデ(シューベルトを支えるために私的に行った夜会)が開催される
1825年28才、イギリスの詩人ウォルター・スコットの詩にもとづく3曲の「エレンの歌」D 839 作曲、その第3番には「アヴェ マリア」がある。シューベルティアーデ(シューベルトを支えるために私的に行った夜会)が開催される
1826年29才、宮廷礼拝堂副楽長への請願書が却下される。シュバイン家でシューベルティアーデが盛んに開催される
1827年3月30才、死の床のベートーヴェンを見舞う。29日アルザー教会で行われたベートヴェンの葬儀に松明持ちのひとりとして参列。ウィーン楽友協会会員に推薦される。9月グラーツ旅行。菩提樹を含む歌曲集「冬の旅」D 911、4つの即興曲 D 899、4つの即興曲 D 935 など作曲。
1828年31才、交響曲第8番≪グレート≫を完成しウィーン楽友協会に渡す。「ピアノソナタ第21番」作曲。3月26日ウィーン楽友協会はシューベルトの作品だけの演奏会を開催し大成功する。9月、身体が弱まり今まで友人の家を転々と渡り歩き続けてきたが、最後に転がり込んだのは、仲の良かった次兄のフェルディナントの家であった。11月14日病状が悪化して高熱に浮かされる。11月18日「これが、僕の最後だ」と呟いたのが最後の言葉となる。11月19日腸チフスが重くなり兄フェルディナント、義妹ヨゼフに看取られこの世を去った。死後に歌曲集「白鳥の歌」D 957 が出版された。11月21日ヨーゼフ教会で葬儀が執り行われた。フェルディナントは遺言によりヴェーリング墓地のベートーヴェンが眠る墓の近くに埋葬した。
シューベルトの没後、1888年市内改造の際、ヴェーリング墓地は廃止され、ベート-ヴェンの墓と共に中央墓地の名誉地区に移葬された。生家に近いヴェーリング墓地は、現在「シューベルト公園」と呼ばれている
4.主な作品
1.交響曲
交響曲第4番 ハ短調 「悲劇的」 D. 417 Symphony No. 4 in C minor, D. 417, “Tragic”
交響曲第5番 変ロ長調 D. 485 ymphony No. 5 in B flat major, D. 485
交響曲第7(8)番 ロ短調 「未完成」 D. 759 Symphony No. 7⁄8 in B minor, D. 759, “Unfinished”
交響曲第8(9)番 ハ長調 「ザ・グレート」 D. 944 Symphony No. 8⁄9 in C major, D. 944, “Great”
2.管弦楽・室内楽
ロザムンデ 作品26 (D. 797) Rosamunde, Op. 26 (D. 797)
間奏曲 第3番 変ロ長調 Entr’acte No. 3 in B flat major
ピアノソナタ第13番 イ長調 作品120 (D. 664) Piano Sonata No. 13 in A major, D.664, Op.120
ピアノソナタ第18番 ト長調 作品78 (D. 894) Piano Sonata No. 18 in G major, D.894, Op.78
ピアノソナタ第20番 イ長調 D. 959 Piano Sonata No. 20 in A major, D.959
幻想曲「さすらい人」 ハ長調 作品15 (D. 760) Wanderer Fantasy in C major, Op. 15, D. 760
4つの即興曲 作品90 (D. 899) Impromptus, Op. 90, D. 899
4つの即興曲 作品142 (D. 935)
楽興の時 作品94 (D. 780) Moments Musicaux, Op. 94, D. 780
軍隊行進曲 第1番 ニ長調 作品51 (D. 733) Marche Militaire in D major, Op. 51, No. 1, D. 733
ヴァイオリンとピアノのための ソナチネ ト短調 D. 408 Sonatina for Piano and Violin in G minor, D. 408, Op. 137, No. 3
幻想曲 ハ長調 D. 934 Fantasia for piano and violin in C major , D. 934
ヴァイオリンソナタ イ長調 作品162 (D. 574) Violin Sonata (“Duo”) in A major, Op. 162, D 574
アルペジョーネソナタ イ短調 D. 821 Sonata in A minor for Arpeggione and Piano, D. 821
ピアノ三重奏曲第1番 変ロ長調 作品99 (D. 898) Piano Trio No. 1 in B flat major, Op. 99, D. 898
弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調 作品125の1 (D. 87) String Quartet No. 10 in E flat major, Op. 125, No. 1, D. 87
弦楽四重奏曲第13番 イ短調 「ロザムンデ」 作品29 (D. 804) String Quartet No. 13 in A minor, Op. 29, D. 804, “Rosamunde”
弦楽四重奏曲第14番 ニ短調 「死と乙女」 D. 810 String Quartet No. 14 in D minor, D. 810, “Death and the Maiden”
弦楽四重奏曲第15番 ト長調 作品161 (D. 887) String Quartet No. 15 in G major, Op. 161, D. 887
ピアノ五重奏曲 イ長調 「鱒」 作品114 (D. 667) Piano Quintet in D minor, Op. 114, D. 667, “Tout”
弦楽五重奏曲 ハ長調 作品163 (D. 956) String Quartet in C major, Op. 163, D. 956
八重奏曲 ヘ長調 作品166 (D. 803) Octet in F major, Op. 166, D. 803
3.歌曲
歌曲集「美しき水車小屋の娘」 作品25 (D. 795) Die schöne Müllerin, Op. 25, D. 795
歌曲集「冬の旅」 作品89 (D. 911) Winterreise, Op. 89, D. 911
歌曲集「白鳥の歌」 D. 957 ⁄ 965a Schwanengesang, D. 957 ⁄ 965a
第4曲 セレナーデ Ständchen
魔王 作品1 (D. 328) Erlkönig, Op. 1, D. 328
糸をつむぐグレートヒェン 作品2 (D. 118) Gretchen am Spinnrade, Op. 2, D. 118
菩提樹 Der Lindenbaum
野ばら 作品3の3 (D. 257) Heidenröslein, Op. 3, No. 3, D. 257
さすらい人 作品4の1 (D. 493) Der Wanderer, Op. 4, No. 1, D. 493
死と乙女 作品7の3 (D. 531) Der Tod und das Mädchen, Op. 7, No. 3, D. 531
鱒 作品7の3 (D. 550) Die Forelle, Op. 32, D. 550
アヴェ・マリア 作品52の6 (D. 839) Ave Maria, Op. 52, No. 6, D. 839
君こそは憩い 作品59の3 (D. 776) Du bist die Ruh, Op. 59, No. 3, D. 776
音楽に寄せて 作品88の4 (D. 547) An die Musik, Op. 88, No. 4, D. 547
子守歌 作品98の2 (D. 498) Wiegenlied, Op. 98, No. 2, D. 498
シルヴィアに 作品106の4 (D. 891) An Silvia, Op. 106, No. 4, D. 891
聴け、聴け、ひばり D. 889 Horch! Horch! die Lerch, D. 889
万霊節のための連禱 D. 343 Litanei auf das Fest Allerseeln, D. 343
岩の上の羊飼い 作品129 (D. 965) Der Hirt auf dem Felsen, Op. 129, D. 965
4.オペラ
鏡の騎士 ジングシュピール 3幕
悪魔の別荘 ジングシュピール 3幕
アドラスト ジングシュピール 2幕
4年間の歩哨兵勤務(Der vierjährige Posten) ジングシュピール 1幕
フェルナンド(Fernando) ジングシュピール 1幕
クラウディーネ・フォン・ヴィラ・ベッラ(Claudine von Villa Bella) ジングシュピール 3幕
サラマンカの友人たち(Die Freunde von Salamanka) ジングシュピール 2幕
双子の兄弟(Die Zwillingsbrüder) ジングシュピール 1幕
アンフォンゾとエストレッラ(Alfonso und Estrella)
謀反人たち(家庭争議)(Die Verschworenen) ジングシュピール 1幕
リューディガー(Rüdiger)
フィエラブラス(Fierrabras) 3幕
グライヒェン伯爵(Der Graf von Gleichen) 2幕
ミネゼンガー(Der Minnesänger)
5.その他
1.作品番号について
1951年、オーストリアの音楽学者オットー・エーリヒ・ドイチュによってシューベルトの作品が整理された。作品目録整理番号のドイチュ番号(D)が作られ「ホ長調交響曲」D 729に第7番、「未完成」D 759に第8番、「大ハ長調」D 944に第9番を割り当てられ世界中で使われるようになった。
1978年、国際シューベルト協会(Internationale Schubert-Gesellschaft)、ヴァルター・デュル、アーノルド・ファイル氏等がドイチュ目録改訂の見直しをした。改訂版”Franz Schubert – Thematisches Verzeichnis seiner Werke in chronologischer Folge”(時系列作品リスト)が作られ、それによると「ホ長調交響曲」D 729 第7番は目録作品番号から外れ次のようになった。
第1番-交響曲ニ長調 D 82
第2番-交響曲変ロ長調 D 125
第3番-交響曲ニ長調 D 200
第4番-交響曲ハ短調 D 417
第5番-交響曲変ロ長調 D 485
第6番-交響曲小ハ長調 D 589「ディ・クライネ」
第7番-交響曲ロ短調 D 759「未完成」
第8番-大ハ長調 D 944「ザ・グレート」
日本ではNHK・FMもドイチュ番号をアナウンスしている
2.シューベルトが1822年7月3日25才のときに書いた作文「私の夢」全文
「 私には兄弟姉妹がたくさんいた。父も母も良い人だった。私はみんなを深く愛していた。ある時父が私たちをさる祝宴に連れて行ってくれた。他の兄弟たちはとても楽しんでいた。でも私は悲しかった。父は私の所へきて、高価なごちそうを味わうように命じた。でも私には出来なかったので、父は私を目の届かないところへ追い払った。私は歩みの向きを変え、愛を受け入れてくれなかった人たちへの限りない愛で胸をいっぱいにして、遠くの土地へとさすらっていった。何年もの間、私の気持ちは、この上ない苦悩と愛とに引き裂かれていた。そこへ母の死の知らせが届いた。私は一目、母に会おうと急いだ。父は悲しみに心を和らげ、私が入っていくのを拒まなかった。母の亡骸が見えた。涙があふれ出た。私たち皆が、亡き人の言うとおりに振る舞っていた古き良き昔と同じように、あのころのままの姿で母が横たわっているのが見えた。
私たちは涙ながらに亡骸の後をついていき、棺を埋めた。この時から私は再び家に戻った。そしてある時、父はまた私を自分のお気に入りの庭園に連れて行った。父は私に気に入ったかと尋ねた。しかし私はその庭を嫌いだったので何も言えなかった。すると父はかっとなって、もう一度私にきいた。この庭が気に入ったか? 私はびくびくしながら否定した。すると父は私を殴り、私は逃げ去った。そして私はもう一度歩みの向きを変え、愛を受け入れてくれなかった人たちへの限りない愛で胸をいっぱいにして、再び遠くの土地へとさすらっていった。もう何年も何年も私は歌を歌った。愛を歌おうとすると、愛は苦悩となった。そして今度は苦悩だけを歌おうとすると、苦悩は愛になるのだった。こうして私の気持ちは、苦悩と愛とに引き裂かれていた 」
「 そしてある時、私は一人の敬虔な乙女が近頃亡くなったという知らせを受けた。彼女の墓の周りには、たくさんの若者たちや老人たちが輪をなして、至福に包まれたようにいつまでも歩き続けていた。彼らは乙女を起こさぬように静かに話していた。
神々しい想念が絶え間なく乙女の墓から若者たちのほうへ、きらめく火花のように飛び散っては、柔らかな音を立てていた。私もそこで輪になって歩きたいと強く願った。しかし人々は、奇蹟だけが輪に導いてくれるのだ、と言った。私はそれでもゆっくりとした足取りで、心の中で祈り、信仰を確かめて、目を伏せたまま墓のほうへと進んだ。気がついたら私は輪の中にいた。輪は不思議な音を立てていた。永遠の至福が一瞬の間に凝縮したような感じがした。父とも和解し、愛情を抱いて会った。父は私を腕の中に抱いて泣いた。でも私はもっと泣いた 」
1938年にアルノルト・シェーリングの論文「 フランツ・シューベルトのロ短調交響曲『未完成』とその秘密 」で「未完成交響曲」がシューベルトの作文「私の夢」の音楽化であり、したがって未完成ではなく2楽章で完成したものと言っている。
指揮者アーノン・クールはウィーン交響楽団との旧録音においては、この説を全面的に採用し、作文に即して曲を解釈したらしい。
6.初演
7.関連動画
日本語訳付 「フランツ・シューベルト – 愛と悲しみのはざまで」
映画「野ばら」
「野ばら」 ペーター・シュライヤー
Schubert Heidenröslein Peter Schreier
「野ばら」 アーリーン・オジェ(米国:ソプラノ歌手、1939年9月13日生まれ~1993年6月1お日没)
“Heidenröslein” Arleen Auger Salzburg 11 May 1978
「ます」D 550 アーリーン・オジェ
“Die Forelle” D 550 Arleen Augér–soprano / Lambert Orkis–fortepiano 1991
「春に」D 882 フィッシャー=ディスカウ
Im Frühling D 882- Fischer-Dieskau / Moore 1957
「音楽に寄せて」 エリーザベート・シュヴァルツコップ ジェラルド・ムーア(Pf)
“An die Musik” Soprano Elisabeth Schwarzkopf Gerald Moore(Pf) From a 1961 BBC broadcast
映画「菩提樹」
Der Lindenbaum (Die Trapp-Famille)
映画「菩提樹」
7 – The Original Sound of Music with English Subtitles (Die Trapp Familie – German)
Die Familie Trapp (1956) with English Youtube Subtitles (click “CC” box above).
Excerpt from Maria Von Trapp’s autobiographical book, chapter 8, entitled ‘The Third Reich’.
「菩提樹」
“Der Lindenbaum” – Winterreise Eilika Wünsch – Soprano / Bernhard Wuensch – Piano
「菩提樹」 フィッシャー=ディスカウ
Dietrich Fischer Dieskau Der Lindenbaum Die Winterreise
「菩提樹」 トーマス・ハンプソン
Thomas Hampson sings Schubert’s “Der Lindenbaum”
「魔王」 フィッシャー=ディスカウ
Schubert – Der Erlkönig / Baritone: Dietrich Fischer-Dieskau.
「魔王」 ショルト・カイノック(pf) / ダニエル・ノーマン(T)
Franz Schubert: Erlkönig (pf)Sholt Kynoch / Daniel Norman(T)
アヴェ マリア エリザベス・クレマン ドレスデン国立歌劇場合唱団
指揮:ペーター・シュライヤー / ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
Schubert: Ave Maria – Elisabeth Kulman / Chor der Sächsischen Staatsoper
Sächsische Staatskapelle Dresden / Conductor: Peter Schreier
アヴェ マリア ルチアーノ・パヴァロッティ
Ave Maria – Luciano Pavarotti
アヴェ マリア ディアナ・ダービン(映画「オーケストラの少女」出演など1940年代ハリウッドで活躍:女優・歌手)
Deanna Durbin, at age 18, singing Franz Schubert’s masterpiece.
Here is what Schubert had to say about this song, in a letter to his father:
「冬の旅」 フィッシャー=ディスカウ
“Winterreise” Dietrich Fisher-Dieskau – Alfred Brendel
「冬の旅」
Schubert: Winterreise – Thomas Oliemans & Malcolm Martineau – Live concert HD
「楽興の時 」作品94 (D. 780) Moments Musicaux, Op. 94, D. 780
Six moments musicaux, D 780 Alfred Brendel
「軍隊行進曲」
Schubert Fantasia 4 manos Lang Lang Baremboim, pianoforte
弦楽四重奏曲第13番 イ短調 D.804(Op.29) 《ロザムンデ(Rosamunde)
String Quartet No.13 D.804 “Rosamunde” / Hagen Quartet
ピアノ五重奏曲イ長調 D667 鱒(ます)
Das Forellen Quintett/Trout Quintet D.667 Op114 from Esbjerg EnergiMetropol
ピアノ五重奏曲イ長調 D667 鱒(ます)
F. Schubert – Piano Quintet in A major, D.667 “Trout Quintet (Die Forelle)”
弦楽五重奏曲ハ長調 D 956 ピンカス・ズッカーマンほか
Pinchas Zukerman and WDR Soloists play Schubert Quintet in C, D.956; Op.163 – 1st Mvt
交響曲第1番ニ長調 D 82
シャーンドル・ヴェーグ指揮 / カメラータ・アカデミカ・ザルツブルク
Schubert Symphony No.1 D.82 Sandor Vegh Dirigent Camerata Academica des Mozarteums Salzburg
交響曲第2番変ロ長調 D 125 ヨーロッパ芸術センター
ホセ・フェレイラ・ロヴォ指揮/ビャウィストク・ポドラシェ歌劇場フィルハーモニー管弦楽団
F. Schubert – II Symfonia B-dur D125/F. Schubert – Symphony No. 2 in B major, D 125
Opera i Filharmonia Podlaska Europejskie Centrum Sztuki/The Podlasie Opera and Philharmonic European Art Centre.
交響曲第4番ハ短調 D 417
ニコラウス・アーノンクール指揮 / ウィーン・フィル
Symphony N°4 F Schubert D° N Harnoncourt Vienna Ph Orch
交響曲第6番小ハ長調 D 589
アントネッロ・マナコルダ指揮 / フランクフルト放送交響楽団
Schubert: 6. Sinfonie D 589 ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Antonello Manacorda
交響響第7番ロ短調 D 759「未完成」
ゲオルグ・ショルティ指揮 / シカゴ交響楽団
chubert, Symphonie Nr 8 h Moll ‘Unvollendete’ Georg Solti, Chicago Symphony Orchestra
交響曲第7番ロ短調 D 759「未完成」
クラウディオ・アバド指揮 / ベルリン・フィル
SCHUBERT INCOMPIUTA – BERLINER ABBADO 1989
交響曲第8番大ハ長調 D 944「ザ・グレート」
ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮 / ウィーン・フィル
Schubert Symphony.9 Sawallisch/Wiener Philharmoniker