プロコフィエフ

生没年・出身地・歿地・墓地
セルゲイ・セルゲーヴィチ・プロコフィエフ生誕 Sergei Sergeevich Prokofiev

(1891年現ウクライナ、ドニプロペトローシク州に近いドネツィク州ソンツォフカ生)
(1953年3月5日モスクワで没)

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1.職業

ロシアの作曲家・ピアニスト・指揮者

2.称号

3.経歴

⑴ 父セルゲイ・アレクセエヴィチは大学卒、モスクワ出身の農業技師で貴族の農場管理人、母マリア・グリゴリエヴェナはピアニスト
はじめ二人の娘が生まれたが二人とも幼なくして世を去った。一人っ子として注意深く育てられる
⑵ セルゲイは幼少から音楽的才能を示す
1895年4才から母にピアノ演奏を学ぶ
1896年5才でピアノ曲「インドのギャロップ」作曲。オペラに関心を持つ
1898年7才で「4手ピアノのためのハ長調の行進曲」作曲
1900年両親に連れられてモスクワでオペラ「ファースト」・「イーゴリ公」、バレエ「眠りの森の美女」を観る。オペラ「巨人」作曲
1901年10才、2作目のオペラ「無人島」は第一幕で未完
1902年11才、父の友人の甥ポメランツェフの尽力で、母と共にタネーエフを訪ねる。タネーエフの勧めでポメンランツェのレッスンを受ける。その後タネーエフの紹介でグリエールに音楽理論を学び、夏の終わりごろ「交響曲ト長調」作曲し再度タネーエフを訪ねる。グリエールと二人で交響曲を連弾するが、和声が単純すぎると評され、一層和声の勉強に励む
1903年グリエールの指導のもと本格的オペラ「ペスト流行期の酒宴」作曲しタネーエフを訪ねる
1904年母に連れらペテルブルクのグラズノフを訪れる。ペテルブルク音楽院に入学しリャードフの和声学のクラスに学ぶ
1905年ピアノクラスに移りヴィンクレルにピアノを学ぶ
1906年リャードフの対位法のクラスとリムスキー・コルサコフの管弦楽法のクラスに入り学ぶ
1907年オペラ「ウンディーネ」作曲
1908年ホ短調の交響曲完成、グラズノフの斡旋でワルリヒ指揮の宮廷オーケストラの非公開リハーサルで演奏される。ヴィートルに楽式を学ぶ
1909年作曲科課程修了。ニコライ・チェレプニンに指揮と作曲を学ぶ
1910年父の急死
1912年ピアノ協奏曲第一番、作曲者のピアノ、サラジェフの指揮で人民の家ホールで初演
1913年ピアノ協奏曲第二番、作曲者のピアノ、アスラーノフの指揮で初演
1914年、卒業試験でバッハのフーガと自作のピアノ協奏曲第1番を演奏しA・ルビンシテイン賞を得、音楽院ピアノ科・指揮科卒業
その後すぐにロンドンに行き興行主セルゲイ・ディアギレフに会う
1915年イタリアでディアギレフに再会。同年9月ペトログラード(ペテルブルク)音楽院オルガン科再入学
1917年ロシア革命混乱の中、祖国を離れることを考える。
1918年日本に3ヶ月滞在し東京、横浜、軽井沢、箱根、京都、大阪、奈良で過ごし、横浜ではピアノ・リサイテルを開催。8月2日離日し9月アメリカ合衆国着。アメリカを拠点として1922年までに年間6~70回の演奏会に定期的に出演
1920年パリ、ロンドンの音楽界と再接触する
1921年パリで「スキタイ組曲」、バレエ「道化師」が初演され賞賛を得る
1923年パリ定住し活動拠点とする
1927年短期間祖国に戻る
1929年モスクワでの演奏会の前に交通事故に遭い手を負傷し演奏会を中止
1933年ロシアに帰国し作曲活動に入る
1936年祖国モスクワに定住
1941年ドイツ軍侵攻によりナリチクそしてグルジアのティフリスへ疎開。ミーラ・メンデリソンと再婚
1945年階段から墜落し後頭部を打つ
1946年病状悪化しニコーリナへ移動
1950年モスクワ、バルビバ療養所に入る。スターリン賞6回
1953年3月5日午後6時、突然脳出血による呼吸困難に陥り死去。ノヴォデヴィチ寺院に埋葬される
死後の1957年交響曲第7番でレーニン賞受賞

4.主な作品

オペラ「炎の天使」・「三つのオレンジへの恋」・「マッダレーナ」・「セミョーン・カトコ」・「修道院での結婚」・「戦争と平和」・「真実の人間の物語」・「遠い海」、バレエ「放蕩息子」・「ロメオとジュリエット」・「シンデレラ」、古典交響曲、交響曲第1~7番、交響的スケッチ、ピ-ターと狼、ピアノ協奏曲第1~6番、ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲、映画音楽「キジェー中尉」・「アレクサンドル・ネスキー」・「イワン皇帝」、室内楽曲、ピアノ曲ほか

5.その他

6.初演

7.関連動画


Jascha Heifetz plays March by Prokofiev
 


Hilary Hahn – Prokofiev – Violin Concerto No 1 in D major, Op 19
 


Piano Concerto n. 2 – Yefim Bronfman
 


Piano Concerto No 3 – Martha Argerich Previn
 


Symphony No 5 – Gergiev
 


Symphony No. 6 Opus 111 (Mariinsky Theatre Orchestra, Valery Gergiev)
 


Symphony No. 7 Opus 131 (Mariinsky Theatre Orchestra, Valery Gergiev)
 


Romeo and Juliet (Complete Ballet Music)
 


Cinderella, Op 87 – Rozhdestvensky
 

参考文献:「クラシック作曲家辞典」中河原理監修、フェニックス企画編 東京出版堂 「音楽史(音楽講座)」堀内敬三著 音楽之友社 「偉大なる作曲家のためのカルテ」五島雄一郎著 医療ジャーナル社 From Wikipedia, the free encyclopedia 「glennmie.blog.s0-net.ne.jp」 「robortkelloyphd.com」 「dictionary/composer/alkan」 「maucamedus.net/solmization/gawut」 「www.tcat.ne.jp/eden/music」 「www.cadenza-od.com」 「www.coara.or.jp/-doraemon/gagaku/nenpyoz.htm」 「www.gecities.jp/gzgaku.ryuteki」 「www.univesal-music,co.jp」 「maokato.jp/bihoro/bihoro 「homepage3.nifty.com/cio/a-alta」 「www.wagnerdailas.com」 「江戸東京年表」吉原健一郎・大濱徹也編 小学館 「日本史・世界史 同時代比較年表」楠木誠一郎著 朝日新聞出 「音楽文庫・日本音楽史」伊庭孝著 講談社 「tsuzu/asakusaopera-nenpu.html」 「tsuzu/operetta-kafu.html」 https://ja.wikipedia.org/wiki/

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