生没年・出身地・歿地・墓地
山田 耕筰 生誕
Yamada,Kósçak
Birth place:Tokyo Japan
Date of Birth:9/6/1886
(1886年6月9日東京文京区本郷森川町に生)
(1965年12月29日東京、世田谷区成城に歿)
1.職業
日本の作曲家・指揮者
2.称号
3.経歴
⑴ 父、謙造は板倉藩御殿医の息子で医師・キリスト教伝道者。母ひさの父は板倉藩の目付を務め、母は藩主のお姫様のお相手を時折しその後同藩の加藤家に嫁ぎ後家となり里へ戻り謙造と再婚
⑵ その家庭に育ち2歳のとき一家は父の実弟のいる横須賀に移住
1892年小学校入学
1893年次姉の婚家に引き取られ東京愛宕下の敬愛小学校に転校。その後、父の上京により築地に移り京橋の啓蒙小学校へ転入
1896年父の療養のために千葉、幕張に移住し幕張尋常高等小学校に転校する。母の兄夫婦の養子にされ上京。松井姓となる。父の死。父の遺言で9月東京、巣鴨にある田村直臣経営の自営館の活版工場で働き夜は併設の夜学校で勉強
1899~1902年母と鎌倉に移住し静養。東京に戻り霊南坂上に移住し新橋駅の電信ボーイの職を得る。その後、白金の農家の二階に母と身を寄せイチジク畑の見張り役の仕事を得る
1901年長姉ガントレット・恒子夫妻に引き取られ岡山に移り養忠学校に入学。義兄E・ガントレットに西洋音楽を学ぶ
1902年関西学院中等部に転校
1904年母の死
1904年9月東京音楽学校予科入学
1905年本科、声楽部進級。東京音楽院で教師を務める
1908年本科卒業し4月研究科に進む
1909年オラトリオ「誓いの星」上演。東京音楽学校分教場補助の職を得る
1910年三菱財閥の岩崎小弥太の援助で、ドイツ留学、許嫁の泰子との破局。ベルリン高等音楽学校作曲科入学しマックス・ブルッフに作曲法・指揮法をカール・レオポルド・ヴォルフに作曲法、シュミットに課外で声楽を師事。オペラ歌手としての演技力・歌唱力など才能を認められ声楽家になることを勧められる。ベルリンフィルの合唱団員としてニキシュ指揮で唱う
1912年6~8月シュミット一家とディアハーゲンの避暑地で過ごし、交響曲「かちどきと平和を」完成。ベルリンの新聞に撞球家K・Yamadaなる名が掲載され学友、教授達から質問を受け日本へも伝わり悪評を生む。世界に名を馳せた撞球家山田浩二と間違えられる。ドレスデンのジャック・ダルクロウズ舞踏学校を見学後、ドレスデン王立歌劇場のゼェバッハ総裁から劇場や市内を案内される。オペラ「七人の王女」完成。クロル歌劇場でトーマス・ビーチャム指揮の「牧人の午後」に聴き入るR・シュトラウスが印象に残る。楽劇「堕ちたる天女」完成。
同年11月ベルリン王立歌劇場でエンリコ・カルーソー出演のオペラを聴く。寄宿先のドロテア・シュミットと婚約
1913年卒業制作、交響詩「曼荼羅の華」等を作曲。12月フリィトリッヒ駅からモスクワ・大連経由で帰国の旅に出る
1914年帰国。12月交響楽演奏会開催
1915年東京フィルハーモニー会管弦楽部首席指揮者就任、翌年解散する
1917年渡米し、カーネギーホールで演奏会を開催
1920年日本楽劇協会を設立
1921年文化学院音楽科主任就任
1922年東京市民合唱団を組織
1925年日本交響楽協会を設立し第一回演奏会開催
1926年内紛により組織崩壊。9月から神奈川県茅ケ崎町に移り住み東京へは電車で通うようになる
1927年日本初のトーキー映画「黎明」の音楽担当
1931年ピギャール座の招きで渡仏
1930年耕作を耕筰と改名するが戸籍上は元のまま
1933年ソヴィエト政府の招きで訪ソ
1936年フランス政府からレジオンドヌール勲章授章受章。大日本音楽協会副会長就任
1937年相愛女子専門学校教授就任
1940年「演奏家協会」創設し会長就任。オペラ「夜明け(黒船)」初演し朝日文化賞贈られる
1941年内閣情報局管轄「日本音楽文化協会副会長就任(1944年会長就任)
1942年帝国芸術院会員
1950年日本指揮者協会会長就任。第一回放送文化賞受賞
1951年「山田耕筰賞」設立
1954年映画「ここに泉あり」出演
1956年「文化勲章」授章。妻菊尾と離婚し辻輝子を入籍し戸籍上も耕筰とする
1965年11月入院先の聖路加病院から借りたばかりの世田谷、成城5丁目の自宅に戻る。12月29日心筋梗塞により死去
4.主な作品
《歌曲》
野薔薇(作詞:三木露風)
唄(作詞:三木露風)
歌曲集「AIYANの歌」(作詞:北原白秋) – 「NOSKAI」「かきつばた」「AIYANの歌」「曼珠沙華」「気まぐれ」の全5曲からなる。
からたちの花(作詞:北原白秋)
蟹味噌(作詞:北原白秋)
この道(作詞:北原白秋)
かやの木山の(作詞:北原白秋)
六騎(作詞:北原白秋)
鐘が鳴ります(作詞:北原白秋)
松島音頭(作詞:北原白秋)
中国地方の子守謡(編曲)
ロシア人形の歌(全5曲、作詞:北原白秋)
愛する人に(An die Geliebte、作詞:エドゥアルト・メーリケ)
漁師の娘(Das Fischermädchen、作詞:テオドール・フォンターネ)
紫(作詞:深尾須磨子)
《童謡》
赤とんぼ(作詞:三木露風)
兎のダンス(作詞:野口雨情)
お山の大将(作詞:西條八十)
七夕(作詞:川路柳虹)
砂山(作詞:北原白秋)
かえろかえろと(作詞:北原白秋)
酢模の咲くころ(作詞:北原白秋)
ペチカ(作詞:北原白秋)
待ちぼうけ(作詞:北原白秋)
あわて床屋(作詞:北原白秋)
《オペラ》
あやめ
黒船(初演当初は「夜明け」)
堕ちたる天女
香妃(未完。弟子の團伊玖磨が補筆完成)
サムパギィタ(台本のみ)
死の婚礼(台本のみ)
《交響曲・交響詩》
交響曲ヘ長調『かちどきと平和』 (1912)
交響曲『明治頌歌』(1921)
長唄交響曲第1番『越後獅子』
長唄交響曲第2番『吾妻八景』
長唄交響曲第3番『鶴亀』(1934)
舞踏交響曲『マグダラのマリア』(1916)
交響曲『昭和讃頌』
交響詩『暗い扉』(1913)
交響詩『曼荼羅の華』(1913)
交響詩『神風』(1940)
交響詩『おやさま』
《その他の管弦楽曲》
序曲ニ長調
『君が代』による御大典奉祝前奏曲
『日本組曲』(編曲)
ふる里は(交響詩曲『皇軍頌歌』第二曲)
連作『源氏楽帖』
壽式三番叟の印象による組曲風の祝典曲
劇音楽『星の世界へ』(木下杢太郎の戯曲に
劇音楽『わしも知らない』(武者小路実篤の戯曲による)
舞踊詩曲『若きケンタウェルとニンフ』
舞踊詩曲『青い焔』
舞踊詩曲『明暗』
舞踊詩曲『盲鳥』
舞踊詩曲『マリア・マグダレーナ』
舞踊詩曲『日記の一頁』
劇音楽『信仰』
劇音楽『指鬘外道』(柳原白蓮の戯曲による)
『タンジールの死』への音楽
舞踊詩『ねたましき朝の光』
舞踊音楽『野人創造』
プリンス・ウェールズへの祝祭前奏曲
『太湖船』ラプソディ
組曲『あやめ』
舞曲『サロメの舞』
詩朗読の付随音楽『千曲川旅情の歌』(島崎藤村による)
詩朗読の付随音楽『地雷爆発』(北原白秋による)
劇音楽『忠義』
童謡組曲『幼き日』
大和楽『砧』
祝典序曲『紀元2600年』
満州国建国十周年慶祝曲
前奏曲『INNO BRITANICA』
劇音楽『ハムレット』
壽式三番叟の印象に拠る組曲風の祝典曲
放送会館落成記念祝賀管弦楽『NHK讃歌・わが庭のバラ』
《吹奏楽曲》
初春の前奏と行進曲
第三艦隊行進曲
連合艦隊行進曲
《映画音楽》
『黎明』
『新しき土』
『戦国群盗伝』
『働く手』
『国民の誓』
『牧場物語』
『川中島合戦』
《室内楽曲》
ピアノ五重奏曲『婚姻の響』
弦楽四重奏曲第1番ヘ長調(未完)
弦楽四重奏曲第2番ト長調(単1楽章)
弦楽四重奏曲第3番ハ短調(未完)
弦楽四重奏のためのメヌエット
三重奏曲『まきば 朝昼晩』(フルート、ヴァイオリン、ピアノ)
「この道」を主題とせる変奏曲(フルート、ピアノ)
《ピアノ曲》
『プチ・ポエム集』(全12曲)
組曲『子供とおったん』
『哀詩-「荒城の月」を主題とする変奏曲』
『源氏楽帖』(全7曲)
ピアノのための『からたちの花』
『スクリアビンに捧ぐる曲』 – 『夜の詩曲 (POEME NOCTURNE PASSIONE)』、『忘れ難きモスコーの夜』の全2曲からなる。 1917年、モスクワ滞在時に聴いたスクリャービンのピアノ曲に感銘を受けて作曲された。
《合唱曲》
『Die Herbstfeier〈秋の宴〉』(作詞:エドゥアルト・メーリケ) – 1912年、ベルリン王立高等音楽学校の卒業制作として作曲。
『梵音響流』(『巴里仏国寺に捧ぐる曲』改題)
カンタータ『聖戦讃歌 大陸の黎明』
カンタータ『沖縄絶唱譜』
カンタータ『天理教教讃頌譜 教祖』
秋の歌 – 昭和23年度全国児童唱歌コンクール(現 NHK全国学校音楽コンクール)課題曲
《軍歌・戦時歌謡》
杭州小唄
英霊讃歌
燃ゆる大空
のぼる朝日に照る月に
翼の凱歌
壮烈特別攻撃隊
陸軍落下傘部隊の歌
米英撃滅の歌
アッツ島決戦勇士顕彰国民歌
サイパン殉国の歌
曙に立つ
小国民決意の歌
なんだ空襲
森脇佐喜子は自著で、山田耕作が107の戦争協力の曲を作ったと批判している[7]。
国民歌
明けゆく空(青年の歌)
空は青雲~全国青年団民謡~
全女性進出行進曲
霊峰富士
健康歌
《大学校歌等》
岩手医学専門学校(現・岩手医科大学)校歌(作詞:土井晩翠)
岩手大学紅梅寮寮歌(作詞:土井晩翠)
帝塚山学院大学祝歌(作詞:小野 十三郎)
日本大学校歌「日に日に新たに」(作詞:相馬御風)
明治大学校歌(作詞:児玉花外)[8][9]
聖路加国際病院付属高等看護婦学校(現・聖路加国際大学)校歌(作詞:大木惇夫)
慶應義塾大学カレッジソング「幻の門」(1933年/作詞:堀口大學)
東京大学運動会歌「大空と」(作詞:北原白秋)
東洋大学校歌「亜細亜の魂」(作詞:林古渓)
東京美術学校(現・東京藝術大学)校歌(作詞:林古渓、川路柳虹)
芝浦工業大学校歌(作詞:北原白秋)
星薬科大学校歌(作詞:勝承夫)
駒澤大学校歌(作詞:北原白秋)
駒澤大学第二応援歌(作詞:北原白秋)
東京都市大学校歌(武蔵工業大学の前身・武蔵高等工科学校旧校歌)(作詞:相馬御風)
東京農業大学学歌「常磐の松風」(作詞:尾上柴舟)
東京女子大学校歌(作詞:国文科学生有志)
大正大学校歌(作詞:北原白秋)
武蔵野美術大学校歌(作詞:北原白秋)
一橋大学校歌「一つ橋の歌(武蔵野深き)」(作詞:銀杏会同人)[10]
岐阜薬科大学校歌(作詞:北原白秋)
関西大学学歌(1922年/作詞:服部嘉香)
同志社大学歌(作詞:北原白秋)
京都大学ラグビー部部歌(作詞:都留勝利)
京都女子大学・京都女子短期大学校歌(作詞:野田仁一)
龍谷大学学歌(作詞:学歌作成委員会)
関西学院大学校歌[11][12][13]
「空の翼」(作詞:北原白秋)
「緑濃き甲山」(作詞:由木康)
「A Song for Kwansei」(作詞:エドマンド・ブランデン)
芦屋女子短期大学(現・芦屋学園短期大学)学歌「カレッヂ・ソング」 (作詞:大木惇夫
山口高等商業学校校歌(現・山口大学経済学部歌)(作詞:土井晩翠)
松山商科大学(現・松山大学)校歌(作詞:沼波武夫)
八幡大学(現・九州国際大学)学歌(作詞:高木孝詮)
京城女子師範学校校歌(作詞:北原白秋)
5.その他
門下に宮原禎次、清瀬保二、團伊球磨
6.初演
7.関連動画
Symphony in F “Triumph and Peace” (1912)
Kósçak Yamada: Les poèmes à Scriabin (1917)
Crane and Tortoise
Die blaue Flamme (1916)
Poèmes 1 “Sie und er” (1914)
Canotage au clair de lune (1917)
OTO NO NAGARE (Ten short poems for piano)
Japanese Silhouettes
Sinfonia “Inno Meiji” (1921)
Tataeyo 「たたへよ、しらべよ、歌いつれよ 」
Nagauta Symphony
Four Seasons in Kyoto(KYO NO SHIKI)
Chaconne (1919)
Konomichi
Akatonbo University of Florida Women’s Chorale