クレマン・ジャヌカン

生没年・出身地・歿地・墓地
クレマン・ジャヌカン生誕 Clement Janequin

(1480~5年頃アキテーヌ地方ポワトゥ=シャラントのヴィエンヌ生)
(1558年頃パリで没)

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1.職業

フランスの司祭・ルネサンスの作曲家 シャンソンの先駆者のひとり

2.称号

 フランス宮廷作曲家

3.経歴

おそらく子供の頃に教会で音楽を学んだと思われるが詳細を明らかにする文書は残ってない。

1505~23年 ボルドーの司教ランスロット・デュ・フォーに仕える。

1515年 デュ・フォーはロワール地方ルソンの司教になり赴任するがボルドーに残り業務をこなす。

1523年 ボルドー司教ジャン・ド・フォワに仕え司祭に叙階する。

1525年 聖エミリオン教会司祭、ボルドー地方のいくつかの学校の教会聖歌隊を指導

1526年 リュフレの聖ミカエル教会司祭、記念日の説教をする役職に就く

1527年 ロワールのオーシェ大聖堂司祭

1529年 パリのピア・アテイングナント出版社でシャンソン歌集を出版し欧州で知られるようになる

1530年 メゾの聖ヨハネ教会司祭、ガロッセで執事職を務める
      オーシェ大聖堂少年聖歌隊隊長、シャンソン集を出版

1531年 ジェール県オーシュのサント・マリ大聖堂司祭・少年聖歌隊教師

1533年 アンジェ、アヴリレの教会の司祭

1534年 アンジェ、聖モーリス大聖堂楽長、1540年頃ここで作曲した125曲のシャンソン集を出版

1540年頃からパリへ定期的に行くようになる

1549年 枢機卿ジャン・ド・ロレーヌとフランソワ・ド・ギーズの司祭、音楽家に就くめパリに移り住み、大学で学ぶ

1550年 パリ宮廷の歌手・作曲家の称号を得て宮廷音楽家就任。

1555年 才能が認められフランス宮廷の王室礼拝堂教会音楽指導者として奉職

1558年頃、宮廷作曲家の称号を得て宮廷作曲家就任、主に世俗音楽を作曲

4.主な作品

「鳥の歌」・「狩り」・「戦争」・「ひばりの歌」「この五月にかっこうが歌うのは」「この美しい五月に」ほか

5.その他

6.初演

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