生没年・出身地・歿地・墓地
ギョーム・デ・ベイチュ 生誕 Guilhen de Peitieus、又はギョウム・デ・ポワティエ Guilhen de Peitou
(1071年10月22日生)
(1127年2月11日歿)
1.職業
中世フランスの貴族・最古のトロバドゥール
2.称号
アキテーヌ公国ポワティエ伯爵・領主
3.経歴
吟遊詩人として最古のオック語の歌詞詩人として知られているアキテーヌ公ギョーム9世は、中世フランス王国の裕福なアキテーヌ宮廷で生まれ育つ。粗野で快楽にふける生活をしていたといわれる。父はアキテー ヌ公国ギョーム8世、母は3番目の妻でブルゴーニュ公国ロベール1世の娘。ギョウム9世の生まれた時は、先妻との離婚が成立せず教会は非嫡出子と判断していた。父はローマ教皇の承認を得るためローマへの旅に出る
1086年父の死により15才でアキテーヌ公国のポワティエ伯爵領主となる
1087年行政組織に裁判官、森林官を加える
1088年アンジュー公国フルク4世の娘、エルマンガードと結婚のちに離婚(エルマンガアードは1093年ブルターニュ公国アラン4世と結婚)
1094年トゥールーズ公国ギョーム4世の相続人、フィリッパと再婚しトゥールーズ公国領主を兼ねる。2人の息子と5人の娘をなす
1095年クリスマスにローマ教皇ウルバヌス2世を招待
1096~99年第一回十字軍に参加
1101~02年十字軍に軍事指導者として参加しアナトリアでは無謀な戦いで敗れ、9月のヘラクレアでセルジュークにより完敗しアンティオキアに脱出
1114年シャテルロー伯夫人と不倫など身持ちの悪さを理由にポワティエ司教から2度の破門を言い渡される。妻のフィリッパは、1116年フォンドヴローの修道院に入り1118年修道院で没する
1120年スペインへの十字軍に参加
1123年トゥルーズ領の統治権を失う。 晩年は行状を悔い改め修道院で余生をおくる。
4.主な作品
「新しい歌を私は作ろう」