生没年・出身地・歿地・墓地
グイード・ダレッツォ生誕
Guido d’Arezzo
生没年・出身地・歿地・墓地不詳
以下は憶測
(おそらく990~999年頃月日不詳。アレッツオ近郊又はフランス、パリ生まれ説もある)
(おそらく1050~80年頃歿。イタリア、アレッツオ近くのアヴェラーナ(Avellano)又はラヴェンナとも言われている)
一説には
(991~992年頃アレッツオ生)
(1033年以降にアレッツォで没)
1.職業
イタリアの伝説的音楽教育家・音楽理論家、修道士
2.称号
3.経歴
ポンポーザ(フェラーラ近郊)のベネディクト会修道院で教育を受けたと言われている。一説によると、パリ近郊のベネディクト派のサン・モール・デ・フォッセの修道院で、グランフェイユのオド(Saint-Maur-sur-Loire)が、著した「サン・モール・デ・フォッセスの音楽論」で教育を受けたという説があるが、定かではない
1013年ころ、おそらく22~23才、ラヴェンナの修道院長の指示を受けフェラーラ近くのポンポーザの修道院に移ったようだ。ここにいる間に聖歌隊の歌手たちがグレゴリオ聖歌を憶えることの難しさに苦労しているのを知り、聖歌を憶え、そして教えるための方法を開発し、指導を始めた。旧来の指導と違うやり方に仲間の修道士が彼の新しい歌唱法に抵抗した。また従来の歌唱法にこだわるグイド修道院長との間にも指導方法の違いが表面化し始める
1020年頃、グイドはポンポーザ修道院で補助祭、カントールななっていたといわれている
1022年ベネディクト8世に呼び出され新しい歌唱法の説明の為ローマへ行った
1023~1025年頃 トスカーナ教区のテオダルドゥスTheodaldus司教により首都アレッツォに移り、大聖堂聖歌隊合唱団のカントールに任命され指導を行う。テオダルドゥス司教から聖歌の歌い方等の音楽の指導書について依頼を受け数年後に「ミクロログス」を著わし司教に献呈した。
1028年 ヨハネ19世の招きでローマに行き「ミクロログス」を説明をし、指導内容を示した。グイドの考案は音楽を見たり、読んだり、メロディーを学んだりするには実用的な価値があった
1029年ポッピPoppiのカマルドーレComaldolesi修道院に行き歌唱法の指導を行い、それからグイドの名声が広がるようになる。11世紀の新しい歌唱法の写本の多くはこのカマルドレ修道院から出たものとされている
1030~32年 ヨハネス教がの3人の使者を派遣し、ローマに招かれる。グリマルドゥスGrimaldus修道院長とアレッツオの大聖堂参事会長ペトルス師Petrusに同行して3回目のローマを訪問した。教皇はグイドを歓迎し、「アンティフォナリウム」の書を説明するグイドの話を熱心に聞き理解を示したという。それは、少年たちが未知の聖歌を学ぶことに成果を上げた「アンティフォナリウム」の作品を教皇や聖職者に説明する必要があったようだ。グイドは病気でマラリアに苦しみ、滞在できず冬に再訪する約束をして、結局アレッツォに戻ることになる。この時は400キロ離れたポンポーザのグイド修道院長に招かれていたため、会う機会がありポンポーザを訪れた、ポンポーザ修道院時代の敵対関係も、教皇が理解を示したことを伝え、誤解の謝罪を受けポンポーザに戻った。その後アレッツォのポッピにあるカルマドーレ修道院長、晩年はアレッツォ近郊アベラーノの修道院長になったのではないかと言われているが、定かではない
4.主な作品
「ミクロログス」著作
「アンテフィフォナ入門」著作
「リズムの規則」著作
現在の楽譜表記法のドレミの原案を考案した。4本の線の上に四角い音符を書くという当時、聖歌を正確に記録し後世に伝えることが可能となった。現在のソルフェージュの基となる歌唱法を、グイドは同僚のミカエル修道士に宛てた「知らない歌についての書簡」で視唱方法を書いた。グイドはヨハネ賛歌を完全に憶え、特にフレーズの最初の音符・音節を示しただけで、そのフレーズをすぐに歌いだせるようになっておくこと。新しい曲の楽譜を読む際に、ある音符をどの高さで歌えばよいのかを知るには、対応するヨハネ賛歌のフレーズの開始音を思い出せばよい。そして、そうすると曲の各音符に対してこれを繰り返せばその曲が歌えるようになると説く。これらができると聴音もでき楽譜に書きとめられてない賛歌の各音節が賛歌の、どのフレーズの開始音に当たるのかを聴き分けると、楽譜に正しく書き取ることができると書簡に書いている。
5.その他
6.関連動画
https://www.youtube.com/watch?v=3QoUSXUolFU
グイドの手を使ったソルフェージュ歌唱法
William Mahrtミラー・マルハート教授による、バブテストのヨハネを賛歌した8世紀ラテン語の賛美歌
Guidonian Hand
Guido – Ut Queant_0001.wmv