ドメニコ・スカルラッティ


生没年・出身地・歿地・墓地
ドメニコ・スカルラッティ Domenico Scarlatti

1685年10月26日ナポリ生
1757年7月23日マドリッドで没

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1.職業

イタリア、バロックの作曲家

2.称号

3.経歴

父アレッサンドロ・スカルラッティは王室礼拝堂楽長・作曲家、母アントニア・アンサローニその六番目の子
音楽を父、叔父のフランチェスコ・スカルラッティ、兄のピエトロ・スカルラッティに学ぶ
1701~04年父の助力でナポリ王立礼拝堂のオルガニストに任命される。オペラ「王座に帰ったオッターヴィア」作曲
父とナポリからローマへ移る
チェンバロ奏者として有名になる
1705年ヴェネツィアへ行き二つのオペラは成功せずローマに戻る
1708年父とヴェネツィアに行きフランチェスコ・ガスパスパリーニと知合い師事
1709年ローマでヘンデルと演奏を競い合ったと言われている。同年父のあとを継いでポルトガル女王マリ ア・カシミラの礼拝堂楽長・オペラ作曲家の地位に就
1714年マリア・カシミラがローマを去りバチカンのポルトガル大使デ・フォンテスの礼拝堂楽長となり、ポルトガルの皇太子誕生を記念してカンタータ作曲
1713年バチカン、ジュリア礼拝堂の楽長助手その後楽長就任
1719年9月バチカン退任しイングランドへ行く
1720年ナポリに戻り同年ポルトガル国王ジョアン五世の礼拝堂楽長に迎えられ、リスボンへ行く
1920年9月6日王宮でセレナータ「contesa delle stagioni 」演奏。ポルトガル国王の弟ドン・アントニオと王女マリア・バルバラの教師となる
1722年イタリアへ旅行
1724年ローマへ旅行。1725年父の死でナポリ戻る
1728年イタリアへ最後となる旅をし、5月15日ローマ生まれのマリア・カテリーナナ・ゲンティリ(16才)と結婚しその後六人の子供に恵まれる。同年マリア・バルバラがアストウリアスの王子フェルディナンドに嫁ぎバルバラに従いマドリッドへ行く
1737年スペイン宮廷に奉職するがポルトガル礼拝堂楽長としての地位と給与は約束されている。フェルディナンドとバルバラの個人的音楽会のみを担当
1738年ポルトガル国王ジョアンにサンティアゴ騎士団騎士としてに認められ勲章騎士章を授与される
1739年5月6日妻の死
1742年スペイン、カディスの同い年で4人の子持ち女性アナスタシア・サイムンズと再婚

4.主な作品

マリア・バルバラ王女のための練習曲(ソナタ555曲)、オペラ「イレーネ」・「ハムレット」・「捨てられたデュドーネ」
「17のシンフォニア」、オラトリオ「クリスマス・カンタータ」ミサ曲ニ長調・イ短調、4声のミサ曲ト短調、デ・テウム、カンタータ、セレナータ他

5.その他

6.初演

7.関連動画

https://youtu.be/uF5azK7whIU

https://youtu.be/66FCIwjG7hQ?t=2m4s

参考文献:「クラシック作曲家辞典」中河原理監修、フェニックス企画編 東京出版堂 「音楽史(音楽講座)」堀内敬三著 音楽之友社 「偉大なる作曲家のためのカルテ」五島雄一郎著 医療ジャーナル社 「wikipedia」 「glennmie.blog.s0-net.ne.jp」 「robortkelloyphd.com」 「dictionary/composer/alkan」 「maucamedus.net/solmization/gawut」 「www.tcat.ne.jp/eden/music」 「www.cadenza-od.com」 「www.coara.or.jp/-doraemon/gagaku/nenpyoz.htm」 「www.gecities.jp/gzgaku.ryuteki」 「www.univesal-music,co.jp」 「maokato.jp/bihoro/bihoro 「homepage3.nifty.com/cio/a-alta」 「www.wagnerdailas.com」