4.主な作品
<管弦楽>
《ルンバ・ラプソディ》(1948年)
《シンフォニック・ムード》(1950年) 原題は交響的気分「スフィンクス」
《饗宴》(1954年)
《フォノロジー・サンフォニック》(1957年)
《カンパノロジー》(1957年)
《涅槃交響曲》(1958年・第7回尾高賞受賞作品)
《曼荼羅交響曲》(1960年)
交響詩《輪廻》(1962年)
《音楽の誕生》(1964年)
《木琴小協奏曲》 (1965年)
交響詩《立山》(1971年)
《G線上のアリア》(1978年)
《21世紀へのラプソディ》(1991年)
《パッサカリア》(1997年/絶筆・未完)
<オペラ>
《金閣寺》(1976年) 三島由紀夫の小説「金閣寺」による。
《KOJIKI》(1996年)
《MINOKO》(1964年・未完)三島由紀夫の台本(日生劇場こけら落とし用、小澤征爾指揮による初演予定だった)
<バレエ音楽>
《思い出を売る男》 (1953年)加藤道夫の戯曲「思い出を売る男」によるシャンソンバレエ。
《BUGAKU》(1962年・第15回尾高賞受賞作品)
《ザ・カブキ》(1986年・オーケストレーションは鈴木行一による。
<吹奏楽・管楽合奏>
《トーンプレロマス55》(1955年)
《彫刻の音楽》(1961年)
《テクスチュア(1962年)
《花火(Fireworks, 1963年)
《打楽器とウィンドオーケストラの為の協奏曲》(Concerto for Percussion and Wind Orchestra, 1965年)
行進曲《黎明》(1981年) 防衛大学校のために作曲。
行進曲《祖国》(1981年) 陸上自衛隊中央音楽隊創隊30周年楽曲。
《栄誉礼冠譜~祖国~》 (1986年) 政府関係者、自衛隊の高官、訪日した外国要人への儀礼用に作曲
<室内楽・器楽>
《ヴァイオリンとピアノのためのソナタ》(1946年)
《10楽器のためのディベルティメント》(1948年)
《スフェノグラム》(1950年)
《プリペアド・ピアノと弦楽のための小品》(1957年)
《阿吽 3つ和楽器のための》(1957年)
《BUNRAKU チェロ独奏のための》(1960年)
《弦楽四重奏のためのプレリュード》(1961年)
《昭和天平楽》(1970年)
《ROKUDAN ハープのための》(1989年)
<ピアノ曲>
《12の前奏曲》(1945-46年)
《オールデウーヴル》(1947年)ドラム伴奏を伴う
バレエ《かぐや姫」のスケッチ》(1950)「石の花瓶の踊り、金の枝の踊り、鳳凰の踊り」
映画《天地創造》「(1965年)
<声楽>
《天台声明による始段唄・散華》「(1959年)
カンタータ《祝婚歌》「(1959年)
カンタータ《般若心経》「(1976年)
カンタータ《憲法はなぜ改正されなければならないか》(1981年)
オラトリオ《日蓮聖人》(1981年)
《大佛讃歌》(1983年)
オラトリオ《京都1200年 伝統と創生》(1994年)
<テープ音楽>
《ミュージックコンクレートのための作品X・Y・Z》(1953年)
《3つの電子音楽作品》(1955年)
《素数比の系列よる正弦波の音楽》
《素数比の系列による変調波の音楽》
《矩形波と鋸歯状波のインヴェンション》
《まんだら》(1955年)
《葵の上》(1957年)
《オリンピック・カンパノロジー》(1964年)1964年東京オリンピック開会式で上演。
<映画音楽>
「カルメン故郷に帰る」(松竹大船、木下惠介監督、1950年) – 木下忠司と共に担当。
「帰郷」(松竹、中村登監督、1951年)
「我が家は楽し」(松竹大船、中村登監督、1951年)
「純白の夜」(松竹、大庭秀雄監督、1951年)
「足にさわった女」(東宝、市川崑監督、1952年)
「カルメン純情す」(松竹大船、木下惠介監督、1952年)
「夏子の冒険」(松竹大船、中村登監督、1953年)
「プーサン」(東宝、市川崑監督、1953年) – 出演もしている。
「青色革命」(東宝、市川崑監督、1953年)
「天晴れ一番手柄 青春銭形平次」(東宝、市川崑監督、1953年)
「真実一路」(松竹、川島雄三監督、1954年)
「噂の女」(大映、溝口健二監督)、1954年)
「潮騒」(東宝、谷口千吉監督、1954年)
「女の一生」(松竹大船、中村登監督、1955年)
「青銅の基督」(松竹、渋谷実監督、1955年)
「赤線地帯」(大映、溝口健二監督)、1956年)
「顔」(松竹、大曽根辰夫監督、1957年)
「幕末太陽傳」(日活、川島雄三監督、1957年)
「美徳のよろめき」(日活、中平康監督、1957年)
「気違い部落」(松竹大船、渋谷実監督、1957年)
「張込み」(松竹、野村芳太郎監督、1958年)
「日日の背信」(松竹、中村登監督、1958年)
「盗まれた欲情」(日活、今村昌平監督、1958年)
「西銀座前」(日活、今村昌平監督、1958年)
「炎上」(大映、市川崑監督、1958年)
「裸の大将」(東宝、堀川弘通監督、1958年)
「続 夫婦百景」(日活、井上梅次監督、1958年)
「悪女の季節」(松竹大船、渋谷実監督、1958年)
「不道徳教育講座」(日活、西河克己監督、1959年)
「野獣死すべし」(東宝、須川栄三監督、1959年)
「にあんちゃん」(日活、今村昌平監督、1959年)
「お早よう」(松竹大船、小津安二郎監督、1959年)
「女が階段を上る時」(東宝、成瀬巳喜男監督、1960年)
「いとはにほへと」(松竹大船、中村登監督、1960年)
「豚と軍艦」(日活、今村昌平監督、1961年)
「好人好日」(松竹、渋谷実監督、1961年)
「あいつと私」(日活、中平康監督、1961年)
「小早川家の秋」(東宝、小津安二郎監督、1961年)
「黒蜥蜴」(大映、井上梅次監督、1962年)
「キューポラのある街」(日活、浦山桐郎監督、1962年)
「憎いあンちくしょう」(日活、蔵原惟繕監督、1962年)
「泥だらけの純情」(日活、中平康監督、1963年)
「にっぽん実話時代」(東宝、福田純監督、1963年)
「みれん」(東宝、千葉泰樹監督、1963年)
「武士道残酷物語」(東映京都、今井正監督、1963年)
「残菊物語」(松竹、大庭秀雄監督、1963年)
「にっぽん昆虫記」(日活、今村昌平監督、1963年)
「猟人日記」(日活、中平康監督、1964年)
「君も出世ができる」(東宝、須川栄三監督、1964年)
「赤い殺意」(日活、今村昌平監督、1964年)
「悪の紋章」(宝塚映画、堀川弘通監督、1964年)
「月曜日のユカ」(日活、中平康監督、1964年)
「仇討」(東映、今井正監督、1964年)
「大根と人参」(松竹、渋谷実監督、1965年)
「城取り」(日活、舛田利雄監督、1965年)
「東京オリンピック」(東京オリンピック映画協会、市川崑監督、1965年)
「天地創造」 (アメリカ・イタリア、ジョン・ヒューストン監督、1966年)
「エロ事師たち」より 人類学入門(日活、今村昌平監督、1966年)
「愛と死の記録」(日活、蔵原惟繕監督、1966年)
「愛の渇き」(日活、蔵原惟繕監督、1967年)
「非行少年 陽の出の叫び」(日活、藤田繁矢監督、1968年)
「黒部の太陽」(日活、熊井啓監督、1968年)
「神々の深き欲望」(日活、今村昌平監督、1968年)
「栄光への5000キロ」(松竹、蔵原惟繕監督、1969年)
「私が棄てた女」(日活、浦山桐郎監督、1969年)
「富士山頂」(東宝、村野鐵太郎監督、1970年)
「日本の首領」(東映、中島貞夫監督、1977年)
「徳川一族の崩壊」(東映、山下耕作監督、1980年)
「序の舞」(東映、中島貞夫監督、1984年)
<テーマ音楽>
「スポーツ行進曲」 日本テレビ・スポーツのテーマ(1953年)
「朝日新聞ニューストップタイトルのための音楽」(1953年) 日テレ「朝日TVニュース」オープニングテーマソング
「生命の讃歌」(1970年)EXPO’70 太陽の塔内・生命の樹テーマ曲
「NNNニュースのテーマ」日テレ系列ニュース番組用(1973年)
「阿含の星まつり・序曲」
「東海道新幹線車内のオルゴールチャイム」(1968 – 72年に使用)
「新宿小田急百貨店の時報音楽」(1968年)
<校歌・団体歌>
《北海道苫小牧南高等学校》(1978年)
《新潟産業大学》
《福島県富岡高等学校内分校》
《大阪府立金岡高等学校》(1974年頃)
《滋賀県立彦根南高等学校》(滋賀県立彦根翔西館高等学校に統合。現在は黛敏郎の校歌は使用されていない模様)
《東大阪市立上四条小学校》
《東大阪市立玉美小学校》
《埼玉県立志木高等学校》
《新島学園中学校・高等学校》
《千葉県八千代市立村上東中学校》(1976年頃)
《千葉県東金市 市民歌 行進曲》(1984年)
《聖徳学園想園歌「青春の風は胸に鳴る」》
《横浜隼人高等学校》
《横浜市立東中田小学校》
《横浜明倫高等学校明倫賛歌》
《静岡県牧之原市立相良小学校》
《名古屋市立上社中学校》
《福井工業大学附属福井中学校》
《滋賀県立伊吹高等学校》
《徳島文理大学》
《福岡県嘉穂郡嘉穂町立宮野小学校》
《持田製薬世界企業へ躍進の歌》
《われらのヤオハン》
《北沢バルブ 社歌「空に海に」》(1979年)
《集英社社歌》
《新川橋病院の歌》
《臨済宗南禅寺宗歌》
<著作>
「私の茶道入門 これぞ芸術の極み」(光文社カッパ・ホームズ、1976年)
「題名のない音楽会」(角川書店、1977年/角川文庫、1981年)
「日本のこころ」(筥崎宮、1979年)。ブックレット
「題名のない独白」(サンケイ出版、1984年)。「正論」での連載コラム
<共著など>
「現代音楽に関する3人の意見」(團伊玖磨、芥川也寸志と共著、中央公論社、1959年)
「“君が代”はなぜ歌われない 黛敏郎の対談」(浪曼、1974年)。編集担当は宮崎正弘
岡倉天心 「茶の本 現代語で読む」(訳・解説、三笠書房、1983年)。オンデマンド版2003年
「日本国新憲法制定宣言」(徳間書店、1994年)
<出演番組>
「題名のない音楽会」(1964年8月 – 1997年3月)
「NNNワイドニュース」(1967年頃)
「神戸風月堂ゴーフル・コマーシャル」
「マツダ・ルーチェ・コマーシャル」
「アメリカンエキスプレスカード・コマーシャル」
「サントリーメルツェンビール・コマーシャル」
「カネボウレディ’80 募集・コマーシャル」
「ネスカフェゴールドブレンド・コマーシャル」