山本直純 家系

10.山本直純 家系


高祖父:山本仁右衛門直幸の嫡男が曾祖父:山本直成(小浜藩士で岩倉具視の側近・丁酉銀行頭取)、山本直成の二男祖父:山本直良の息子の一人が父:山本直忠、山本直忠の長男が山本直純と繋がる
1. <高祖父:家族>
高祖父:山本直幸 小濱藩卒(山本仁右衛門とも)  
高祖母:
長 男:山本直成

2. <曾祖父:家族>
曾祖父:山本直成(通称:伝九郎・謙蔵・(幼名)要人)、1838年(天保9)~1915年(大正4)7月10日、従五位 旧小浜藩卒・東京府士族・小浜藩・旧小浜藩主酒井家および酒井家につながる華族系統岩倉家の家令。第十五銀行取締役。丁酉銀行頭取。
岩倉具視の家令・丁酉銀行頭取
曾祖母:山本つる 天保13年(1842)生、京都士族・白井直次の長女
長男/祖伯父:山本直行 洋行帰りの船中で病死
二男/祖父:山本直良、帝国大学農科大学卒、軽井沢に三笠ホテルを建設し経営
長女/祖叔母:尺 挺子、東京府士族・正五位勲四等・振武学校教頭の尺秀三郎に嫁ぐ

3. <祖父:家族>
祖父:山本直良 1870年3月26日(明治3年2月25日~1945年)、東京府士族、兄直行の跡を相続、東京帝国大学農学部卒業後、千歳海上火災再保険に入社し取締役。十五銀行・明治精糖・明治製菓・日本郵船・各監査役などの要職を歴任。
1897年(明治30年)丁酉銀行創立に伴い頭取に就任した。また、長野県北佐久郡軽井沢町に三笠ホテルを建設し三笠ホテル経営(軽井沢に27万坪の土地に三笠ホテルを建て、軽井沢から草津まで鉄道を敷いて三笠駅を作り側に別荘を建てた)。他に千代田区麹町に広大な土地と大邸宅を有し、中野区野方にも敷地二万坪の別称を持っていた。妻の山本愛は有島武郎の妹。
祖母:愛 1880年生。有島武の長女、長兄は白樺派作家・有島武郎(武郎の父有島武は天保13年鹿児島生。従三位勲一等、大蔵省国債局長、関税局長を務めた、東京士族)。愛の弟有島生馬の妻信子はピアニスト。
参照・有島行光http://ameblo.jp/derbaumkuchen/entry-11944118559.html
長男/伯父:直正 妻・七瀬は与謝野鉄幹と与謝野晶子の二女
二男/伯父:直光 英国ケンブリッジ卒、妻・千代は聖心女子学院卒、阿部圭一の長女
長女/伯母:房子 雙葉高女出身、医学博士・石澤豊松に嫁ぐ
三男:直忠 独逸ライプチヒ音楽院出身、作曲家、指揮者、音楽教師。
四男/叔父:直武 画家。妻・八千代は川村女学院、女子美術専門各出身、大友栄正長女

4. <父:家族>
父:山本直忠  1904年7月22日東京生、作曲家、指揮者、教育者、ライプツィヒ国立音楽院。
母:山本浪江(大橋)1908年京都生、ピアニスト。ヴァイオリニスト大橋純二郎の四女、大阪ウィルミナ女学校卒業、東京高等音楽学院(現国立音楽大学)ピアノ科首席卒業。
長兄:山本直純 1932年生、指揮者、作曲家。
長姉:山本照子 1934年生、オルガン奏者。(湯浅照子)
次弟:山本直喜 1936年生、パーカッション奏者。
山本直忠は、1904年7月22日東京市麹町区に生まれる。1965年5月9日歿
1904年東京市麹町区(現・東京都千代田区)で山本直良・愛(旧姓有島:有島武郎の妹)の三男として誕生。
兄の直正が自宅でオルガンを弾いているのに魅せられ音楽家を志した幼時から幸田延子にピアノを師事
10才頃自由学園から暁星学園に転校
中学4年頃、近くに住む指揮者近衛秀麿に和声学、対位法、作曲、指揮法を学ぶ。近衛の外遊中は短期間ながら山田耕筰にも師事。暁星中学での同級に今日出海がいた。
1922年暁星中学を卒業し、同年7月22日、直良の南米商業視察団の一員として、山田耕筰の紹介状を携えて日本を出発。米国・ブラジル・アルゼンチンからポルトガルを経て英国で父と別れ、単身渡独。ハンブルクで知人の園田家に寄宿し、ドイツ語学校に入学。
1923年、ドレスデンに移り、ワーグナーの孫の別荘に住み、ピアノや作曲理論を学習。やがてライプツィヒ国立音楽院の作曲理論科に入学し、留学生仲間の齋藤秀雄と知り合う。作曲科の教師から作品に日本的要素入れるようアドバイスを受けたという。同校在学中にピアノ曲『プレリュード・東洋幻想』『プレリュード・所謂日本式に』『ロマンス・ある秋の日の思い出』などを作曲。
1931年6年間の留学を終え世界一周しながら日本へ帰国し、東京高等音楽専門学校(現・国立音楽大学)の教師となり、後に結婚するピアノ科学生の大橋浪江と出合った。浪江の卒業演奏会でベートーヴェンのピアノ協奏曲を弾き、直忠はオーケストラの指揮をした。後に結婚。浪江との間に生まれた長男が山本直純である。
1934年日本音楽コンクール作曲部門では最初の一位入賞となった。
1935年頃子供オーケストラを編成し帝国ホテルで演奏している。メンバーに渡邊暁雄もヴァイオリン奏者として加わっていた。
その後、自由学園の音楽教師や新交響楽団(現・NHK交響楽団)の指揮者などを歴任。群馬交響楽団の創立に協力。1950年に受洗してカトリック教徒となり、洗礼名フランシスコを授かった。晩年は南山大学教授を務める傍ら、宗教音楽の創作をライフワークとし、グレゴリアン・チャント音楽学会理事長として宗教音楽を研究。聖イグナチオ教会でオルガンを弾き、同教会司祭ヘルマン・ホイヴェルスの作品に基づきオラトリオ『受難』を発表。聖歌隊の指揮者を務めた。南山大学での教え子の饗庭孝男は、山本直忠を「音楽上の覚醒者」と呼んでいる
         参照・山本直良 http://ameblo.jp/derbaumkuchen/entry-12080932690    
(饗庭孝男『恩寵の音楽』音楽之友社、1984年)。
作品
<管弦楽>
1927年《或る秋の思出》(弦楽合奏)
1929年《森の情景より》(小管弦楽のためのロベルト・シューマン作品の編曲)
1932年《亜細亜の歌》(独唱と2管編成)
1934年《青春時代》
1936年《春の海》(箏と2管編成のための宮城道雄作品の編曲)
1938年《朝日さす島》(7面の箏・混声合唱と2管編成のための宮城道雄との共作)
1940年《日本幻想曲第一番》(ピアノと3管編成のための作品、JOAKの委嘱による国民詩曲の1つ)
1941年《サンクトゥス(祈聖)》(ピアノと管弦楽)
1942年行進曲《堂々たる皇軍入城》(2管編成)
1943年《海上日出づ》(ピアノと2管編成)
1944年日本幻想曲第二番《望郷》(2面の箏と2管編成)
1946年《六段幻想曲》(2面の箏、ピアノと1管編成)
1946年《春雨》(2面のこと、ピアノと1管編成)
1946年《千鳥協奏曲》(ソプラノ、箏、尺八、2~7面の箏合奏と1管編成)
1953年《壮年時代》(ピアノと3管編成)
1959年《御降誕祭聖歌メドレー》(クリスマスの歌のメドレー作品)
<ピアノ曲>
1925年‐1927年《ピアノ小曲集》
1926年《変奏曲》
1930年《小音詩集》
1930年《交響的楽章》
1940年《サンクトゥス(祈聖)》
1945年三部曲《静・動・韻》
1950年《愛のノクターン》
1950年《レゲンデ第一番》
1950年《レゲンデ第二番》
1950年《月光の夢》
<合唱曲>
1922年‐1924年《アヴェ・マリア》(4人の女声独唱、女声4部合唱、ピアノまたは小管弦楽による伴奏)
1931年《海に呼ばうて》
1947年《永遠の平和》(ベートーヴェンの原曲に作曲者による歌詞をつけた独唱と混声合唱)
1947年皇帝円舞曲《ウィーンの調べ》(作曲者による歌詞をつけた独唱と混声合唱)
<独唱曲>
1930年《青草》(三木露風の詩による、ソプラノとピアノまたは管弦楽伴奏)
1933年《ドイツ民謡》(ソプラノと管弦楽伴奏)
1933年《英国民謡》(ソプラノと管弦楽伴奏)
1944年《眦はさけて居なん》(釈迢空の詩による、ソプラノとピアノまたは管弦楽伴奏)
1945年《益良夫》(作曲者の歌詞による、ソプラノとピアノ伴奏)
1946年《氷れる利根の水上に》(萩原朔太郎の詩による、歌とピアノ伴奏)
1946年《指と指とを組み合せ》(萩原朔太郎の詩による、歌とピアノ伴奏)
1947年《夢とカナリヤ》(河合恒人の詩による、歌とピアノ伴奏)
1947年《あんこう》(河合恒人の詩による、歌とピアノ伴奏)
1950年《人もし愛を失わば》(聖書による、独唱または合唱)
1950年《聖フランシスコ・ザベリオの歌》(作曲者の歌詞による、ソプラノまたはテノール独唱)
<舞台音楽>
1940年ヴィンチェンツォ・チマッティ原曲のオペラ《細川ガラシャ夫人》
1950年聖楽劇《受難》(ヘルマン・ホイヴェルスの台本による、オルガン、ピアノと1管編成)
<映画音楽>
1937年《飛騨の白川村》(日本大学藝術学科製作)

5. <山本直純 家族>
山本直純 1932年生、山本直忠の長男 東京藝術大学音楽学部指揮科卒、作曲家、指揮者
妻:正美 1932年生、東京藝術大学作曲科卒、作曲家(岡本正美)
長男:純之介 1958年生、山本直純の長男 東京藝術大学音楽部作曲科、同大学院修士課程各卒、作曲家・千葉大教授
二男:祐ノ介 1963年生、東京藝術大学、同大学院修了、東京交響楽団首席チェロ奏者、指揮者、その妻でピアニストの小山京子は山下洋輔の親戚

6. 妻:山本正美 (作曲家)
1932年(昭和7年)12月25日 – 2003年(平成15年)4月12日)
東京藝術大学卒業、同大学院修了。日本の作曲家。山本直純の妻。作曲家の山本純ノ介は長男、チェリストの山本祐ノ介は二男。東京藝術大学作曲科卒業。1981年、48歳にして長男の純ノ介と共に東京藝術大学大学院に入学し、話題となった。
岡本正美名義で交響曲から歌曲・合唱曲まで幅広く手がけたが、その作風は、夫・直純の大衆に幅広く受け入れられるような作風とは違い、やや難解と見られがちな前衛風な響き、構成の作品が多い。上皇后美智子の詞に曲づけした「ねむの木の子守歌」が一般的によく知られている。
遠縁に吉永小百合がいる(山本正美の妹の夫の母が、吉永の母の従兄弟の妻と姉妹同士)[1]。また、佐良直美も遠縁にあたる(佐良の母方の大伯父である山口彰夫の妻と、吉永の母が姉妹同士)。
作品
《ねむの木の子守歌》
《交響曲第一番》「ジーザス・クライスト」
《交響曲第二番「はじめの園」
《交響曲第三番》「ノアの方舟」
《交響曲第四番》「アブラハムの聖召」
《交響曲第五番》「エキソドス(出エジプト記)」
《交響曲第六番「ゴールデンスパーク」
《交響曲第七番》
交響組曲《日本のリズム》(スプリング・ハズ・カムを含む)3部作
《チェロ協奏曲》(第三楽章のみ独立して「アレグロ・アラ・ターラ」としてLPレコード化されている)
チェロ独奏の為の《エル・エム・ヘヴン》
短歌による女声三部合唱曲《軽井沢の四季》(その1、その2)
7. 長男:山本 純ノ介
1958年(昭和33年)2月24日 – )
東京藝術大学卒業、同大学院修了、日本の現代音楽の作曲家。千葉大学教授。
父は作曲家で指揮者の山本直純、母は作曲家の山本正美、弟はチェロ奏者の山本祐ノ介。祖父は作曲家・指揮者であり音楽教育者の山本直忠。曾祖父はヴァイオリニストの大橋純二郎という音楽一家に生まれる。幼少より、祖父・直忠にピアノ、作曲の手ほどきを受ける。また、杉山園子にマリンバの指導を受ける。
その後、作曲を長谷川良夫、北村昭、小林秀雄、松村禎三、ディーター・シュネーベルに師事、ピアノを伊達純、山崎冬樹に師事する。
1977年(昭和52年)、東京藝術大学音楽学部作曲科入学。大学入学の18歳から12年間、父・直純の助手として写譜、作・編曲、マニピュレーターなどをこなしつつ、自己の音楽の確立を目指して管弦楽作品の作曲を続けた。
1984年(昭和59年)3月、東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程作曲専攻修了。
1990年(平成2年)、日本音楽コンクール作曲部門(オーケストラ)入選(作品《ウナ・プレギエラ・シンフォニカ》小松一彦指揮、東京フィルハーモニー交響楽団)。
1991年(平成3年)、朝日新聞・テレビ朝日主催・シルクロード管弦楽国際コンクール優秀賞(作品《法顕伝交響曲》井上道義指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団)。
1992年(平成4年)《迦楼羅〜黎明の響き》で芥川作曲賞入選。
1995年(平成7年)、文化庁海外派遣特別研修員として渡独。ベルリンでディーター・シュネーベル、フランクフルトでアンサンブル・モデルンのもと短期研修、ダルムシュタットにてステファニディス・デモステネスと共同研究を行う。
1997年(平成9年)、日中国交正常化25周年記念曲《鸞鏡》、《螺旋系の音楽音響〜十二の時空による四次元の音像帯〜》(岩城宏之委嘱、オーケストラ・アンサンブル金沢で初演)、1999年(平成11年)、ゲーテ生誕250年記念委嘱作品を発表。
上野学園短期大学、尚美学園短期大学、東京藝術大学作曲科非常勤講師を歴任。
現在、千葉大学教授、放送大学客員教授、2019年(令和元年)10月より連合大学院教授。
公益財団法人千葉交響楽団理事、日本作曲家協議会理事、アプサラス副会長、日ロ音楽家協会運営委員、音絵巻代表、日本現代音楽協会会員。
1999年(平成11年)よりNHK全国学校音楽コンクール審査員。
2004年(平成16年)、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーからなるクラングフォルム・ベルリンによって演奏された「山本純ノ介個展2004東京」では、20年以上の歳月に積み重ねられた室内楽作品を発表した。
映画「男はつらいよ」シリーズでテーマ曲を始めとして映画音楽をナオズミが一貫して担当してきたことで知られるが、第47作「男はつらいよ 拝啓車寅次郎様」以降の3作品は、純ノ介が共同で音楽を担当した。
第44回日本アカデミー賞 優秀音楽賞(「男はつらいよ お帰り 寅さん」)
作品
《ウナ・プレギエラ・シンフォニカ》
《法顕伝交響曲[2]
《迦楼羅〜黎明の響〜
《紅焔〜中国琵琶(Pippa)とオーケストラのための〜
《尺八と箜篌のための二重協奏曲
オーケストラと合唱のためのコラボレーション《過ぎてゆく光景》より 枯れてゆく音
《螺旋系の音楽音響〜十二の時空による四次元の音像帯〜》
《交響曲第三番》「五重塔」
《アンティフォナ・スーラ》(交声曲 修羅)
交響曲《鑑眞寂静1250年記》
《華厳の種子~弦楽合奏のために》
《交響吹奏楽の為のカオス》(Ⅰ~Ⅳ)Ⅰ.カオス、Ⅱ.トポス、Ⅲ.ヘリオポーズ、Ⅳ.アプサラス
<室内楽>
《ピアノのための絶対音楽I、II、III》
《カリグラフィーI チェロとピアノのために》
《カリグラフィーII チェロ独奏のために》
《無伴奏ヴァイオリンのための音楽》
《獨奏クラリネットのための旋律~語り~》
《音取二抄-クラリネット独奏のために》
《管楽器のための八重奏》
《借景》
《EPITAPH》
《松尾芭蕉の句によるホルンとピアノのための束の間の残像(壱)》
《ONDINE~ピアノとソプラノの為に~》
《クラリネット・ハープ・ピアノのための「海の原」》
《フルートとマリンバによる組曲》
<邦楽>
《尺八とパーカッションのためのイリュージョン》
《秋霖》 20絃箏と17絃箏のために
《RUINS1》 箏、三絃、尺八のために
《阿児奈波》 2面の13絃箏と17絃箏のために
独箏組曲《天空の絃》
<合唱曲>
混声合唱組曲《光葬》
混声合唱組曲《季霊》
混声合唱とピアノのための組曲《万象》
混声合唱組曲《二十億光年の孤独》
混声合唱組曲《心象の海》
混声合唱組曲《りこるど》
混声合唱組曲《人と光》
無伴奏混声合唱組曲Ⅰ番《無不空》
無伴奏混声合唱組曲II番《Panta Rhei》〜西行「捨てしをりの心」〜
無伴奏混声合唱組曲III番《Physisピュシス》〜西行「鴫立つ沢」〜
同声合唱とピアノのための《二億年ずつ23回》
同声合唱とピアノのための《西風来来》
同声合唱のための組曲《70%の永遠》
《こんなにたしかに》(第66回NHK全国学校音楽コンクール中学校の部課題曲)
《佐渡おけさ》
《時の小舟》
《HOME AGAIN》
《LOVING YOU》
《明日の空にはばたけるつばさを》
<そのほかの作品>
シンフォニックストーリー《モモ》
オペラ《玉の都》
1988年-1990年NHK《プルプルプルン》
1989年NHK《ドラマスペシャル・黄昏の赫いきらめき》
1995年-1998年NHK《うたってオドロンパ》
<校歌>
《清瀬市立清明小学校校歌》
《千葉市立真砂中学校校歌》
《千葉市立真砂東小学校校歌》
《北九州市立門司中央小学校校歌》
《世田谷区立船橋希望中学校》
学校法人後藤学園《武蔵丘短期大学カレッジソング》
8. 山本祐ノ介
昭和38年生、東京藝術大学、同大学院修了
東京交響楽団首席チェロ奏者、指揮者