ブラームス

生没年・出身地・歿地・墓地
ヨハネス・ブラームス生誕 Johannes Brahms

(1833年5月7日ハンブルク生)
(1897年4月3日ウイーンで歿)

1.職業

ドイツの作曲家・ピアニスト・指揮者

2.称号

3.経歴

父は小間物商人、結婚前は劇場オーケストラのコントラバス奏者。住まいのSpeck Strasse 60はハンブルクの下町の貧民窟といわれる場所で、そのアパートの2階で生活していたといわれている。父は後年ハンブルク・フィルハーモニのコントラバス奏者となる
父から音楽の基礎を学ぶ
7才頃から正式にピアノを学び始める
中高等学校入学し教育で愛国心をうえつけられフランス語を嫌いその講義を憎むゲルマニズムを身につけたといわれている
10才頃作曲家・ピアニ ストのマルクスゼンに師事する。家計を助けるためこの頃からバーやダンスh-ルで演奏し始める
15才で初の演奏会を行う、この頃から作曲と演奏活動を開始、各地で演奏活動をしながら作品を発表している
1850年3月16日ハンブルク・フィルをシューマンが指揮、その妻クララがピアノ演奏をしたのを聴いたのがシューマンを見る機会となる
1853年ヴァイオリニストのレメーニィと各地を演奏しヨアヒム、リスト、デュッセルドルフではシューマンを初めて訪れている。シューマンとは互いに魅せられシューマンの自宅に住むようになる。音楽新聞に「若鷲」と記し「必ず立派な業績を残すだろう」と書いている。1854年シューマンが自殺を企てたとき、1856年シューマンが死んだときはクララの傍に寄り添っている
その後、デトモルト宮殿に務める
1859年1月ナノーヴァーで「ピアノ協奏曲第一番」作曲しライプツィヒで初演されるが酷評を受ける
ハンブルクに戻り女声合唱団を指揮しながら合唱団用の作品を作曲する
1862年ウィーンを訪れる。ハンブルク・フィルハーモニーの指揮者の地位を望んでいたがウィーン滞在中の同年11月にほかの人が新しい指揮者に任命され、採用拒否の通知を受ける。これが生涯、故郷を捨てる決心となり恨みを持つことになる。ずっと先の30年後の1893年4月ハンブルク・フィルハーモニーの幹部が指揮者か協会員になって欲しいと申し入れてきたことがある。今更遅すぎると断っている
1868年ブレーメンで「ドイツ・レクイエム」発表し成功を収める
その後は自作を各地の演奏会で客演指揮
1873年「ハイドンの主題による変奏曲」作曲
1876年「交響曲第1番」作曲
1877年「交響曲第2番」作曲
1878年「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」作曲
1879年ブレスラウ大学から名誉博士号を贈られ、この返礼として1890年「大学祝典序曲」作曲
1890年「悲劇的序曲」作曲
1881年「ピアノ協奏曲第2番」作曲
1883年「交響曲第3番」作曲
1885年「交響曲第4番」作曲
1886年「チェロ・ソナタ第2番」、「ピアノ三重奏曲第3番」作曲
1888年「ヴァイオリン・ソナタ第2番」作曲
1891年「クラリネット三重奏曲」、「クラリネット五重奏曲」作曲
1896年6月頃から容貌が変わりヘルッカ医師から黄疸と診断されカールスパートの鉱泉飲用療法を勧められる。その後ウィーン大学のシュレッター教授の診察を受け胆管閉塞、肝臓肥大、肝臓がんと診断されるが本人へは知らされてない。
1897年2月中旬軽い脳卒中を起こす。3月7日ウィーン・フィルによる自作「交響曲第4番」演奏会に出席。3がつ25日吐血。4月に入ると昏睡状態となり消化管からの出血がひどくなる。4月3日午前8時30分死去。遺体は中央墓地に埋葬。葬儀の日はハンブルク港に停泊中の船舶はすべて弔旗ををかかげたといわれている

4.主な作品

「ピアノ四重奏曲」「弦楽五重奏曲」「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」、合唱曲「アルト・ラプソディ」「運命の歌」「運命の女神の歌」「4つの歌曲」「6つの歌曲」「4つの厳粛な歌」、「11のコラール前奏曲」等など

5.その他

ドイツ音楽における「3大B(バッハ・ベートーヴェン・ブラームス)」の一人と称される

ブラームスの人物像:
ブラームスは妥協しない音楽家だったようです。我が強く、高圧的で、言葉にはトゲを含み異常に神経が過敏、皮肉屋の不愛想で粗雑なしゃべり方で短気であったようです。多くの友人と喧嘩をし友を失っています。リスト、ワーグナーとは相いれず、ブルックナー、マーラー、チャイコフスキー、ヴェルディ、R・シュトラウス等にも敬意を払わず、お気に入りはヨハン・シュトラウスであったようです。夏にはバード・イシュルの隣り合わせの別荘で暮らしたといわれています。敬愛した音楽はシューマンただ一人であったようです。でっぷり太り、頬とあごひげをはやし、葉巻を常に手から離さず外見は非常にむさくるしく、身なりは全くかまわず、衣服を買うのが大嫌いで古ぼけただぶだぶのつぎの当たったズボンはどれも短すぎていたようです。大変な倹約家で生涯つつましく暮らし経済的に恵まれた時期でも安い食堂で食事をし、簡素な生活をしていたという。また、ウイーンの人はブラームスとベートーヴェンはどちらも背が低く、田園を愛し、癇癪もちで一生独身を通し、頭をつきだし両手を後ろに組む歩き方までそっくりだったと語り伝えています

6.初演

7.関連動画


Symphony 2- Carlos Kleiber- 1991
 


Symphony 1- Paavo Järvi
 


Symphony 4- Carlos Kleiber Bayerisches Staatsorchester
 


Symphony 4- Evgeny Mravinsky – 1973
 


Symphony 3 F Dur op 90 Leonard Bernstein, Wiener Philharmoniker
 


Piano Concerto No 1 – Barenboim, Celibidache
 


Violin Concerto in D major, Op 77 Itzhak Perlman
 


Violin Concerto in D major, Op 77 David Oistrakh
 


Violin Concerto in D major, Op 77 Heifetz – Toscanini
 


Sir Georg Solti & Wiener Philharmoniker – “Hungarian Connection” Concert
 


Hungarian Dances – Budapest festival Orchestra
 


Haydn Variations – Furtwängler
 


Haydn Variations – Claudio Abbado
 


Serenade No.1 in D-major, Op.11 (1857)
 


Piano concerto No. 2 (Pollini, Vienna Philharmonic, Abbado)
 


Tragic Overture
 


Variations on a Theme of Paganini, Op.35
 


Ein Deutsches Requiem Herbert von Karajan Wiener Philharmoniker
 


Academic Festival Overture Bernstein
 


“Wiegenlied” Elisabeth Grümmer
 

参考文献:「クラシック作曲家辞典」中河原理監修、フェニックス企画編 東京出版堂 「音楽史(音楽講座)」堀内敬三著 音楽之友社 「偉大なる作曲家のためのカルテ」五島雄一郎著 医療ジャーナル社 「wikipedia」 「glennmie.blog.s0-net.ne.jp」 「robortkelloyphd.com」 「dictionary/composer/alkan」 「maucamedus.net/solmization/gawut」 「www.tcat.ne.jp/eden/music」 「www.cadenza-od.com」 「www.coara.or.jp/-doraemon/gagaku/nenpyoz.htm」 「www.gecities.jp/gzgaku.ryuteki」 「www.univesal-music,co.jp」 「maokato.jp/bihoro/bihoro 「homepage3.nifty.com/cio/a-alta」 「www.wagnerdailas.com」 「江戸東京年表」吉原健一郎・大濱徹也編 小学館 「日本史・世界史 同時代比較年表」楠木誠一郎著 朝日新聞出 「音楽文庫・日本音楽史」伊庭孝著 講談社 「tsuzu/asakusaopera-nenpu.html」 「tsuzu/operetta-kafu.html」