生没年・出身地・歿地・墓地
アレクサンドル・ボロディン生誕 Alexander Borodin
(1833年10月31日サンクトペテルブルク生)
(1887年2月15日歿)
1.職業
ロシアの作曲家・化学者・医師
2.称号
3.経歴
グルジア皇室の皇太子(といわれている)ルカ・ゲデヴァニシヴィリと母Evdokia Konstantinova Antonovaの非嫡出子として生まれ実子の戸籍登録はなく、召使のPortiry Borodinの名前を付けられる
幼い頃より音楽の才能を示す。ピアノを含め教養的な教育を受けて育つ。家庭ではピアノ、フルート、チェロを演奏して楽しむ
1850~56年サンクトペテルブルク大学に入り化学を専攻する。転部し医学部に入り最優秀で卒業。ロシア語、フランス語、英語、イタリア語、ドイツ語に堪能していたといわれている。アマチュアの音楽サークルに入り1855年にムソルグスキーと知り会う
1856~58年卒業すると陸軍病院に務め病理学の助手になり研究を行う
1858年医学博士号を得る
1859~1862年24才からハイデルベルク大学に2年間留学し化学の研究に取り組む。滞在中にフランス、スイス、イタリアなどを旅行してシューマンやショパンの音楽に触れる
1862年サンクトペテルブルクに戻り、ペテルブルク医科大学で教鞭をとる。おそらくこの頃かも知れないが結核になりサナトリウムで静養中知り会ったエカテリーナ・プロトポポーヴァと退院後に結婚していると思われる
1863年バラキレフと出合うまで作曲法を正式に学んだことがなく作曲の指導を受けながら最初の第一交響曲を作曲する
1864年軍医学アカデミーの教授となる
1869年交響曲第一番ロシア音楽協会でバラキレフ指揮で初演され大成功を収める。化学の研究と大学の講義に忙しい日々を過ごす
1872年有機化学分野の研究で「アルドール反応」を発見する
1877年交響曲第二番作曲。ドイツに旅行しヴァイマルでリストに出会う
1880年バーデン・バーデンで交響曲第一番がリストの尽力で上演され名声を博す。皇帝アレクサンドル二世の在位25周年に委託された「交響詩「中央アジアの草原にて」多くの人々の好評を得る
1881年弦楽四重奏曲作曲
1887年謝肉祭週間に数人の友人を招き上機嫌に歌い踊って楽しんでいたが、突然ひどく青ざめて(動脈瘤の破裂)卒倒し急死。サンクトペテルブルクのアレクサンドル・ネフスキー大修道院のチサヴィン墓地に葬られる
1890年ボロディンの死後、未完のオペラ「イーゴリ公」はリムスキー・コルサコフとグラズノフの手により補筆されペテルブルクで初演された
4.主な作品
オペラ「勇者たち」・「皇帝の花嫁」・「ムラダ」・「イーゴリ公(未完)」、弦楽四重奏曲第1番・第2番、交響詩「中央アジアの草原にて」、交響曲第一番・第2番、第3番、フルートとピアノのための協奏曲、その他ピアノ曲、合唱曲、声楽曲、歌曲など
5.その他
化学者として「ボロディン反応」に名を残している
1954年アメリカでブロードウエイ・ミュージカル「キスメット」にボロディンの音楽が使われ作詞・作曲賞の部門でトニー賞を得る
6.初演
7.関連動画
Second Symphony – Royal Concertgebouw Orchestra
String Quartet No. 2
String Quartet No. 1
Polovtsian Dances, Prince Igor
Prince Igor – Yury Lyubimov
Complete Piano Music
nocturne
Petite Suite
Requiem
Symphony 1