エクトル・ベルリオーズ


生没年・出身地・歿地・墓地
エクトル・ベルリオーズ生誕 Louis Hector Berlioz

(1803年12月11日フランス南東部イゼール県の村、ラ・コート=サンタンドレ生)
(1869年3月8日パリで歿)
モンマルトル墓地に埋葬

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1.職業

フランスの作曲家・指揮者・音楽評論家

2.称号

3.経歴

父の生家はこの地方の由緒ある家柄、父は開業医で人格者であったと言われている。母は”いじわる”という印象が強く熱心なカトリック教徒で旧弊な感覚の持ち主であったようで芸術家を自堕落な人間だと決めつけるような偏見を持っていたと言われている。そうした家庭環境で育ったようだ
11才の春、修道院で聖体拝受をしたときに歌われた讃美歌の合唱曲に初めて感動を受けたと言われている
12才頃父親の引出しから縦笛を見つけ指使いの手ほどきを受け夢中になって吹いた。息子の音楽への熱意と関心に興味を持った父は、リヨンから音楽教師を招いてフルートを習い始める
15才頃には作曲を始める
父のすすめで従弟とともに父から医学を学び始める
1821年、パリの医科大学の入学試験に二人とも合格しパリへ留学する
初めて観たグルックのオペラ「トーリドのイフィジェニー」に感銘を受けオペラに関心を抱く。作曲家になりたいと決心し1年後学部が閉鎖された機会に両親に伝えるが当然両親や周囲の反対が強く医学の道を放棄し音楽の道を選んだのは1824年頃、父が学費の送金を中止したのでバイトを始める。パリ音楽院教授ル・シュールの門を叩き音楽の勉強に専念する。宗教音楽を勉強を始める
1825年自費で教会音楽コンサートを主催、その後音楽教師、合唱団員、音楽批評のバイトをしながらカンタータやオペラの作曲を模索
1826年10月パリ音楽院に入学し引続きル・シュール教授に作曲、フーガ、対位法を学ぶ
1827年ローマ大賞に応募し落選するも父がパリに来て音楽への情熱に再び学費を送金してくれるようになる
1829年音楽院ホールで序曲「宗教裁判官」とカンタータ「ファーストからの八景」が成功を収める
1830年の初めに「幻想交響曲」の作曲に取り掛かる。ローマ大賞に応募し受賞する。「幻想交響曲」を初演し12月5日ローマへの留学に旅立つ。ローマではメンデルスゾーンと親しくなる。イタリア各地を旅行
1833年イギリスの劇団員で女優のハリエット・スミッソンと結婚
1834年交響曲「イタリアのハロルド」発表
1837年「レクイエム」作曲
1838年オペラ「ベンベヌート・チェッリーニ」作曲
1839年劇的交響詩「ロメオとジュリエット」作曲
1842年妻ハリエットと別居
1842年9月から43年5月演奏旅行はベルギー、ドイツ各地をまわり自作を披露してメンデルスゾーン、ワーグナ、シューマン等の協力を得て成功を収める
1844年序曲「ローマの謝肉祭」作曲、著作「近代楽器法と管弦楽法」、「ドイツ・イタリア音楽紀行」、「ベートーヴェン、グルック、ウェーバー論」出版
1845~46年フランス南部、ボン、プラハ、ウィーンの各都市に旅行、オラトリオ「ファーストの劫罰」発表
1847年2月~48年7月ロシア、イギリス旅行
1754年妻ハリエットの死、その後愛人のマリー・レチオと再婚
1856年フランスアカデミー会員。持病の腸神経痛に激しく悩まされる
1860年作曲活動を励まし理解してくれていた妹のアデールの死に孤独感や無常観をつのらせ鬱病になる
1862年6月二2度目の妻、マリーの死
1862年バーデン・バーデンでオペラ「ベアトリスとベネディクト」が初演され成功を収める
1863年以降はパリの”カリバン洞窟”と自称した小アパートに引き籠り亡妻マリーの母と共に失望と孤独の生活を送る
1864年レジョン・ドヌール四等勲章が授与される
1867年亡妻ハリエットとの間にできた船乗りになった息子、ルイがハバナで熱病のため33才で亡くなったという知らせが届き半狂乱の状態になる。晩年は二人の妻と息子を喪い、一生続いた貧困と持病の腸神経痛に悩まされ、身も心も疲れた生活を送る
1867年ロシアのサンクトペテルブルグから演奏会を開くよう招待され、ロシアに向かう。演奏会は大成功を収め、滞在中は最上級のもてなしを受け、12月11日の誕生日には王宮で盛大な祝宴が開かれ、ムソルグスキー、チャイコフスキー、リムスキー・コルサコフ、アントン・ルービンシュタイン等々のロシアの作曲たちと知合いになる。しかしロシアの厳しい冬の気候は健康を悪化させ1886年2月パリえ向かう。3月にパリに戻ったときは病状は悪化し、持病の腸神経痛は不治と診断され、保養のため南フランス、モンテカルロへ行くが海岸で転んで頭を打ち、更にニースの海岸の石垣から落ちたりで、パリへ戻った時の病状は悪化し約一カ月臥床。8月故郷へ戻り、快方に向かったがパリに戻るとぶり返し、1869年3月8日65才でこの世を去る

モンマルトル墓地に埋葬

4.主な作品

幻想交響曲、オペラ「ベンヴェヌート・チェッリーニ」、「ベアトリスとベネディクト」、序曲「ローマの謝肉祭」、劇的交響曲「ロメオとジュリエット」、
「ファーストの劫罰」

著作「近代楽器法と管弦楽法」、「ドイツ・イタリア音楽紀行」、「ベートーヴェン、グルック、ウェーバー論」等を残す

5.その他

6.初演

7.関連動画


Symphonie Fantastique V. (Songe d’une nuit de Sabbat) Serpent & Ophicleide –
 


Symphonie fantastique V. Mariss Jansons · Berliner Philharmoniker
 


Symphonie Fantastique Karajan
 


Symphonie Fantastique Charles Dutoit
 


Symphonie fantastique Mariss Jansons
 


The Damnation of Faust by Herbert von Karajan
 


Carneval romain
 


Le corsaire, overture, Op 21 Paavo Järvi,
 


Te Deum, op.22 – Abbado
 


Requiem
 


Grande Messe des morts
 


Harold en Italie Op. 16 (Sir Colin DAVIS/Philarmonia Orchestra)
 


Grande Symphonie funèbre et triomphale / Simon Rattle · Berliner Philharmoniker


Symphonie funèbre et triomphale
 


Roméo et Juliette
 

参考文献:「クラシック作曲家辞典」中河原理監修、フェニックス企画編 東京出版堂 「音楽史(音楽講座)」堀内敬三著 音楽之友社 「偉大なる作曲家のためのカルテ」五島雄一郎著 医療ジャーナル社 「wikipedia」 「glennmie.blog.s0-net.ne.jp」 「robortkelloyphd.com」 「dictionary/composer/alkan」 「maucamedus.net/solmization/gawut」 「www.tcat.ne.jp/eden/music」 「www.cadenza-od.com」 「www.coara.or.jp/-doraemon/gagaku/nenpyoz.htm」 「www.gecities.jp/gzgaku.ryuteki」 「www.univesal-music,co.jp」 「maokato.jp/bihoro/bihoro 「homepage3.nifty.com/cio/a-alta」 「www.wagnerdailas.com」