生没年・出身地・歿地・墓地
アントニオ・サリエリ生誕 Antonio Salieri
(1750年8月18日レニャーゴ生)
(1825年5月7日歿)
1.職業
イタリアの作曲家
2.称号
3.経歴
幼少の頃兄フランチェスコからヴァイオリンとチェロを初めて習う
その後オルガニストのジュゼッペ・シモーニ にヴァイオリンを学ぶ
1763年両親に死別。別の兄弟とパドヴァで短期間生活をする。音楽の才能が注目され家族の友人、ジョヴァンニ・モセニゴにヴェネツィアで音楽教育を1年間受ける
1766年才能に感心したウィーン宮廷作曲家フロリアン・レオポルド・ガスマンにウィーンに連れていかれ作曲法を教わる
ウイーン宮廷に招かれ宮廷音楽家、ヨーゼフ2世に紹介される
その頃ピエトロ・メタスタシオ、クリストフ・グルックと親交を結ぶ
1744年ガスマンの死後、ウィーン宮廷作曲家に任命される
その後1778年休暇を取り2年間ウィーンを離れ8月ミラノ・スカラ座でオペラ「見出されたエウローパ」を、12月ヴェネツィアでオペラ「やきもち焼きの学校」が大成功を収める
1788年ウィーン宮廷音楽監督に就任し1824年までその職に留まる
1817年ウイーン楽友協会音楽院指導者に就任
1823年健康は悪化し転び落ちて頭部の負傷を負う
それらが原因か精神状態は混乱しはじめ10月、ウィーン・オルゲイン・クランケンハウス病院に入院
1825年5月7日の夕方サリエリは死んだ
葬式にはウィーン宮廷音楽関係者、ウィーンの音楽家は病気だったベートーヴェンを除き全員が参列
数日後、サリエリの作曲したレクイエムが演奏される
4.主な作品
多数のオペラ、皇帝ミサ、戴冠式デ・テウム、シンフォニアニ短調、ピアノ協奏曲ハ長調、フルートとオーボエのための協奏曲、室内協奏曲等々
5.その他
生涯を通して親交を結んだのはヨーゼフ・ハイドン、べートーヴェン
サリエリとモーツァルトとの関係は、多くの憶測の対象となっているが、モーツァルトに対する陰謀や侮辱的な発言の証拠はほとんどないと言われている。
ウイーン楽友協会の黄金ホールや空間性、音響効果の設計に携わったことで知られている
サリエリから指導を受けたのは、ベートーヴェン、シューベルト、リスト、ツェルニー、フンメル、マイアベーア、ジェスマイヤー、フランツ・クサーヴァー(モーツァルトの息子)等がいる
6.初演
7.関連動画