生没年born and died・出身地・歿地・墓地
サヴァリッシュ, ヴォルフガング 生誕 Birth
Sawallisch, Wolfgang
1923年8月26日 ドイツ、バイエルン州ミュンヘン生まれ
Geboren am 26. August in München
2013年2月22日 ドイツ南部グラッサウの自宅で死去
verstorben am 22. Februar in Grassau
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1.職業 Profession
ドイツの指揮者・ピアニスト
deutscher Dirigent und Pianist
2.称号 Titled
3.家系 Life story(japanese)
先祖 Vortahr
1.サヴァリッシュ家の家系は1850年頃まで遡ると、三代から四代前にはドイツ国民であることが家系調査により判明している
祖父 Großuater
2.祖父はヴッペルタール・エルバーフェルトWuppertal Elberfeldの聾唖学校Schule fŪr Taubstummeの校長をしていた
父 Vater
3.父ヴィルヘルムは保険関係の管理職の仕事に就いていた。母の名はマリア。兄はヴェルナーという
4.年譜 Life story(japanese)
ヴォルフガング・サヴァリッシュ、以後(サヴァリッシュと呼ぶ)は、ミュンヘン、ノイハウゼンのボートマー通り二十番地のアパート二階でサヴァリッシュ家の二男として出生。父の収入は良く中産階級に相応しく、家計は倹約を心掛けていた
1928年両親に連れられ家族で祖父の誕生日祝いに行く。祖父の家でピアノに初めて出会う。母の歌ってくれた童謡を鍵盤上で音を見つけ弾き始めていたところ、祖父や家族が聴きつけ祖父は父に、” あの子があんなに目を輝かせてピアノでメロディーを見つけようしていたところなどを見ると、私だったらこの能力を伸ばしてやろうとするね ” と話す。サヴァリッシュは当時の出来事について語っている。父はこれを実行し、5才からピアノのレッスンをペダル先生から受け始める
1929年6才、ヴィンティール小学校入学
1933年10才、1月猩紅熱に罹る
小学校4年で卒業。10才の年にヴィッテルスバッハ(Wittelsbacher Gymnasium)中高等学校入学。担任の先生からクラス委員に指名される(卒業まで指名は続いた)。10才から18才まで義務付けられた学校外の放課後における地域のナチス党内の青少年組織「ヒトラーユーゲント」のドイツ少年団に加入する。ここで歌の伴奏や合唱指揮をする。年に2回、両親の夕べの音楽会ではピアノを弾いた。この頃、ミュンヘンの青少年音楽コンクールのピアノ部門に参加し、シューベルトの《即興曲編イ長調》を弾き第一位
1934年11才、サヴァリッシュの両親は非常に音楽に関心を持っていたようだ。ミュンヘン・オペラ、オデオン楽堂、トーンハレの両コンサート・ホールのフィルハーモニー定期会員となっていた。この年、サヴァリッシュ少年は、両親の持っていたナツィオナル劇場の定期予約席で初めてオペラ《ヘンゼルとグレーテル》を見てオーケストラの指揮者に魅了される。音楽への関心は指揮への関心に変わり、両親に ” ピアノを二番目に、指揮を一番にやりたいと決心を話す。ペダル先生の ” これ以上教えるものはありません。先生を変えなさい ” と両親に説明する。後継者ロッテ・ザクセ夫人の最初のレッスンを前にサヴァリッシュは指揮者になりたいがそれには何が必要かを先生に訊ねたという。彼女の夫ハンス・ザクセ(Hans Wolfgang Sachse )はミュンヘン高等音楽院の教授で和声学、対位法、作曲法を教えていた。ザクセ教授は、週一回のピアノのレッスンが終わったあとに教授の授業を受けることをサヴァリッシュに提案。サヴァリッシュは両親の承諾を受ける。それからは両親から総譜を幾度となくプレゼントされ、指揮者として後年まで使うようになったという。ザクセ教授からは管弦楽法、楽式論等も教わった。ヒトラー・ユーゲントの若者たちへの軍事教練がますます集中的にされるようになり、自分の性に合わなくなってくると「芸術班」に救いを求めた。そこにはオーケストラがあり、新しい歌が流行ると四声や八声の楽章をつけ自分で楽譜を書き、自ら指揮をした。足りない楽器のパートは自分でピアノを弾いて補ったとサヴァリッシュはいう
1937年14才、バイエルン放送局の子供番組の仕事をしていたメヒトヒルト(後のサヴァリッシュ夫人)は青少年放送の主任と合唱歌手を探しているときに、サヴァリッシュはメヒトヒルトの目にとまりミュンヘン放送の子供番組に出演するようになる。この頃は、学校が終わった午後に、オスヴァルト・カバスタ、アドルフ・メネリッヒ、ジークメント・フォン・ハウスエッガ等のオーケストラのリハーサルやゲネプロがあると聴きに出かけた。そして多くのレパートリーを習得し、各指揮者の指揮法を学ぶことができたとサヴァリッシュはいう
1940年17~18才頃、初めて作曲を試みる。そうしたなかザクセ教授の作曲した交響曲からピアノ・スコアを作ることで総譜からいかに演奏可能なピアノ譜を作るかという練習を積む。ザクセ教授からオーケストラがどんなに響くか、何が主要なのか、ハーモニーの、リズムの骨格がどこにあるのか、そしてそれをいかにして総譜から読み取るかを学ぶ。その後ザクセ夫人から ” もう教えることはなくなったから、これ以上先に進みたいと思うのなら他の先生を探しなさい ” と言われミュンヘン高等音楽院教授でローズル・シュミットを推薦されたが、コンサート・ピアニストでもあったため忙しく、音楽院で教えているヴォルフガング・ルオフ教授を推薦されレッスンを受け始める
1942年18才、大学入試資格試験直後に召集を受け、初年兵としてアウクスブルクの歩兵部隊に入隊。教練が始まると、特殊任務に就くため解放される。放送局が国民慰問の為にドイツ巡業を企画し、サヴァリッシュにバッハの≪イタリア協奏曲≫を弾くようにという放送局からアウクスブルクの国防軍部隊に要請がありコンサート旅行の機会を与えられる。8月、帰隊後報告に行くと、2~3日前に部隊がスターリングラードへ出動。そのまま一人も戻らないことを知る。サヴァリッシュは音楽に生命を助けられたと語っている。やがて、無線分隊長用の下士官養成コースをミュンヘンのフライマンで受け無線分隊長となる。運転士、無線士と分隊長(下士官)のサヴァリッシュらは対戦車部隊の前哨偵察係として、パリ近くへ配置。その後ベルギーのオストエンデ、やがてオランダのヴァルヘレスへと回される。そしてイタリアのアペンニン山脈へと配置された
1943年連合軍がシシリー島に上陸してから北へ北へと退却を重ねる
1944年21才、10月イタリア戦線ロニゴでドイツ軍に徴発された家にドイツ軍将校が住むようになり、サヴァリッシュは将校に連れられてこの家で、ピアノを弾くことが出来た。彼はそれからはロニゴに留まった期間毎日この家を訪れ、ピアノを弾いたという。米軍の攻撃によりポー河まで退却しアルプスに着く。戦争は終わっていたが部隊を解散していないため攻撃を受けていた。米軍の最後通告は解散か捕虜になるかであった。中隊長が来て「戦争は終わった。降伏しろ、これが帰途へのいちばん安全な道だ」との米軍の言葉を信頼するのがよいと思うと捕虜となることを勧めた。4月サヴァリッシュ等は降伏し米軍のトラックでイギリス人部隊のテント収容所に入れられる。10月再び米軍に引き取られ汽車でトゥトゥラーノから南ドイツのバート・アイブリングまで運こばれた
1945年21才、5月ミュンヘンに近い除隊兵収容所に入れられ2~3日で書類が出来上がりミュンヘン、シュタッホス広場で解放される。マリーエン広場から、マクシミリアン通り、タッテンバッハとリービッヒ通りの角を曲がるとその建物が私の目に入りました。とサヴァリッシュは語っている。5階まで上がりベルを鳴らす。ドアを開けたのは母。母の背後に兄のヴェルナーが姿を現した。とサヴァリッシュは我が家に戻った時の様子を語っている。21才の復員だった。帰還後、ミュンヘン音楽院の入学手続きをする。まず1学年の試験を受けたが教授達は試験結果を見て「君は最終学年へ行きなさい。そして早く卒業するようにしなさい。君がここでもっと学ぶものがあると思うのかね?」そして三か月後に卒業。音楽院は短期間であったが、作曲法のヨゼフ・ハース校長(Joseph Haas)、音楽学のハンス・メルスマン教授、ピアノのヴァルター・ゲオルギイ教授等を知ることが出来た。卒業試験の前ごろヴァルター・ゲオルギイ教授が来て”アウグスブルクの市立歌劇場でコレペティトアとして仕事を始める気はないかね”と尋ねられる。”アウグスブルク市の音楽監督をしているフリップ・シュネルと親しくしており、彼から”ピアノ科の学生でコレペティトアとして始めてゆくゆくは指揮者になりたいと思う学生はいないか”と訊いてきと言う
1946年秋23才、アウグスブルク市の音楽監督フリップ・シュネルの家に招かれ、ピアノを弾く。さらに、初見でフィガロを弾く。シュネルはニヤリとすると「ばらの騎士」の第一幕への序奏の楽譜を置いた。サヴァリッシュは熱心に弾き、シュネルはすっかり驚いていた。と語っている。そして「1947年1月1日付けでアウグスブルクに採用する」と言った。アウグスブルクのリューブザーメン家に家具付きの部屋を借りて月200マルクの報酬で契約書が交わされた
1947~1953年24才~、アウグスブルク市立劇場Städtische Bühnen Augsburg Korrepetitor の二日目に第二ピアニストが病気になり代役に指名される。このベナッキーのジングシュピール「魅惑的な娘さん」の伴奏はその後もピアニストの病気が治っても続けることになる。次のベナッキーの「姉と私」の新演出と指揮がヴォルフガングに回って来た。朝9時からコレペティトアとして任務を果たし手際よく劇場の仕事は進められていった。オペレッタ「マダム・デュバリイ」で指揮をしたが片手間の仕事で、契約はまだコレペティトアのままだった。この下積みの身分から、たたき上げてサヴァリッシュは「どうしたら自分の考えをもっとよくオーケストラに伝えられるのかを見つけ出そうと試みた。自分がねらう効果を出すためには、何をしなければならないかということを、つかみ取った。楽団員と一体となり、歌手たちとともに仕事し、舞台とオーケストラの動きを技術的に結びつけるにはどうしたらよいかを学ぶことができた」と語っている。オペラ≪ヘンゼルとグレーテル≫で指揮者デビューを果たし、続けてこの曲目の指揮を任された。次はオペラ≪リゴレット≫を指揮することになる
1948年12月25才、コレペティトア兼任の指揮者 Korrepetitor/conductorsとしての契約にサインする。さらにバレエとオペレッタの指揮者としての契約をする
1949年26才、秋ゲルハルト・ザイツと二人でジュネーブ国際音楽コンクールのヴァイオリンとピアノのデュオ部門に応募し、マルセル・ドボ&エディ・セルキン組と一位なしの第二位を獲得し、八百スイス・フランの賞金をもらう。国境を越えてリンダウに着くと、税官吏から関税手続きをしなければならないと言われ、現金と表彰状を見せると没収された。税官吏は連合軍占領管理委員会法により金銭を無届でドイツに持ち込んだことにより、非合法に外貨を持ち込んだという事で、刑事訴訟手続きが取られることになると言う。この事件はエスカレートしバイエルン州の通産省で事件にあたることとなり、サヴァリッシュは連合軍当局から処分通告を受け、罰金を科せられる。やがて罰金を差し引いた残りの賞金を返却するとの通知を受ける。入賞したことでザイツ&サヴァリッシュのデュオ活動は活発となる。そうした中でも指揮者としてのアウグスブルク市立劇場の仕事は毎日、毎晩、指揮台に立ち毎回、違う曲目を指揮し、12月には一ヶ月に32回も指揮
1950年27才、ザルツブルク音楽祭でフルトヴェングラーの楽曲解釈講座を受講申し込む。健康上の理由でフルトヴェングラーがこれなくなり、代わりにイゴール・マルケヴィッチが講座をやることになる。2日目にマルケヴィッチに呼ばれ、”クラスを二つに分けるから他のひとつを君が受け持つことにしてくれないかね”と言われマルケヴィッチのアシスタントになる。
1951年28才、ザルツブルク音楽祭でもう一度マルケヴィッチのアシスタントとして講座に参加する。そこでフルトヴェングラーがウィーン・フィルとブルックナーの≪交響曲第5番≫のリハーサルをしているのを見る。彼がどのように仕事し、どのように表現へと仕上げていくのかを目の当たりに見ることになる。サヴァリッシュは云う「第5番の初めの部分、コントラバスとチェロのピッツィカートの部分をよく記憶しています。彼はひと言も言わずに八回か十回繰り返させたと思います。なぜ中断するのか?フルトヴェングラーは直さず、コメントを言わず、黙ったままでした。ひと言も言わないのです。八回とも。しかし、八回目に彼が中断せず続けて演奏させたとき、私たちは彼がなぜ中断したかを悟ったのでした。それは一回目に比べると黒と白ほど違ったものになっていたのです。彼が伝達したものは、まさに表現の力だったのです。」と語っている。この頃にサヴァリッシュはアウグスブルク市立歌劇場のオペラとコンサートの第一指揮者に就任していた
1952年29才、サヴァリッシュとメヒトヒルトMechthild Schmidは結婚を決意したが二人だけの秘密とした。メヒトヒルトは音楽大学で声楽を勉強していた。彼女の父親はパイプオルガン製作者で家には音楽大学の教授らが出入りしていた。彼女の父に乗用車オペルP4を貸してくれるよう頼み、新婚旅行はザルツブルクにコンサートを聴きに行くことにしていた。両親にもそのことについては知らせていなかった。暮れにアーヘン市立歌劇場の音楽総監督のポストが空きアーヘン側から応募書類を送るように催促される
1953年30才、2月13日アーヘン市立歌劇場(- 1960年) Theater Aachen GMD(1953~1960)での一次試験として「タンホイザー」を指揮し、3月13日プロコフィエフの「古典交響曲」、ドボルジャークの「チェロ協奏曲」、ブラームスの「交響曲第4番」を指揮し3年の音楽総監督(ドイツにおける最年少GMD)契約を結び9月1日ヴェルディの「オテロ」を指揮しスタートを始めた。アーヘンではオーケストラに関する全ての管理業務がGMDに一任されていた。契約はその後2年間延長され1958年までと変更
1954年31才でベルリン・フィルを指揮。フルトヴェングラーWilhelm Furtwänglerが亡くなったとき、ゲルハルト・フォン・ベスターマン(ベルリン・フィル支配人)はシラー劇場でのベルリン・フィル告別式にサヴァリッシュを招き、サヴァリッシュはブルックナーの≪交響曲第7番≫からアダージョ楽章とフルトヴェングラーの≪交響曲第二番≫からアンダンテを選んだ。冒頭にベルリン・フィル団員が、指揮者なしでバッハの≪ニ長調組曲≫から「アリア」を演奏した。
ミュンヘンに招かれプリンツ・レゲンテン劇場で「シモン・ポッカネグラ」を指揮。
1955年32才、アーヘンで初めて「トリスタン」を指揮。この時、ヴォルフガング・ワーグナーがアーヘンに来て「トリスタン」を聴き、1957年のバイロイト音楽祭での「トリスタン」の開幕公演に招く。ミュンヘンに招かれプリンツ・レゲンテン劇場でカール・オルフの「賢い女」と「カルミナ・ブラーナ」を指揮。
1957年34才、バイロイト音楽祭出演(~1962年迄)Dirigent der Bayreuther Festspiele(1957-1962) で「トリスタンとイゾルデ」を指揮。このときトリスタン役のヴォルフガング・ヴィントガッセンがある日、「あなたがオケ・ピットで総譜を開いているのを見て安心しました。・・・」と言った。サヴァリッシュは言う「奏者たちが自分の出番を間違わないよう、いつも小節を数える必要のないように小さな指示を与えてもらうことが出来たらと期待しているのは、もっともだと思います。大きなラインを見失うことなしに、これらすべてを頭のなかに入れておくのはほぼ不可能に近い事です。すべての奏者、出演者たちにこの種の指示をすることは、彼らが最も本質的なことに集中するために大きな助けになるのです」。エリーザベート・シュヴァルツコップの伴奏者、フィルハーモニア管を指揮してロンドンデビュー。11月招かれミラノ・スカラ座でコンサートの指揮
1958年35才、ヴィースバーデン市立歌劇場音楽監督就任( – 1960年)
Hessischen Staatstheater Wiesbaden Music Directors(1958~1960)
バイロイト音楽祭で「トリスタンとイゾルデ」指揮。
1959年37才、バイロイト音楽祭 Bayreuther Festspieleで「さまよえるオランダ人」を指揮しクナッパーブッシュから「ブラボー」と言われる
1960年38才、ケルン市立歌劇場音楽総監督就任(~1963年)
Oper Köln Music Directors(1960~1963)
ウィーン交響楽団首席指揮者就任(~1970年)
Vienna Symphony Orchestra Chief conductors (1960-1970)
バイロイト音楽祭 Bayreuther Festspieleで「さまよえるオランダ人」を指揮。ケルン時代はケルン音楽大学で指揮法のマスタークラスを教えている
1961年39才、9月/ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団・音楽総監督・首席指揮者就任(~1973年)
Philharmonische Staatsorchester Hamburg General Music Directors/Chief conductors
バイロイト音楽祭 Bayreuther Festspieleで「タンホイザー」と「さまよえるオランダ人」を指揮
1962年40才、バイロイト音楽祭 Bayreuther Festspieleで「タンホイザー」と「ローエングリン」を指揮
1964年42才、5月22日西ドイツ政府の要望でオーケストラとポーランドへ演奏旅行。ワルシャワ・フィルハーモニーでハンブルク管を指揮。11月NHK交響楽団の招きで初来日。11月~11月30日NHK Symphony Orchestra(NHK交響楽団)を指揮
1965年43才、5月ミラノ・スカラ座で「ロ-エングリン」指揮
1967年45才、2月来日し、2月8日~2月23日N響を指揮。N響名誉指揮者 就任(1967~1994年)。11月ウィーン交響楽団日本公演で来日し、11月3日~11月11日東京・大阪・愛知県で指揮
1968年46才、2月21日~3月30日イタリア放送協会の招きでRAI大ホールで指揮。
1969年47才、3月来日し、3月28日~4月17日NHK Symphony Orchestraを指揮。
前年7月20日《トリスタン》第二幕の途中、心臓病で倒れ息を引きとった指揮者カイルベルトの代行で、ミュンヘン・オペラ・フェスティバルの《フィガロの結婚》と新演出の《ナクソス島のアリアドネ》を指揮。12月31日グラッサウの自宅で、1971年からバイエルン国立歌劇場音楽総監督に就任することの公表する
1970年48才、4月来日し、4月15日~5月14日NHK Symphony Orchestraを指揮。
スイス・ロマンド管弦楽団 音楽監督就任(~1980年)
Orchestre de la Suisse Romande Artistic and musical directors
5月23日ローマ、サン・ピエトロ大聖堂でローマ法王臨席の下。ベートーヴェン《荘厳ミサ曲》指揮。オペラ《アラベラ》ミラノ・スカラ座初演を指揮
1971年49才、4月来日し、4月20日~5月15日NHK Symphony Orchestraを指揮。
9月ミュンヘン・オペラ・フェスティバル終了後、バイエルン国立歌劇場音楽監督に正式に就任(1982~1992年音楽総監督)
Bavarian State Opera General Music Directors(1982–1993)、⦅General directors (Intendanten)1982–1993⦆
Bavarian State Orchestra General Music Directors 1971–1992
1972年50才、4月来日し、4月19日~5月12日NHK Symphony Orchestraを指揮。
1973年51才、6月来日し、6月8日~6月28日NHK Symphony Orchestraを指揮。
1974年52才、9月「バイエルン国立歌劇場日本公演」でクライバー、ライトナー等と来日。9月21日~10月12日東京・大阪で指揮
10月10日は「フィッシャー=ディスカウ第4回来日公演」大阪でピアノ伴奏
1975年53才、4月来日し、4月23日~5月17日NHK Symphony Orchestraを指揮
1976年54才、4月来日し、4月30日~5月22日NHK Symphony Orchestraを指揮。
10月 「スイス・ロマンド管弦楽団日本公演」で来日
10月28日~11月10日、東京・京都・福岡・鹿児島・大阪・名古屋・島田・仙台で指揮
1977年55才、4月来日し、4月20日~5月3日「フィッシャー・ディスカウ第5回来日公演」東京・茨城県・大阪でピアノ伴奏。4月29日~5月19日NHK Symphony Orchestraを指揮。
1978年56才、4月来日し、4月8日~5月9日NHK Symphony Orchestraを指揮
1979年57才、4月来日し、「フィッシャー・ディスカウ第6回来日公演」4月22日、27日、29日東京・名古屋・大阪で、5月10日「第2回東京音楽芸術祭参加公演」ピアノ伴奏。4月25日~5月18日NHK Symphony Orchestraを指揮
1980年58才、3月来日し、3月28日~4月26日NHK Symphony Orchestraを指揮。
ウィーン交響楽団を率いてライプツィヒ、レニングラード、モスクワ、ロンドン、ブタペスト、パリ、バルセロナ、マドリッド、ブリュッセル、ジェノバチューリヒ、ヴァドゥーツなど11カ国を巡り22回のコンサート・ツアー
1981年59才、4月来日し、4月23日~5月23日NHK Symphony Orchestraを指揮
1982年60才、4月来日し、4月24日~5月22日NHK Symphony Orchestraを指揮
1983年61才、4月来日し、4月15日~5月18日NHK Symphony Orchestraを指揮。
1984年62才、4月来日し、4月25日~5月24日NHK Symphony Orchestraを指揮。
バイエルン国立歌劇場メンバーをを率いて中国の北京と上海で公演
1985年63才、4月来日し、4月30日~5月20日NHK Symphony Orchestra
1986年64才、9月来日し9月17日~10月12日NHK Symphony Orchestra
1987年65才、4月来日し、4月24日~5月17日NHK Symphony Orchestra
1988年66才、4月来日し、4月25日~5月19日NHK Symphony Orchestraを指揮
11月「バイエルン国立歌劇場日本公演」で来日。11月13日~12月13日東京・横浜・大阪・名古屋・札幌で指揮
1989年67才、4月来日し4月28日~5月21日NHK Symphony Orchestraを指揮。
1990年68才、4月来日し、4月30日~5月24日NHK Symphony Orchestraを指揮
1991年69才、9月「ウィーン交響楽団日本公演」で来日。9月11日~13日東京で指揮
9月23日~10月29日NHK Symphony Orchestraを指揮
1992年70才、バイエルン国立歌劇場日本公演で来日。11月8日~11月30日愛知県・東京で指揮
11月16日東京芸術劇場11月16日「フィッシャー=ディスカウ第11回日本公演」でピアノ伴奏
バイエルン国立歌劇場名誉会員
1993年71才、フィラデルフィア管弦楽団音楽監督(Philadelphia Orchestra Music Director)就任(~2003年)
フィラデルフィア管弦楽団日本公演で来日。5月13日~22日東京・大阪・市川、札幌、水戸で指揮
1994年72才、11月来日し、11月4日~11月27日NHK Symphony Orchestraを指揮。NHK交響楽団桂冠指揮者(Congratulatory Conductor) 就任
1995年73才、11月来日し、11月3日~11月25日NHK Symphony Orchestraを指揮
1996年74才、5月フィラデルフィア管弦楽団日本公演で来日。5月16日~25日東京・大阪・愛知県で指揮
1997年75才、11月来日し、11月3日~11月23日NHK Symphony Orchestraを指揮
1998年76才、11月来日し、11月5日~1月24日NHK Symphony Orchestraを指揮
同年12月24日妻の死
1999年77才、5月フィラデルフィア管弦楽団日本公演で来日。5月13日~17日東京・横浜・大阪で指揮
同年11月来日し、11月4日~11月30日NHK Symphony Orchestraを指揮
2001年79才、5月フィラデルフィア管弦楽団日本公演で来日。5月25日~30日サントリーホール、横浜みなとみらいホール、富山、福岡で指揮
同年10月来日し、10月12日~11月3日NHK Symphony Orchestraを指揮。10月12日NHK交響楽団創立75周年・サントリーホール開場15周年記念特別コンサートを指揮
2002年80才、10月来日し、10月30日~11月15日NHK Symphony Orchestraを指揮
2004年82才、11月来日し、11月3日~11月14日NHK Symphony Orchestraを指揮
2006年84才、3月、5月以降に予定していたフィラデルフィアやローマなどでのコンサートを心臓病の悪化を理由にキャンセル。心臓病を理由に現役引退を表明
2013年90才、2月22日バイエルン州グラッサウの自宅にてこの世を去った
5.主な作品 Recording highlights( Record label )
1.Domestic recording in Japan
2009/11/04 CD:1 Sony Classical SICC-1207
(1)Strauss, Richard – Death and Transfiguration, Op.24 with the NHK Symphony Orchestra
(2)Brahms,Johannes – Symphony No. 1 in C Minor, Op. 68 with the NHK Symphony Orchestra
Conductor: Sawallisch, Wolfgang
2018/03/17 CD:7 KING INTERNATIONAL KKC2127/33 STEREO
The Concert Series for the 200th Anniversary of Beethoven 1970/Wolfgang Sawallisch/НHK Sympony orchestra
Dics1 The first night:1970/4/15 Tokyo Taito Tokyo Bunka Kaikan
(1)Beethoven – Symphony No.1 in C major, Op. 21
(2)Beethoven – Symphony No.3 in E flat major, op. 55, “Eroica”
Disc2 2nd night:1970/4/20 Tokyo Taito Tokyo Bunka Kaikan
(1)Beethoven – Symphony No.8 in F major, Op. 93
(2)Beethoven – Symphony No.5 in C Minor, Op. 67
Disc3 3nd night:1970/4/25 Tokyo Taito Tokyo Bunka Kaikan
(1)Beethoven – Symphony No.2 in D major, Op. 36
(2)Beethoven – Symphony No.6 in F Major, Op. 68, “Pastoral”
Dics4 4nd night:1970/4/30 Tokyo Taito Tokyo Bunka Kaikan
(1)Beethoven – Symphony No.4 in B-flat major, Op. 60
(2)Beethoven – Symphony No.7 in A major, Op. 92
Disc5 5nd night:1970/5/6 Tokyo Taito Tokyo Bunka Kaikan
Beethoven – Symphony No.9 in D Minor, Op. 125 “Choral”
NAKAZAWA, Katsura(sop.) / IHARA, Naoko(alt.) / NIWA, Katsuumi(ten.) / OHASHI, Kunikazu(br.) / Tokyo Philharmonic Chorus(chor.) / NHK Tokyo Broadcasting Chorus(chor.) / Nikikai(chor.) / Nissho Academy Chorus(chor.) / Fujiwara Opera Chorus(chor.)
Disc6 6nd night:1970/5/13 Tokyo Taito Tokyo Bunka Kaikan
(1)Beethoven, Ludwig van Missa solemnis D op.123
GAMOU, Nobuko(sop.) / NAGANO, Yonako(alt.) / NIWA, Katsuumi(ten.) / OHASHI, Kunikazu(bs.) / Tokyo Philharmonic Chorus(chor.) / NHK Tokyo Broadcasting Chorus(chor.) / Nikikai(chor.) / Nissho Academy Chorus(chor.) / Fujiwara Opera Chorus(chor.)
Disc7 Other
(1)Egmont Op.84,
(2)Leonore Overture No. 3, Op. 72b
(3)Leonore Overture No. 1 in C Major, Op. 138
(4)Ouvertüre zu “Coriolan”)Op. 62
(5)Fantasie für Klavier, Chor und Orchester c-Moll Op. 80
Sawallisch, Wolfgang(pf.) / Tokyo Philharmonic Chorus(chor.) / NHK Tokyo Broadcasting Chorus(chor.) / Nikikai(chor.) / Nissho Academy Chorus(chor.) / Fujiwara Opera Chorus(chor.)、NHK Symphony Orchestra
Conductor: Sawallisch, Wolfgang
2001/9/19 CD:2 Sony SRCR2738
Dics1 1986/10/2 Tokyo Shibuya NHK Hall
Mendelssohn-Bartholdy, Felix “Elijah” oratorio op.70
Disc2 1986/10/2 Tokyo Shibuya NHK Hall
Mendelssohn-Bartholdy, Felix “Elijah” oratorio op.70
Popp, Lucia(sop.) / SOGA, Eiko(sop.) / IGARASHI, Ikuko(sop.) / Nafe, Alicia(alt.) / ARA, Michiko(alt.) / Seifert, Peter(ten.) / KOBAYASHI, Kazuo(ten.) / Weikl, Bernd(bs.) / FUKUSHIMA, Akiya(bs.) / TAKAHASHI, Keizo(bs.) / Kunitachi College of Music(chor.)
Conductor: Sawallisch, Wolfgang / NHK Symphony Orchestra
2011/12/21 CD:3 KING INTERNATIONAL KKC-2028/30 STEREO
Disc 1 1973/6/23 Tokyo Shibuya NHK Hall(M-1)、1971/5/8 Tokyo Shinjuku Tokyo Kosei Nenkin Kaikan(M-2)
1. Brahms, Johannes – Sym. no.1 c op.68 1st mov.
2. Brahms, Johannes – Sym. no.1 c op.68 2nd mov.
3. Brahms, Johannes – Sym. no.1 c op.68 3rd mov.
4. Brahms, Johannes – Sym. no.1 c op.68 last mov.
5. Brahms, Johannes – Sym. no.2 D op.73 1st mov.
Disc 2 1971/5/8 Tokyo Shinjuku Tokyo Kosei Nenkin Kaikan(M-1)、1972/4/19 Tokyo Taito Tokyo Bunka Kaikan(M-2)
1. Brahms, Johannes – Sym. no.2 D op.73 2nd mov.
2. Brahms, Johannes – Sym. no.2 D op.73 3rd mov.
3. Brahms, Johannes – Sym. no.2 D op.73 last mov.
4. Brahms, Johannes – Sym. no.3 F op.90 1st mov.
5. Brahms, Johannes – Sym. no.3 F op.90 2nd mov.
6. Brahms, Johannes – Sym. no.3 F op.90 3rd mov.
7. Brahms, Johannes – Sym. no.3 F op.90 last mov.
Disc 3 1972/5/4 Tokyo Taito Tokyo Bunka Kaikan(M-1)、1975/4/23 Tokyo Shibuya NHK Hall(M-2)
1. Brahms, Johannes – “Tragische Ouvertüre” op.81
2. Brahms, Johannes – Sym. no.4 e op.98 1st mov.
3. Brahms, Johannes – Sym. no.4 e op.98 2nd mov.
4. Brahms, Johannes – Sym. no.4 e op.98 3rd mov.
5. Brahms, Johannes – Sym. no.4 e op.98 last mov.
Conductor: Sawallisch, Wolfgang / NHK Symphony Orchestra
2017/03/18 CD:2 King International KKC2119 STEREO
1964/11/10/(1)、1969/4/17(2)/Tokyo Taito Tokyo Bunka Kaikan、1999/10/23/(3)/Tokyo Shibuya NHK Hall
(1)Schumann, Robert – Concerto pf. a op.54 SONODA, Takahiro(pf.)
(2)Brahms, Johannes – Concerto pf. no.1 in D-Minor, Op.15 SONODA, Takahiro(pf.)
(3)Brahms, Johannes – Concerto pf. no.2 in B-Flat Major, Op.83 SONODA, Takahiro(pf.)
Conductor: Sawallisch, Wolfgang(1)(2)、 Jiri Kout(3) / NHK Symphony Orchestra
2.Recording other than Japan
Ludwig van Beethoven’s nine Symphonies with the Royal Concertgebouw Orchestra, Amsterdam
Johannes Brahms’s Ein deutsches Requiem with the Bavarian Radio Symphony Orchestra and Chorus
Johannes Brahms’s four Symphonies with the London Philharmonic Orchestra
Johannes Brahms’s four Symphonies with the Wiener Symphoniker
Anton Bruckner’s Symphonies 1, 4, 5, 6 & 9
Antonín Dvořák’s Requiem, and Stabat Mater, both with the Czech Philharmonic
Antonín Dvořák’s Symphonies Nos. 7–9 and Cello Concerto with the Philadelphia Orchestra
Felix Mendelssohn’s Symphony No. 2 with the Berlin Philharmonic and Düsseldorf Chorus
Wolfgang Amadeus Mozart’s The Magic Flute with Francisco Araiza, Lucia Popp and Kurt Moll (videoregistration)
Franz Schubert’s nine Symphonies with the Staatskapelle Dresden; Sacred Choral Works with the Bavarian Radio Symphony Orchestra and Chorus
Franz Schubert’s Masses in A flat major D 678, C major D 452 and in E flat major D 950 as well as Tantum Ergo D 962 and Offertorium D 963 with the Bavarian Radio Symphony Orchestra and Chorus
Richard Strauss’s Intermezzo, Elektra, Friedenstag, Die Frau ohne Schatten, and Arabella with the Bavarian State Opera
Richard Strauss’s Ein Heldenleben, Symphonia domestica, and Also sprach Zarathustra with The Philadelphia Orchestra
Richard Strauss’s Horn Concertos, with Dennis Brain and the Philharmonia Orchestra
Giuseppe Verdi’s Macbeth (live recording, Salzburg Festival)
Richard Wagner’s Der Ring des Nibelungen, Die Meistersinger von Nürnberg, Die Feen and Das Liebesverbot with the Bavarian State Opera; The Flying Dutchman (Bayreuth Festival and Bavarian State Orchestra, the latter filmed) and Tristan und Isolde, Tannhäuser and Lohengrin (all Bayreuth Festival, the latter two officially released)
Richard Wagner’s Wesendonck Lieder with Marjana Lipovsek and The Philadelphia Orchestra
Carl Maria von Weber’s Overtures with the Philharmonia Orchestra
Carl Maria von Webers’s two Symphonies with the Symphony Orchestra of the Bavarian Radio
6.その他 Other matters
1.パリ管弦楽団、ロンドン交響楽団、フィルハーモニア管弦楽団、サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団、ミラノ・スカラ座管弦楽団、コンセルトヘボウ管弦楽団、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団等々を指揮
2.ミラノ・スカラ座からトスカニーニ・バトンを贈られる
3.ベルリン・フィルからニキシュ・メダルを贈られる
4.ウィーン交響楽団からブルックナー・メダルを贈られる
5.日本政府から勲三等旭日中綬章を受章
(JapanGov The Order of the Rising Sun, Gold Rays with Neck Ribbon)
6.現在も、日本リヒャルト・シュトラウス協会名誉会長として名を連ねている
(Current:Richard Strauss Gesellschaft Japan Honorary chairman)
7.初演
日本初演 1977/4/29 シューマン、ローベルト 《ゲーテのファウストからの情景》 NHKホール
世界初演 1986/10/12 芥川也寸志 《オルガンとオーケストラのための「響」》 林佑子(org.) サントリーホール
世界初演 1991/9/23 三善 晃 《魁響の譜》 岡山市 岡山シンフォニーホール
8.関連動画<Live concert in Japan> Video
J.ハイドン 《天地創造》 1982.5.13. NHKホール
河原洋子(S.)、山路芳久(T.)、芳野靖夫(Bs.)
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 / NHK交響楽団 合唱指導:関屋 晋
合 唱 :松原混声合唱団・三菱商事コーラス同好会・湘南市民コール・早稲田大学コールフリューゲル
Live concert in Japan (日本公演)
1988年バイエルン国立歌劇場日本公演 東京文化会館
From Arabella / Lucia Popp & Julie Kaufman
Er ist der Richtige nicht für mich…
Munich Opera in 1988/11/15 or 24 Tokyo Taitou Tokyo bunka kaikan
Documentary produced by RAI in the early 1970s
Wolfgang Sawallisch on Johann Strauss’ Morgenblaetter
ワルツは易しそうですが、実は違います・・・
Live concert in Japan (国内演奏)
ベートーヴェン 《交響曲第2番》 第998回定期公演 解説:芥川也寸志
NHK交響楽団 1986年9月20日 NHKホール
NHK Symphony Orchestra
Live concert in Japan (国内演奏)
ベートーヴェン 《交響曲第7番/第4楽章》
NHK交響楽団 1988年 NHKホール
Beethoven Symphony No. 7 4th NHK Symphony Orchestra subscription concert in 1988.
The guest timpanist was Peter Sondermann, a former member of the Staatskapelle Dresden.
Live concert in Japan (国内演奏)
ベートーヴェン 《交響曲第7番/第4楽章》
NHK交響楽団 2004年11月13日 NHKホール
Beethoven Symphony No. 7 4th NHK Symphony Orchestra
Live concert in Japan (国内演奏)
ベートーヴェン:《ピアノ協奏曲第5番》「皇帝」
(ピアノ)クラウディオ・アラウ NHK交響楽団
1987年 サントリーホール ライブ録画
Live concert in Japan日本公演
シューベルト 《交響曲第9番》 ウィーン・フィル
Schubert Symphony.9 Sawallisch/Wiener Philharmoniker
ブルックナー:交響曲第2番 ハ短調 (国内演奏) ラジオ放送
管弦楽:NHK交響楽団
1976年5月5日 NHKホール
ブルックナー《交響曲第9番》ニ短調 (海外演奏)
サヴァリッシュ/ウイーンフィル
1983年8月10日 ザルツブルク音楽祭
ブラームス 交響曲第1番 サヴァリッシュ (海外演奏)
Wolfgang Sawallisch (1923-2013), Conductor
Vienna Symphony Orchestra
Rec. December 1962, in Vienna
ヨハネス・ブラームス《交響曲第2番》ニ長調作品73 (海外演奏)
指揮:ヴォルフガング・サヴァリッシュ/ウィーン交響楽団
録音:1959年1月 ウィーン [フィリップス]
Wolfgang Sawallisch (1923-2013), Conductor
Vienna Symphony Orchestra
Rec. January 1959, in Vienna [Philips]
Live concert in Japan (日本公演)
ブラームス「ドイツ・レクイエム」より第3曲《主よ、私に教えて下さい》
NHK交響楽団 バリトン独唱:ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ
NHK Symphony Orchestra Dietrich Fischer-Dieskau sings
Live concert in Japan
リスト 交響詩《レ・プレリュード》 NHK交響楽団 NHKホール
Live concert in Japan(日本公演)
エクトル・ベルリオーズ 序曲《ローマの謝肉祭》作品9
フィラデルフィア管弦楽団日本公演
1993年5月18日 東京・六本木 サントリーホール
Berlioz Le carnaval romain (Roman Carnaval), Op.9 Wolfgang Sawallisch / Philadelphia Orchestra
Live concert in Japan
Debussy: Nocturnes – No. 1. Nuages, NHK Symphony Orchestra
ドビュッシー 「《夜想曲 》 NHK交響楽団 NHKホール
Live concert in Japan
Debussy: Nocturnes – No. 2. Fetes, NHK Symphony Orchestra
ドビュッシー 《2. 祭り 》 NHK交響楽団 NHKホール
Live concert in Japan
Debussy: Nocturnes – No. 3. Sirenes, NHK Symphony Orchestra
ドビュッシー 《 海の精 》 NHK交響楽団 NHKホール
Live concert in Japan
Dukas: L’apprenti sorcier, NHK Symphony Orchestra
デュカス 交響詩《魔法使いの弟子》 NHK交響楽団 NHKホール
Live concert in Japan
Britten: War Requiem, Op. 66 – VI. Libera Me, Conductor: Wolfgang Sawallisch
ブリテン 《戦争レクイエム》 第2回東京音楽祭オープニングコンサート NHK交響楽団/日本プロ合唱団連合/東京荒川少年少女合唱隊/フィッシャー・ディスカウ/ユリア・ヴァラディ/ペーター・シュライアー 1979年5月7日 東京文化会館
9.視聴者によるリクエスト曲 Requested music by viewers
海外録音
『 Kenji Maeda(JAPAN)Recommends №.1~6』
1. シューマン 《交響曲第1番》変ロ長調 Op.38「春」
サヴァリッシュ指揮 シュターツカペレ・ドレスデン(ドレスデン国立歌劇場管弦楽団)
1972年9月録音
Schumann: Symphony No.1 “Spring” Sawallisch & SKD
2. シューマン作曲《交響曲第2番》 ハ長調 Op.61
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮 / ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
1972年9月録音
Schumann : Symphony No.2 in C Major Op.61
Wolfgang Sawallisch / Sächsische Staatskapelle Dresden,
3. シューマン 《交響曲第3番》Op.97「ライン」
ヴォルフガング・サヴァリシュ / ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
1972/9 ルカ教会
Symphony No. 3 in E flat major Op. 97
Staatskapelle Dresden/Wolfgang Sawallisch
4. シューマン《交響曲第4番 》
ウォルフガング・サヴァリシュ / ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
1972/9 ルカ教会
Schumann: The Four Symphonies
Staatskapelle Dresden/Wolfgang Sawallisch
5. R・シュトラウス オペラ《アラベラ》
出演:ルチア・ポップ、ベルント・ヴァイクル、ジュリー・カウフマン、ペーター・ザイフェルト
Arabella Lucia Popp Berndt Weikl Julie Kaufmann Peter Seiffert Wolfgang Sawallisch LIVE
6. ワーグナー《リエンツィ(最後の護民官)》全曲
バイエルン国立歌劇場管弦楽団・合唱団
WAGNER: Rienzi
Sawallisch · Chor der Bayerischen Staatsoper · Bayerisches Staatsorchester
1983/07/06 Nationaltheater, Munchen (Stereo)
7.R・シュトラウス オペラ《カプリッチョ》
エリーザベト・シュヴァルツコップ、カール・シュミット=ヴァルター
Elisabeth Schwarzkopf: Capriccio “Closing Scene” by Strauss
Conducted by Wolfgang Sawallisch / Philharmonia Orchestra
1957-58
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