ホルスト

生没年・出身地・歿地・墓地
グスタフ・ホルスト(グスターヴ・ホルスト)生誕 Gustav (gustavus) Holst

(1874年9月21日、チェルテナム生)
(1934年ロンドンで歿)

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1.職業

イギリスの作曲家

2.称号

3.経歴

⑴ 曾祖父マティアス・ホルストはラトビアのリガで生まれ、サンクトペテルブルクのロシア宮廷に仕えた作曲家兼ハープ教師
⑵ 祖父グスタヴォスは1802年に両親を養子にしてイギリスに移住、サロンスタイルの音楽家・ハープ教師となる
⑶ グスタヴォスの養子になった父アドルフ・ホルストの出自は不明、チェルトナムの教会オルガニストとして仕えピアノ教師として教えており、リサイタルを開いて演奏活動をしている。母のクララ・コックスは弁護士の娘で夫アドルフの生徒で、歌手・ピアニスト。
グスタフ・ホルストには一人の弟エミール・ゴットフリートがおり、アメリカに渡りブロードウェイに出演し成功を収め、芸名をアネスト・コサートと名のり著名な俳優となる。後に映画の世界に入り更に名を高める。
⑷ 幼少ころから父にピアノを学ぶ
1882年母クララの死
1885年父はメアリー・ソーリー・ストーンと再婚
1886~1891年チェルトナム・ラテン学校に入る
12才ころから作曲とトロンボーンを習いを始める
1891年学校を卒業するとスタンフォードでオルガニストのジョージ・フレデリック・シムズに4カ月間学び、グロスターシャーのウイック・リッシントンの教会常駐オルガニスト兼ボートン・オンザ・ウォータ合唱団の指揮者になる。同年11月チェルトナムのコンサートで父とブラームスのハンガリー舞曲を演奏
1893年2月最初のオペレッタがチェルトナムコーン・エクスチェンジで初演され成功を収める。この成功を基に王立音楽院の奨学金申請をしたが実現されず入学のみ認められる。父は初年度の費用を借金して5月ロンドンに向かわせる。
1893年ロンドンの王立音楽院ではピアノをフレデリック・シャープ、オルガンをウイリアム・スティーブンソン・ホイト、トロンボーンをジョージ・ケースに師事。作曲をWS・ロックストロとフレデリック・ブリッジに学んだ後、チャールズ・ヴィリエス・スタンフォードに師事する
1895年生涯の友となるラルフ・ヴォーン・ウイリアムスと出会う。在学中は”作曲だけでは生活できない”という考えでロンドンの各地の教会でオルガン奏者の職を探し又、劇場オーケストラのトロンボーン奏者として演奏を続け収入を得る
1898年音楽院から奨学生の打診を受けるが学ぶことがないと感じ学業を終わらせる。カール・ローザオペラでトロンボーン奏者兼レペティトールとして就職
1901年6月22日イザベル・ハリソンと結婚
1903年父アドルフの死。
1903~20年オーケストラを退団し作曲に専念する、ダリッジのジェームス・アレン女学校の音楽教師となる
1905年~1934年5月25日セント・ポール女学校の音楽科主任教師
1907~24年モーリス・カレッジで教鞭をとる。「サマーセット・ラプソディ」作曲
1909年「吹奏楽のための組曲第一番」作曲
1911年「吹奏楽のための組曲第二番」作曲
1913年「セントポール組曲」作曲
1916年12月ウエリントンホールで、ロンドン・オペラ学校の学生による室内オペラ「サヴィトリ」初演。組曲「惑星」作曲
1918~19年YMCAの指導者として従軍しイギリス音楽紹介の演奏会を開催
1920~23年王立音楽院、レディング大学で教鞭をとる
1924年多忙とストレスで作曲以外の仕事をから離れるよう医師から言われる
1925年セントポール女学校の以外の仕事を断る
1932年ハーバード大学から6カ月間講演を依頼され渡米、十二指腸潰瘍が発見されイギリスに戻る
1934年3月健康は優れなかったがセントポール女学校オーケストラに「ブルック・グリーン・スィート」の指導をする。5月25日ロンドンで潰瘍の手術をした後、心不全で死去。サセックスのチチェスター大聖堂に埋葬される

4.主な作品

組曲「ハマースミス」・「日本組曲」、オペラ「どこまでも馬鹿な男」・「若者の選択」・「シータ」・「猪の頭」・「放浪学者」、
バレエ「黄金の鴨」・「新年の朝」、交響曲ヘ長調、合唱交響曲第一番、合唱幻想曲、6つの合唱曲、交響詩「インドラ」ほか

5.その他

6.初演

7.関連動画


“The Planets Suite” BBCSO/Slatkin
 


“The Planets” rec. 1926, restored, Holst conducting Holst / London SO
 


The Golden Goose, Op. 45
 


Brook Green Suite, per archi (H. 190) (1933) – English Sinfonia diretta da Howard Griffiths
 


A Winter Idyll, H.31 (1897). Ulster Orchestra diretta da Jo Ann Falletta.
 


A Fugal Overture op.40/1 (1922)
 


A Fugal Concerto op.40/2 (1923)
 


A Song of the Night
 


St Paul’s Suite
 


Symphony in F Major, op.8 H.47 “The Cotswolds” (1900).
 


Japanese Suite Op. 33 (1915)
 


The Cloud Messenger Op. 30 (1913)
 


First Choral Symphony, Op. 41 (1923-24)
 


Indra (1903)
 


Two Songs without Words, Op. 22
 


The Morning of the Year (1/2)
 


The Morning of the Year (2/2)
 


Hammersmith op.52 (1930)
 


Egdon Heath, Op. 47
 


Invocation, per violoncello e orchestra op.19, 1 (1911) –
 


I Love My Love {Cambridge Singers}
 


Seven Part-Songs (1926)
 


Ode to Death (1919)
 


The Hymn of Jesus (1917)