リヒャルト・シュトラウス

生没年・出身地・歿地・墓地
リヒャルト・シュトラウス 生誕 Richard Georg Strauss

(1864年6月11日バイエルン王国ミュンヘン市アルトハイマー・エッケ生)
(1949年9月8日バイエルン州ガルミッシュ=パルテンキルヘンの別荘で歿)

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1.職業

ドイツの作曲家

2.称号

3.経歴

⑴ 祖父ヨハン・ウルバン・シュトラウスは出奔し別の女性と結婚する。祖母マリア・アンナ・クーデング・ワルターは音楽一家の生まれ
⑵ 父フランツ・ヨーゼフ・シュトラウスは私生児としてバイエルンに生まれる。ナープブルクの鐘楼守で母の兄ヨハン・ゲオルク・ワルターに育てられ音楽教育を受ける。9歳になり軍楽隊指揮者で別の伯父フランツ・ミハエル・ワルターの弟子となる。15歳から10年間バイエルン公の私設オーケストラに入り、1847~89年バイエルン国立歌劇場管弦楽団ホルン奏者となる。29歳で結婚し一男一女を儲けるが妻とも病気で亡くす。41歳の時ミュンヘンの裕福なビール醸造業の娘、ヨゼフィーネ・プショールと再婚しプショール家に住む。父はその後同管弦楽団首席ホルン奏者、1871年にはミュンヘン音楽大学教授、1873年、宮廷音楽家の称号を授かる
⑶ R・シュトラウスはそうした家庭の長男として育つ
1867年ゾンネン通り辺りに引っ越す
ミュヘン宮廷歌劇場管弦楽団ハープ奏者アゥグスト ・トンボーにピアノを習い始める
1870年小学校入学
1872年ミュンヘン宮廷歌劇場管弦楽団コンサートマスターのベンノ・ワルターからヴァイオリンを習い始める
1874~82年ルートヴィヒ中高等学校で学ぶ
1875~80年ミュンヘン宮廷楽長フリードリヒ ・ウイルヘルム・マイヤーに作曲を師事
1881年ヘルマン・レヴィ指揮で「交響曲ニ短調」初演
1882~83年ミュンヘン大学哲学科在籍。「ヴァイオリン協奏曲ニ短調」作曲。
1883年暮れライプツィヒ、ドレスデン、ベルリン等へ旅行しベルリンでハンス・フォン・ビューローと知り会う。マイニンゲン宮廷管弦楽団ミュンヘン公演で自作を指揮してデビュー
1885~86年マイニンゲン宮廷管弦楽団第二指揮者。暮れに音楽監督就任
1886年辞任しイタリア旅行
1887年ミラノで指揮。帰国しミュンヘン宮廷歌劇場管弦楽団第三指揮者
1888年イタリア旅行
1889~94年ワイマール宮廷歌劇場第二指揮者。コジマ ・ワーグナーと知り会いバイロイトで助手を務める
1891年肺炎で入院。バイロイト助手
1892年休暇をもらいギリシャ、エジプト等へ保養旅行
1893年ミュンヘンに戻る
1894年バイエルンの将軍アドルフ・デーアーナの娘で歌手のパウリーネと結婚。バイロイト音楽祭で「タンホイザー」を指揮
1894~96年までミュンヘン宮廷歌劇場第二指揮者10月ミュンヘン宮廷歌劇場第一指揮者就任。ハンス・フォン・ビューローの代役でベルリン・フィルの定期演奏会を指揮
1896年ロシア・ブリュッセル等へ演奏旅行
1898年ドイツ音楽家組合結成
1900年国内、フランス、ベルギーへ演奏旅行
1902年オランダ、イタリア、フランス等へ演奏旅行
1903年ハイデルベルク大学名誉哲学博士号贈られる
1904年アメリカ合衆国演奏旅行
1905年父の死
1906年ウィーン・フィルを初指揮
1908年ガルミッシュに別荘建設
1909年ベルリン芸術アカデミー会員
1910年ウィ-ン宮廷歌劇場で初指揮
1911年オペラ「ばらの騎士」初演
1914年オックスフォード大学名誉博士号贈られる
1915年アルプス交響曲初演
1917~20年ベルリン高等音楽院教授
1919~24年ウィーン国立歌劇場音楽監督。オペラ「影のない女」初演
1920年ウィーン・フィルと南米演奏旅行
1921年ドナウエッシンゲン音楽祭名誉委員長。アメリカ演奏旅行
1923年ウィーン芸術アカデミー名誉会員
1933~34年ナチスに抗議してキャンセルしたトスカニーニの代役でバイロイト音楽祭で「パルジファル」指揮。ナチス、ゲッペルスにより帝国音楽局総裁就し任翌年辞任
1935年オペラ「無口な女」初演
1936年ベルギー、イタリア・フランス・イギリスで指揮
1942年オペタ「カプリッチョ」初演
1945年非ナチ化裁判で無罪、スイスへ移住
1947年オーストリア市民権を得る。10月トーマス・ビーチャム・コンサートに招かれイギリス訪問し指揮。虫垂炎の手術
1948年腎臓の手術
1949年パリでオペラ「ばらの騎士」を指揮する予定を体調悪化でガルミッシュの自宅に戻る。7月13日、バイエルン放送交響楽団指揮が最後の指揮となる。8月下旬に心臓発作を起こす

4.主な作品

オペラ「サロメ」・「エレクトラ」・「影のない女」・「町人貴族」・「アラベラ」・「ダフネ」・「カプリッチョ」・「無口な女」、
「日本建国2600年祝典曲」、交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」・「ドン・ファン」・「マクベス」、[交響曲第二番ヘ短調]・[家庭交響曲]・[アルプス交響曲]、[ヴァイオリン協奏曲ニ短調]、[ホルン協奏曲第一番]・[ホルン協奏曲第二番」ほか

5.その他

6.初演

7.関連動画


Der Rosenkavalier Carlos Kleiber part 1
 


Der Rosenkavalier Carlos Kleiber part 2 ” The work of a master”


“Ein Heldenleben”
 


Concerto for Oboe in D Major / Marin Tinev -Oboe
 


Concerto for French Horn and Orchestra No 1 Op. 11
 


An Alpine Symphony (Eine Alpensinfonie), Op. 64
 


Violin Sonata in E flat major, Op.18
 

参考文献:「クラシック作曲家辞典」中河原理監修、フェニックス企画編 東京出版堂 「音楽史(音楽講座)」堀内敬三著 音楽之友社 「偉大なる作曲家のためのカルテ」五島雄一郎著 医療ジャーナル社 「wikipedia」 「glennmie.blog.s0-net.ne.jp」 「robortkelloyphd.com」 「dictionary/composer/alkan」 「maucamedus.net/solmization/gawut」 「www.tcat.ne.jp/eden/music」 「www.cadenza-od.com」 「www.coara.or.jp/-doraemon/gagaku/nenpyoz.htm」 「www.gecities.jp/gzgaku.ryuteki」 「www.univesal-music,co.jp」 「maokato.jp/bihoro/bihoro 「homepage3.nifty.com/cio/a-alta」 「www.wagnerdailas.com」 「江戸東京年表」吉原健一郎・大濱徹也編 小学館 「日本史・世界史 同時代比較年表」楠木誠一郎著 朝日新聞出 「音楽文庫・日本音楽史」伊庭孝著 講談社 「tsuzu/asakusaopera-nenpu.html」 「tsuzu/operetta-kafu.html」