1210年頃 僧フランコ・デ・コロニア

1210年頃 「ドイツの僧・音楽理論家・教師・作曲家・教皇付き侍従・ケルンの聖ヨハネ騎士団の指導者」
僧フランコ・デ・コロニアFranco de Cologne
13世紀ドイツ・ケルン出身、またはケルンに強いゆかりを持つ人物と考えられている。
1270年頃没
フランコ・フォン・ケルンの出生と生涯に関する個人情報は非常に少なく、生まれた正確な年や没年は分かっていない。
パリ大学で学んだ神学者・学者であった(Magister=修士・マギステルの称号を持っていた)と伝えられており、当時、音楽理論の最先端であったフランス・パリの知的環境に深く触れていた。
ケルンにおける聖ヨハネ騎士団(ヨハネホスピタル騎士団)の司令官・指導者(preceptor)であったことも知られている。そのため、修道士や宗教的な騎士団の幹部としての身分を持っていたと考えられる。
ローマ教皇の侍従(papal chamberlain)を務めていたとされている。
フランコは、ジャン・ド・ガルランドとともに、彼はアルス・アンティクアを代表する音楽理論家の一人であった。彼らは音符の図形に基づいた拍子表記法であるフランコン記譜法を導入し、音楽記譜法の歴史に新たな時代を切り開いた。
フランコは音符の長さは文脈だけでなく、楽譜上の表記によって決定されるべきだという考え方で、フランコは当時用いられていたligaturesリガチャー、single notes単音(単音は1つの高さの音符)、rests休符(休符はその長さ分の「音を出さない時間」を示す記号)の拍子記号を体系化した。その結果生まれたのがフランコ記譜法であり『Ars cantus mensurabilis』」を著した。彼の論文『Ars cantus mensurabilis(測定可能な歌の技法)』は、リズム記譜法の発展に大きな影響を与えた。
14世紀のドイツ人修道士ヨルダン・フォン・ブランケンブルクによるこの重要な証言に基づけば、フランコ・フォン・ケルンは聖ヨハネ騎士団の修道院長であり、教皇の従軍司祭でもあったため、司祭であったことは確実であると考えられる。ベッセラーは、彼をケルンの貴族ビルクリン家と結びつけることができると考えており、1274年に亡くなったフランコ・ビルクリンと同一人物である可能性もあると考えている。一方、H・J・リーケンベルクは、聖ヨハネ騎士団の指導者は、1247年11月23日に亡くなった大聖堂の神学者マギステル・フランコ(1243年以来そのように記録されている)と同一人物である可能性が高いと推測しており、また、 1216年から1231年の間に記録されているケルンの聖クニベルトの神学者フランコ(1239年には同教会の司祭長を務めた)とも同一人物である可能性が高いと考えている。
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彼は自身を教皇付き司祭であり、ケルンの聖ヨハネ騎士団の指導者であると述べている。これは13世紀の北ヨーロッパでは非常に強力な地位であった。彼の音楽に関する著作はパリのノートルダム音楽学校と密接に関連しており、彼のドイツ系出自がいくつかの資料で言及されていることから、彼は恐らくドイツ人で、当時密接な関係にあったケルンとパリの間を行き来し、おそらく教師、作曲家、または声楽教師としてノートルダムで音楽の職に就いていたと思われる。
彼のことを「パリのフランコ」や「ドイツ系フランコ」と呼んでいる。説によると当時ノートルダム寺院には二人のフランコがいたと認められる(Riemann agrees with Coussemaker that there were two Francos)リーマンによるとどちらもノートルダム寺院で聖歌隊長をを務めていた。
パリのフランコは、ケルンのフランコより年上で、ムーアの音楽百科事典(Moore’s Encyclopedia of Music)によればケルンのフランコは11世紀の修道士でグイードの次代に記譜法改善したと書いてある。
1260年頃、フランコは既存の体系を体系化し、音楽に関する理論書『アルス・カントゥス・メンスラビリス(Ars cantus mensurabilis)』を著し「音の長さを正確に記譜する方法を体系化した画期的な音楽理論書」の著者と記されている。多声作曲法(Co-mpendium de Discantu)の著書とその「音楽の技法」において、単独音符、連結譜及び休符の時価に関する規則を確立した。を導入した。彼の体系は16世紀まで使用された
フランコの記譜法の体系は14世紀の第一四半期を通じても使用されており、その多くの特徴は16世紀半ば頃まで使われていた。フランコの記譜法はリズム・モードに基づいており、その分割原理は3分割制であった。単独音符の記号は4つあった。
➀longa duplex =2倍の長さ2longa=長い ➂brevis=短い④semibrevis=breviaより短いで ある。その基礎になる時間の単位tempusは➂のbrevisである。➂のbrevisを1テンプス=1拍子とし、4のsemibrevis・miner ”より小さい”の3分の1テンプス(拍子)、又はmajor”より大きい”3分の2テンプスであった。3つのテンプスは今日の3拍子に相当する”完全brevis”=per-fectioは3拍子を構成した。フランコはさらに休符の記号を定め、リガトゥラ(連結譜=グレゴリオ聖歌のネウマ譜に由来するといわれ、2つ以上の音が1シラブルで歌われる時に筆記の便宜上音符を連結した)の音符をlonga 、brevis 、semibrevis に見分けるための規則を作った。
フランコは拍子歌の採用を提唱し、それを大いに改良した。彼はまた、不等拍子、すなわち3拍子を創始し、音楽和声の知識の普及における彼の努力は非常に価値があった。彼は、フランコ式と呼ばれる新しい記譜法にその名をつけた。
音符の長さは文脈だけでなく、楽譜上の表記によって決定されるべきだという考え方である。その結果生まれたのがフランコ記譜法である。その「音楽の技法」において、単独音符、連結譜及び休符の時価に関する規則を確立した。
[フランコ記譜法の読み方]~歯車マーク設定の字幕から翻訳可

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