840年頃「スイスのベネディクト会修道士・音楽家・詩人」
ノトケル・バルブルスNoter Balbulus
840年頃ザンクト・ガレンのヨンシュヴィルで生まれた
912年4月6日にザンクト・ガレンで歿
詩人、当時の音楽の重要な中心地で有名なスイスのザンクト・ガレン修道院の修道士、学者として活躍した。
スイスにあるザンクト・ガレン修道院の近くで、840 年頃に生まれた。
彼の裕福な家族は、アレマン人かスイス人のどちらかの血を引いており、トゥールガウ州のヨンシュヴィルに土地を所有していた。
彼は幼い頃からザンクト・ガレンで学校に通い始め、残りの人生を修道院で過ごした。
修道院での在職期間中、彼は教師、司書、客員教授、聖歌隊員、そして最終的には修道院学校の校長を務めた。
884年「賛美歌集」は、歌詞と旋律の両方を彼は作った
◇◇◇
彼の教師には、スイスの修道士イソIsoと、アイルランドの修道士モエンガルMoengalがいた。ノトケルはまず第一に学者であったが、修道院で890年に図書館長、892年と894年にホスピタリウスhospitariusなど、数多くの役職を務めた。彼は著名な教師として地位を確立し、最終的には「修道院学校の校長」に任命された。ノトケルは9世紀後半にヴェルチェッリの司教リュートワードLiutwardに捧げられた重要な初期の続唱集である「リベル・ヒムノルムLiber Hymnorum」(賛美歌集Book of Hymns)を作成した。
884年に完成したこの書は、基本的に教会暦に従って整理された旋律と歌詞のセットである。「リベル・ヒムノルム」の現存する最古の資料は、ノトケルの晩年か彼の死後すぐに遡る。ノトケルは「賛美歌集」の序文で、自身の音楽作品は851年に破壊された直後にジュミエージュJumièges修道院からガル Gallに持ち込まれたアンティフォナーAntiphonerに触発されたと主張した。ノトケルは特に、旋律に詩をつけて覚えやすくしたジュミエージュの賛美歌集に感銘を受け、幼少期に長い旋律を覚えるのに苦労したことを述べている。
ノトケルはキリスト教聖歌の曲種のひとつ「セクエンツィア」の形式を作り上げたといわれている。作品に「Natus ante saecula」「Gaude Maria virgo」「Mediavita in morte sumus」の他に声楽作品集Ordo virtutumがある。
「西方教会の重要人物」と評されるノトケルは、同時代の音楽と文学に多大な貢献をした。カロリング朝時代の2つの主要作品、初期の音楽シーケンスの重要なコレクションを含む「Liber Hymnorum」と、カール大帝の初期の伝記「Gesta Karoli Magni」の作者として知られている。彼の他の作品には、「Vita Sancti Galli」として知られるザンクト・ガレンの伝記や殉教者伝などがある。
カテゴリー
生年代
国
おすすめの作曲家
- ジャン・フィリップ・ラモー
- フランチェスコ・ランディーニ
- ガス・ブリュレ
- アントワーヌ・ビュノワ
- ジュゼッペ・トレッリ
- アントニオ・カルダーラ
- ヨハン・クリストフ・ペープシェ
- グレゴリオ・アレグリ
- クリストファー・タイ
- フィリップ・デ・モンテ
- フェリチェ・アネーリオ
- アレッサンドロ・スカルラッティ
- トマス・ルイス・デ・ビクトリア
- ヤコポ・ペーリ
- ルイージ・ロッシ
- ヨハン・ゴットフリートヴァルター
- ヨハン・ダーフィト・ハイニヒェン
- ラインハルト・カイザー
- ヨハン・クーナウ
- ジョヴァンニ・レグレンツィ
- アントニオ・ロッティ
- ヨハン・ヨーゼフ・フックス
- オルランド・ディ・ラッソ
- アンドレ・カンプラ
- ジャン=バティスト・リュリ
- ディートリヒ・ブクステフーデ
- オラツィオ・ベネヴォリ
- ミシェル・ドラランド
- ジョヴァンニ・バッサーニ
- マルカントワーヌ・シャルパンティエ