
「イギリス、ルネサンスの作曲家・オルガニスト」
オーランド・ギボンズOrlando Gibbons(1583-1625)
イギリスのヴァージナリスト楽派およびマドリガル楽派における最後の巨匠の一人であった。後にジョン・ブロウJohn Blow、ペラム・ハンフリーPelham Humfrey、そしてバロック時代のイギリスの先駆的作曲家であるヘンリー・パーセルHenry Purcellを指導することになる。最も名高い彼は、1610年代にはイングランドを代表する作曲家兼オルガニストとして活躍した。
1583年12月25日オックスフォード生
12月25日オーランド・ギボンズはオックスフォードで音楽一家に生まれた。20世紀初頭までは、ケンブリッジで生まれたと考えられていた。彼の死後まもなくカンタベリー大聖堂に建立された記念碑にも刻まれている。オックスフォードのセント・マーティン教会で洗礼を受けた。ギボンズが洗礼を受ける1週間以内、あるいはそれより短い期間に生まれたとすれば、それは当時の一般的な慣行と合致する。ギボンズの父親は以前ケンブリッジに住んでおり、そこでは町の楽団waitの長も務めていた。
・オーランドが4、5歳だった1588年頃、ギボンズ一家はケンブリッジに戻り、ウィリアムは同地での以前の職務に復帰した。
祖父リチャード・ギボンズRichard Gibbons(1577年没)は、オックスフォードで手袋職人として活動した。彼は1549年から1550年頃までに、市の「hanaster」(市の自由市民権を持つ者)となった。
息子ウィリアムWilliamはおそらく1540年に生まれた。
父ウィリアムはは1567年までに、ケンブリッジで「wait(註:)都市の専属楽士」を務めるようになっていた。後にメアリーMaryという女性と結婚したが、彼女の旧姓は不明である。1580年から1588年にかけてはオックスフォードに居住し、同市で市議会議員および市属楽士団の長を務めた。オックスフォード滞在中、ウィリアムとメアリーの間にオーランドーが生まれた。彼は、成人まで育った9人の子供のうち、おそらく7番目の子供であった。生年月日を記した記録は残っていない。
長兄のエドワードEdwardは作曲家であり、ケンブリッジ大学キングス・カレッジ聖歌隊の指揮者を務めていた。
次兄のエリスEllisは将来有望な作曲家でしたが早世した。
三男のフェルディナンドFerdinandがやがて父の跡を継いでwait専属の楽師となった。
オーランド・ギボンズもその伝統に倣うことが期待されていた。彼の少年時代については他にあまり知られていないが、音楽一家に生まれた彼は、ほぼ間違いなく鍵盤楽器の、そしておそらくはヴィオールの指導を受けていたことであろう。
(註:)『waitは、ルネサンス期(16世紀頃)のイギリスにおいて、名詞の “wait”(waits)は「都市の専属楽士」や「音楽を奏でる夜警」を意味する音楽史の専門用語であった。』
オーランド自身は人生のほとんどをケンブリッジで過ごし、オックスフォードで過ごしたのは最初の4、5年だけだったため、自分はケンブリッジで生まれたと思っていた可能性さえある。事態をさらにややこしくしているのは、オーランドが生まれる前に、彼の父親が少なくとも10年間ケンブリッジに住んでいたという事実である。
1596年2月14日、12歳の時に、彼はキングス・カレッジ聖歌隊の一員となった。
3.経歴
1598年のMichaelmas term(秋学期)のある時期まで、彼は同聖歌隊の正規メンバーを務めた。
・彼が誰に師事したのかは定かではない。しかし、若い頃に鍵盤楽器を学んだことはほぼ確実である。学歴にかかわらず、彼は音楽的に十分な能力を備えていた。
1598年から1599年にかけて、ギボンズの名は聖歌隊員の記録に散発的に登場している。このことは、記録上の誤りでなければ、彼が折に触れて――おそらく特別な機会などに――歌い続けていたことを示唆している。
・ギボンズの作曲の師についても不明である。エドワードEdwardの下で学び続けた可能性もあるが、その記録は残っていない。作曲の師匠としてもう一人考えられるのが、彼より少なくとも40歳年上で、当時最も尊敬を集めていたイギリスの作曲家、ウィリアム・バードWilliam Byrdである。ギボンズとバードは、作曲家のジョン・ブルと共に後に共同で作品を出版しているが、ブルはバードの弟子であったため、ギボンズもまたバードに師事していた可能性は十分にある。
・ギボンズがどのような経緯で音楽教育を受けたかは定かではないが、聖歌隊に在籍していた1599年(当時15、16歳)の終わり頃には、すでに作曲を行っていたことが知られている。それ以降、1603年に至るまでのギボンズの動向については何も分かっていない。
1603年5月19日までにギボンズの能力は、少なくともチャペル・ロイヤルの音楽家になれるレベルに達していた。ロイヤル礼拝堂には、君主と王室に出席する司祭と音楽家のかなりの数のグループがあり、ギボンズの名前はこの時点で礼拝堂のcheque book記録簿に記載されている。
・ギボンズは、有給職の空きを待つ「Gentleman Extraordinary」(無給の代理職)という立場にあった。その年の初めにはジェームズⅠ世が即位しており、ギボンズはおそらく7月25日に行われた戴冠式での賛美歌やアンセムの演奏に参加したものと思われる。
1603年は、彼にとって明暗の分かれる年であった。プロの音楽家としての最初の職を得たものの、同年には母と弟のエリスが相次いで亡くなった。
1603年5月には王室礼拝堂の無給のメンバーに、1605年までには同礼拝堂の正規メンバー(gentleman)兼若手オルガニストに任命された。
1605年1月にアーサー・クックArthur Cookが死去したことで、ギボンズが待ち望んでいた欠員が生じ、同年3月21日、彼は王室礼拝堂のオルガニスト(下級オルガニスト)として、名誉ある「王室礼拝堂のGentleman(聖歌隊員)」の地位に就いた。
・エドワード・ギボンズと、元オルガニストのアーサー・クックおよび礼拝堂の首席オルガニストであるジョン・ブルとの親交が、彼の弟ギボンズがこの職を得る助けとなった可能性がある。ギボンズは生涯にわたってその職を務めた。
1606年2月17日、ギボンズはエリザベス・パッテンElizabeth Pattenと結婚し。彼女の父ジョン・パッテンは王室礼拝堂の堂守yeoman of the vestryを務めており、ギボンズともおそらく親しい間柄にあったと思われるが、そうした関係がこの結婚の成立を後押ししたことであろう。ギボンズ夫妻は、ウェストミンスターのセント・マーガレット教区内にあるウールステープル(現在のブリッジ・ストリート)に住んでいた。この教会は、ギボンズの7人の子供たち――ジェームズ、アリス、クリストファー、アン、メアリー、エリザベス、オーランド――が洗礼を受けた場所でもある。
1606年までにはケンブリッジ大学キングス・カレッジを卒業し、音楽学士号を取得している。同年、彼はケンブリッジ大学キングス・カレッジに「sizar」として入学した。これは、学費の減免を受ける代わりに、様々な雑務をこなさなければならないという身分であった。
ギボンズは、そのキャリアを通じて、英国宮廷の多くの有力者と良好な関係を築いていた。ジェームズⅠ世やチャールズ王子は彼を支援するパトロンであり、クリストファー・ハットン卿のように親しい友人となった人物もいた。
1610年代までに、ギボンズは高い評価を受ける作曲家となり、イングランドで最も傑出したオルガン奏者となっていた。
1613年、プファルツ選帝侯フリードリヒⅤ世はエリザベート・スチュアート王女と共にハイデルベルクへ戻ったが、その際、コペラリオやハープ奏者のダニエル・カリンダーを含む大規模な随行団が夫妻に同行していた。随行者の名簿には「ギボンズ」の名があり、これはおそらくオーランド・ギボンズを指すものと思われる。つまり、彼はプファルツ選帝侯領の首都でしばらく過ごしたことになる。ギボンズは、経済的に困窮していたブルの後任を務めたものとみられる。
1615年ジェームスⅠ世から王室礼拝堂(gentleman)に指名され、死ぬまでオルガニストを務めた。
1610年代後半には、バードが長らくエセックスに隠棲し、ブルが1614年後半に低地地方へ去っていたため、ギボンズは間違いなく宮廷で最も重要な音楽家兼作曲家となっていた。
1617年、ギボンズは、チャールズ王子(後のチャールズⅠ世)のprivy chamberのためにジョン・クーパーが組織したアンサンブルにおいて、鍵盤楽器奏者の地位に就いた。彼は17人の音楽家からなるグループの中で、唯一の鍵盤楽器奏者であった。
1619年9月にはジェームズⅠ世の国王私室privy chamber of James Iに仕えるという3つ目の職を得た可能性が高い。
1623年ウェストミンスター寺院のオルガニストに任命された。これはギボンズのそれまでのキャリアにおいておそらく最も重要な役職であった。彼は亡くなるまでの2年間、その職を務めた。
1623年に義父ジョン・パッテンJohn Pattenが死去した際、彼はギボンズを唯一の相続人および残余財産受取人に指名し、その子供たちには200ポンドを残した。
1625年5月7日ギボンズはジェームズⅠ世の国葬でオルガン演奏の任にあたった。
・ジェームズⅠ世やチャールズ皇太子は彼を支援するパトロンであり、クリストファー・ハットン卿のように親しい友人となった人物もいた。ギボンズは、バードやジョン・ブルと並び、イギリスの鍵盤楽曲として初めて出版された曲集「Parthenia」に作品を寄せた作曲家の中で最年少であった。また、生前には他にも多くの作品を出版しており、中でも『Madrigals and Motets第1集』(1612年)は特筆に値する。この曲集には、イギリスのマドリガーレとして最もよく知られる「The Silver Swan」が収録されている。
・彼は後にジョン・ブロウJohn Blow、ペラム・ハンフリーPelham Humfrey、そしてバロック時代のイギリスの先駆的作曲家であるヘンリー・パーセルHenry Purcellを指導することになる。
1625年5月下旬、イングランド宮廷は、イングランド王チャールズⅠ世が同年5月1日にフランスで代理結婚式を挙げて迎えることとなった王妃ヘンリエッタ・マリアの到着に備えていた。ギボンズら王室礼拝堂のメンバーは5月31日にカンタベリーへ向けて出発したが、その途上でギボンズは突然病に倒れた。
1625年6月5日カンタベリーで死去した。ギボンズの死因はおそらく脳出血であったとみられる。早すぎる死を迎え、そのキャリアは断たれた。
彼はカンタベリーで41歳で亡くなり、カンタベリー大聖堂に埋葬された。彼の死は周囲の人々に衝撃を与え、死後調査が行われることとなったが、死因そのものよりも、埋葬が急がれたことや遺体がロンドンへ戻されなかったことの方が、より多くの議論を呼んだ。妻のエリザベスもその1年余り後、30代半ばで亡くなり、遺された子供たちの世話はオーランドの長兄エドワードが担うこととなった。
作品:
イギリスの鍵盤楽曲集「Parthenia」(1613)、「マドリガーレとモテットの第1集」(The Silver Swan)が収録されている)(1612年)、
「This is the Record of John「8声のフル・アンセム「O Clap Your Hands Together」、「two settings of Evensong」
マドリガル「白銀の白鳥」、アンセルほかを残した
2. その他
3. 初演
4. 関連動画
⬇ youtube「Pavan & Galliard ‘Lord Salisbury」
⬇ youtube「The Silver Swan」
「Mongst thousands good数千もの優れたものの中で」
「Nay let me weepいや、泣かせておくれ」
⬇ youtube「Keyboard Works (piano)」
1) Fantasia MB10
2) Pavan MB17
3) Galliard MB24
4) Ground MB26
5) Mask: The Fairest Nymph MB43
6) Fantasia MB14
7) Alman MB35
8) Galliard MB25
9) Ground: The Italian Ground MB27
10) Mask: Lincoln’s Inn Mask MB44
11) Prelude MB2
12) Alman MB37
13) Alman MB36
14) Fantasia MB6
15) Fantasia MB5
16) Galliard: Lady Hutton MB20
17) Galliard MB23
18) Galliard MB21
19) Fantasia MB9
20) Pavan MB16
21) Ground: Whoop, Do Me No Harm, Good Man MB31
22) Ground: Peascod Time, Or, The Hunt’s Up MB30
23) Fantasia MB7
24) Alman MB33
25) Coranto: French Coranto MB38
26) Coranto MB39
27) Mask: Welcome Home MB42
28) Prelude MB1
29) Versus MB4
30) Fantasia MB11
31) Alman MB34
32) Coranto MB40
33) Fantasia MB13
34) Mask: The Temple Mask MB45
35) Ground: The Queens’s Command MB28
36) Ground: The Woods So Wild MB29
37) French Air MB32
38) Prelude MB3
39) Fantasia MB8
40) Pavan MB15
41) Mask: Nann’s Mask Or French Alman MB41
42) Pavan: Lord Salisbury MB18
43) Galliard: Lord Salisbury MB19
44) Fantasia MB12
⬇ youtube「合唱・オルガン作品名曲集」
1.O clap your hands
2.Great Lord of Lords
3.Hosanna to the son of David
4.Prelude in G major
5.Out of the deep
6.See, see, the word is incarnate
7.Prelude in D minor
8.Lift up your heads
9.Almighty and everlasting God
10.Magnificat (2nd Service)
11.Nunc dimittis (2nd Service)
12.Fantazia of four parts
13.Magnificat (Short Service)
14.Nunc dimittis (Short Service)
15.O God, the king of glory
16.O Lord, in thy wrath
⬇ youtube「In Nomine」
⬇ youtube「In Nomine」
⬇ youtube「This is the Record of Johnこれはヨハネの証しである」