ニコラ・ポルポラ

生没年・出身地・歿地・墓地
ニコラ・ポルポラ生誕  Nicola Porpora

(1686年8月17日生)
(1768年3月3日歿)

1.職業

イタリア、オペラ作曲家・声楽教師

2.称号

3.経歴

1696年10才でナポリのサンタ・マリア・ディ・ロレート音楽院に入り約10年間、ガエターノ・グレコ、マッテオ・ジョルダーノ、オッタヴィオ・カンパニリに音楽を学び

1706年頃卒業

1708年最初のオペラ「アグリッピナ」がナポリ王宮で初演される、ローマで2作目のオペラ「ベレニーチェ」が上演 貴族の支援を受けて音楽活動を続ける

1711年ヘッセン・ダルムシュタットのナポリ方伯のフィリップ王子の楽長になる

1713年ポルトガル大使の楽長となりオペラ「東のバジル王」作曲

1714年ウィーン宮廷の委嘱オペラ「アリアナとテセオ」作曲

1715~22年ナポリのサン・オーフリオ音楽院で声楽を教え始める生徒にファリネッリ、カッファレッリ、サリンベーニ、ピエトロ・メタスタージオ、レジーナ・ミンゴレッティ等の名歌手が育つ

1716年ヘッセン・ダルムシュタットのフィリップ王子から「マントヴァ帝国知事」の名誉称号を授与される

1717年父と弟の死により残された家族を養うため声楽教師の他、作曲教師として更に働き始める

1718年オペラ「テミストクレ」ウィーン宮廷劇場で初演される

1720年オペラ「アンジェリカ」作曲

1721年オペラ「ジリ・オルティ・エスペルディ」作曲

1722年これらオペラの成功により音楽院を辞任する

1724年オペラ「Damiro・e・Pitia」がドイツとオーストリアで上演される。イタリアに戻る

1725年以降はヴェネツィアに移り作曲活動に専念する

1726年からヴェネツィアに定住し「オスペダル・デッリ・インクラビリ合唱団」の指導を始め1733年まで続ける

1733年サンマルコ寺院の地位に就くことに失敗する

1733年「貴族のオペラ」一座に招かれロンドンに渡る。オペラ「Arianna」作曲

1734年オペラ「Enea・nel・Lazio」とオラトリオ「Davide・e・Bersebea」作曲

1735年オペラ「Podifemo」と「I・figeniain・Aulide」作曲

1736年オペラ「Mitridate」とセレナーデ「Festad’lmenio」作曲上演したが成功せずロンドンを去りヴェネツィアに戻る

1737~38年は「オスペダル・デッリ・インクラビリ合唱団」に戻り指導をしている

1738年「認められたセミラミデ」作曲

1738年6月~1741年10月まで「サンタ・マリア・ディ・ロレート音楽院」楽長。オペラ「Statira」作曲

1744年ナポリ王レオの宮廷楽長

1747年ウィーンでヴェネチア大使の楽長、その後ドレスデン宮廷の楽長に任命される

1748~1751年ザクセン選帝侯の王女の楽長

1752年ウィーンに戻る

1760年ナポリに行きサン・オーフリオ音楽院で教える
晩年は貧困の中で没したと言われている

4.主な作品

オペラ多数あり

5.その他

ハイドンの恩師としても知られている

6.初演

7.関連動画

参考文献:「クラシック作曲家辞典」中河原理監修、フェニックス企画編 東京出版堂 「音楽史(音楽講座)」堀内敬三著 音楽之友社 「偉大なる作曲家のためのカルテ」五島雄一郎著 医療ジャーナル社 「wikipedia」 「glennmie.blog.s0-net.ne.jp」 「robortkelloyphd.com」 「dictionary/composer/alkan」 「maucamedus.net/solmization/gawut」 「www.tcat.ne.jp/eden/music」 「www.cadenza-od.com」 「www.coara.or.jp/-doraemon/gagaku/nenpyoz.htm」 「www.gecities.jp/gzgaku.ryuteki」 「www.univesal-music,co.jp」 「maokato.jp/bihoro/bihoro 「homepage3.nifty.com/cio/a-alta」 「www.wagnerdailas.com」