
イタリア、ルネサンス、フランドル派の作曲家・音楽教師
チプリアーノ・ローレCypriano de Rore(1515-1565)
またはCipriano de Rore
1515年または1516年頃フランダース、イーストフランドル県ロンセ生れた。
幼少期は不詳。おそらくアントウェルペンで早期の音楽教育を受けていると思われる。早くからパルマ公妃マルゲリータの従者であったと言われている。
1533年パルマ公妃マルゲリータのナポリ行きに随行し、音楽の教育を受けたようだ。
1565年9月11/20日頃イタリア、パルマで歿
1. 経歴
1533年パルマ公妃マルゲリータのナポリ行きに随行し、音楽の教育を受けたとようだ
1542年11月3日-1545年4月16日までブレシアに滞在、ヴェネツィアの出版社スコットーから最初のマドリガーレ集出版。
1544年、1545年2巻のモテット集出版。
1546年エルコレⅡ世・デステ公フェラーラ宮廷楽長就任、ミサ曲、モテット、シャンソン、マドリガーレ等作曲。
1556年エルコレⅡ世・デステ公より功労を労われ聖職禄を賜る。
1558年11月-翌年3月まで病気の両親(父セレスティン、母バーバラ)の世話をするために休暇をもらい途中ミュンヘンに寄り郷里ロンセに帰省する。
1559年エルコレⅡ世崩御に伴い辞職し7月」フェラーラを去りフランダースへ帰国。その後ファルネーゼ家、アントウェルペンに滞在。
1560年11月-1563年パリ経由でパルマに行きパルマ公オッターヴィオ・ファルネーゼと公妃マルゲリータに仕える。
1563-64年サンマルコ寺院楽長。
1564年からパルマ公に仕える。
1565年原因不明の病で49歳で死去。
作品:
「マドリガーレ集」マドリガーレ「別れの時」、「Mon petit coeur私の愛する人」、「我が園に下りて」、「Alla dolce ombra心地よい木陰の下で」、「O sonnoああ、眠りよ」、「Mia benigna fortunaわが恵み深き運命」、 Ancor che col partire別れによってであってもなお」、「Da le belle contrade美しい国々から」、「Da Pacem, Domine主よ、平和をお与えください」、「Da Pacem, Domine主よ、平和をお与えください」、4つの低音楽器のためのモテット「Calami sonum ferentes葦笛の音を運ぶ者たち」ほか
2. その他
3. 初演
4. 関連動画
⬇ youtube「Alla dolce ombra心地よい木陰の下で」
⬇ youtube「 O sonnoああ、眠りよ」
⬇ youtube「Mia benigna fortunaわが恵み深き運命」
⬇ youtube「 Ancor che col partire別れによってであってもなお」
⬇ youtube「Da le belle contrade美しい国々から」
⬇ youtube「Mon petit coeur私の愛する人」
⬇ youtube「Da Pacem, Domine主よ、平和をお与えください」
⬇ youtube「Calami sonum ferentes葦笛の音を運ぶ者たち」4つの低音楽器のためのモテット