IWY. 34 ヴィンチェンツォ・ガリレイ

イタリア、ルネサンスの作曲家・リュート奏者・音楽理論家
ヴィンチェンツォ-ガリレイVincenzo Galilei(1520-1591)

ヴィンチェンツォはルネサンス後期の音楽界で活躍し、バロック時代の幕開けを告げる音楽的変革に多大な貢献をした。不協和音の扱い方で音楽へ貢献したとされている。また彼は、「フィレンツェ・カメラータFlorentine Camerata」の仲間たちと共に、オペラの基礎を築いた。

1520年4月3日トスカーナ州、フィレンツェ県のピサ近郊にあるサンタ・マリーア・ア・モンテで生まれ生れた。
幼い頃からリュートを学び始めた。母親は彼の母親はリヴォルノ近郊のサン・ヴィンチェンツォ出身だった。天文学者・物理学者のガリレオ・ガリレイや、リュートの名手であり作曲家でもあったミケランジェロ・ガリレイは、彼の子供たちである。

1591年7月2日フィレンツェで歿)

1. 経歴


1562年より前のいずれかの時期にピサへ移り住み、そこで7月5日に貴族の家系出身であるジュリア・アンマンナーティGiulia Ammannatiと結婚した。天文学者ガリレオ・ガリレイは6人または7人いた子供たちの長男であり、1575年に生まれた弟のミケランヨーロは、優れたリュート奏者兼作曲家となった。
ガリレイはリュートの名手であり、若い頃から有力な後援者の注目を集めていた。
1563年、彼はヴェネツィアで16世紀で最も重要な音楽理論家であるジョゼッフォ・ツァルリーノGioseffo Zarlinoと出会い、彼の指導を受け始めた。やや後になって、彼はフィレンツェのカメラータ(ジョヴァンニ・デ・バルディ伯爵Giovanni de’ Bardiが率いる詩人、音楽家、知識人のグループ)との交流や、当時の古代ギリシャ音楽の第一人者であるジローラモ・メイGirolamo Meiとの交流を通じて、古代ギリシャ音楽と演劇の復興の試みに興味を持つようになった。ガリレイは2冊のマドリガル集、リュートのための音楽、そして声楽とリュートのためのかなりの量の音楽を作曲した。この後者のカテゴリーは、初期バロックのスタイルを多くの点で先取りしていたため、彼の最も重要な貢献と考えられている。
オペラにおけるレチタティーヴォの使用は、レチタティーヴォに最も近い音楽様式であるモノディの発明者の一人であったガリレイに広く帰せられている。
1584年ガリレオは平均律を提唱した。調律と調性の研究において、彼は「12の長調と12の短調に明確に関連する」24の舞曲群を作曲した。
ガリレオは1591年7月2日に亡くなった。
「ガリレオの音楽理論」
・ガリレイの最も重要な理論的貢献のいくつかは、不協和音の扱いに関するものである。彼は概ね現代的な概念を持っており、「声部が滑らかに流れる場合」の経過不協和音だけでなく、彼が「本質的不協和音」と呼んだサスペンションのような拍子上の不協和音も認めていた。これはバロック音楽の実践をよく表しており、特に彼は、サ​​スペンションの解決規則を、解決音から先に跳躍し、その後、期待される解決音に戻ることで定義している。
・ガリレイは音響学、特に振動する弦と空気柱の物理学において発見をした。彼は、音程の比率は弦の長さに比例する(例えば、完全5度は3:2の比率)一方で、張力の平方根(および凹状の空気の体積の立方根)によって変化することを発見した。同じ長さの弦に吊るされた重りは、3:2の完全5度を生み出すためには9:4の比率でなければならないとした。

作品:
マドリガーレやリュート曲、モノディを残す。

2. その他


不協和音の扱い方で音楽へ貢献したとされている。
天文学者ガリレオ・ガリレイの父。

3. 初演

4. 関連動画


⬇ youtube「Il Fronimo思慮深い人」

⬇ youtube「The Well-tempered Lute平均律リュート」

⬇ youtube「Contrapunto primo e secondo第1・第2対位法」

⬇ youtube「A Due Liuti2つのリュートのために」

⬇ youtube「Gagliarda Calliope – Lute – Luthカリオペ舞曲-リュート」

⬇ youtubeContrappunto Secondo B. M.「Gagliarda Salmace」
B.M.による対位法:サルマーチェ舞曲

生年代:1520年頃

没年代:1591年頃

日本の元号:永正17年

時代:室町時代

世界の出来事:イタリアの画家・建築家ラファエロ歿