
イタリア、バロック初期の作曲家、歌手、リュート奏者、詩人、音楽教師
フランチェスカ・カッチーニFrancesca Caccini(1587-1645)
1587年9月18日フィレンツェ生
1645年2月頃フィレンツェで歿
1. 経歴
音楽教育を父のジュリオ・カッチーニに受ける、
1600年に歌手として出演した記録が残っている
「イタリアの女性作曲家:カッチーニ」
1587年※【音楽】フランチェスカ・カッチーニFrancesca de Giulio Caccini。(1641-1645年の間フィレンツェで歿)。音楽家ジュリオ・カッチーニの長女。
イタリア、バロック初期の作曲家、歌手、リュート奏者、詩人、音楽教師。彼女はフィレンツェの人々から「ラ・チェッキーナLa Cecchina」という愛称でも呼ばれていた。現存する唯一の舞台作品である歌劇「ルッジェーロの解放」は、女性作曲家による最古の歌劇として広く知られている。彼女はルネサンス期が終わりを迎えた後に作曲活動を開始し、バロック音楽様式の発展において重要な役割を果たした。
9月18日フィレンツェ生れた。父親から音楽の基礎を学んだほか、人文主義的な教育(ラテン語、多少のギリシャ語、現代語・文学、数学など)も受けた。リリアーナ・パネッラLiliana Panellaによれば、メディチ家の宮廷におけるフランチェスカの歌手としての活動について、確かな裏付けのある最初の記録は1602年のものである。
・チェーザレ・ティンギCesare Tinghiの日記には、1602年4月3日、ピサの聖ニコラウス教会において、「ジュリオ・ロマーノGiulio Romanoの指揮のもと、彼の妻(後妻のマルゲリータ)と二人の娘が見事な歌声を披露した」多声合唱音楽が演奏されたと記されている。
・カッチーニは若い頃、両親、異母弟ポンペオ、妹セッティミア、そしておそらくは名前の伝わっていないカッチーニの他の弟子たちと共に、当時の人々から「ジュリオ・ロマーノの女性たち(le donne di Giulio Romano)」と呼ばれたアンサンブルの一員として演奏活動を行っていた。
1600年に上演されたオペラ「エウリディーチェ」でも歌った可能性が高いと考えられる。この作品の音楽の大部分はヤコポ・ペーリが作曲したものであるが、彼女の父親が作曲した部分も含まれており、それらは父親の弟子たちによって歌われた。同年、彼女はガブリエッロ・キアブレラが台本に作曲した父親の「Il rapimento di Cefaloケファロスの誘拐」でも歌った。
・その後、彼女は宮廷に採用され、家族のアンサンブルでの演奏を続けたが、妹セッティミアが結婚してマントヴァへ移ったことで、そのアンサンブルは解散することになった。
1614年までに、彼女は宮廷で最も高額な報酬を得る音楽家となっていた。その大きな要因は、彼女の卓越した音楽的才能が、トスカーナの実質的な統治者であった大公妃クリスティーナ・ディ・ロレーナの抱く「女性の卓越性」という理想を、見事に体現していたことにあった。
・カッチーニの最初の夫(Giovanni Battista Signorini)。彼との間には1622年に娘マルゲリータをもうけていたが1626年12月に死去した。
1627年10月彼女は間を置かず、ルッカの音楽愛好家である貴族ommaso Raffaelliと再婚した。
1627年初頭まで、カッチーニはメディチ家の宮廷において、教師、室内楽歌手、リハーサル・コーチ、そして室内楽および舞台音楽の作曲家として仕えた。
・彼女はラファエッリのルッカの邸宅で暮らし、1630年に彼が亡くなるまで、彼との間に息子(同じくトンマーゾと名付けられ、1628年生まれ)をもうけ、ルッカのブオンヴィージ家とも音楽的な関わりを持っていたようである。
・未亡人となると直ちにメディチ家の宮廷への復帰を試みた。
1630年から1633年にかけての疫病流行により帰還が遅れたものの、1634年にはカッチーニは2人の子供を連れてフィレンツェに戻った。彼女は娘のマルゲリータだけでなく、ラ・クロチェッタ修道院に居住あるいは頻繁に訪れていたメディチ家の王女たちにも音楽を教えるとともに、女性たちのための宮廷の催し物として室内楽や小規模な娯楽作品の作曲・演奏を行った。
カッチーニは1641年5月8日をもってメディチ家への奉仕を終え、公的な記録から姿を消えた。
・多くの楽曲において、彼女は伴奏用の詩も自ら執筆しており、それらの詩は喜劇的な内容であることも少なくない。
作品:
comedies「La Tancia(1613)」,comedies「Il passatempo(1614)」,comedies「La fiera(1619)」,36曲の独唱曲とソプラノとバスの二重奏曲集「Il primo libro delle musiche(1618)」出版,comedy-ballet「La liberazione di Ruggiero dall’isola d’Alcina(1625)」、オペラ「ルッジェーロの救出」
2. その他
女性として初めてオペラを作曲した、日本では1983年国立音楽大学音楽研究所により上演されている、CDあり
3. 初演
4. 関連動画
⬇ youtube歌劇「ルッジェーロの解放」
女性作曲家による最初の歌劇、少なくとも現存する最古の歌劇
⬇ youtube「Lasciatemi Qui Solo一人にしておいて」
⬇ youtube「’Ch’Amor sia nudo, e pur com l’ali al tergo」
[youtube]をクリックすると画面が出ます
⬇ youtube「Non sò se quel sorriso」
⬇ youtube「Nube Gentil」
⬇ youtube「O Che Nuovo Stupor」
⬇ youtube「”La liberazione di Ruggiero dall’isola di Alcina」
⬇ youtube「アルチーナの島からのルッジェーロの解放」
⬇ youtube「CH’AMOR SIA NUDO」
⬇ youtube「Ciacconaシャコンヌ」