IWY. 61 ニコロ・アマティ

イタリアの弦楽器製作者
ニコロ・アマティNicolo Amati(1596-1684)

イタリアのクレモナ出身のマスター弦楽器製作者。ニコロはアマティ一族の伝統的なデザイン構造を精緻化した後、アマティ家の最も重要で価値のあるヴァイオリンを作り上げたということで最も優秀な弦楽器製作者とされている。アマティは、カサ アマティ(アマティの家)の最も有名な弦楽器製作者のひとりである。彼は、アンドレア・グアルネリやジョバンニ・バティスタ・ロジェリなどの著名なクレモネ派弦楽器製作者の師匠であった。
祖父のアンドレア・アマティがレオナルド・ダ・ヴィンチにちかい木工細工職人から技術を習得したといわれている。アンドレアの二人の息子、アントニオ(1550年頃~1638年)とジローラモ(ヒエロニムス、1551年~1635年)は、後者が亡くなるまで共に働き、アマティ兄弟として知られている。アマティ兄弟がヴァイオリンの発展に大きく貢献したのは、平らで浅い形状のヴァイオリンを進化させたことであり、ストラディバリウスによって改良されたこの形状は、その優れたソプラノ音色によって、現代のコンサート環境において最も生き残るのに適したヴァイオリンであることが証明された。
ニコロ・アマティ(1596年-1684年)はジローラモの息子である。一族の中で最も有名な彼は、その精巧な作りと音色で知られる楽器を製作し、ストラディバリとアンドレアグァルネリをはじめとする多くの弦楽器製作者が、この技術を学んだ。
ニコロはアマティ一族の伝統的なデザイン構造を精緻化した後、アマティ家の最も重要で価値のあるヴァイオリンを作り上げたということで最も優秀な製作者とされている。
・ニコロは、ニコロと妻との間には9人の子供が授かったが、アマティ家のバイオリン製作を継ぐ息子に恵まれなかったこともあり、仕事場は見習いのアンドレア・グアルネリ(1626~1698)とアントニオ・ストラディバリウス(1694~1740)にニコロ・アマティが教えたと語られている。後継指名は1649年ニコロ53才頃に生まれたヒエロニヌス・アマティⅡ世になった。
彼の後を継いだのは息子のジローラモ(ヒエロニヌス・アマティⅡ世)(1649年-1740年)であったが、彼の楽器は先代の作品に比べて劣っていたというのが一般的な見解である。

1596年12月3日9月3日ニコラ・アマティはイタリア北部クレモナで生れた。
ニコロは、父ジローラモ・アマティ(ヒエロニムス1世、1561年-1630年)とその後妻ローラ・ド・メディシス・ラッツァリーニの5番目の子として育ち、後妻の母は9人の子供が授かった。父ジローラモ12人の子供の一人である。
ニコロ・アマティ家のヴァイオリン製作を継ぐ息子に恵まれなかったこともあり、仕事場は見習いのアンドレア・グアルネリ(1626~1698)とアントニオ・ストラディバリウス(1694~1740)にニコロ・アマティが教えたと語られている。
後継指名は1649年ニコロ53才頃に生まれたヒエロニヌス・アマティ二世にであった。

1684年4月12日クレモナで歿

1. 経歴


ニコロの母ラウラ・デ・ラッツァリーニは、ジョヴァンニ・フランチェスコ・グアッツォーニの娘であった。グアッツォーニはフィレンツェのメディチ家と遠い親戚関係にあった。
・ニコロはおそらく、父と叔父のもとで修業を積んだのであろう。1620年代までには、ニコラはアマティ工房を主導する弦楽器製作者となっていた。
1629年から1631年にかけてイタリアでのペスト流行は、クレモナを含むイタリア北部および中部を襲った。クレモナやブレシアの弦楽器製作者がほぼ全滅する中、ニコラはたった一人でその地のヴァイオリン製作の伝統を守り続けた。
1630年には、このペストによってアマティの両親と二人の姉妹が命を落とした。両親の死後、彼は結婚するまで姉妹と共に暮らした。
1630年から徐々に独創性の兆しを見せ始め、1640年までに現在「グランド アマティ パターン」として知られるもので表現された。このグランド パターンはわずかに大きく、バックの長さは最大35.6cm(約 14インチ)で、最も注目すべきは幅が最大20.9cm(約8 1/4 インチ)で、より大きなサウンドが可能になった。
その独創性は1630年に始まり1640年代には「グランド・アマティ」パターンを作り出していたといわれる。
・ニコロ・アマティの偉大さは、伝統的な家族経営弦楽器製作を引継がせる息子に当初恵まれなかったとはいえ、外部の弟子にヴァイオリン作りのノウハウを全て教え込んで育成指導したことで、200年にわたるアマティ一家のバイオリン製作者として、楽器製作技術に多大な足跡を残し、貢献したことを高く評価されている
その独創性は1630年に始まり1640年代には「グランド・アマティ」パターンを作り出していたといわれる。
1640年代に入り楽器の需要が高まると、彼は一族以外の人間を弟子として工房に迎え入れた先駆者の一人となりました。後にヴァイオリン製作の名門グァルネリ家を興すことになるアンドレア・グァルネリも、アマティの弟子の一人であった。
1645年5月23日アマティはルクレツィア・パリアーリLucrezia Pagliari(1703年11月26日没)と結婚した。彼の弟子であるアンドレア・グアルネリが式に出席し、登録簿に署名した。ニコロとルクレツィアには4人の息子と4人の娘がいた。彼らの息子ジローラモ・アマティ(ヒエロニムス2世、1649年生まれ、1740年没ジローラモ2世として知られるは、一族最後の弦楽器製作者であった。)
・フランチェスコ・ルジェリFrancesco Rugeriはニコラ・アマティの弟子であった可能性があるが、アマティ家の戸籍や居住者名簿には彼の名前が記載されていない。ルジェリという姓を示す国勢調査記録がないのは、フランチェスコが屋内の見習いではなく、彼が住み込みの徒弟ではなく、徒弟としての修行中も自宅から通っていた可能性が考えられる。フランチェスコは時折、自身の楽器にニコラ・アマティの弟子であることを示すラベルを貼っていた。例えば、「Francescus Rugerius Alumnus Nicolai Amati fecit Cremonæ 1663フランチェスコ・ルゲリウス、ニコラ・アマティの弟子、クレモナ、1663年」と記されたヴァイオリンが存在する。ニコラ・アマティはフランチェスコの息子ジャチントGiacintoの名付け親であり、少なくとも両家は親密な関係にあり、緊密な協力関係にあった可能性が高い。
・アマティの工房で弟子入りしていたことを示す明確な記録は残っていないが、アントニオ・ストラディヴァリ、フランチェスコ・ルジェリ、ヤコブ・シュタイナーもまた、アマティに師事していた可能性がある。彼らの作品には、アマティからの強い影響が見られるためである。
・アントニオ・ストラディヴァリAntonio Stradivariは、確かな証拠は乏しいものの、おそらくニコロ・アマティの弟子であったと考えられている。例えば、現存する1681年製のストラディヴァリウス・ハープの響板について年輪年代学的な調査を行ったところ、1679年製のアマティのチェロと同じ木材(同じ樹幹)から作られていたことが判明していまる。現存する唯一の文書による証拠は、1666年の日付が入ったアントニオ・ストラディヴァリのラベルであり、そこには「Alumnus Nicolai Amatiニコロ・アマティの弟子」と記されている。
・ストラディヴァリが実際にニコロ・アマティの弟子であったのか、それとも単にアマティを師と仰ぎその作風を慕っていたに過ぎないのかについては、長年議論が分かれている。両者の作品には重要な相違点が見られるからである。一部の研究者は、ストラディヴァリの初期の楽器は、アマティの作品よりもフランチェスコ・ルジェリの作品に強い類似性を示していると考えている。さらに、ニコロ・アマティやその確実な弟子たちが例外なく用いていた「小さな背面のピン(または小孔)」がストラディヴァリの楽器には見られないという点も、彼がアマティとは別の場所で製作技術を学んだ可能性を示唆するさらなる証拠となっている。このピン(または穴)は、楽器の板の厚みを調整する工程において不可欠なものであり、明らかにアマティの弟子たちの間で代々受け継がれてきた技法であった。この背面のピンはルジェリ一族のどの楽器にも見られないことから、アントニオ・ストラディヴァリはアマティの影響を受けていたとはいえ、実際にはフランチェスコ・ルジェリから製作技術を学んだ可能性が示唆される。W.E.ヒル&サンズW.E. Hill & Sonsは、ニコロ・アマティの作品の中にストラディヴァリの手による痕跡を見出すことはできなかったと認めているが、一方でアンドレア・グァルネリやフランチェスコ・ルジェリの手によるものであることは明白であるとしている。
1670年末までに、ニコラはヴァイオリン製作の第一線から退いた。アマティの楽器には、息子のヒエロニムス2世による手仕事が次第に多く見られるようになる。
アマティは1684年4月12日、イタリアのクレモナで87歳で死去した。

2. 製作弦楽器


ニコロ・アマティの楽器は極めて希少であり、その多くは世界各地の博物館に展示されている。彼の作品を展示している博物館には、ニューヨークのメトロポリタン美術館、クレモナのヴァイオリン博物館、ロンドンの王立音楽院博物館などがある。
楽器リストInstrument list
the ‘Hambourg’ 1641, Cozio 46038 – played by Frances Magnes
the ‘Ole Bull’ 1647, Cozio 48649
the ‘Francais’ 1647, Cozio 48781
the ‘Partello’ 1648, Cozio 40877
the ‘Georgie Stoll’ c. 1648, Cozio 18796
the ‘Alard’ 1649, Cozio 40103
the ‘Brookings’ 1654, Cozio 40441
the ‘Krasner, Voute’, Cozio 47111
the ‘King Louis XIV, Youssoupov, Panajeff, Medici’ 1656, Cozio 42580
the ‘Paganini’ 1657, Cozio 43781
the ‘Kaiser’ 1657, Cozio 48782
the ‘Hämmerle’ 1658, Cozio 42363
the ‘Kempner’ 1662, Cozio 45581
the ‘Count Pergen’ 1663, Cozio 40164
the ‘Gillott, Woolworth’ 1664, Cozio 49275
the ‘Antoinette’ 1666, Cozio 41434
the ‘Baron Knoop’ 1666, Cozio 60433
the ‘Réthi’, c. 1669, Cozio 42950
the ‘Corcoran’ 1671, Cozio 48785
the ‘Professor Florian Zajic’ 1672, Cozio 42791
the ‘Voigt’ 1682, Cozio 49281
the ‘Spagnoletti’ 1682, Cozio 46565
the ‘Spagnoletti’ 1683, Cozio 31738
the ‘Professor Wirth’ 1663, Cozio 42792
the ‘Berkitz’ 1677, Cozio 49362
the ‘Vatican Stradivari’, Cozio 49233
the ‘Willeke’ 1642, Cozio 43994
See also: Amati Violas
出典(From the Cozio Archive)
ニコライ・アマティの名声は、彼が長く並外れて勤勉な生涯で製作した数々の楽器の完成度を考えれば疑いようもなく正当なものであるが、優秀な弟子たちを育てたことにも起因している。しかし、彼の弟子たち(中には後に同門のニコライの息子ジローラモの名声に匹敵、あるいは凌駕した者もいる)が、後に師の名を冠する楽器の製作者であったという仮説は、時折唱えられるものの、否定されなければならない。アマティの揺るぎない名声に惹かれた優秀な弟子たちは、間違いなく長年彼の工房に通い、彼の最も完璧なヴァイオリン(一般的には師の晩年の20年間、つまり彼がすでに高齢であった時期に製作されたもの)の製作に積極的に貢献したが、「ニコライ・アマティの指​​導の下、クレモナの工房にて」というラベルは、アマティの意図において、弟子たちが工房で完全に製作したヴァイオリンをアマティの楽器と混同してはならないことを明確に示している。これらの弟子の中で特に記憶に残るのは、アンドレア・グアルニエリ(クレモナのヴァイオリン製作一家の創始者であり、アマティ家に決して劣らない実力を持っていた)、フランチェスコ・ルッジェーリ(彼もまたクレモナに自身の工房を開設した)、パオロ・グランチーノ(ヴァイオリン製作者アンドレアの息子で、後にミラノで活躍した、そしておそらく最も偉大なアントニオ・ストラディバリである。(要約先出典:https://www.treccani.it/)

3. その他


アマティの他の弟子として記録されているのは
アントニオ・ストラディヴァリAntonio Stradivari(1644年~1737年12月18日Cremona Italy)
アンドレア・グァルネリAndrea Guarneri(1623年頃~1698年12月07日Cremona Italy)
フランチェスコ・ルジェーリFrancesco Ruggieri(1628年頃~1698年10月28日Cremona Italy)
ジョヴァンニ・バッティスタ・ロジェーリGiovanni Battista Rogeri(1642年頃~1710年頃Brescia Italy)
パオロ・グランチーノPaolo Grancino(活動:1640年~1690年MilanItaly)
アレッサンドロ・ガリアーノAlessandro Gagliano(1665年~1732年Cremona, Naples Italy)
ヤコブ・シュタイナーJacob Stainer(1617年頃~1683年Absam Austria)
ヤコブ・ライリッヒJacob Railich
マティアス・クロッツMatthias Klotz
バルトロメオ・パスタBartolomeo Pasta
バルトロメオ・クリストフォリBartolomeo Cristofori
ジャコモ・ジェナーロGiacomo Gennaro(1627年頃~1701年Cremona Italy)
ジャコモ「テデスコ」Giacomo ‘Tedesco(ドイツ人)という意味でおそらくあだ名)
らがいる。
一族では
ニコロの息子のクレモナのジローラモ・ヒエロニムス・アマティⅡ(1649年02月26日~1740年02月21日Cremona Italy)
ボローニャの牧師ドン・ニコロ・アマティらがいる

4. 関連動画


「ニコロ・アマティ製作によるヴァイオリン演奏」
マルコ・ブロンツィ演奏 エルガー「愛の挨拶」

ギドン・クレーメル演奏 「ラム・エクス・コリン」
1669年製のニコロ・アマティ作による

ショーン・エイブラム・カーペンター演奏 J.S.バッハ「ソナタ第1番」ト短調よりアダージョ
1669年製のニコロ・アマティのヴァイオリン

マウリヅィオ・タディオリ演奏
1656製のニコロ・アマティのヴァイオリン

演奏横山令奈 
1675年製ニコロ・アマティのヴァイオリン

ロバーツ・バラナス演奏
1676年製ニコロ・アマティのヴァイオリン

演奏グラマリアとアンドレオッリ モーツァルト「ヴィオラとヴァイオリンのための二重奏曲から」
1574年製アンドレア アマティのヴィオラ と 1656年製ニコロ・アマティのヴァイオリン

参考文献:https://en.wikipedia.org/wiki/Nicola_Amati https://ja.wikipedia.org/wiki/ http://www.amatiquartet.usask.ca/instruments/ http://fstrings.com/maker/detail.asp?id=144 https://ksurep.kyoto-su.ac.jp/dspace/bitstream/10965/153/1/KMR_8_21.pdf https://en.wikipedia.org/wiki/Gasparo_Duiffopruggar https://broom02.revolvy.com/topic/Gasparo%20Duiffopruggar https://www.bromptons.co/reference/articles/details/hieronymus-the-second-amati.html http://ingleshayday.com/archive/information/1097-girolamo-amati-ii-biography.html https://www.fstrings.com/maker/list.php/ヴァイオリン製作者の一覧 https://www.britannica.com/art/violin