イタリア、ルネサンスの作曲家・教育者・フランシスコ会の修道士
ロドヴィコ・ヴィアダナLodovico-Grossi-de-Viadana(1560-1645)
本名グロッシGrossi
フランシスコ会(厳格会派)の修道士でもあった。彼は、ルネサンス音楽の終焉とバロック音楽の幕開けを画する音楽技法の一つである「通奏低音(註:)(figured bass)」の技法、およびその記譜法である「数字付き低音」の発展において重要な役割を果たした。当時新たに開発された技法を本格的に用いた最初の重要な人物である。
註:Basso continuoの訳で通奏低音という。バロック期に広く使われた伴奏の書法・奏法、低音部に数字などを付けた「数字付き低音」で記譜される。鍵盤楽器(チェンバロ、オルガンなど)が和音を補い、和声を支える伴奏の形態。一般に楽譜上では低音部の旋律のみが示され、奏者はそれに適切な和音を付けて演奏する。
1560年イタリアのマントヴァ県にある町、ヴィアダナ生まれた。
没後約150年を経て作成された文書によれば、彼はグロッシ(Grossi)家の出身であったが、1588年以前にフランシスコ会(厳格遵守派)に入会した際、出身地であるヴィアダナを名乗るようになったとされる。
同時代の確かな証拠は残っていないものの、彼はコスタンツォ・ポルタCostanzo Portaに師事した。
1. 経歴
1588年以前にフランシスコ派の修道士になっている。
1594年までにはマントヴァ大聖堂の楽長に就任した。
1597年にはローマへ赴いた。
1602年にはマントヴァのサン・ルーカ大聖堂で楽長に就任した。
彼はイタリア各地の大聖堂で次々と要職を歴任した。その中にはコンコルディア(ヴェネツィア近郊)や、1610年から1612年まで楽長を務めたイタリア東海岸のファーノなどが含まれる。
1614年から1617年までの3年間は、自身の所属する修道会において、ボローニャ管区(フェラーラ、マントヴァ、ピアチェンツァを含む)全域を管轄する修道会の役職に就いた。
1623年までにはブッセートへ移り、しばらくしてパルマ近郊グアルティエーリにあるサンタ・アンドレア修道院で活動しました。
1627年5月2日グアルティエーリで死去。
作品:
ヴィアダナは、初期バロック音楽における通奏低音の技法、およびその記譜法である「数字付き低音(フィギュアード・ベース)」の発展において重要な役割を果たした。彼がこの手法を考案したわけではないが(数字付き低音は、少なくとも1597年の出版物にはすでに見られます)が、広く流通した宗教音楽作品集(1602年にヴェネツィアで出版された「通奏低音付き100のコンチェルト」)において、この手法を初めて採用したのは彼であった。1607年にはアゴスティーノ・アガッツァーリが新しい数字付き低音の解釈法を解説した論文を出版しているが、イタリアの最も進歩的な音楽の中心地においては、それ以前の時点で、すでに多くの演奏者がこの新しい手法を習得していたことは明らかであった。
2. その他
バロック初期に通奏低音という数字で和声を示す記譜法の手法を開発したことで知られているこの手法は1597年にはすでに知られていたが多種類の宗教音楽にこの手法を使った最初の人物である
3. 初演
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