生没年・出身地・歿地・墓地
ハンス・ギードー・フォン・ビューロー生誕 Hans Guido Freiherr von Bülow
(1830年1月8日ドレスデン生)
(1894年2月12日演奏旅行中のエジプト、カイロで歿)
1.職業
ドイツの指揮者・ピアニスト・作曲家
2.称号
3.経歴
ビュ-ロ-家はメクレンブルクの貴族の出
⑴父は作家、母は銀行家の娘とも言われている
⑵ハンスは9歳からフリードリヒ・ヴィーク(クララ・シューマンの父)にピアノを学ぶ
1842年ワグナーのオペラ「リエンツィ」を聴く
1846年家族はシュトゥットガルトに移動
1848年両親の強い願いで法律を学ぶためライプツィヒ大学に入学
1849年迄フレーゲに住む
1849年フランツ・リストに出会う。学校を退めルイーズ・プレディにピアノを師事
1850年ワグナーの推薦でチューリッヒで指揮者となるが解雇される
1851~53年リストに師事。その後ザンクト・ガーレン劇場の指揮者
1855~64年は主にベルリンでピアニスト・指揮者として活躍しドイツ国内やロシアで著名になる
1857年フランツ・リストの娘コジマと結婚
1864~77年ミュンヘン宮廷歌劇場指揮者
1867~69年バイエルン宮廷歌劇場総監督となりワグナ-、ブラ-ムス、チャイコフスキ-の作品を支援しショパンの作品の熱心な信奉者でもあった
1869年妻コジマが師のワグナ-と不倫し3人の子を産み離婚
1875~76年渡米しチャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」世界初演演奏など139回のコンサートに出演
1878~80年ハノ-バー宮廷歌劇場楽長
1880年マイニンゲンに移り、同年~85年マイニンゲン宮廷管弦楽団初代音楽監督となり若き作曲家R・シュトラウスを見出し指揮者に任命する
1882年女優マリア・シャンツェルと再婚
1887~92年ベルリン・フィル常任指揮者
4.主な作品
5.その他
6.初演
7.関連動画
Nirwana
Impromptu for Piano ”La Certa” Op. 27
Ballade Op 11
Königsmarsch
Mazurka-Fantaisie Op 13
Elfenjagd, Impromptu, Op 14
Invitation à la Polka Op 6
Impromptu in A flat major ‘Lacerta’ Op 27