IWY. 27 ハンス・ザックス

ドイツのマイスタージンガー・劇作家・詩人・靴屋の親方
ハンス・ザックスHans Sachs(1494-1576)

1494年11月5日ニュルンベルクNürnberg生れた。父イエルク・ザックスはザクセン地方のツヴィツカウからニュルンベルグに移住した裕福な仕立屋、妻はクリスティーナ、その家庭の長男。子供の頃、彼はニュルンベルクの教会で開かれていた歌唱学校に通い、それがきっかけとなって詩や音楽への関心が芽生えた。
1502-09年彼はニュルンベルクの教会付属ラテン語学校Lateinschuleに通った。1509-11年14歳の靴職人の見習いを始めた。
1509-11年靴屋に奉公
1511年徒弟修業を終えた17歳で、徒弟となり彼は旅職人として放浪の旅に出、仲間や弟子たちと各地を旅した。数年にわたり、レーゲンスブルク、パッサウ、ザルツブルク、ミュンヘン、オスナブリュック、リューベック、ライプツィヒなど多くの町で修行放浪の旅を続けた。
1512年徒弟となりレーゲンスブルク、パッサウ、ザルツブルク、オスナブリュック、リューベック、ライプツィヒ等へ修行放浪の旅を続ける。

1576年1月19日ニュルンベルクで歿

1. 経歴


1513年オーストリアの小さな町ヴェルスに到着し、そこでしばらく滞在して美術の研鑽に励んだ。滞在中、皇帝マクシミリアンⅠ世が華やかな従者を伴ってこの町を通りかかり、若い詩人は宮廷の華麗さに心を奪われた。通り過ぎるマクシミリアン皇帝の眼にとまり、王子は彼をインスブルック宮殿の広間に住まわせた。
その後、ハンス・ザックスは歌の勉強を始めようと決心、宮廷を離れ、シャッツとミュンヘンへ行った。同年、ミュンヘンでマイスターシンガーになるための見習いを始めた。彼の師匠はリンネ織りの親方でマイスタージンガー、音楽教育者リーンハルト・ヌンネンベックLienhard Nunnenbeckに1515年まで歌を師事した。
1516年帰郷、ニュルンベルクに定住し、その後生涯をそこで過ごした。
1519年9月1日、クニグンデ・クロイツァーKunigunde Creutzerと結婚した。7人の子供をもうけたが、いずれも彼が存命中に亡くなった。
1520年靴屋の親方として独立。宗教改革の指導者マルティン・ルーテルの思想に傾倒。彼はルターの熱烈な信奉者となった。
1523年にはルターを称えて「ヴィッテンベルクの鶯Die wittenbergisch Nachtigall, Die man jetzt höret überall」で始まる詩と、改革者への温かい共感を節度ある助言で和らげた4つの注目すべき散文対話を発表。新しい信仰を擁護したことでニュルンベルク市議会から叱責を受け、「パンフレットや韻文Büchlein oder Reimen」の出版を禁じられた。しかし、市議会自身が公然と宗教改革に賛同するまで、そう時間はかからなかった。
1524年「司教座参事会員と靴屋の対話」など発表。
1527年オジアンダーとの共著「教皇の奇妙な予言を解く」で市参事会から出版禁止処分を受ける。
1530年「ニュルンベルク市を讃える詩」を発表。
1560年妻の死。
1561年9月2日、若き未亡人バルバラ・ハルシャーBarbara Harscherと再婚した。
1567年自伝詩「わが詩集のすべて」発表。
作品:マスターソングMeisterlieder、本来の作品(約4200曲)、その他の詩や歌、カーニバルの劇、悲劇、コメディ、散文対話、寓話。
ザックスは、「シュヴァンク」の2作に登場する架空の「愚か者の村village of fools」フュンジングFünsingについて書いた。「フュンシングの馬泥棒Der Roßdieb zu Fünsing」および「フュンジングの農民Die Fünsinger Bauern」。最初の作品はザックスの最も有名な作品の一つで、捕まった馬泥棒が、自分は裁判官たちと何ら変わらない不正行為をしていると主張して弁護する。裁判官たちは、馬泥棒が収穫後に絞首刑に処されるために戻ってくると約束したため、彼を釈放する。
2つ目は、フュンジンガーの様々な愚行を詩で綴ったものである。
その他:ハンス・ザックスを題材とした作品にワグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」やアルベルト・ロルツィング(1840年作)の歌劇「ハンス・ザックス」などがある。
⬇ youtubeワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガーたち」
Richard Wagner: Die Meistersinger von Nürnberg
バイロイト音楽祭管弦楽団&バイロイト音楽祭合唱団
指揮:フィリップ・ジョルダン(2020年より、ウィーン国立歌劇場の音楽監督)
バイロイト 2017
<第一幕>あらすじ
『時は16世紀中頃、舞台はドイツのニュルンベルク。この街にやって来た騎士ヴァルターは、聖カタリナ教会でエーファと出会い、二人は互いに惹かれ合う。しかし、エーファの父で金細工の親方ポーグナーは、明日、聖ヨハネ祭で行う歌合戦の優勝者に全財産とエーファを与えることとした。そこでヴァルターは靴屋の徒弟ダーヴィットから急いで「歌の規則」を学びますが、あまりに厄介な規則に閉口する。それでもヴァルターは歌合戦に出場するための資格試験を受け、堂々と自分の歌を歌い始めた。このとき試験の記録係をしていた市の書記官ベックメッサーは、自身もエーファとの結婚を狙っていた。彼はヴァルターというライバルの出現を快く思わず、厳格に採点して失格にさせる。そのとき靴屋の親方ザックスは、ヴァルターの歌に新しい可能性を感じていた。』
<第二幕>あらすじ
『ヴァルターが試験に落ちたことを知ったエーファは、親方ザックスに相談しようとするが、彼は話をはぐらかす。実はこのザックスも、遠い昔に妻を亡くし、エーファに愛情を持っていた一人であった。しかし、彼は若いヴァルターとエーファのことを考え、自分の想いを諦めることとする。一方で、彼は二人が駆け落ちしようとするのをさりげなく邪魔する。彼にはある考えがあった。
かたや書記官ベックメッサーはというと、エーファにセレナーデを捧げようと、その夜、夢中で歌う。その歌の記録係を買って出たザックスは、「歌の規則」から逸脱する度に靴底をハンマーで叩いてその誤りを指摘した。』
<第三幕>あらすじ
『翌朝、自らの家にヴァルターを招き入れたザックスは、ヴァルターが見た夢を歌にするように勧め、「歌の規則」に従って一つの歌を完成させる。二人がその場を去った後、そこにベックメッサーが現れて、歌が書かれた紙を見つける。ザックスが戻り、ほしいなら進呈しようと言うと、ザックス作だと勘違いしたベックメッサーは喜んでもらい受ける。
そして、ペグニッツの野原で歌合戦が始まる。親方たちや民衆が集まる中、まずベックメッサーが、ザックスからもらった歌を歌った。しかしそれは他人の作品。「歌の規則」は間違えるし、歌詞もうろ覚えで、大失敗した。このときザックスは、この歌の真の作者としてヴァルターを迎え入れる。ヴァルターはその歌「朝はばら色に輝き」を歌い、民衆を感動させ、優勝した。
ヴァルターは、エーファとの結婚を実現させたが、彼女の父ポーグナーから親方(マイスタージンガー)の称号を譲ろうと言われたのを拒否しする。しかし、ザックスは彼に伝統芸術を継承する大切さを説いた。人々はザックスの徳を讃えたのであった。』要約

作品:
彼は生涯にわたって4,000曲以上のマイスター歌(Meisterlieder)や、2000以上の詩、劇、散文など生涯6000以上の作品を残した。「The Mediator」、「Why Art Thou Thus Cast Down, My Heart?」、「A Fair Melody: To Be Sung By Good Christians」、「Das Schlauraffen Landt.」
「ヴィッテンベルクの鶯Die wittenbergisch Nachtigall」(1523年)
「司教座参事会員と靴屋の対話」(1524年)
「教皇の奇妙な予言を解く」(1527年:オジアンダーとの共著)
「フュンジングの馬泥棒Der Roßdieb zu Fünsing」
・ハンス・ザックスの謝肉祭の劇では、フュンジンゲンの住民はシルダの愚か者のように振る舞う。彼らは馬泥棒を捕らえ、絞首刑に処そうとする。しかし、処刑には大勢の見物人が集まり、トウモロコシ畑を踏み荒らしてしまうだろう。畑は村の有力者2人の所有であるため、処刑は収穫後まで延期される。村の費用で泥棒を養わなくて済むように、彼は名誉にかけて釈放される。
「フュンジングの農民Die Fünsinger Bauern」
「ニュルンベルク市を讃える詩(1530年)」
自伝詩「わが詩集のすべて」(1567年)

2. その他


ハンス・ザックスを題材とした作品にワグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」やアルベルト・ロルツィング(1840年作)の歌劇「ハンス・ザックス」などがある

3. 初演

4. 関連動画


⬇ youtube「ヴィッテンベルクの鶯Die wittenbergisch Nachtigall」