IWY. 40 ジュリオ・カッチーニ

1551年「イタリア、ルネサンスの作曲家・歌手・教師」
ジュリオ・カッチーニGiulio Caccini(1545-1618)
1551年10月8日ローマ近郊ティヴォリ生れ
1618年12月10日フィレンツェで没
ルネサンス末期からバロック初期にかけて活躍したイタリアの作曲家、教師、歌手、器楽奏者、作家。彼はオペラというジャンルの創始者の一人であり、新しいバロック様式を築き上げた最も影響力のある人物の一人でもあった。カッチーニの功績は、話し言葉のように理解しやすい直接的な音楽表現を生み出したことにある。stile recitativo(朗唱様式)」と呼ばれたこの新しいモノディ様式は、フィレンツェのみならずイタリア各地で人気を博した。16世紀末のヨーロッパにおいて、フィレンツェとヴェネツィアは最も先進的な音楽の拠点であり、両地の音楽的革新が融合した結果、後にバロック様式として知られるようになる様式が発展した。この表現様式は、後に歌劇におけるレチタティーヴォへと発展し、バロック音楽の他の数多くの様式的・テクスチュア的要素にも影響を及ぼした。
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彼の初期の経歴についてはあまり知られていないが、大工のミケランジェロ・カッチーニMichelangelo Cacciniの息子であったと考えられている。彼は、フィレンツェの彫刻家ジョヴァンニ・カッチーニの兄にあたる。ローマではリュート、ヴィオール、ハープを学び、歌手としての名声を高め始めた。1560年初頭にメディチ家のフィレンツェ公コジモ一世がその才能に深く感銘を受け、さらなる研鑽を積ませるために、若きカッチーニをフィレンツェに伴われシピオーネ・デッラ・パラに歌とリュートそして対位法をしっかり学んだ。
1564年フィレンツェ公宮廷音楽家、歌手となった。おそらく1654-79年の間はローマ、フェラーラ、パリ間を広く旅をしたと思われる。
・16世紀の最後の20年間、カッチーニは歌手、教師、そして作曲家として活動を続けた。彼は、モンテヴェルディの最初のオペラ「オルフェオ」の初演で歌ったカストラートのジョヴァンニ・グアルベルト・マーリをはじめ、数多くの音楽家に新しい様式での歌唱法を指導しており、教師としての彼の影響力は、おそらく過小評価されてきたと言える。
1579年までに、カッチーニはメディチ家の宮廷で歌っていた。テノール歌手であった彼は、ヴィオールやアルキリュートを自ら演奏して伴奏することもできた。彼は結婚式や国家的な行事など様々な催しで歌ったほか、当時の豪華な「インテルメディオ」――オペラの先駆けの一つとなった、音楽・演劇・視覚的演出を融合させた壮麗なスペクタクル――にも参加していた。
1589年フェルディナンド一世とクリスティーナとの結婚式のために最初の作曲、幕間劇「秋の月」を委託された。
カッチーニは1592年にもバルディ伯爵の秘書としてローマを訪れている。
・16世紀末の20年間、カッチーニは歌手、教師、作曲家として活動を続けた。彼は主に和音楽器伴奏のモノディやソロ歌曲 の作曲家であり(彼自身はハープを演奏した)、この分野で絶大な名声を得た。
・バチカンのサンピエトロ大聖堂のアカペラ・ジュリア合唱団の隊員となりここで合唱指揮者ジョヴァンニ・アニムッチアに歌とリュートを学んだと考えられる。
1600年歌劇「エウリディーチェ」と「チェファロの強奪」を作曲した。
1602年教則本曲集「新しい音楽」発表した。
1604年年フィレンツェに定住する。
1605年以降、カッチーニの影響力は低下したが、彼はその後も宗教的なポリコーラル(多重合唱)音楽の作曲や演奏に携わり続けた。
1614年教則本曲集「新しい音楽と奏法」発表した。
1618年12月10日フィレンツェで死去し、サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会に埋葬された。
作品
カッチーニの最も影響力のある作品は、1602年に出版されたLe nuove musiche(新しい音楽)と題する、独唱と通奏低音のためのモノディ(単旋律歌曲)および歌曲の曲集である。彼は、曲集の序文の中でこの様式について述べる際、自らをその創始者として明確に位置づけている。彼は次のように記している。『このように、私が述べたように、そのような音楽や音楽家は、心地よい音が与える以上の喜びをもたらさない――聴覚にのみ影響を与えるものであり、言葉が理解されなければ心を動かすことはできない――ことを悟った私は、音色でほとんど話せるような音楽を導入することを思いついた。その音楽では(私が別のところで述べたように)、ある種の崇高な歌唱の怠慢を用い、時には低音を維持しながら複数の不協和音を通過する(ただし、通常の方法で楽器の内声部を演奏して何らかの効果を表現したい場合を除く――内声部はそれ以外の価値はほとんどない)。』
エウリディーチェEuridice(1600年)、チェファロの強奪Il rapimento di Cefalo(1600年)、エウリディーチェ(第2作)Euridice(1602年)
歌曲「麗しのアマリリ」、「アヴェ・マリア」、、「甘いため息」、「幸せな小鳥よ」、「フィッリは空を見上げ」、「翼を持つ愛の神よ」、「帰っておくれ、私の愛しい人よ」
曲集・教則本「新しい音楽Le Nuove Musiche」(1601年)
曲集・教則本「新しい音楽と新しい書法Nuove Musiche e nuova maniera di scriverle」(1614年)
「Ave Maria」

「Amarilli mia bella麗しのアマリッリ」

「Dolcissimo sospiro甘いため息」

「Amor, io parto愛の神よ、私は立ち去ります」

「Torna, deh tornaああ 戻り来れ」

「Nella Anfusoアンフソにて」

「Vedro ‘l mio sol私は私の太陽を見るだろう」

「Vaga su spina ascosa隠されたとげを持つ美しさ」

「Amor ch’attendi愛の神よ何を待っているのですか」

歌劇「L’Euridiceエウリディーチェ」

参考文献:Wikipedia