小澤征爾物語 シリーズ-13‐1964年演奏会記録
1964年(昭和39年)29歳
【楽歴】
【活動記録】
・1月7日トロント交響楽団客演指揮
(小澤征爾は1965年9月から1969年6月まで同管弦楽団の4代目音楽監督を務めた間、230回のコンサートを指揮した。カナダ、米国、極東でオーケストラをツアーを行い、1968年にはメシアンの《トゥーランガリラ》を録音した。征爾は1970年から1996年まで客演指揮者としてトロント交響楽団に戻り、マッセイホール、オンタリオプレイス、ロイトムソンホールで22回のコンサートを指揮した。)
『若い指揮者がステージに登場したとき、その若さ、内気さ、そして華奢な体格に圧倒された。そして指揮台に上がり、魔法をかけた。バレエダンサーのような優雅さと、詩情と精密さを融合させたスティック奏法を持つ若者がそこにいた。そして、そこには熱気があった。TSO の音楽家たちは、何年も見せていなかったエネルギーと熱意で応えた。プロコフィエフとチャイコフスキーのどちらも、由緒あるマッシー ホールを揺さぶる興奮を生み出した。
こんなに活気に満ちた音楽作りを見るのはワクワクしました。小澤はトロントで旋風を巻き起こし、数か月後には爽快な幻想交響曲で第一印象を固めました。ほぼすぐに、彼はトロント交響楽団の音楽監督に就任しました。これが彼にとって初めてのオーケストラです。その後2年間、私は自分の仕事でトロントを離れるまで、できる限り小澤のコンサートに通いました。しかし、私は彼が年月とともに成長していくのを見るのが楽しく、できる限り彼のコンサートやオペラ公演を観るようにしていました。』
『1月半ば、夜遅くニューヨークから羽田に着き、川崎のおやじの家で数時間コタツで眠り、次の朝早く成城中学時代の恩師今井信雄先生と新宿で落合い、信州上諏訪まで1泊旅行した。今井先生にすすめられてこの夜、アマチュアオーケストラ、諏訪交響楽団を指揮することになっていた。会場にかけつけると、もう練習をやっていた。紹介され、ぼくはステージに立って《第五》の練習に入った。楽員は老若男女ごちゃまぜで、長野市その他からの応援も加えて50人くらいはいたろう。技術的には難があったが、その熱っぽい音楽への情熱にひきつけられて、ぼくもつい夢中になっちまった。2時間の予定が5時間にものびて、全員くたくたわずか1時間の休憩をおいて、すぐ演奏会に入ったわけだから、アメリカから飛んできて時差にやられているぼくなどは、口もきけんほどくたびれはてた。その熱っぽい音楽夜、ぼくは宿てうまい日本酒をのみなから、素人とやったこの音楽に大きな満足感を枝にことについて考えてみた。』
・2月日本フィル楽団参与に就任
・4月24日日本フィル 第83回東京定期演奏会を指揮
・5月15日日本フィル 第84回東京定期演奏会を指揮
・6月16日ー8月ラヴィニア音楽祭 初代音楽監督として指揮
音楽監督として音楽祭を成功に収め、征爾の名声は全米に知れ渡った
『僕は64年6月、ラヴィニア音楽祭の音楽監督に就任した。最初の年は指揮するたび、地元の有力紙「シカゴ・トリビューン」が僕のことを徹底的にやっつけた。「ラドキンはどうしてこんなのを雇ったのか」「シカゴ響のような偉大なオーケストラがなぜこんな指揮者の下で演奏しなければならないのか」。
中には人種差別めいた批評もあって、頭に来た。
その夏の最後の音楽会。演奏が終わり、舞台袖に下がった後、客席からの拍手で呼び戻された。舞台に出ていくと、トロンボーンも、ティンパニも、トランペットも、弦楽器もてんでばらばら、めちゃくちゃな音を鳴らし始める。何が何だか分からない。「シャワー」といって、僕への祝福だった。
「シカゴ・トリビューン」への抗議を込めたものらしい、と後で分かった。オーケストラが精いっぱい僕に味方してくれたのだ。「シャワー」を経験したのは生涯で後にも先にもこの1度きりだ。その年から69年まで、僕は毎夏ラヴィニアで指揮することになる。』
・シカゴ交響楽団とRCAレーベル、EMIレーベルに複数の録音
・8月4-6日ニューヨーク・フィルを指揮
・8月15-16日ボストン交響楽団を指揮してタングルウッドデビュー
・9月8日日本フィル第88回東京定期演奏会指揮
・9月-1965年4月
バーンスタインの長期休暇によりニューヨーク・フィルの指揮者を務める
・10月8日-11月28日日本フィル第1回北米公演に現地で合流し指揮
リンカーン・センター(ニューヨーク)をはじめ、31都市で34公演のうち征爾が5公演を指揮した。
渡邉曉雄、奥田道昭、江藤俊哉のほか、アイザック・スターンも出演。「ニューヨーク・タイムズ」は『世界に通じる専門家のグル一プ』と絶賛さる大成功を収めた。
のちに、征爾は日本フィルの(1968年8月19日-1972年6月)ミュージカル・アドバイザー兼首席指揮者として創設期の日本フィルに貢献する
・12月22,23,24日日本フィルを指揮
ベートーヴェン《交響曲第九番》中沢 桂,木村宏子,宮原卓也,中山悌一と共演
【演奏会記録】
1月7日トロント交響楽団デビュー
武満徹《弦楽のためのレクイエム》
プロコフィエフ《交響曲第5番》
チャイコフスキー《交響曲第5番》
征爾はトロント交響楽団客演指揮
2月日本フィル 楽団参与に就任
4月24日 日本フィル 第83回東京定期演奏会
モーツァルト《交響曲第41番 》「ジュピター」
武満 徹《弦楽のためのレクイエム》
チャイコフスキー《交響曲第5番》
小澤征爾 日本フィル
東京文化会館
5月15日 日本フィル 第84回東京定期演奏会
チャイコフスキーの幻想曲《フランチェスカ・ダ・リミニ》ほか
小澤征爾 日本フィル
東京文化会館
6月16日-8月1日〈ラヴィニア音楽祭〉
音楽監督としての初コンサート
ベートーヴェン《エグモント》序曲
バーバー《ピアノ協奏曲》
ジョン・ブラウニング(ピアノ)
ベルリオーズの《幻想交響曲》
小澤征爾 シカゴ交響楽団
6月18日〈ラヴィニア音楽祭〉
プーランク《グロリア》
バーバラ・ギャリソン(ソプラノ)
ハーバード・グリークラブラドクリフ合唱団
エリオット・フォーブス(合唱指揮)
フォーレ《レクイエム》
バーバラ・ギャリソン(ソプラノ)
ハワード・ネルソン(バリトン)
ハーバード・グリークラブラドクリフ合唱団
エリオット・フォーブス(合唱指揮)
小澤征爾 シカゴ交響楽団
6月30日〈ラヴィニア音楽祭〉
ヒンデミット《画家マティス》
シベリウス《ヴァイオリン協奏曲》
ルッジェーロ・リッチ(ヴァイオリン》
ムソルグスキー《展覧会の絵》(ラヴェル編)
小澤征爾 シカゴ交響楽団
7月7日〈ラヴィニア音楽祭〉
モーツァルト《後宮からの誘拐》序曲
ベートーヴェン《ピアノ協奏曲第五番》「皇帝」
ニール・オドアン(ピアノ)
グルック《アルチェステ》「不滅の神々よ、私は求めず」
ドローレス・アン・ホワイト(メゾ・ソプラノ)
トマム 《ミニヨン》「Elle est la pres de lui」
ドローレス・アン・ホワイト(メゾ・ソプラノ)
ロッシーニ《チェネレントラ》「Non più mesta」
ドローレス・アン・ホワイト(メゾ・ソプラノ)
リスト《ピアノ協奏曲第1番》
マイケル・ロジャース、ピアノ
小澤征爾 シカゴ交響楽団
7月21日〈ラヴィニア音楽祭〉
ビゼー《交響曲第1番》
ラヴェル《道化師の朝の歌》
モーツァルト《オーボエ協奏曲》
レイ・スティル(オーボエ)
チャイコフスキー《フランチェスカ ・ダ・リミニ》
小澤征爾 シカゴ交響楽団
7月25日〈ラヴィニア音楽祭〉
ウイリアム・シューマン《アメリカ音楽祭》序曲
アイヴス《宵闇のセントラル》
ストラヴィンスキー《ヴァイオリン協奏曲》
ポール・マカノヴィツキー(ヴァイオリン)
フランク《交響曲ニ短調》
小澤征爾 シカゴ交響楽団
7月28日〈ラヴィニア音楽祭〉
ウェーバー《エウリアンテ》序曲
チャイコフスキー《ヴァイオリン協奏曲》
ポール・マカノヴィツキー(ヴァイオリン)
ブラームス《交響曲第1番》
小澤征爾 シカゴ交響楽団
8月1日〈ラヴィニア音楽祭〉
バーンスタイン《キャンディード》序曲
モーツァルト《ピアノ協奏曲第23番》
レオン・フライシャ(ピアノ)
チャイコフスキー《交響曲第5番》
小澤征爾 シカゴ交響楽団
8月4日
ウイリアム・シューマン《アメリカ祝典序曲》
ベートーヴェン《ピアノ協奏曲第五番》「皇帝」
チャイコフスキー《交響曲第五番》
レオン・フライシャー(ピアノ)
小澤征爾 ニューヨーク・フィル
ルイソーン・スタジアム、マンハッタン、ニューヨーク
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8月5日
小山清茂:交響詩《木挽歌》
バーンスタイン:映画「波止場」から交響組曲
ドボルジャーク《交響曲第九番》「新世界」
小澤征爾 ニューヨーク・フィル
ルイソーン・スタジアム、マンハッタン、ニューヨーク
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8月6日
ストラヴィンスキー《サーカス・ポルカ》
カミーユ・サン=サーンス《ピアノ協奏曲第五番》
江戸京子(ピアノ)
メンデルスゾーン《ヴァイオリン協奏曲》
ハイメ・ラレード(ヴァイオリン)
レスピーギ《ローマの松》
小澤征爾 ニューヨーク・フィル
ルイソーン・スタジアム、マンハッタン、ニューヨーク
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8月15日 ボストン交響楽団指揮デビュー
ビゼー《交響曲第一番》 ハ長調
ヒンデミット《交響曲画家のマティス》
ムソルグスキー《展覧会の絵》
小澤征爾 ボストン交響楽団
タングルウッド – シェッド レノックス
8月16日
ビゼー《ハ長調交響曲》
ヒンデミット《画家マティス》
ムソルグスキー《展覧会の絵》
小澤征爾 ボストン交響楽団
タングルウッド
(征爾は1965年、1966年、1967年の夏のシーズン中に再出演を果たした。)
9月8日 日本フィル 第88回東京定期演奏会
ベルリオーズの序曲《ローマの謝肉祭》
ショーソン《詩曲》
サン=サーンス《序奏とロンド・カプリチオーソ》
石井志都子(Vn.)
フランク《交響曲 ニ短調》
小澤征爾 日本フィル
東京文化会館
9月から1965年4月の間ニューヨークフィル指揮者を依頼され、バーンスタインの長期休暇によるニューヨーク・フィルの指揮者を務めた
10月8日-11月28日 日本フィル北米ツアー
リンカーン・センター(ニューヨーク)をはじめ、31都市で34公演のうち征爾が5公演を指揮した。
渡邉曉雄、奥田道昭、江藤俊哉のほか、アイザック・スターンも出演。「ニューヨーク・タイムズ」は『世界に通じる専門家のグル一プ』と絶賛さる大成功を収めた。
のち、征爾は日本フィルの(1968年8月19日-1972年6月)ミュージカル・アドバイザー兼首席指揮者として創設期の日本フィルに貢献する
12月22,23,24日
ベートーヴェン《交響曲第九番》
ソプラノ:中沢 桂
アルト:木村 宏子
テノール:宮原 卓也
バリトン:中山 悌一
合唱:二期会合唱団, 東京混声合唱団
小澤征爾 日本フィルハーモニー交響楽団
↓1964年8月16日
ボストン交響楽団客演指揮デビュー
(Heinz Weissenstein/Whitestone Photos)