小澤征爾物語 シリーズ-22-1973

小澤征爾物語 シリーズ-22-1973
「演奏会記録」

〈1973年(昭和48年)38歳〉

【楽歴】

小澤征爾物語 シリーズ-2 トピックス

【活動記録】
・1月サンフランシスコ交響楽団を指揮
・2月シカゴ交響楽団を指揮
・2月BSOボストン交響楽団を指揮
・2月新日本フィルを指揮
・4-5月サンフランシスコ交響楽団を指揮
・月15日-6月21日<ヨーロッパ・ソ連ツアー>
パリ、ザルツブルク、フィレンツェやヨ―ロ
ッパ各地とサンクトペテルブルク、レニング
ラード、リトニアのビリニュスなどソ連各地
にて30回の演奏を行い、内12回はソ連での7
週間に渡る公演ツアーであっ
主な曲目は
バルトーク《中国の不思議な役人》組曲
ベルリオーズ《幻想交響曲》
ブラームス《交響曲第4番》
ドビュッシー《海》
プロコフィエフ《ロメオとジュリエット》抜粋
チャイコフスキー《交響曲第4番》ほか
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団
・7-11月ボストン交響楽団を指揮
・9月ボストン交響楽団第13代音楽監督
・10月BSOを指揮してカーネギー・ホールデ
ビュー
・10月ベルリン・フィルを指揮
・11月ベルリン・ドイツオペラ管、日本公演を
指揮
・11-12月サンフランシスコ交響楽団を指揮
・12月桐朋学園オーケストラを指揮
・12月広島原爆資料館東館に母さくらと訪れる
・SF交響楽団合唱団は、小澤の要請により1973
年に設立された。
 ジェレミー・コンスタント氏は、小澤氏は
『この地域全体に国際的な名声をもたらした』
と語る。

〈小澤征爾と武満徹 対談〉
1973年12月17日の夜、新橋の「徳寿」焼肉屋での対談内容は以下
☆小澤 何をしゃべったらいいのかな。言いたいことはいっぱいあるけど……。
ぼくが言うと角が立っちゃうから言えないんですよ。それが最近判ったから、なるべく言わないことにしてるんだ。
☆武満 何でもどんどん言えばいいじゃない。角が立っても……。
☆小澤 いや、めんどくさくってね。あとに尾ひれがつくからね。だから当たりさわりのないことだけをやろうと思ってるんですよ。
☆小澤 だけど今度、NHK新館ホールというのができたでしょう。
NHKというのはぼくらにとって というより日本人にとっては音楽の先駆者であるはずなんだよ。ぼくらの子どものころは、音楽というのはNHKで流れる音楽しかなかったんだから。そうすると、そこでつくるホールというのは音楽をやるホールでなきゃいけないんだけど、それがばかでかいものをつくっちゃって、だれが聞いてもひどいって。
ぼくはあさってそこで「第九」をやるので、そんなにひどくなきゃいいと思っているんだけど。そこにオルガンを入れたって。そのオルガンは世界一でかいくらいでかいオルガンなんだそうだ。それで評判になってるんだ。これはね、ヨーロッパでオルガンの好きな人に聞いたら、それこそ大成金趣味のあらわれだと思うだろう。オルガンなんて、でかけりゃいいというものじゃなくて、響きが、よく響くからいいんだよ。ヨーロッパの人は、ちっちゃな教会にちっちゃなオルガンがあっても、それで楽しいわけだよ。それをばかでかいもの注文して、このオルガンを製作した人は笑いながらつくったと思うよ。日本の成金が、サウジアラビアの王様がキャデラックの特別でかいのに金の板をはめ込んだのと同じなんだよね。車なんて走りゃいいんだし、乗りやすいほうがいいのにね。
☆武満 君は日本を留守にしているわりに、かなりいろいろ知っているということだね。
☆小澤 そういうことを聞いたとき、ぼくはむちゃくちゃだと思ったんですよ。
☆武満 あなたの留守中にN響はいろいろな問題起こして、ぼくは新聞に投書までして、それは投書欄に出たんだけど、ぼくはそんなことでかなり悲しい思いをした。あまりにも改まらないからもう何を言ってもしかたないと思っているのだけれど….。
ぼくらは音楽会場はすごく欲しいですよ。音楽家の立場として。でも、あんなばかげた大ホールができて、しかもオルガンを建物ができると同時に入れ込むなんてばかなことは、ヨーロッパ音楽の歴史始まってたぶん日本が初めてですよ。
たとえばシドニーのオペラハウスでは、オルガンを動かすのは今から七年後ですよ。つまり建物が狂うから安定するまで待つわけです。そういうばかなことを平気でやるのは音楽をばかにしてることだな。だれだって知っていることだろうけどそれを皆が黙っているというのがおかしいんです。
☆小澤 斎藤先生が、広島に何もなかったときに掘っ立て小屋で演奏会をやったらお客さんが大勢来て、とても喜んだ、と自慢して言ってるんじゃないんだ、ふと言われたことなんだ。なにかそこには大事な考えがあるように思うなあ。
ぼくはアメリカに住んだりヨーロッパに住んだりしてるけれども、そのほとんどが資本主義社会なんですが、音楽家も経験豊かにしているわけだが、日本ほどに物質的だけに、音楽が飾りにちょっとくっついているところはないと思います。
☆武満 いまは音楽をほんとうに必要としている時代だと思うんですよ。というよりも、音楽を必要とするような生き方というか、考え方というか、感じ方 簡単に言えば感じ方でもいいと思うけれども、そうした生き方に関しての感じ方というものが。
☆小澤 それはこういうことじゃないですか。ぼくはいつも思うのだけれど、音楽というものは、神様が人間にあたえたものの中でいちばんいいものの一ツだと思う。その人間とそれに対する音楽、或いは、人間が耳にする音楽があくまで一対一なんですよ。どんなにマスコミュニケーションが大きくなっても、テレビがどんなに発達しても一対一なんですね。人間が大事だということに戻っていくんですけどね。絵画だって、詩だってそうだと思うんだけど、どんなに、何万冊売った本でも、マスコミニュケーションがでかくなっても、それを読む人の心と書いた人の心が大事で、その心を所有している肉体である人間が大事だとぼくは思うんですけど。音楽会というと、今、日本はそっちじゃないほうが強調されているね。新館ホールにカラヤンが来てやるという話で、それからぼくはいろいろと知ったわけですけども、ぼくのところに来て聞く人は、ヨーロッパのドイツ関係でも、ベルリン・フィル関係でも、日本のジャーナリズムの人も「カラヤンさんはあのホールについて何と言ってた?」というのがいちばん多いのです。カラヤンさんは偉いから、そんな人の悪口は言わない。関係ないからね、カラヤンさんにしてみれば、ぼくだってブラジルにそんなものつくったって関係ないから、ちっとも痛くもかゆくもない。
武満 うん、そうだね。だけど公共団体としてのNHKは国民がみんな関係あるんだからね。ほとんどの人が聴取料払っているのだ。そういう国はあんまりないんだから。せっかくそうやってるんだから、ちゃんとやってくれなければね。
NHKがやれなかったらだれがやるの、他にもいないわけはないはずだけど。少くともNHKは音楽のためにはいちばんいい状況を持っているんだから……。迷惑したのはN響の会員だね。もっといいホールができたらどうするのだろう。それでもNHKホールにしがみついているのかしら、悪い音でも。
ぼくは、しょっちゅういろいろ言っているんだけれども、まあ、言ってもしかたがないという気持がしてきてね……。
☆小澤 でも、言っているほうがいいよ。
この
対談は【音楽現代】1974年4月号掲載された

1973年サンフランシスコ交響楽団合唱団を創設。
その後、楽団の質を高めるために楽員の入れ替えを行おうとした征爾に対し、楽団の楽員委員会が強大な権限を持っていたことからトラブルが起きた。4000km以上離れたボストン交響楽団との掛け持ちであったため計画の変更をした。
後に小澤のサンフランシスコ交響楽団への進歩的な姿勢は、SFS理事会やオーケストラ楽団員の一部との対立を招き、地位を失わせることにもつながった。演奏者委員会は、小澤が選んだ若手非白人演奏家2人、ティンパニ奏者のエレイン・ジョーンズとファゴット奏者の中川亮平の終身在職権を拒否したのだった。
小澤はここでの職を辞し、フルタイムでボストンに転向した後、小澤は客員指揮者としてサンフランシスコに戻り、ゴールデンゲートパークで何時間も上半身裸でシングルスのテニスをプレーした。

・https://www.sfcv.org/articles/music-news/seiji-ozawa-88-mourned-three-continents
1973 年サンフランシスコ交響楽団ヨーロッパ/ソ連ツアー

【演奏会記録】

1月10,12,13日
ハイドン《交響曲第73番》
ベルリオーズ《初の夜》
ジャネット・ベイカー(Ms.)
プロコフィエフ《スキタイ》組曲
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団

1月17,18,19日
ドヴォルジャーク《フス教徒》序曲
シェーンベルク《淨夜》
ラヴェル《ピアノ協奏曲》
ジャン=フィリップ・コラール(ピアノ)
ラヴェル《道化師の朝に歌》
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団

1月24,25,26日
バッハ《ブランデンブルク協奏曲第6番》
David Sheinfeld《タイム・ワープ》世界初演
ブルックナー《交響曲第1番》
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団

1月27日
モーツァルト
ドビュッシー
R・シュトラウス より歌
レオタイン・プライス(S.)
ドビュッシー《海》
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団

2月1,2,3日
ハイドン 《交響曲第60番》
リゲティ《メロディアン》
チャイコフスキー《交響曲第5番》
小澤征爾 シカゴ交響楽団
オーケストラホール シカゴ ミシガン

2月5日
ハイドン 《交響曲第60番》
リゲティ《メロディアン》
チャイコフスキー《交響曲第5番》
小澤征爾 シカゴ交響楽団
パブスト シアター ミルウォーキー

2月8,9,10日
チャールズ・ブーン《ファースト・ランドスケープ》
ブーン ファースト ランドスケープ
ベートーヴェン《ピアノ協奏曲第四番》
ジーナ バッカウアー (ピアノ)
ストラヴィンスキー《火の鳥》
小澤征爾 シカゴ交響楽団
オーケストラ ホール シカゴ ミシガン

2月13日  
ベルリオーズ《ローマの謝肉祭》序曲
モーツァルト《ヴァイオリン協奏曲第4番》
ジョセフ・シルヴァスタイン(ヴァイオリン)
ベルリオーズ《幻想交響曲》
小澤征爾 ボストン交響楽団
シンフォニーホール ボストン

2月15,16,17日 
ベルリオーズ《幻想交響曲》
ベルリオーズ《レリオ》Op.14b
タングルウッド フェスティバル合唱団
デイヴィッド・エヴィッツ(バリトン)
小澤征爾 ボストン交響楽団
シンフォニーホール ボストン

2月18日 
ベルリオーズ《ローマの謝肉祭》序曲
ベートーヴェン《ピアノ協奏曲第四番》
アレクシス・ワイセンベルク(ピアノ)
ハイドン《交響曲第60番》
バルトーク《中国の不思議な役人》組曲
小澤征爾 ボストン交響楽団
シンフォニーホール ボストン

2月23日  
ベートーヴェン《レオノーレ第三番》序曲
モーツァルト《交響曲第41番》「ジュピター」
チャイコフスキー《交響曲第6番》「悲愴」
小澤征爾 新日本フィル
東京文化会館

2月24日 第6回定期演奏会
ベートーヴェン《レオノーレ第三番》「序曲」
モーツァルト《交響曲第41番》「ジュピター」
チャイコフスキー《交響曲第6番》「悲愴」
小澤征爾 新日本フィル
東京文化会館

・新日本フィルを率いて香港音楽祭参加

3月28,29,30日
ハイドン《交響曲第64番》
バーンスタイン《セレナード》
スチュアート・ケイニン(ヴァイオリン)
ラフマニノフ《ピアノ協奏曲第3番》
アレクシス・ワイセンベルク(ピアノ)
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団

4月4,6,7日
ヘンリー・カウエル《シンフォニエッタ》
メシアン《異国の鳥たち》
ピーター・ゼルキン(ピアノ)
バッハ《ピアノ協奏曲第3番》
ピーター・ゼルキン(ピアノ)
レスピーギ《ローマの泉》
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団

4月8日
チャイコフスキー《交響曲第4番》ほか
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団

4月11,12,13日
バルトーク《ヴァイオリン協奏曲第2番》
潮田益子(ヴァイオリン)
ストラヴィンスキー《火の鳥》全曲
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団

4月18,20,21日
ヴェルディ《レクイエム》
マーティナ・アーロヨ(S.)
モーリン・フォレスター(A.)
プラシド・ドミンゴ(T.)
マルッティ・タルヴェラ(Bs.)
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団

4月25,26,27日
ミヨー《プロテウス》組曲第2番
モーツァルト《ヴァイオリン協奏曲第1番》
アイザック・スターン(ヴァイオリン)
プロコフィエフ《ヴァイオリン協奏曲第1番》
アイザック・スターン(ヴァイオリン)
R・シュトラウス《サロメ》より「7つのヴェールの踊り」
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団

5月9,10,11日
ベルリオーズ《ローマノ謝肉祭》序曲
アイヴス《交響曲第4番》
ブラームス《交響曲第2番》
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団

5月15日-6月21日<ヨーロッパ・ソ連ツアー>
パリ、ザルツブルク、フィレンツェやヨ―ロッパ各地とサンクトペテルブルク、レニングラード、リトニアのビリニュスなどソ連各地にて30回の演奏を行い、内12回はソ連での7週間に渡る公演ツアーであった
主な曲目は
バルトーク《中国の不思議な役人》組曲
ベルリオーズ《幻想交響曲》
ブラームス《交響曲第4番》
ドビュッシー《海》
プロコフィエフ《ロメオとジュリエット》抜粋
チャイコフスキー《交響曲第4番》ほか
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団

7月6日  
J・S・バッハ《ブランデンブルク協奏曲第1番》
J・S・バッハ《ヴァイオリン協奏曲第2番》
ジェローム・ローゼン(ヴァイオリン)
ジョセフ・シルヴァスタイン(ヴァイオリン)
メルヒオール・ホフマン《わが魂は誉めたたえ》BWV 189)
ドリオット・アンソニー・ドワイヤー(フルート)
ジュールス・エスキン(チェロ)
J・S・バッハ《 いつわりの世よ、われ汝に頼らず》BWV 52
タングルウッド フェスティバル合唱団
ベニータ・ヴァレンテ(ソプラノ)
小澤征爾 ボストン交響楽団
タングルウッド – シェッド レノックス

7月7,8日   
ハイドンのオラトリオ《天地創造》
タングルウッド合唱団
タングルウッド フェスティバル合唱団
小澤征爾 ボストン交響楽団
タングルウッド – シェッド

7月13日 
モーツァルト《ホルン協奏曲第3番》
チャールズ・カヴァロフスキー(ホルン)
モーツァルト《クラリネット協奏曲》
ハロルド・”バディ”・ライト(クラリネット)
モーツァルト《ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲》
バートン・ファイン(ヴィオラ)
ジョセフ・シルヴァスタイン(ヴァイオリン)
小澤征爾 ボストン交響楽団
タングルウッド – シェッド レノックス

7月14,15日  
G・F・ヘンデル l《協奏曲第12番》
F・J・ハイドン《協奏交響曲》(ヴァイオリン、チェロ、オーボエ、ファゴット)
ジュールス・エスキン(チェロ)
ラルフ・ゴンバーグ(オーボエ)
モーツァルト《交響曲第36番》「リンツ」
小澤征爾 ボストン交響楽団
タングルウッド – シェッド レノックス

7月19日   
R・シュトラウス l《ツァラトゥストラはかく語った》
小澤征爾 / タングルウッド音楽センター管弦楽団
タングルウッド – シアター・コンサートホール レノックス

8月14日  
リスト《ピアノ協奏曲第1番》
R・シュトラウス《ツァラトゥストラはかく語った》
小澤征爾 タングルウッド音楽センター管弦楽団
タングルウッド – シェッド レノックス

8月18日 
ワーグナー《マイスタージンガー》前奏曲
ラフマニノフ《ピアノ協奏曲第2番》
アール・ワイルド(ピアノ)
フランク《ピアノと管弦楽のための交響的変奏曲》
アンドレ・ワッツ(ピアノ)
リスト《死の舞踏(ピアノとオーケストラ)》
アンドレ・ワッツ(ピアノ)
小澤征爾 ボストン交響楽団
タングルウッド – シェッド レノックス

8月19日 
フランク《ピアノと管弦楽のための交響的変奏曲》
アンドレ・ワッツ(ピアノ)
リスト《死の舞踏(ピアノとオーケストラ)》
アンドレ・ワッツ(ピアノ)
チャイコフスキー《交響曲第4番》
小澤征爾 ボストン交響楽団
タングルウッド – シェッド レノックス

8月24日 
ベルリオーズ《幻想交響曲》
ベルリオーズ《レリオ》
ヴィクター・ブラウン(バリトン)
タングルウッド フェスティバル合唱団
小澤征爾 ボストン交響楽団
タングルウッド – シェッド レノックス

8月25,26日 
ヴェルディ《マンゾーニを偲んでのレクイエムミサ》
タングルウッド フェスティバル合唱団
エツィオ・フラジェッロ(バス)
小澤征爾 ボストン交響楽団
タングルウッド – シェッド レノックス

・9月73/74シーズンよりボストン交響楽団第13代指揮者・音楽監督に就任(1973~2002年)
『小澤がボストンに着任したのは、ボストン交響楽団にとって極めて重要な時期だった。彼の前任者であるウィリアム・スタインバーグとエーリッヒ・ラインスドルフは、昔ながらのヨーロッパの指揮者であり、当時期待されていた伝統的なやり方で指揮者としての役割を果たしていた。37歳の小澤は、シーンで最もエキサイティングで才能のある指揮者の一人として認められただけでなく、彼の年齢と文化的背景が、まったく異なる性格の活力とエネルギーをもたらした。』
『クラシック音楽評論家のロイド・シュワルツ氏は、この任命は刺激的で大胆なものだったと語る。
『彼は髪が長く、ビーズ細工とタートルネックを身につけていて、これまで誰も見たことのないボストン交響楽団の指揮者とはまったく似ていなかった」とシュワルツさんは思い出す。彼の前任者であるBSOの指揮者たちはもっと堅苦しい雰囲気だった。彼らはヨーロッパ出身で、ラインスドルフ、スタインバーグ、ムンク、クーセヴィツキーといった名前が並んでいた。小澤は新しい文化的地平を切り開いていたのだ。』

9月27,28日 
ベルリオーズ《ファウストの劫罰》
スチュアート・バロウズ(テノール)
タングルウッド フェスティバル合唱団
小澤征爾 ボストン交響楽団
シンフォニーホール ボストン

9月29日 
ベルリオーズ《ファウストの劫罰》
タングルウッド フェスティバル合唱団
エディス・マティス(ソプラノ)
小澤征爾 ボストン交響楽団
シンフォニーホール ボストン

10月4,5,6日 
ベートーヴェン《ピアノ協奏曲第五番》「皇帝」
クリストフ・エッシェンバッハ(ピアノ)
リゲティ《管弦楽のためのメロディアン》
ブラームス《交響曲第1番》
小澤征爾 ボストン交響楽団
シンフォニーホール ボストン

10月9日 
ベルリオーズ《ファウストの劫罰》
タングルウッド フェスティバル合唱団
エディス・マティス(ソプラノ)
小澤征爾 ボストン交響楽団
シンフォニーホール ボストン

10月10日 
ベルリオーズ《ファウストの劫罰》
スチュアート・バロウズ(テノール)
タングルウッド フェスティバル合唱団
小澤征爾 ボストン交響楽団
カーネギーホール ニューヨーク
・《ファウストの劫罰》はドイツ・グラモフォンに録音されており、小澤征爾にとって音楽監督としての初録音であり、初のグラミー賞ノミネートとなった。

10月11日 
ベートーヴェン《ピアノ協奏曲第五番》「皇帝」
クリストフ・エッシェンバッハ(ピアノ)
リゲティ《管弦楽のためのメロディアン》
ブラームス《交響曲第1番》
小澤征爾 ボストン交響楽団
アカデミー・オブ・ミュージック、 ブルックリン

10月12日 カーネギー・ホール デビュー
ベルリオーズ《ファウストの劫罰》
スチュアート・バロウズ(テノール)
タングルウッド フェスティバル合唱団
小澤征爾 ボストン交響楽団
カーネギーホール ニューヨーク

10月13日 
ベートーヴェン《ピアノ協奏曲第五番》「皇帝」
クリストフ・エッシェンバッハ(ピアノ)
ジェルジ・リゲティ《管弦楽のためのメロディアン》
ブラームス《交響曲第1番》
小澤征爾 ボストン交響楽団
カーネギーホール ニューヨーク

10月17,18日
ハイドン《交響曲第73番》
石井眞木《ポラリテーテン》第二版初演
鶴田錦史(琵琶)
篠崎史子(ハープ)
横山勝也(尺八)
ジェームs・ゴールウェイ(フルート)
ラヴェル《ダフニスとクロエ》全曲
ベルリン聖ヘトヴィヒ教会合唱団
アントン・リッペ(合唱指揮)
小澤征爾 ベルリンフィルハーモニー
ベルリン フィルハーモニーザール

11月1日  
ラフマニノフ《交響曲第3番》
ギュンター・シュラー《ストラヴァガンテ奇想曲》
ドビュッシー 《海:3つの交響的スケッチ》
小澤征爾 ボストン交響楽団
退役軍人会員、 米国ロードアイランド州プロビデンス

11月2日 
ラフマニノフ《交響曲第3番》
ギュンター・シュラー《ストラヴァガンテ奇想曲》
ドビュッシー《海:3つの交響的スケッチ》
小澤征爾 ボストン交響楽団
シンフォニーホール ボストン

11月3,5,6日 
ラフマニノフ《交響曲第3番》
ギュンター・シュラー《ストラヴァガンテ奇想曲》
ドビュッシー《海:3つの交響的スケッチ》
小澤征爾 ボストン交響楽団
シンフォニーホール ボストン

11月8日 
シェーンベルク《ヴァイオリン協奏曲》
ジョセフ・シルヴァスタイン(ヴァイオリン)
チャイコフスキー《交響曲第6番》「悲愴」
小澤征爾 ボストン交響楽団
シンフォニーホール ボストン

11月9日〈オーケストラとは何ですか?〉
ベルリオーズ《ファウストの劫罰》から
第1幕: (3) ハンガリー行進曲
小澤征爾 ボストン交響楽団
シンフォニーホール ボストン

11月9日 
シェーンベルク《ヴァイオリン協奏曲》
ジョセフ・シルヴァスタイン(ヴァイオリン)
チャイコフスキー《交響曲第6番》「悲愴」
小澤征爾 ボストン交響楽団
シンフォニーホール ボストン

11月10,12,13日 
シェーンベルク《ヴァイオリン協奏曲》
ジョセフ・シルヴァスタイン(ヴァイオリン)
チャイコフスキー《交響曲第6番》「悲愴」
小澤征爾 ボストン交響楽団
シンフォニーホール ボストン

11月14日 
ラフマニノフ《交響曲第3番》
ギュンター・シュラー《ストラヴァガンテ奇想曲》
ドビュッシー《海:3つの交響的スケッチ》
小澤征爾 ボストン交響楽団
ハンターカレッジ、ニューヨーク

11月16日  
ラフマニノフ《交響曲第3番》
ギュンター・シュラー《ストラヴァガンテ奇想曲》
ドビュッシー《海:3つの交響的スケッチ》
小澤征爾 ボストン交響楽団
ハンターカレッジ、ニューヨーク

11月18日 
武満徹《弦楽のためのレクイエム》
ビゼー《交響曲第一番》ハ長調
ブラームス《交響曲第ニ番》ニ長調
小澤征爾 ベルリン・ドイツオペラ管弦楽団
日生劇場 

11月28,29,30日12月1日
メンデルスゾーン《真夏の夜の夢》付随音楽
シェーンベルク《新しい詩篇》
ヤナーチェク《シンフォニエッタ》
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団