小澤征爾物語 シリーズ-21-1972年
「演奏会記録」
〈1972年(昭和47年)37歳〉
【楽歴】
【活動記録】
・1月サンフランシスコ交響楽団を指揮
・2-3月日本フィルを指揮
・3-6月サンフランシスコ交響楽団を指揮
・6月日本フィル ラストコンサートを指揮
・6月日本フィル解散楽員全員解雇となる
・6-8月ボストン交響楽団を指揮
・7月新日本フィルを山本直純と創立
・7月新日本フイル第一回定期演奏会を指揮
・9月新日本フィルを指揮
・10月「オーケストラがやって来た」に出演
・ベルリン・フィルを指揮
・11-12月サンフランシスコ交響楽団を指揮
・12月新日本フィルを指揮
・日本芸術院賞授賞
・<日本フィル解散と新日本フィル創立まで
の経緯>は巻末に記載。
【演奏会記録】
1月5,6,7日
クセナキス《シナファイ》
高橋悠治(ピアノ)
ブルッフ《ヴァイオリン協奏曲第1番》
メニューイン(ヴァイオリン)
ブラームス《交響曲第4番》
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団
1月12,14,15日
モーツァルト《交響曲第32番》
モーツァルト《ヴァイオリン協奏曲第5番》
スチュアート・ケイニン(ヴァイオリン)
マーラー《子供の不思議な角笛》
ジャネット・ベイカー(Ms.)
ジョン・シャーリー=カーク(Br.)
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団
1月19,20,21日
ロジャー・セッションズ《交響曲第8番》
モーツァルト《ピアノ協奏曲第21番》
クリストフ・エッシェンバッハ(ピアノ)
石井眞木《遭遇Ⅱ》
スクリャービン《法悦の詩》
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団
2月小澤征爾はボストン交響楽団の1972-73シーズンの音楽顧問に任命された。
・ベイエリア出身のエリザベス・ベイカーは述べている。『1972年、私の母バージニア・ベイカーがSFSの第2アシスタントコンサートマスターに採用されたとき、セイジは音楽監督でした。彼女は、大手オーケストラに役職に就いた最初の女性の一人だったのです。性別ではなく資格を考慮してくれたセイジに感謝します。』
2月28日 日本フィル<第235回定期演奏会
モーツァルト《セレナード第10番》
ベルリオーズ《テ・デウム》(日本初演)
宮本正(T.)
酒井多賀志(オルガン)
日本プロ合唱連合
東京放送児童合唱団
小澤征爾 日本フィル
東京文化会館
3月6日 日本フィル第236回定期演奏会
ハイドン《交響曲第47番》(日本初演)
ハイドン《チェロ協奏曲第1番》
ピエール・フルニエ(チェロ)
チャイコフスキー《ロココ風の主題による変奏曲》
バルトーク《中国の不思議な役人》組曲
小澤征爾 日本フィル
東京文化会館
3月8,10,11日
ブラームス《セレナーデ第2番》
シャインフェルド《交響楽団のためのコンフロンティションズ》
ドビュッシー《牧人の午後への前奏曲》
バルトーク《ピアノ協奏曲第3番》
フィリップ・アントルモン(ピアノ)
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団
3月22,23,24日
ハイドン《交響曲変ロ長調》
シェーンベルク《5つの小品》
チャイコフスキー《交響曲第6番》「悲愴」
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団
3月29,30,31日4月1日
ベルリオーズ《レクイエム》
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団
4月5,6,7日
ハイドン《交響曲第60番》
ベルク《ルル》組曲
チャイコフスキー《ヴァイオリン協奏曲》
アイザック・スターン(ヴァイオリン)
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団
5月10,11,12日
バルトーク《弦楽器,打楽器,チェレスタのための音楽》
ラヴェル《ダフニスとクロエ》全曲
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団
5月17,18,19日
リゲティ《メロディ》
ベートーヴェン《ピアノ協奏曲第一番》
ギャリック・オールソン(ピアノ)
サン=サーンス《交響曲第3番》
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団
5月24,25日
ベルリオーズ《ロメオとジュリエット》
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団
6月6日 日本フィル第242回定期演奏会
ベルリオーズ《ロメオとジュリエット》
荒 道子(A.)
鈴木寛一(T.)
高橋修一(Br.)
日本プロ合唱団連合
小澤征爾 日本フィル
東京文化会館
6月16日 日本フィル第243回定期演奏会
マーラー《交響曲第ニ番》「復活」
小池容子(Ms.)
荒 道子(A.)
日本プロ合唱団連合
東京文化会館
・フジ・サンケイグループからの日本フィルハーモニー交響楽団解散と楽員解雇のため、日本フィルハーモニー交響楽団解散のため東京では、ラストコンサートとなった
6月21日
<クペリティーノでの特別演奏会>
ベルリオーズ《ロメオとジュリエット》より「愛の情景」
チャイコフスキー《ロメオとジュリエット》幻想序曲」
プロコフィエフ《ロメオとジュリエット》抜粋
バーンスタイン《ウエスト・サイド・ストーリー》より「シンフォニック・ダンス」
ウィリアム・ルッソ《ブルース・バンドとオーケストラのための3つの小品》
ジェフリー・シーゲル(ピアノ)
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団
6月30日
バッハ 《ブランデンブルク協奏曲第2番》
ドリオット・アンソニー・ドワイヤー…(フルート)
アルマンド・ギタラ(トランペット)
バッハ 《ブランデンブルク協奏曲第5番》
ドリオット・アンソニー・ドワイヤー(フルート)
ロバート・D・レヴィン(ピアノ)
バッハ 《管弦楽組曲第2番》
ドリオット・アンソニー・ドワイヤー(フルート)
バッハ 《カンタータ第191番》「神の栄光」
フィリス・カーティン(ソプラノ)
タングルウッド フェスティバル合唱団
小澤征爾 ボストン交響楽団
タングルウッド – シェッド レノックス
7月1日 新日本フィルを創立。
斉藤秀雄、小澤征爾、山本直純、手塚幸紀や労組に加わらず旧日本フィルを脱退した楽団員が参加して創立。指揮者団には斎藤秀雄(顧問)、小沢征爾(首席)、山本直純(団幹事)、手塚幸紀の顔ぶれとなった。
7月1-2日
ハイドン《四季》
タングルウッド フェスティバル合唱団
フィリス・カーティン(ソプラノ)
小澤征爾 ボストン交響楽団
タングルウッド – シェッド レノックス
7月7日
モーツァルト《フルートとハープのための協奏曲》
ドリオット・アンソニー・ドワイヤー(フルート)
アン・ホブソン パイロット(ハープ)
モーツァルト《ファゴット協奏曲》
シャーマン・ウォルト(ファゴット)
モーツァルト《セレナーデ第7番》「ハフナー」
ジョセフ・シルヴァスタイン(ヴァイオリン)
小澤征爾 ボストン交響楽団
タングルウッド – シェッド レノックス
7月8-9日
ハイドン《交響曲第60番》
ベートーヴェン《ピアノ協奏曲第三番》
ギャリック・オールソン(ピアノ)
ラヴェル《マザー・グース》組曲
小澤征爾 ボストン交響楽団
タングルウッド – シェッド レノックス
7月13日
マーラー《交響曲第1番》
小澤征爾 小澤征爾 タングルウッド管
タングルウッド – シアター・コンサートホール
7月15日
ベートーヴェン《三重協奏曲》
ジュールス・エスキン(チェロ)
ピーター・ゼルキン(ピアノ)
ベートーヴェン《交響曲第四番》
ベートーヴェン《ピアノ、合唱と管弦楽のための幻想曲》
ピーター・ゼルキン(ピアノ)
小澤征爾 ボストン交響楽団
タングルウッド – シェッド レノックス
7月16日
ベートーヴェン《三重協奏曲》
ジュールス・エスキン(チェロ)
ピーター・ゼルキン(ピアノ)
ベートーヴェン《交響曲第四番》
ベートーヴェン《ピアノ、合唱と管弦楽のための幻想曲》
ピーター・ゼルキン(ピアノ)
タングルウッド フェスティバル合唱団
小澤征爾 ボストン交響楽団
タングルウッド – シェッド レノックス
8月18日
リゲティ《管弦楽のためのメロディアン》
ショパン《ピアノ協奏曲第一番》
アレクシス・ワイセンベルク(ピアノ)
バルトーク《中国の不思議な役人》組曲
小澤征爾 ボストン交響楽団
タングルウッド – シェッド レノックス
8月19-20日
マーラー《交響曲第八番》「1000人の交響曲」
ユーニス・アルバーツ(コントラルト)
ジョン・アレクサンダー(テノール)
小澤征爾 ボストン交響楽団
タングルウッド – シェッド レノックス
9月15日
<新日本フィル結成演奏会>
ベルリオーズ《ローマの謝肉祭》序曲
ラヴェル《マ・メール・ロア》組曲
ベートーヴェン《交響曲第三番》「英雄」
小澤征爾 新日本フィル
東京文化会館
9月22日
<新日本フィル第一回定期演奏会>
ハイドン《交響曲第60番》
ハイドン《協奏交響曲》
ハイドン《チェロ協奏曲》
岩崎 洸(チェロ)
ハイドン《テ・デウム》
日本プロ合唱団連合
小澤征爾/新日本フィル
東京文化会館
10月1日
「オーケストラがやって来た」 に出演
東京文化会館
10月25,26日
アイヴズ《宵闇のセントラルパーク》
バルトーク《ピアノ協奏曲第2番》
クリストフ・エッシェンバッハ(ピアノ)
チャイコフスキー《交響曲第6番》「悲愴」
小澤征爾 ベルリンフィルハーモニー
ベルリン フィルハーモニーザール
11月29,30日12月1,2日
マーラー《交響曲第8番》「一千人の交響曲」
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団を指揮
12月6,7,8日
シューラー《カプリッチョ・ストラヴァガンテ》世界初演
モーツァルト《ヴァイオリン協奏曲第4番》
ピンカス・ズーカーマン(ヴァイオリン)
チャイコフスキー《交響曲第2番》「小ロシア」
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団
12月13,14,15日
ベルリオーズ《キリストの幼時》
小澤征爾 サンフランシスコ交響楽団
12月22日
<新日本フィル第四回定期演奏会>
ハイドン《オラトリオ》
藤本章子(S.)
田中路子(A.)
田原祥一郎(T.)
齋 求(Bs.)
成城合唱団
宗教音楽研究会
小澤征爾/新日本フィルハーモニー交響楽団
東京文化会館
12月27
<日新日本フィル特別演奏会>
ベートーヴェン《交響曲第九番》
曽我栄子(S.)
荘智世恵(A.)
田口興輔(T.)
岡村喬生(Bs.)
日本プロ合唱団
小澤征爾 新日本フィル
東京文化会館
1972年 録音
ストラヴィンスキー《火の鳥》
小沢征爾 パリ管弦楽団
レコーディング(パリ サル・ワグラム)
註:<日本フィルハーモニー交響楽団解散と新日本フィルハーモニ交響楽団創立までの経緯>
・山本直純や首席指揮者小澤征爾等が指揮していた日本フィルハーモニー交響楽団は、1972年3月末を以てフジテレビと文化放送との「雇用契約」を終了することになる。
6月に両社がオーケストラの解散と楽団員の全員解雇を通告をし、財団法人としての日本フィルハーモニー交響楽団は、その年の6月末を以て解散に追い込まれた。
・当時の首席指揮者だった小澤征爾は解散阻止のため昭和天皇への直訴までした。日本フィルは二つに分裂した。組合派の団員はとどまって自主的な演奏活動を行い、解雇を不当として裁判所に訴えた。そうして以後十二年間もの裁判闘争が続いた。
・当時の事を小澤征爾は語る『 新日本フィルを立ち上げるために、今じゃ信じられないけど、ぼくと直純の二人でお金を集めに行ったんです。ない知恵を絞って、佐藤栄作首相のお宅に直接行った。何であんなことやったんだかわからないんだけど、とにかく必死だったんだね。そうしたらなんと会ってくれた。しかもその場で自転車振興会と船舶振興会の両方に電話してくれて、あっという間に両方からお金が出ることが決まった。それが今の日本交響楽振興財団の出発なんです。そういうお金の集めも、彼はうまかった。佐藤さんの前でも、ぼくは何をしゃべっていいかわからないのに、直純は一生懸命しゃべっていて、すごいなと感心しながら見ていました 』。
・一方、ストライキに参加しなかった十数名は山本や征爾と共に新しいオーケストラに参加した。また、山本直純が、征爾に” どうする ”と聞いた時、征爾が” 誰々を押さえてくれ ”と言った、その彼らも団員として新日本に参加した。
・山本は征爾とともに新日本フィルハーモニー交響楽団の設立に走り斉藤秀雄を顧問に、斉藤の指示で山本は指揮者団幹事に、小澤は首席指揮者に就任した。指揮団には斎藤秀雄(顧問)、小澤征爾(首席)、山本直純(幹事)、手塚幸紀がなった。
・山本は語る、『 始めてから三年くらいは、全員が月給五万円だった。みんなでいくつかの仕事をこなしてどうにか食いつないでいたという。その後も山本は、団幹事として新日本フィルの楽団員たちの生活をどう食べさせていくか、四苦八苦していた。とにかくやらねばと、仕事探しに奔走していた。』『 団幹事となったボクは、オーケストラの仕事があまり食えないのに愕然とした。オーケストラはどんなにいっぱいになっても、二千五百人のホールぐらいしか音響効果で使えない。それで入場料が千円だったら二百五十万円。ホールに半分払って百二十五万円。ちょっと大きなオーケストラは百三十人いるから、ひとり一万円の収入にもならない。みんなで、いくつかの仕事をこなしてどうにか食いつないでいた。 』。『 オーケストラの魅力といったものをボクなりに本を書こうと思った。それが「オーケストラがやって来た」という本だ。それと同時にテレビ番組にすることを考え付いた。どんな番組にするかと考え、電電公社の専務理事をされてる遠藤正介(作家の遠藤周作の兄)に相談した。その肝いりで番組が実現した。
・同年10月1日<オーケストラがやって来た>が始まった。会場は東京文化会館。
オープニングで演奏されていたテーマ音楽の原曲は、ヨハン・シュトラウス2世の「常動曲」(無窮動)。曲終盤のホルンが吹かれる箇所に入るとホルンが吹く「ドーミーレーファーミーソーレーー、ソーミーファーレーミードーレーー」のモチーフが番組タイトルのことばのリズムに似ていることから、その箇所に来ると指揮者が客席を向いて歌詞「オーケスートラーがーやーてーきたーー、オーケスートラーがーやーてーきたーー」をステージと客席とで一緒に合唱し番組が開始された。
・山本直純が考えたクラシック音楽を初心者でも楽しんでもらえるように、ユーモアを交えた解説を展開したことで、その後日本中で知られるようになって行った。
番組には数多くの著名な音楽家たちが出演した。演奏は、主に新日本フィルハーモニー交響楽団が行っていた。番組の演出は、TBS出身の映画監督でオペラ演出やクラシック音楽関連のエッセイも多い実相寺昭雄がしばしば担当していた。
11月新日本フィルハーモニ交響楽団<第三回定期演奏会>の指揮は斉藤秀雄に依頼してあったが、教育最優先と言って断り、斉藤秀雄が山本直純に言った”俺が信用できる奴は、今の日本にお前しかいない。最近の指揮ぶりは見ていないが、山本、お前はその気になれば出来る男だ!”と言ったことでナオズミの指揮により行われた。