ビゼー

生没年・出身地・歿地・墓地
ジョルジュ・ビゼー生誕 Georges Bizet

(1838年10月25日パリ生)
(1875年6月3日ブージヴァルで歿)

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1.職業

フランスの作曲家

2.称号

3.経歴

父は声楽教師、母はピアニストの音楽家の家庭に育つ
幼い頃から両親に音楽の基礎を教わる
9才でパリ音楽院に入学しマルモンテルやグノー、アレヴィ等に師事
ソルフェージュ、フーガ、ピアノ、オルガンの部門でプルミエ・プリを受ける
1855年17才で「交響曲第1番」作曲
1857年オッフェンバックの主催するオペレッタ・コンクールに「ミラクル博士」応募し入選、パリのブフ・パリジャンで初演され好評を博す。同年カンタータ「クロヴィスとクロティルト」でローマ大賞受賞
1863年オペラ「真珠とり」作曲
1867年オペラ「美しきバースの娘」初演
1869年恩師アレヴィの娘、ジュヌヴィエーヴと結婚
1871年ピアノ連弾曲「子供の遊び」作曲
1872年戯曲上演のための付随音楽「アルルの女」作曲。11月にその中から4曲を選んで組曲「アルルの女」を発表し好評を博す
1875年3月オペラ「カルメン」パリ・オペラコミックで初演されたが不成功に終わる
ビゼーはその3カ月後6月3日36才の若さで敗血症により急死する。カルメンの成功はその年の10月ウィーン初演においてであった。このときは友人のギローがレチタティーヴォを加えグランド・オペラとしての上演であった
「アルルの女」第2組曲はやはり、親友のギローがビゼーの死後に編曲したもの

4.主な作品

オペラ「ジャミレ」・「イワン雷帝」、交響組曲「ローマ」、演奏会序曲「祖国」、ピアノ連弾曲「子どもの遊び」
合唱曲「デ・テウム」・「ヴァスコ・ダ・ガマ」・「バトモス島のヨハネ」等々

5.その他

6.初演

7.関連動画


Carmen, Vienna Opera, 1978 Carlos Kleiber
 


L’Arlésienne Suite No. 2 / Karajan · Berliner Philharmoniker
 


‘Arlésienne Suite No. 1 & No. 2 – Maazel / Cleveland O.
 


Les pêcheurs de perles- Full Opera with Soprano Cristina Pasaroiu
 


La jolie fille de Perth “Sérénade”; Alain Vanzo
 


La jolie fille de Perth
 


Variations Chromatiques de Concert Glenn Gould
 


TE DEUM
 


Clovis et Clotilde. Montserrat Caballé. 1988. Full cantata.
 

参考文献:「クラシック作曲家辞典」中河原理監修、フェニックス企画編 東京出版堂 「音楽史(音楽講座)」堀内敬三著 音楽之友社 「偉大なる作曲家のためのカルテ」五島雄一郎著 医療ジャーナル社 「wikipedia」 「glennmie.blog.s0-net.ne.jp」 「robortkelloyphd.com」 「dictionary/composer/alkan」 「maucamedus.net/solmization/gawut」 「www.tcat.ne.jp/eden/music」 「www.cadenza-od.com」 「www.coara.or.jp/-doraemon/gagaku/nenpyoz.htm」 「www.gecities.jp/gzgaku.ryuteki」 「www.univesal-music,co.jp」 「maokato.jp/bihoro/bihoro 「homepage3.nifty.com/cio/a-alta」 「www.wagnerdailas.com」 「江戸東京年表」吉原健一郎・大濱徹也編 小学館 「日本史・世界史 同時代比較年表」楠木誠一郎著 朝日新聞出 「音楽文庫・日本音楽史」伊庭孝著 講談社 「tsuzu/asakusaopera-nenpu.html」 「tsuzu/operetta-kafu.html」