ミリイ・バラキレフ

生没年・出身地・歿地・墓地
ミリイ・アレクセエヴィッチ・バラキレフ生誕 Mily Alekseyevich Balakirev (ロシア語: Милий Алексеевич Балакирев)

(1837年1月2日ニジニー・ノヴゴロド生)
(1910年5月29日ペテルブルクで歿)

目次(クリックまたはタップで各項目にジャンプします。)

1.職業

ロシアの作曲家

2.称号

3.経歴

父は下級役人

母から音楽の手ほどきを受ける

10才のときモスクワでドゥブクの夏季講習うを受ける

母が没するとアレクサンドルフスキーの中高等学校に寄宿し音楽の造詣の深いカール・アイスリヒの知遇を受け音楽を楽しむ

1883年カザン大学の聴講生となり数学を勉強、ピアノの演奏も知られるようになる

1855年サンクトペテルブルクに移りグリンカ等に出会い音楽への道を選ぶ

1856年ペテルブルク大学の音楽会で自作のピアノ協奏曲を演奏し成功を収め音楽家としてスタート

1858年に皇帝のまえで演奏する

この頃からムソルグスキー、キュイ、リムスキー・コルサコフ、ボロディンらと親しくなり「ホ人組」が生まれる

1862年無償の音楽院の仕事に携わり六人組の作品の紹介に努める

1866年「ロシア民謡集」刊行

1867年ロシア音楽協会の指揮者就任。2年後内部対立により辞任

1868年から無償の音楽院の校長を務めるが収入なく経済的、精神的に苦しい状態に追い込まれ、鉄道員のバイトをしたり生計を維持する

1883~94年宮廷礼拝堂の作曲家に任命され生活も安定する

1894年から年金を受給し作曲に専念

4.主な作品

ピアノ曲「イスラメイ」、交響曲2曲、交響詩2曲

5.その他

6.初演

7.関連動画


Islamey Vladimir Horowitz
 


Islamey Valentina Lisitsa
 


Islamey Berezovsky
 


Symphony No.1 in C-major
 


Symphony No.2 in D-minor
 


Nocturnes no. 1, 2 and 3
 


Tamara, symphonic poem
 


Russia, symphonic poem
 


Toccata in C-sharp minor
 


In Bohemia, Symphonic poem
 

参考文献:「クラシック作曲家辞典」中河原理監修、フェニックス企画編 東京出版堂 「音楽史(音楽講座)」堀内敬三著 音楽之友社 「偉大なる作曲家のためのカルテ」五島雄一郎著 医療ジャーナル社 「wikipedia」 「glennmie.blog.s0-net.ne.jp」 「robortkelloyphd.com」 「dictionary/composer/alkan」 「maucamedus.net/solmization/gawut」 「www.tcat.ne.jp/eden/music」 「www.cadenza-od.com」 「www.coara.or.jp/-doraemon/gagaku/nenpyoz.htm」 「www.gecities.jp/gzgaku.ryuteki」 「www.univesal-music,co.jp」 「maokato.jp/bihoro/bihoro 「homepage3.nifty.com/cio/a-alta」 「www.wagnerdailas.com」 「江戸東京年表」吉原健一郎・大濱徹也編 小学館 「日本史・世界史 同時代比較年表」楠木誠一郎著 朝日新聞出 「音楽文庫・日本音楽史」伊庭孝著 講談社 「tsuzu/asakusaopera-nenpu.html」 「tsuzu/operetta-kafu.html」