アンドレ・コステラネッツ生誕
KOSTELANETZ, André
本名
アブラム・ナウモヴィチ・コステリャネ
生没年・出身地・歿地・墓地
(1901年12月22日サンクトペテルブルク生)
(1980年1月13日ハイチ、ポルトープリンスで没)
1.職業
ロシアの指揮者・編曲家
2.称号
3.経歴
父ナックマン・ヨケレビッチ・コステラネッツはサンクトペテルブルク証券取引所の会員。母の祖父アイザック・エヴェルヴィチ・ドイムシツは裕福な木材商。両親はユダヤ人で裕福で高い教養を身に着け、政治には無関心な不動産商。
アンドレに後継を期待。音楽を勉強し音楽家になることは認められていない家庭に育つ
1917年ロシアの政治情勢が不安定になり、母は15歳のアンドレ・コステラネッツを残し安全のため子供を連れコーカサス地方キススロヴァツクに疎開。10月にポリシェヴィキが権力を握ると父もヘルシンキに空路脱出し、アンドレ・コストラネッツ一人残ることになる。学校は閉鎖され友人や親戚等の世話になり個人的に音楽の勉強を続ける
1918年キスロヴォツクの母たちがお金を使い果たしたこともあり母の元に行く。生活のためオペラ座のリハーサルピアニストの職を得て1年半を過ごす
1920年7月アレクサンドル・グラズノフの試験を受けサンクトペテルブルク音楽院に入学する
1922年1月まで学ぶ、その間生活費を稼ぐため、オペラのピアニストや指揮者助手を勤める
1922年一家は渡米しニューヨークへ。歌の指導、スタジオの伴奏ピアニストの職を得る。メトロポリタン歌劇場からリハーサルピアニストの誘いがあったが断る
指揮者になるため英語を学ぶ。ラジオ放送の将来性に着目する
1923~58年女優・歌手のサラ・ロイと結婚
1924年ABC放送で指揮者デビュー
1925年CBS交響楽団指揮者に任命される
1937年この年からCBSラジオ放送で「アンドレ・コステラネッツ・プレゼント」という自身の番組を持つようになる
1938~58年ソプラノ歌手リリー・ポンズと再婚し1955年からカリフォルニア州パームスプリングに建てた家に住む
1040~70年代にはコロムビアレコードから5千万枚のレコードを売り上げる。第二次世界大戦中は海外駐留米軍慰問のために、北アフリカ、エジプト、イラン、イタリア、ペルシャ、インドビルマ、中国、ベルギーフランス、ドイツ等で巡演し指揮
1955年来日しNHK交響楽団を指揮
1960年サラ・ジーン・オルカットと再婚
1962年から15年間をニューヨーク・フィルのポストシーズン、ポロムナード・コンサート「アンドレ・コステラネッツとオーケストラ」の常任指揮者となりセントラルパーク、リンカーンセンター等で指揮をする
1965年再度来日し日本フィルを指揮
1979年12月31日「サンフランシスコ・戦争記念オペラハウス」におけるサンフランシスコ交響楽団との「懐かしのウィーンの夜」の演奏会指揮がラストコンサートとなる
1980年1月13日ハイチで肺炎に罹り亡くなる
4.主な作品
アンドレ・コステラネッツ指揮、コステラネッツ管弦楽団演奏録音、ガーシュイン「ピアノ協奏曲ヘ調」、バッハ「G線上のアリア」、J・シュトラウス・ワルツ集」等々
5.その他
アンドレは自分の友人として、R・ロジャース、コール・ポーター、アーヴィング・バーリン(ホワイトクリスマス作曲)、ジェローム・カーン、ジョージ・ガーシュイン、ストコフスキー、クーセビツキー、トスカニーニ、フリッツ・ライナー、オーマンディ、ラフマニノフ、グローフェ、カザルス、サマセット・モーム、アンリ・マチス、等々を挙げている。
6.初演
7.関連動画
ANDRÉ KOSTELANETZ – STRAUSS WALTZES – Disco Completo
Andre Kostelanetz – Gypsy Passion GMB