生没年・出身地・歿地・墓地
ファーディ・グローフェ生誕 Ferde Grofé
(1892年3月27日ニューヨーク生)
(1972年4月3日カルフォニア洲サンタモニカで没)
1.職業
アメリカ合衆国の作曲家・編曲家・ピアニスト
2.称号
3.経歴
⑴ 父エミール・フォン・グローフェはフランス・ユグノー出身のオペラ歌手。母エリザ・ヨハンアナ・ビエリチ・グローフェはチェロ奏者で教師。母の父はメトロポリタン歌劇場のチェロ奏者、母の弟はロサンゼルス交響楽団のコンサートマスター。
⑵ その音楽一家に育つ。母からヴァイオリンとピアノ、和声を、祖父からヴィオラ習う
1899年父の死後、母に連れられドイツ、ライプツィヒに留学し作曲法、編曲法の基礎を勉強しながらピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、バリトンホルン、アルトホルン、コルネット奏法に熟達する。
14才で家を離れ牛乳配達・トラック運転手・新聞配達・エレベーター係・製本助手・鉄工所助手、バーのピアニストをしながらヴァイオリンとピアノの勉強を続ける
15才でダンスバンドに入りプラスバンドでアルトホルン奏者となる
1909~19年の間、ロサンゼルス交響楽団のヴィオラ奏者を務める
1916年歌手のミルドレッド・グリゼルと結婚
1917年ポール・ホワイトマンと知り会う
1920年ポール・ホワイトマン楽団のピアニスト・チーフ編曲者として人気曲やブロードウェイミュージックを楽団用に編曲、有名なガーシュウインの「ラプソディ・イン・ブルー」の編曲はジャズミュジシャンの間で高い評価を確立する
1929~51年ルース・グロッフェと再婚
1932年ニューヨーク・タイムズは「ジャズの首相」と呼んだ。(ホワイトマンは「ジャズの王」と呼ばれている
1930年代フレッド・アレンショーと自分のグローフェショーを含む幾つかのラジオ番組でオーケストラの指揮を務める
1930年から映画音楽の作曲を始める
1937年ルイソン・スタジアムでガーシュイン・コンサートを指揮。同スタジアム初の20,223人の聴衆を記録。タバコのフィリップモリスは「グランドキャニオン組曲」の「歩道上」をラジオ番組のテーマ曲として長年使用
1939年「万国博覧会組曲」を作曲
1940年10月13日は万国博アメリカパビリオンは「グローフェの日」とした。ジュリアード音楽院の管弦楽法教師となり、その後指揮者として採用される。
1952年アンナ・メイ・ラムプトンと再婚
1972年4月3日カリフォルニヤ州サンタモニカで80才で亡くなる
カリフォルニア州イングルウッドのイングルウッドパーク墓地のゴールデンウエスト墓地に埋葬
4.主な作品
組曲「グランドキャニオン」・「ミシシッピー組曲」・「デス・バレー組曲」・「ナイアガラ瀑布組曲」・「ハリウッド組曲」・「万国博覧会組曲」、「鋼鉄の交響曲」、「ピアノ協奏曲ニ短調」ほか管弦楽曲、」室内楽曲、映画音楽がある。管弦楽編曲にジョウジ・ガ-シュウィン作曲の「ラブソディ・インブルー」
5.その他
6.初演
7.関連動画
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Mississippi Suite IV Mardi Gras