アルトゥール・ロジンスキ


アルトゥール・ロジンスキ 生誕
Artur Rodziński

生没年・出身地・歿地・墓地
(1892年1月1日クロアチア、スプリト生)
(1958年11月28日ボストンで歿)

目次(クリックまたはタップで各項目にジャンプします。)

1.職業

アメリカ合衆国に帰化したポーランドの指揮者

2.称号

3.経歴

生まれてまもなく軍医だった父と家族はポーランドのリヴォフに戻る
リヴォフ大学で法学を学びながらリヴォフの音楽院に通い勉強

1914年父親の転勤でウィーンに移りウィーン大学で法学を学び同時にウィ-ン音楽院に入り、ヨーゼフ・マルクスとフランツ・シュレーカーに作曲法、フランツ・シャルクに指揮法、エミ-ル・ザウアーとイェジー・ラレウィチにピアノを師事

1916年法学博士の学位を得る。卒業後リヴォフに戻る

1918~19年リヴォフ歌劇場合唱指揮者

1920年ワルシャワ歌劇場で歌劇「エルナーニ」で指揮者デビュー

1921年楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」の指揮を見たレオポルド・ストコフスキ-に認められる

1925年渡米する。フィラデルフィア・グランドオペラでストコフスキーの助手を務める傍らカーティス音楽院交響楽団指揮者を務める

1929~33年ロサンゼルス・フィル管弦楽団音楽監督

1933~43年クリーヴランド管弦楽団音楽監督

1935、36年ザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルを指揮する

1943~47年ニューヨーク・フィル音楽監督

1947年解任される

1947~48年シカゴ交響楽団音楽監督

1948年ヨーロッパに戻りその後は健康が悪化。ウエストミンスター・レーベルとの録音などの他は活動を控えた。録音は1958年EMIが最後の録音となる

1958年11月シカゴ・リリック劇場でオペラ「トリスタンとイゾルデ」を指揮した後に倒れる。

4.主な作品

5.その他

6.初演

7.関連動画


Sibelius – Artur Rodzinski (1955) Symphony no 2 in D major op. 43
 


Beethoven / Artur Rodzinski, 1954: Symphony No. 5 in C Minor, Op. 67
 


Mozart – Artur Rodzinski & Leopold Wlach (1954) Clarinet Concerto in A major, K.622
 


Shostakovich – Artur Rodzinski (1944) Symphony no 8 in c minor op 65 (1943)
 


Schumann – Artur Rodzinski & Youri Boukoff (1958) Piano Concerto op. 54
 


Rachmaninoff:Symphony#2 -Rodzinski & New York Philharmonic Orchestra-1944
 


Schubert / Artur Rodzinski, 1954: Symphony No. 8 in B Minor (Unfinished), D 759 – Complete
 

参考文献:「wikipedia」 「glennmie.blog.s0-net.ne.jp」 「robortkelloyphd.com」 「dictionary/composer/alkan」 「maucamedus.net/solmization/gawut」 「www.tcat.ne.jp/eden/music」 「www.cadenza-od.com」 「www.coara.or.jp/-doraemon/gagaku/nenpyoz.htm」 「www.gecities.jp/gzgaku.ryuteki」 「www.univesal-music,co.jp」 「maokato.jp/bihoro/bihoro 「homepage3.nifty.com/cio/a-alta」 「www.wagnerdailas.com」 「江戸東京年表」吉原健一郎・大濱徹也編 小学館 「日本史・世界史 同時代比較年表」楠木誠一郎著 朝日新聞 「tsuzu/asakusaopera-nenpu.html」 「tsuzu/operetta-kafu.html」