生没年・出身地・歿地・墓地
オットー・クレンペラー生誕 Otto Klemperer
(1885年5月14日ブレスラウ生)
(1973年7月6日チューリヒで歿)
1.職業
ポーランド出身ドイツ系ユダヤ人の指揮者・作曲家
2.称号
3.経歴
4才のときハンブルクに移住。母にピアノの手ほどきを受ける
フランクフルトのホーホ音楽院に入り、一時、ベルリンのクリントヴォルト=シャルヴェンカ音楽院、その後シュテルン音楽院に入り、指揮・作曲をハンス・プフィッシャーにピアノをジェームス・クヴァストに師事
1905年マーラーに会いその後友人になる
1906年オスカー・フリートの代役で指揮者デビュー
1907年マーラーの推挙でプラハ、ドイツ歌劇場指揮者になる
1910~12年マーラーの推薦でハンブルク国立歌劇場指揮者
1912~13年バルメン歌劇場指揮者
1914~17年ストラスブール歌劇場指揮者
1917~24年ケルン歌劇場指揮者
1924~27年ウィズバーデン歌劇場指揮者
1927年~31年クロル歌劇場初代音楽監督
1931~33年ベルリン国立歌劇場指揮者。同年ナチス・ドイツ政権に伴いアメリカ合衆国へ亡命
1933~39年ロサンゼルスフィル音楽監督
1937年ピッツバーク交響楽団客演指揮者
1947~50年ブダペスト国立歌劇場音楽監督
1950~53年モントリオール交響楽団音楽監督
1954年スイス、チューリヒに居住
1959年8月英国EMIと終身のレコーディング契約を結ぶ
1965~64年フィルハーモニア管弦楽団首席指揮者
1964年フィルハーモニア管弦楽団解散により同年ニュー・フィルハーモニア管弦楽団が組織され会長・首席指揮者
1972年1月引退を表明、同年末にはレコーディングからも引退
1973年7月6日チューリヒの自宅で逝去
4.主な作品
5.その他
6.初演
7.関連動画
Beethoven Symphony No 9 (1 Hour 17 Minutes) Otto Klemperer
Brahms – Symphony No.1, op.68 – Klemperer, Philharmonia (1956 STEREO)
Otto Klemperer conducts Tchaikovsky Symphony No. 6 “Pathetique”
Brahms – Ein Deutsches Requiem/German Requiem (recording of the Century : Otto Klemperer)
Mendelssohn: Symphony no. 3 “Scottish” – Klemperer & Philharmonia Orchestra
Mendelssohn – Symphony n°4 “Italian” – Philharmonia / Klemperer
Antonín Dvořák: Symphony No.9 “From the New World” / Otto Klemperer
Bruckner Symphony #8 – Klemperer, New Philharmonia (1972)
Otto Klemperer conducts German Opera Overtures (1960 – Vinyl LP)
Hector Berlioz: Symphonie fantastique / Otto Klemperer
OTTO KLEMPERER’S LONG JOURNEY THROUGH HIS TIMES / KLEMPERER THE LAST CONCERT
Klemperer the Immoralist (Full Interview)